88 残されたもの
ガイナス襲撃から三日が経った。地上の建物はゾンビやドラゴンゾンビとの戦闘で広範囲に渡って破壊されており、至る所に瓦礫が散乱していた。ガイナス市民は一丸となってこれを片付けていき、ドワーフの本領発揮と言わんばかりに復興はみるみる進んでいった。
しかし、だからと言って皆の顔が活力に満ちているという訳ではなかった。むしろ沈んでいる者の方が多い。その原因となっているのは、ソウマが民衆に向けて言った言葉だろう。
自分達は仲間の死を盾に命ある事を喜んでいたのか。
これから世界が滅ぶのなら、何をもって日々を生きていけばよいのか。
振り返っても罪悪感。先を見ても絶望。民衆はそういった苦悩のジレンマに苛まれていた。
そして、俺も鬱屈した気分で復興の手伝いをしていた。
「ノア………俺のせいで。ごめん。」
時折手に取った黒い珠を見ては己の浅慮な行動を悔い、ノアへの謝罪を繰り返していた。
「アーサーはかなり落ち込んでいますね。私が強く言い過ぎたせいで………。」
セフィリアはソウマを見た時に俺に浴びせた言葉を思い出して、自責の念を抱いているようだ。責任を感じるセフィリアの言葉を聞いて、隣に立つルーも表情に影を作った。
「そうね。あなたが余計な事を言わなければここまで落ち込まなくて済んだのにね。」
「うぐっ。」
セフィリアは胸にズンズンと杭を打ち込まれていくように、ルーの言葉で精神へダメージを募らせていく。そして、俯き気味になりながら何やら尻すぼみにぶつぶつと呟き始めた。
「やはりそうですか。そうですよね。私のせいですね。こんな時どうやって元気付けたらよいのでしょう。やはりあの方法で行くべきか………。」
「今のは冗談よ。あなたが言わなくてもいずれアーサーは気付いたでしょうね。だから気負うことないわよ?」
「いや、ならばいっそあの手で行った方が良いか?ガディウスも男はそれですぐに元気になると言っていたし………。」
「………セフィリア?聞いてるの?」
軽くセフィリアを茶化していたつもりのルーだったが、余程の罪悪感を感じているのか、セフィリアの耳にはすでにルーの声は届いていなかった。
「やむを得まい。そうと決まれば善は急げだ!アーサー!」
「ちょっ、セフィリア!?」
セフィリアが俺を呼び止め、駆け足で目の前に立った。彼女は若干顔を赤らめてモジモジとしながら上目遣いで俺を見る。俺は空っぽの心のまま彼女に向きあった。
「………どうしました?」
「その………あの時、ソウマと対峙した時にアーサーに非難するような言い方をしてしまって。もう少し配慮していればと思いまして。すみません。」
セフィリアが頭を深々と下げる。
「気にしないでください。セフィリアさんは何も間違ったことは言っていないんですから。」
「いえ、私のせいでアーサーは落ち込んでしまっています。ですので、お詫びに私がアーサーを元気づけてあげます!」
意を決した顔つきで、白いボタンシャツのボタンを上から一つ、また一つと外していく。
「セ、セフィリアさん?一体何をっ!?」
あまりに咄嗟の事で事態が飲み込めない俺を他所に、セフィリアはボタンを半分ほどまで外していく。そして、前屈みになって俺を見た。服の合間からは透き通る白い肌と胸の谷間が顔を覗かせていた。
「男性はこの方法を使えば皆元気になるとガディウスに聞きました。き、今日だけですよ?」
羞恥心に終始赤面しっぱなしのセフィリア。普段の俺ならば、ここは「イエス!」とか「これだよこれ!」とか言って興奮するところなのだろうが………。
対応に困っていると、彼女の後ろから巨大な赤いハンマーを持った影が現れ、それは彼女の頭上に勢いよく振り下ろされた。
ピコッ!という小気味の良い高い音が響き渡る。
現れたのは、軽々と大型のピコピコハンマーを片手で持つルーだ。
「だから冗談だって言ってるじゃないの!ていうか、なんて事してるのよっ!?暴走してんじゃないわよ!」
「そうですよ。こんな人目のある場所でそんな事しちゃダメですよ?もっと自分を大切にしてくださいね。ガディウスは一発殴っても罰は当たらないでしょう。」
俺は上着をそっとセフィリアの肩にかけ、微笑みを返した。
「第一、それは私の役目なんだから!!ア、アーサー。どう………かな?」
セフィリアに対抗するように、ルーも自身の服のボタンへと手を掛ける。
しかし、俺はその手を取って制止した。
「気持ちはありがたいけど………ルー、少し自重しような?」
そう言って俺は二人の前から離れ、復興の手伝いへと戻った。
その後ろ姿に、残された二人はただ茫然と呟く。
「あれは誰ですか?どこの紳士ですか?アーサーに似た人ですか?たしか本来のアーサーは温泉を覗こうとしたりする、ムッツリなキャラだったはずですが………。」
「私でもどうにもならないなんて、これは相当重症みたいね。仕方ないわ。一肌脱ぐとしましょう。」
「あっ、結局脱ぐんですね?」
「………ねぇ、本気で張っ倒していいかしら?」
「………すみません。」
***
その夜、ルーに呼ばれて俺はとある家の前に来ていた。
「ここは?」
「いいから入って。」
俺はルーに促されるまま一人中へと進む。
室内には、椅子に座って紅茶を口にする一人の女性がいた。
「………ラナ。」
ラナが気を失って以降、彼女とは会っていなかった。
気持ちが沈んでいたのもあるし、あれだけ自信たっぷりに言っておいて彼女に何て言えば、どんな顔で会えば良いか分からなかった。
「アーサー、久しぶりだね。元気?……じゃないか。あれからいろいろあったんだってね。長老や他の皆から聞いたよ?」
ラナは自分の兄がモニター越しに魂を抜かれる場面を目撃し、そのショックから気を失った。それなのに目の前の今の彼女からはそんな様子は微塵も感じられなかった。むしろ、俺を心配している節すら感じられる。
「ラナ。あんな大見得切っておいて、君のお兄さんを守れなかった。本当にごめん!」
俺は深く頭を下げた。こんなの謝ってもどうにもならない事は分かっている。それでも俺には謝るしかできなかった。
ラナは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに困った顔で俺に頭を上げさせた。
「アーサーは悪くないよ?私達の為に頑張ってくれたじゃない!その後も潜んでいた敵を追い払ってくれたんでしょ?凄いよ。皆を守ってくれたんだね。」
「違う!俺はあの時何もできなかったし、仲間に守られてただけだ。口ばっかりで仲間に頼ってばっかりなんだ。」
仲間の強さに頼って、自惚れて、憧れて………。自分では何も成し遂げることができない、ただの無力な人間だ。もしも俺が強ければラハートを救いに行けたかもしれない。ノアも死なずに済んだかもしれない。
「たしかにラハート兄の事は残念だよ。嘘だと思いたいし、夢なら早く覚めて欲しいよ。でもさ、これは現実なんだよ。ラハート兄はもういないんだ。」
寂しそうに語るラナの言葉に胸を締め付けられる想いがする。
「だけどね、ラハート兄は何も残さなかった訳じゃないよ?私達にちゃんと残してくれたよ?いろんな想いを。だから私は前を向いて精一杯生きる事にした。ノアはアーサーに何の想いも残さなかった?勝手に飛び出してただ斬られに行っただけなの?違うでしょ!」
俺はポケットから取り出したノアの黒核を見つめる。この傷をつけられた時、ノアは必死に俺を守ろうとしてくれていた。そこにノアの想いが確かにあった。
「違う。………違うよ、ラナ。ラナのお兄さんと同じで、ノアは命を懸けて守ってくれてたよ。ノア………あり、が、とう。」
自然と涙が溢れた。
感謝の気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
感謝は守ってくれた事に、申し訳なさはノアの想いを無視してただ謝り続けていた事に対して。
「うんうん!せっかく救ったのに謝られてばかりじゃ、守った側も浮かばれないよね? ってまぁ、これは爺さん連中の受け売りだけどね。少しはお姉さんらしい事、できたかな?」
そう言ったラナの顔は、自分の涙のせいかもしれないが、少し涙まじりにも見えた。この世界が日本よりも死が身近だとはいえ、それに慣れているなんてことはない。ましてや、慕っていた兄の死。そんなに簡単に割り切れるものではなかった。
それでも気持ちに折り合いをつけて、前向きでいようとする彼女の姿は俺の目にはとても眩しく映った。
「ラナは強いね。」
「ふふっ、強いんじゃなくて強くありたいだけ。強がってるんだよ。お姉さんだからね!年下にこれ以上恥ずかしい姿は見せられないしねっ!」
「そっか。ラナを見習って俺も強がんなきゃだな!ラナのおかげで気持ちの整理がついたよ。ありがとな。」
「うん、困った時はいつでもお姉さんを頼りなさい!」
「あぁ、頼りにしてるよ。ラナお姉さんっ!」
ドンッと胸を張るラナに別れを告げて、俺は入り口の扉へと足を向けた。
「アーサー!」
しかし、不意にラナから呼び止める声が掛かる。
「あの………アーサーはこの世界を救う旅をしてるんだよね?全部終わったらさ、その………。」
何か言いにくい事でもあるのか、ラナはどこかハッキリしない態度で言いあぐねているようだった。
「どうしたの?」
「………ううん!早く全部片付けて、またガイナスに遊びに来てよ!」
「勿論だよ!そんな事、改まって言う事じゃないのに。変なラナだな!じゃあ、今日はもう帰るね。おやすみ。」
「う、うん。おやすみ。」
こうして俺はラナの家を後にした。