87 相対する者
「アーサー!何があったの!?」
目の前にはどういう訳か焦った様子のルーがいた。
「ルー、なんでここに?いや、それよりも助けてくれっ!ノアがポーション効かなくて死にそうなんだ!」
「落ち着いて。状況をちゃんと教えて?」
ルーの優しく諭され、俺は逸る気持ちを落ち着かせようとするが、それでも抑える事ができなかった。それを見兼ねたクーデリカが代わりに説明を始めた。
「ノアの核、損傷した。再生不能。ポーション効果ない。現状打つ手なし。」
クーデリカがいつもの片言のような口調で端的に、しかし的を得た説明でノアの状態を伝えると、ルーは口に指を当てて少し考える仕草をとった。
その間にゲートから他の仲間達がこちらへと移動してくる。この見知らぬ空間に驚くとともに事態を分析している様子だった。
やがてルーは口を開いた。
「アーサー………ごめんなさい。私にはノアを救う手段がないの。」
それは俺が予想だにしなかった台詞だった。
「嘘………だよな?冗談はいいから!早くしないとノアが消滅しちまうんだ!回復魔法とかそういうのがあるだろ?」
ルーは全ての魔法を極めている。ならば回復魔法も例外ではないはずだ。加えて、前に回復の魔法石を見た記憶があるので回復魔法もこの世には存在するはずなのだ。
「ポーションで効果がないなら回復魔法では治らないわ。もしも治せるとしたら、それは再生魔法だけね。」
「なら、再生魔法で早くっ!!」
ルーは首を横に振って、これを拒否した。
「それ以前に、私は回復魔法も再生魔法も使えないの。」
「でも、全ての魔法を極めてるって………。」
困惑し縋るような俺に対して、ルーは申し訳ない顔つきを更に深くしてこれに答えた。
「それはそうなんだけど………。覚えてはいる。でも使うことが出来ないの。禁止されてるって言えば伝わるかしら。だからその、ごめんなさい。」
「そんな………。なら、クリシュは?誰か再生魔法を使える人はいないのか!?」
懇願するように周囲を見るが、それを代表するようにクリシュトフは首を横に振った。俺は彼の言葉に落胆せざるを得なかった。
「ごめん。再生魔法なんて聞いたこともないよ。だとすればそれは一般には知られない類いの魔法だろう。力になれなくてすまない。」
「無理もないわ。それが使えるのは再生神の巫女くらいなものだもの。」
ノアを救えるのは再生神の巫女のみ。先程敵として現れ、忽然と姿を消した彼女だけ。
あらゆる可能性を否定していく目の前の大賢者の言葉は、俺に現実の無情さを突きつけているようだった。
「だから、私に今できるのはこれだけ。」
そう言って、ノアにかざしたルーの両手が輝きだす。何か魔法を使っているのだろう。ほとんど液体と化したノアに光が生じ、それは中心の一点へと集っていく。
「………これは?」
光の収束とともにそこに残ったのは、小さな金色の水溜まりの中にポツンと存在する、光沢をもつ黒い真珠にも似た珠だった。
「ノアの核、魂の結晶よ。本来なら魂は浄化されて輪廻の輪に入るんだけど、固定化の魔法で核の崩壊を止めてその中に魂を維持したの。喋ることも動くことも出来ないけど、今確かにその中にノアは存在しているわ。」
手に取った黒い珠には僅かに欠けた部分があった。ここをソウマに斬られたのだ。それはノアが俺を守ってくれた証でもある。
ノアの想いを感じながら、その優しい深みのある黒珠を俺はしっかりと抱き締めた。
ノアの件が一つの形で結末に至った時、セフィリアが声を掛けてきた。
「それで、あの者がノアを手にかけたのですか?」
セフィリアの抑揚のないその声は、とても鋭利で冷たい刃を思わせた。視線の先にはナインと対峙するソウマの姿がある。
「あ、あぁ。あいつはソウマ・ミヤモト。前にディオールで少しだけ話したことがあって、ここで再会したんだ。気が合うし良い奴だったんだ。なのに………。」
「あなたは馬鹿ですかっ!!」
突然、セフィリアから怒号を浴びせられた。
「あなたはマナが見えないから仕方ないかもしれません。でもあなたもマルタスの武術祭を見ていたのでしょう?彼を知っているはずです!思い出してください。私が王城での会議の際に言ったことを。」
武術祭、王城………。そこまで言われてようやくピンときた。
今までどこかで会った気はしていた。しかし、その記憶は朧げで、絡まった糸のようにモヤモヤとしていた。
だが今、その糸もほどけ、ピントが合ったようにソウマという人物が俺の中ではっきりと浮き彫りになった。
「………あの時の二刀流の少年。そうですね!?」
セフィリアはコクンと一つ頷いた。それはつまり、ソウマが敵である可能性を持つ最重要人物だということを意味していた。
初めから俺達は相容れない運命にあったのだ。なのに、打ち解けてしまった。知らなかったにせよ、その事が結果としてノアの死を招く事態を引き起こしてしまった。
俺達の視線に気付いたソウマは、ナインの肩越しにこちらに視線を返してきた。
「おや、仲間が増えたようだね?金髪のお姉さんと赤い髪のオジサン………たしか武術祭に出てた人達かな?アーサーの仲間だったんだ。」
「あの時の不気味なガキか。こんな所で会うなんてなぁ。一体何が何の因果だ?」
ガディウスは野獣らしい笑みを浮かべながら、ソウマに目を向ける。
すでにドラゴンゾンビとの戦闘や二度のユニゾンの使用で体には疲労が蓄積している。だがそれを差し引いても、ナインとの戦況や武術祭で見た様子から感じられるソウマの得体の知れない強さには興味がそそられて仕方がないといった雰囲気が見て取れる。
「あの時テメーといたジイさんは今日は一緒じゃねぇのか?仲間なんだろ?」
「タオ爺の事かな?うん、仲間っていうか、まぁ同志だね。今日はいないよ。というより、マルタス以降は別行動だしね。」
ガディウスは面に出してはいないが、確実に安堵していた。
確かに強者は好きだ。目標にもなりうるし、憧れや強さの可能性となりうるからだ。
しかし、タオというあの老人、あれは別だった。別格、別次元と認識していた。武術祭でも何をしたのか理解できなかったし、肩に手を置かれただけで汗が滝のように流れ出した。自分と同格の存在が何人いても勝てるビジョンが見えない。もし、この場にいたら全員が死を免れないだろう。
ガディウスが初めて抱いた恐怖という名の防衛本能。それがあの老人の存在である。
そんな考えから生まれた安堵だった。
一方のガディウスと並び立つセフィリアも、鋭い殺気を纏いながら、冷静さは依然として保っていた。
「ソウマと言ったな。やはり貴様のマナの流れは停止している。そのタオという老人も停止していた。それは生物として道理を外れているのだが、貴様らは一体何者なのだ!?」
「へぇ、君はマナを視覚として捉えることができるのかい?凄いなぁ。でもさ、それを僕が答える義理はないよね?………まぁいいさ。僕についてはさっき話したんだけど、時間を止められてるからね。詳しい話はアーサーにでも聞くといいよ。タオ爺については、そうだね~。一言で言えば『仙人』だから、かな?あの人は人間を辞めているんだよ。 」
「人間を………辞めた?」
『仙人』という単語と『人間を辞めた』という聞き慣れない言葉に一同は不可解極まりなかった。だがこちらの疑問が晴れることはなく、ソウマが言葉を続けていく。
「アーサーの良い顔も見れたし、今回は一応満足かな?叡知の書もいることだし、この状況は今の僕じゃちょっと部が悪そうだ。というわけで、そろそろお暇させてもらおうかなっ!」
ソウマが懐に手を伸ばし、地面へ何かを投げつけた。もうもうと立ち込める煙が瞬時に周囲を包み込む。彼は煙玉で煙幕をはったのだ。
皆に緊張が走り、警戒の姿勢がとられる。
ソウマの気配は完全に遮断されていた。セフィリアの知覚にもマナの反応はない。
「ソウマーーッ!!」
俺も魔力眼を発動してみるが、やはり何の魔力反応もなかった。
煙は直ぐに晴れていった。そして、煙同様にソウマの姿も消えていた。
『アーサー、次は破滅の舞台で会うとしよう。その時を楽しみに待っているよ。』
そのメッセージだけを残して事態は収束を迎えた。