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86 現状打破

 俺に襲いかかった刃を、ノアが文字どおりその身を盾に受け止める。それは一瞬の出来事ではあるのだが、コマ送りのように俺の目に焼き付いた。ノアが自身をメタル化させ、ソウマの小太刀と競り合っている。やがて、その刃は勢いを増し、メタリックに輝く金色の球体の内部へと押し分けるように侵入していった。


「やめろーーっ!!」


 下から斬り上げられた小太刀が完全に振り切られる。結果、俺が無事である代償として、その場には左右に別れた二つの半球状の金色が音を立てて地面へ落ちた。


「そんな………ノア?」


「今のは何だい?すっごく硬かったよ?びっくりして僕も思わず本気出しちゃった。まさかあんな隠し玉を忍ばせているなんてね~。アーサーは意外としっかり者なんだね!うん、えらいえらいっ!」


 俺が両断されたノアの姿に放心していると、ソウマは感心したようにそんな事を言った。


 スライムは身を切られてもすぐに再生することが可能だ。だが、ノアにその兆候は見られなかった。地面に落ちたノアのメタル化は解け、少しずつ液状化し始めている。それは俺が初めてスライムを倒した時に見たのと同じであり、核を傷つけられたスライムの死に際の光景に相違なかった。


 すなわち、ノアは瀕死の状態だった。


「ノア、ちょっと待ってろよ!直ぐに治してやるからな!!」


 焦燥に駆られ、魔法の鞄からポーションを取り出そうと手を伸ばす。目の前のソウマはそんな俺を楽しそうに眺めていた。


「アーサー、君、今とてもいい顔してるよ?助かるかもという期待、助けるという意志、それに反しての無力感、焦り、絶望………。頭の中がぐちゃぐちゃになりそうなんじゃないかい?張り詰めた糸が限界のところで保ってる感じだね。いいよ、いいよ!!それでこそ僕の気分も少しは晴れるってものだ。」


「うるさいっ!ノアは絶対に助ける!!」


 嘲笑うソウマには目も暮れず、ポーションを探し、一つの小瓶を取り出した。これで助かる。そう思った瞬間、首筋にヒタリと何か冷たい感触が触れる。


「ぐっ、てめぇ!!」


「こうしたらもっと面白くなると思わないかい?」


 首筋に当てられたのは、研ぎ澄まされたソウマの小太刀。俺は溶けていくノアを前に身動きを封じられた。そして、ソウマはおもむろに俺の手に握られた小瓶へと手を伸ばす。


「これは僕が貰っておこうかな?」


 勝ち誇った様子でソウマは抵抗を封じられた俺の手から青い半透明のガラスの小瓶を奪い取ると、そのまま一気に飲み干した。


「何だい、これ!?メチャメチャ美味しいよ?飲む機会なんてずっと無かったけど、最近のポーションってこんな………うっ!?」


 上機嫌だったソウマの顔が一転して歪む。手からは小瓶が滑り落ち、カラーンという音を立てて地面に転がった。


「なんだ、これ?ち、力が、マナが抜けていく!?僕には毒も効かないはずなのに………。」


 思わず膝をついたソウマは、小太刀を地面に突き刺し、体勢を維持する。急激なマナの喪失に苦しげに顔を俯ける中、彼はふと視線の先にある地面に転がった小瓶の口を捉えた。


「銀色の水滴?まさか、ポーション………じゃ、ない!?」


「ソウマ、お前、千年以上に生きてるらしいのに知らなかったのか?他人の物を勝手に飲んじゃいけないんだぜ?でも良かったよ。予想通りの行動を取ってくれて!」


「僕に罠を仕掛けたっていうのか!?いや、それより何を飲ませたんだ!」


 その顔からはすでにニコニコとした笑みは消え、悔しさを露にした人間味のある様相を呈していた。


 俺がポーションを取り出そうと魔法の鞄を漁っている際、いざという時の為に用意しておいた『中身を変えたポーションの小瓶』が目に留まった。それは力不足で仲間に頼りきりな俺にとっての数少ない切り札。海底都市での戦いで感じた無力感から、あらゆる事態を想定して準備した物の一つだった。


 目にした瞬間、電流が走ったようにソウマがこの後に取る可能性のある行動が思い浮かんだ。パニックに陥っていたが、俺の脳の一部はまだ冷静さを保っていたらしい。

 これに賭ける。ノアを救うのに一手遅れるが、俺もノアも格上のソウマから生き残るには、現状これが最善策だと思われた。


 俺が手に取った瓶の中身はポーションではなく、魔酒『魂の誘い』。ソールイーターの別名を持つ、マナと反応する謎の液体だ。この世界に生きる以上、マナは必要不可欠である。ソウマがいくら強かろうとこれを飲んで平気なはずがない。


「酒だよ。まぁ、ただの酒じゃないけどな!ノアの後に直ぐ俺を殺さなかったからさ、俺に絶望を与えようとしてるんなら、そんな行動に出るかもって思ったんだ、よっ!!」


 話しながらも、俺はソウマに向けて剣を振るう。しかしその刃が届くことはなく、ソウマは大きく後ろに飛び退いてこれをかわした。


 二人の間に距離が広がる。


「チッ、君もなかなかいい性格してるね。それほど強さはないけれど………うん、やっぱり君はちょっと厄介な存在みたいだ。」


 ソウマはふらつきながらも、毒づくように俺をそう評価した。だが俺にはそんな事に耳を傾けている余裕などなかった。今、この瞬間も思考をフル回転させているのだから。


 開いた距離がチャンスの大きさを示している。


(今しかない!)


 ようやく訪れた好機に俺は後ろを振り返り、声を飛ばす。そこにいるのは、先程ナインとソウマの衝突の際に後方へ軽く跳ばされたクーデリカだ。


「クーデリカ!こいつでノアを治してくれ!!頼む!」


「うん、任せる!」


 俺が放ったポーションの小瓶を両手でしっかりと受け取り、クーデリカはノアの元へと駆け寄った。俺はクーデリカの盾になるように、ソウマとの間にすかさず位置どる。その後、ソウマの更に後方へと視線を飛ばし、俺は一気に踏み出した。


「うおぉぉぉーー!!」


 叫びとともに低い姿勢から足首へと斬りかかるが、これをソウマは軽く跳ぶことで難なく避ける。しかし──


「今だ、ナイン!」


「影分身。」

「ッ!?」


 ──俺の呼び声で、アイコンタクトしていたナインがソウマの背後から現れる。見れば、彼を中心に九つの影が伸びており、それは実体を持って姿を現した。と同時に、空中で身動きの取れないソウマが見えない糸に絡め取られたかのように空中で静止させられる。


「散れ。奥義、九連縛影刃。」


 反射するように分身体が高速移動し、全方位からの斬撃を繰り出す。それは見るのも憚られるような無情な光景だった。


「アーサー、ノア見てろ。こいつ、オレが相手する。」


 そんな一方的な惨殺劇を繰り出す中、ナインは俺をノアの方へ行くように仕向ける。しかし、ナインの顔色にはどこか苦々しさが窺えた。


「早く行け。時機を見誤るな。」


「………分かった。ナイン、ありがとう。」


 迷う俺を叱咤するようにナインに促され、俺はノアの元へと急ぎ走り出す。



 ***


 その場に残ったナインは僅かに冷や汗を流していた。


「………こいつ、化け物か?」


 目の前の捕らえた少年はすでに死んでいてもおかしくない。いや、死んでいるのが当たり前の攻撃を加えているはずだった。

 動きを封じ、誰の目からも一方的にしか見えなかったナインの技は、やがて重力に従って地面に降り立つソウマと霧散する分身体によって脆くも崩れ去った。所々に斬ったという事実は見受けられるが、それも直ぐに逆再生ように癒えていく。


「まだまだ甘いよ。ナイン、君は知らないのかな?シュバルツベインの初代当主にして暗殺術を考案したのが誰なのかを。」


「………それはゼロと呼ばれた人物。お前、シュバルツベイン家の何を知ってる?」


「まぁ焦るなよ。じゃあ、初代剣聖について知っているかい?」


「未だ並ぶ者のない最強の剣の使い手だった言われている。得物を選ばないが二刀流が得意だったはず。」


 訝しげな顔でナインは答えを返す。


「じゃあ、そのゼロと初代剣聖は戦ったらどっちが強いと思う?」


 ナインは困惑する。質問の意図がまるで分からないし、なにより、その時のソウマからは暗殺者の家系である自分と同じ空気が感じられた。


「答えはね、そんな対戦は実現不可能、だ。だって、どっちも僕の事だからね。」


 魔酒によりマナを奪われたはずのソウマだが、その動きはわずかに弱体化した程度に留まっているように思えた。旅の途中で自ら試したナインには分かるが、あの量を飲めば如何なる者も急速なマナの喪失により意識を失う事は確実である。


 先程の話も含めてそこからナインが弾き出した答えは、目の前の少年がアーサー同様、マナ不足の影響に耐性のある者であるという考えだった。そして、マナで身体能力を高めている自分に、この者はほとんど生身の状態で現在相対しているという事だった。

 ちょうどセフィリアのフル発動した絶対領域内での戦闘と似た状況である。それは大人に子供が立ち合うようなものであり、そこには圧倒的優位性が存在する。


 暗殺者はマナで気配を探られないために、マナを断った立ち回りで迅速に任務を遂行する事が多い。ナインも幼少よりマナの無い状態での訓練を受けてきた。なので、セフィリアの空間内だろうとある程度は動けるし、対応もできる。


「何をそんなに驚いているんだい?ようやく症状も緩和されてきて体も動くようになったし。お前程度はマナを使うまでもないからね。さっきの技も元は僕が編み出したんだ。当然その対処くらいは容易に出来るさ。」


 しかし、目の前の少年はマナを失っても大きな違いを見せていない。自分の技を容易に破ったことからも、ハンデをもってしても自分と対等以上の存在であることを改めて認識させられた。


「ソウマ………貴様がゼロ。しかも剣聖。道理で強い。」


 暗殺者の一族シュバルツベインの創始者であり、剣の最高峰の使い手。そして、己を暗殺者として縛り付ける存在。それが目の前の少年であり、彼にとってどうしても打ち壊さねばならない呪縛である。


「君の噂はかねがねエイト、現当主から聞いているよ?腕は悪くないが、思想が悪いってね。君、暗殺が嫌なんだろ?こんな運命からは逃れたいって思っているんだろ?」


「………。」


 その問いかけにナインは無言の言葉を返す。


「その考えは嫌いじゃないよ?僕も同じで人生を理不尽に縛られてるしね。でもそれは無理なんだ。君達は僕の駒であり、オモチャなんだから。この終わりのない世界を遊ぶ為の道具なんだからさっ!」


「黙れっ!!」


 ソウマの言い様に、抗う対象の大きさに反発するようにナインは渦巻く感情の全てを込めて、無意識にただ一言を発していた。


「ほら、感情を捨てないと良い人形になれないよ?強さがないと我を通すことも出来ない。全く不自由な世界だよ、この世界は!お前も存分にそれを味わうといいよ。」


「消えろーっ!」


 感情に任せてナインがソウマへと踏み込んだその瞬間、ノアの元へ向かったアーサーの叫びが地下全体へと響くように広がった。


「ノアァァーーーッ!!」


「おや?どうやらアーサーの方はダメだったみたいだね。せっかく頑張ったのに無駄な努力だったって訳だ。アハハハハ!」


 視線を動かせば、そこにはノアを抱えて叫ぶアーサーの姿があった。



 ***


 俺はノアの元へと駆けつけるが、真っ先にクーデリカの首を横に振るその動作で現状を理解させられる事となった。


「ポーション効かない。核の損傷治らない。このままじゃノア助からない!」


 無情な言葉が俺の鼓膜を伝わってくる。


「そんな………魔物だから効果がないのか!?くそっ、何か……何か他に手はないのかよ!」


「手は………ない。」


 刻々と訪れる現実を前に、俺は必死で打開できる手段を模索した。


 結論、手段はなかった。


 ここにルーが居れば回復魔法とか何か救う術があるかもしれない。だが、彼女はここにはいない。

 俺に出来ることは、もはや奇跡を願って祈ることくらいしか残されていなかった。


(神様でも誰でもいい。お願いだから、誰か、ノアを助けてくれよ!ルー!早く来てくれっ!頼むよっ!ルー!!)


 奇跡は起こらないから奇跡である。そうと知りながらも祈らずにはいられなかった。


「アーサー!?どうしたのっ?」


 だが、その考えは俺の間違いだったと直ぐに気付かされる。起こりうるからこそ、人はそれを奇跡と呼ぶのだ。


 聞き覚えのある声が辺りに響いた。俺が今一番に望んでいた声。でも、聞こえるはずのない声。


 声の方へと顔を上げれば、そこにはゲートを越えて現れたルーの姿があった。


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