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83 腐肉の竜

 話は少し戻る。


 ドラゴンゾンビの首筋に斬りつけ、その手に握る刀を振り払いながら顔をしかめたガディウスが声を荒げる。


「こいつぁキリねぇな。斬っても斬ってもすぐに再生しやがる。おい、クリシュ!オメェの魔法でやれねぇのかよっ!!」


「こっちも同じだね!ホント厄介だよ、こいつ。」


 問いかけられたクリシュトフは憎々しげにドラゴンゾンビを見ながらそう返した。体長2、30メートルはあろうその巨体に皮膚は無く、体表には腐肉がさらされている。だが、それは依然として腐竜としての健全を保った状態であった。


「カカカ、ユニゾンでいくか?今の拡声魔道具の声を聞く限り、状況はかなり悪ぃぜ?」


 今しがた敵の首領が捕らえたラハートにかけたらしい声は、彼女の所持する小型の拡声器によって都市の大部分にも響き渡っていた。今回の事件はやはりアーサーから聞いたように土のファクターを狙ったものだとキリウは理解し、切迫したものであると認識を改めていた。


「おぅ。んじゃ、クレイとクリシュで足止め頼むぜ!」


「仕方あるまい。では、やるか。」


 クレイとクリシュは視線を合わせ、巨大な生ける屍と相対する。攻撃的な鋭さを持つ咆哮を上げたドラゴンゾンビは眼前で構える二人に対し、大きく息を吸い込んだ。そして、口から激しく燃え盛る炎が吐き出される。恐るべき熱量を持って全てを焼き焦がさんとする紅蓮の炎が、二人を飲み込むように襲いかかった。


 迫り来る紅炎を前にクレイは笑った。


「火喰い。」


 次の瞬間、炎は彼の元へ纏われるように集まり、全身に吸収されていった。その事に驚く者はいない。それはクリムゾンクローではよく見られる光景であり、彼の宿す火のアーティファクトの能力の一端でしかないのだから。そして、クレイも先程のドラゴンゾンビ同様に大きく息を吸い込む。


「お返しだ。たっぷりと味わえ。」


「フレイムケイジ!」


 クリシュトフの魔法が格子状の炎の檻を生み出し、ドラゴンゾンビを固定する。そこへクレイが息を吹きかけるように吐き出した。


 凝縮された炎の咆哮が一気にドラゴンゾンビの頭を突き抜ける。それは時間にして一瞬ではあったが、そこに集約されたエネルギー量は膨大であり、炎の砲撃が消えた後には頭部を消し炭へと変えた腐竜の姿があった。


「ハハッ、やっちまったか?………って、んなわけねぇよなぁ。」


 ユニゾンの準備段階で両手に竜闘気を纏うガディウスがそう呟く。だが、その表情は楽観的に聞こえるその言葉とは裏腹に強い苛立ちが見られた。

 顔を上げれば、黒ずんでいたドラゴンゾンビの頭部は細胞が再生するように元通りに復元されているところだった。


 それと同時に遠くで光の柱が立ち昇るのが見える。


「キリウッ!いよいよマズそうだぜぇ?これで完全に終わらせちまえよ?」


「ヒャハハッ。うっせーよ、おっさん!当ったり前だろーがよぉ!そろそろだな。オラァッ!喰らえよ、鎌居断ちっ!!」


 横凪ぎに抜き放たれた紅く巨大な斬撃が、いまだ炎の檻に拘束され身動きの取れない腐竜を襲う。それは体を覆う炎ごと胴を横断した。


 その胴体が上下に二分されず元の形を維持しているのは、単にだるま落としのように乗っかっている状態だからだろう。しかし、その切断面は紅く輝いており、竜闘気による分解が為されている事実は明らかだった。


「ヒャハッ!ご自慢の再生能力も、この死神の鎌からは逃れらんねぇだろ?」


 キリウは勝ち誇ったように腐竜へ言葉を吐き捨てた。

 活動を停止したドラゴンゾンビに一同は軽く頷き、クリシュトフが口を開く。


「これならいずれ全て分解されるだろうね。じゃあ、あっちに向か………うのは、どうやらまだ先になりそうかな。」


 クリシュトフの視線の先に、紅く輝いていた切断面の光が弱々しくなり、徐々に収まりを見せる光景があった。


「おいおい、マジかよ………。」


「やべぇんじゃねーの、これ。」


「ふむ、どうしたものか。」


「ははは………参ったね。手詰まりだよ。」


 呆れと焦りが入り混じった顔の四人が口々に言葉を溢す中、ドラゴンゾンビの分解されていた切断面が再生されていく。どうやら竜闘気による分解力をドラゴンゾンビの再生力が上回ったようだ。


「グルガァァァーーー!!」


 そして、完全に回復したドラゴンゾンビはそれまでに溜まった鬱憤を晴らすかの如く、耳をつん裂く巨大な雄叫びを上げた。


 そして──


「黙りなさい。『結界陣』『ディメンションディバイド』。」


 突如、ドラゴンゾンビの周囲が見ただけで強力と理解できる程の結界に覆われ、その刹那に空間が断絶される。


「『ブラックホール』。」


 銀の髪の少女が発した魔法名と共に結界内に黒い球体が現れる。いや、正確にはそれは球体にも似た、直径40センチ程の暗黒の空間だった。その中には何も存在しない。ただ無だけが存在していた。


「クリシュよ。一体何なのだ、あの魔法は?」


「い……いや、分からない。あんな魔法、どれも知らないよ……。」


 クレイはドラゴンゾンビに向けて放たれた得体の知れないその魔法について聞くが、クリシュトフには何も答える事はできなかった。ただ、全員に共通する認識が一つあった。それは自分がここで死ぬかもしれないという焦燥感。それほどに、この黒い魔法は危険性を内包していると直感させる代物だった。


 魔法が発動する。

 地面の瓦礫が浮かび上がり、黒に飲まれていく。それは次第に周囲へと拡がり、ドラゴンゾンビが引き込まれ始める。

 抗う腐竜はまずその尾を蝕まれる事となった。黒に飲まれると同時に、全方位から圧縮プレスされるように尾がひしゃげて消滅した。

 死した肉体だが、そこに生への執着があるかのように、ドラゴンゾンビは雄叫びを上げ、逃げ惑う。しかし、その声は隔絶した空間に阻まれ、誰の耳にも届かない。結界で退路も絶たれ、もしもその朽ちた肉体に感情があるならば、黒の持つ超重力はまさに生を求めて蠢く数多の手のように感じたかもしれない。


 やがて、腐竜は徐々に強さを増すその重力に抗いきれず、一気に引きずり込まれてしまう。そして、断末魔をあげることすら敵わず、無に帰していった。


 結界内には黒だけが残り、そこには無だけが存在していた。


「これが………嬢ちゃんの力か。」


 ガディウスが愕然とする。


「こりゃ、相当にヤベェぜ。」


 キリウの頬を冷や汗が伝う。


「こんなの、人智を越えているよ。」


「あぁ、彼女が神だと言われても容易に信じられるくらいにな。」


 同様にクリシュトフとクレイも畏怖を露にしていた。


 とはいっても、彼らが動揺するのも無理からぬ事だった。ルーテシアが使ったのは現存する魔法ではないのだから。



『結界陣』。あらゆるものを結界内に押し留める、完全なる結界。

『ディメンションディバイド』。次元を切り分け、断絶した空間を作る。

『ブラックホール』。超重力を内包する、全てを飲み込むエネルギー空間を生み出す。


 現在では知られていないが、和名を持つ魔法は始源の魔法であり、各属性の最上級に位置している。つまり『結界陣』は結界魔法の最高位の魔法である。


 そして残りの二つであるが、これはルーテシアのオリジナル魔法だった。それは小田原朝のいた現代日本で得た知識を元にして生み出されたものである。次元の間にいた二百年間、彼女は様々な世界を見てきた。そして、現代日本では教育や情報は充実していた。空想的な面や科学、物理などの自然界の法則、発展した技術体系など様々な知識を吸収している。魔法の無い世界の者がそれを求めた結果がゲームや創作活動であったり、自然を科学することだったのかもしれない。原理を理解し、発想を得たルーテシアの魔法の可能性は大きな拡がりを見せていた。

 それは言うなれば、現代魔法とでも言うべきかもしれない。


 今回の場合、『結界陣』で空間を制限し、『ディメンションディバイド』で次元を隔てる事で『ブラックホール』の余波などの影響を完全に遮断し、最大限の効果を発揮できるようにしていた。



 クリムゾンクローの四人が青ざめる中、セフィリアの声が聞こえてきた。


「貴様ら、何て顔をしてるんだ!?」


「おめぇん所の嬢ちゃん、化け物か何かか?」


 ガディウスが引きつった様子でセフィリアに尋ねる。


「失礼な。貴様、ルーテシアさんを侮辱しているのか?死ぬのか?死にたいのか?」


 セフィリアの目に一瞬の殺意が宿る。だが、その殺意もすぐに薄れていった。


「どうせルーテシアさんの魔法に肝を冷やしたのだろう?あれほど大賢者だと教えてきたのに理解できていなかったとは、本当に情けないな!まぁ、今はいい。それより、敵に土のアーティファクトを奪われたのだ。ルーテシアさんは少々ご立腹の様子だから、あまり馬鹿な発言はしないように頼むぞ。」


「あー、それでゾンビ共が消えたんだね。」


 少し離れているルーテシアに目を向ければ、たしかに笑顔の裏に殺意を隠したような、密かな憤りが感じられる。


 そんなルーテシアから極寒を思わせる青い瞳を向けられる。


「ひとまず、アーサーの所に行って状況を整理しましょう。………ッ!?アーサー?皆急ぐわよっ!ゲートッ!!」


 急に焦燥感に駆られて『ゲート』を開いたルーテシアに、皆一様に驚く。一体何が起きたのか!?


 ゲートを潜ると、そこは広いが洞窟のように壁に囲まれた空間、地下都市裏ガイナスだった。正面には短刀を構えるナイン、座り込み涙を流すアーサーの姿。


「ルー?大変なんだ!お願いだよ、助けてくれ!ポーションかけても全然治んないんだっ!」


 そして、アーサーの腕には斬られたように分断された金色の球体、スライムのノアが抱かれていた。

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