77 交渉のテーブル
真っ暗だった意識に映像が流れてくる。
あれは………俺か?
そこにいたのは小田原朝であったよりも更に前世、魔酒を飲んだ時に見た破滅神を封印したという俺に相違なかった。異なる顔であっても彼が自分であることはやはり不思議と理解できていた。
彼は俺が抜こうとしていたあの剣を容易に鞘から抜き、頭上へと掲げる。刀身は目映い黄金の輝きに満ち、俺の目を惹き付けて止まなかった。
だが次の瞬間には、その映像は元々無かったかのように消えていった。その記憶だけを俺の中に残して。
再び真っ暗になった視界の中、ふと何かの気配を感じて俺は周囲に視線を動かす。すると、視界の端に薄ぼんやりとした白い影が揺らめくのを捉えた。影はゆらゆらとこちらへ向かって接近し、やがてそれが一人の少女の姿であることを俺ははっきりと認識した。
知らないはずの少女に記憶の底に埋もれたような懐かしさを感じる。そんな彼女はどこか寂しそうに俺に微笑んでいた。
「僕を使いたいなら記憶の鍵を解放して。そうすればきっと、再び会えるから。その時を楽しみに待ってるから。」
それだけ告げて彼女は粒子となって消えていった。
目覚めると俺の前にはルーやセフィリア達の顔があった。ここはどうやらウチの馬車の中のようだ。
今のは夢だったのか?………違う。何故なら俺の中には新たな記憶が蘇っていた。確かあの剣は破滅神と戦うためにドワーフに作ってもらったものだ。しかし、力の差が圧倒的で倒すことは敵わず、誰かと共に封印するのが精一杯だった。あれは誰だっただろうか。思い出した記憶にはまだ欠落した部分も多いのだろう。全てはまだ思い出せていないようである。
(じゃあ、あの剣の元の持ち主は俺ということになるのか?それにしても記憶の鍵って魔酒やあの剣の事を言ってるんだよな?どこにあるかも、どんな物かも、あと幾つあるのかも分かんないんだよな~。ヒントくらいあったらいいのに。)
そんな事を考えていると、ルーに肩を必要以上に揺すられている事にようやく気づいた。
「痛い痛い。そんなに揺すられると首痛いから!」
「ようやく正気に戻ったのねっ!起きたと思ったらそのままボーッとしてるんだもん。心配するじゃない!」
目覚めはしたが何か障害でもあるのかと、皆心配していたようだ。
「ごめん、夢見たもんでちょっと考え事してたんだよ。」
「夢?」
俺はクリムゾンクローが外にいるうちに、仲間にだけさっき見た夢のようなものについて話をした。
「少女、ですか。大方、剣の精霊とか本当の持ち主の霊なんじゃないですか?」
「ちょっと!幽霊とか怖いこと言わないでくださいよ~。」
「何が怖いのですか?ゴーストとかソールイーターとか半実体系の魔物はいるじゃないですか。」
幽霊はそういうのとは意味合いが全然違うと思うんだが………。それに伝説の剣(仮)だと思っていたのが一転、実は呪いの剣でした~では本気でシャレにならない。いや、マナを吸われるんだからもう呪いの剣といってもあながち間違いじゃないのか?
「それにしてもあの剣、アーサーの物だったのよね?よかったじゃない!これで文句なく貰えるわよ!?」
「どうだろうな。」
ご満悦のルーとは逆に俺はそう上手くはいかないだろうと予想していた。なにせ、クレイの参謀には腹黒賢者の一族であるイケメガネ、クリシュトフがいるのだから。
***
「おっ?やっと起きてきやがったぜ。それともイチャついてやがったか?ヒャハハッ!」
「軟弱。」
「アーサー、気分はどうだい?マナ不足は堪えるだろう?」
馬車を出ると、夕食の準備をしていたクリムゾンクローのメンバーに声を掛けられた。どこか様子を窺っているようにも見えるが俺の気のせいだろう。
「いやあ、ビックリしたよ!俺、いつの間にか気失ってんだもん。今のところ体調は問題ない、かな?ははは……。」
「まったく、驚いたのはこちらだ!突然倒れるヤツがあるか!!そんな奴は初めて見たぞ。本当にどうもないんだな?」
突然掛けられた声に振り向くと、鎧を着たクレイの姿があった。
「あぁ、問題ない。心配かけて悪いね!ところでなんで鎧を着てんの?……あれ?そういえば、皆して戦闘用の装備じゃない?夕食の準備してるんじゃないの?」
よく見れば、皆さん胸当てやらローブやらを装着していた。
「あぁ。これはだな、能力が上昇する効果が付与されているのだ。この鎧を着ていれば器用さと素早さが上がるからな、料理には持ってこいなのだ。見ているがいい!」
そう言って、クレイはナイフを片手にまな板の前に立つと凄い勢いでキャベツを千切りにした。ものの数秒で一玉の塊が細切りされたのだ。
「ふん、ざっとこんなものだ。」
「………ワー、スゴーイ。」
「ウチは全員料理が苦手だからね。野宿だと自炊しなきゃだから、思いきって皆買ったんだよ。」
彼らにとっては上策だったようだが、もうアホらしすぎてかける言葉が見つからなかった。クレイの千切りに他のメンバーもちょっと誇らしげな表情なので、そっとしておこうと思う。
夕食はトンカツのようなものだった。彼らの料理は素材の味が生かされていて意外にも美味しかった。というか、ほぼ素材の味だったんだが。
因みに何の肉かと聞いたところ、オークマンという聞いたこともない品種の豚らしい。どうやらこの世界でも養豚は盛んなようでなによりだ。だがそれは実際は豚ではなく、人型の豚の魔物であると俺が知ったのはもう少し後の話だった。
夕食を終え、いよいよ本題に入るべく俺は話を切り出した。何の話かというと、一つは同行する約束の事、もう一つは剣を貰う話である。
「まず、勝負に勝ったら一緒に来てくれるって話だけど、オーケーでいいよね?」
俺の正面に座るクリシュトフは指で眼鏡の位置を正し、こちらを見据えた。緊張が走るが、俺は決して顔には出さない。
そして一拍の間があった後、彼はニコッと微笑んだ。その表情にわずかに精神も弛緩してしまう。
「うん、いいよ。ただし私達の勝負は途中で終わったので引き分けとすると、二戦二分けだからこちらも条件をつけようと思うんだ!」
来た。やはりルーと同じ血筋だからだろうか、どこか狡猾さを感じる。
「条件って?」
「まずは剣の聖地に寄って欲しい事、次に私達の鍛練の相手をする事。」
向こうの提案した条件は思った程悪いものではなかった。むしろこちらとしては願ったり叶ったりである。
「それなら別に構わないよ!じゃあ、それで決ま──」
「あぁ、それと最後に。君達の本当の素性を知りたい。包み隠さずに、ね。これから大変な事に巻き込まれるんだ。信頼関係を築くなら当然の事だよね?」
クリシュトフは後出しのように最後の条件を突きつけてきた。
俺が転生したとかユニゾンとかノアの事とかルーが封印されていた話など、言わなくてもいい事はこれまで話さず、表面上の事だけ話してきたのだが、薄々何かを隠している雰囲気があると見抜かれていたようだ。
ただ信用できる相手なら話しても良いが、叡知の書を宿すルーの存在は特に敵方に知られる訳にはいかない。彼らがまだ百パーセント無関係とは決まっていないのだから。
しかし、その条件は俺の意を介さずして飲む事となる。
「いいわよ。交渉成立ね。」
これはどうしたものかと思考の渦に飲まれていると、ルーが突然承諾してしまったのだ。ルーも俺の考えている事くらいは思い至っているだろうに。
「ルー、いいのかよ?」
「まぁ大丈夫よ。最悪の場合、消すから!」
ルーの輝く笑顔に皆凍りついていた。
「えっ、嘘でしょ?おばあちゃ──」
「んっ?よく聞こえなかったわ。今何か言ったかしら、眼鏡君?」
「いえ、何でもありませんです。」
うっかり禁句を口走りかけたクリシュトフの顔は、もはや大量の冷や汗にまみれていた。
どうやらこの交渉は俺達に軍配が上がったようである。