72 鬼嫁降臨
空間に歪みが生じ、虚空に開いた穴から俺とルーが姿を現す。異空間での特訓を終え、現実世界へ戻ってきたのだ。
すでに日は沈み、月明かりが辺りを照らす夜の世界になっていた。
「ルーテシアさん、お帰りなさい。遅かったですね?御飯にしますか?お風呂にしますか?私にしますか?おすすめは………って、アーサー!?大丈夫ですか?」
「アーサー、生きてる?」
「大丈夫よ。今は眠っているだけだから。」
俺は疲れ果てて、すでに活動限界を迎えていた。今はルーに重力魔法で軽くされた状態でお姫様抱っこで運ばれている。
「いや、そういう事ではなくですね、なんかもうボロ雑巾みたいになってますけど?」
抱えられた俺の姿は誰の目から見ても満身創痍だった。擦り傷、切り傷、火傷に打撲。それはあたかも災害に巻き込まれた子どもが救出された場面のようだった。
「ルーテシア、超スパルタ。鬼嫁?」
「ちょっとちょっと、誰が鬼嫁よ!家庭内暴力とかじゃないからね?これはあくまで特訓なのっ!アーサーが早く覚えたいって言うから私も心を鬼にして──」
「うぅ……言って……な……」
「人間、極限状態でこそ成長すると思うのよ。ほら、今では眠っていても会話可能になってるわよ?」
「無駄に研ぎ澄まされてますね。一日と半分で死地を乗り越えた戦士みたいなるなんて………アーサー、お気の毒に。」
「ルーテシアは鬼教官。南~無~。」
ルーの異空間から戻ってきたのは翌日の夜だったようだ。異空間は次元の間のような外界と隔離された空間だったので時間の感覚が狂っていたが、どうやら俺は極限状態で一日以上特訓していたらしい。
「でも成果はあったわよ?魔力も見れるようになったし、もう一息かなっ!」
「そうですか。………んっ?見る?まさかそれ『魔力眼』ってやつじゃ。」
「そうだけど?」
「そうだけど~って、レアスキルですよ!?なにさらっと流してるんですか!普通は他者の魔力を感じるのも大変なのに、見える人なんて極少ですよ?私ですら集中して感じるのがやっとです。」
「そんなもの生まれつきか、死線をくぐる程に魔法を浴びてきた人くらいしか身に付かない。ルーテシア、一体どんな特訓した?」
セフィリアはレアスキルの発現に驚き、クーデリカはやや呆れ気味な顔でルーテシアを問い詰めた。
「どんなって、大したことじゃないわよ。空間内を密林ステージにして、あとは私の魔法から逃げ切れればオーケーっていう特訓よ?生き残りゲームみたいな感じかしら?」
「ルーテシアの言葉は軽すぎて信用ならない。アーサーが起きたら真実を聞く。」
「そう。じゃあ今から起こすわ。」
そう言ってルーは得意気に片手を上げ、頭上に燃え盛る獄炎を生み出した。
それと同時に、俺の体は反射的にその場を転がるように横へと移動し、跳ね起きて剣を手に構えをとっていた。そして、目覚めた俺は周囲を確認する。
「おっはよー!完璧ね!」
「ここは………戻ってきたのか?」
目の前には炎を掲げたルー、苦笑を浮かべるクーデリカとセフィリアの姿があった。
それから、俺は回復薬のポーションを貰って傷ついた体を癒し、食事をしながら特訓についてクーデリカ達と話していた。
「いやぁ、今までで最も死を覚悟したよ!本当に殺す気じゃなかったよね?」
「もちろん!死ぬ一歩手前に調整してたから大丈夫よ。まぁ当たりどころによっては致命傷だけど………結果オーライよね?」
「やっぱりルーテシアは鬼。アーサー、よしよし。それでアーサーはどんな特訓をしたの?」
ルーテシアのとんでも発言を聞き、死ぬ気で頑張った自分をちょっと誉めたくなった。何故かクーデリカに頭を撫でられつつ、俺はさっきまでの地獄を思い出していた。
***
ルーに異空間へと連行された後、俺は森の中に放り出された。そして、ココがドコなのかなんて疑問すら吹き飛ぶような一言をルーが告げる。
「私、これからアーサーを殺す気で魔法を放つわ。死にたくなかったら私の魔力を読み取ることね。私の魔法から逃げ延びれば特訓終了よ。じゃあ始めようかしら?」
「いきなりだな、おいっ!殺す気なんて急にどうしたんだよ?」
「私とユニゾン、したくないの?」
「そりゃしたいけど………これ、なんか違わな──いぃぃ!?」
すでに聞く耳など持たないのか、突然ルーの指先からレーザーが放たれ、俺の足元を穿った。
理解の追いつかない頭のまま恐る恐る顔を上げ、再びルーを見る。すると彼女は微笑みながら一言、こちらに投げかけた。
「死ぬ気でやらないと、死ぬわよ?」
俺は全てを悟った。
(ヤバイ………コイツ、マジだわ。)
それからは生死をかけたサバイバルが繰り広げられた。木の影に隠れていてもその木ごと撃ち抜かれたり、疲れて洞窟内で休んでいると水攻めされたり、地中のトラップを踏むと電流が流れたり。他にも腕や足を貫かれたりもしたが、身体をマナで強化しているのでどうにか動く事だけはできた。
そんな中、木に背を預けて休憩していると、不意に背後で空気中の水分が集まるような気配を感じた。それは高密度に圧縮されている所のように思えた。この感覚が何なのかはまるで分からなかったが、嫌な予感がして俺は横に体を反らす。その直後だった。木の幹が砕け飛び、数瞬前まで肩があった位置を一条の線が通りすぎた。
「あら?アーサー、今のは避けたの?それとも偶然かしら?」
「さっきから撃ってるそれ、まさかウォーターカッターか!?ノアのと桁違いじゃん!どんだけ圧縮してるの?普通にレーザー系の魔法かと思ってたぞ?」
「ふーん、やるじゃない!もうそこまで読み取れるようになったの?じゃあ後は慣らすだけだね。次のステップいくね~。」
ルーがパチンと指を鳴らす。すると、さっき感じた感覚に似たものが辺り一面を覆い尽くした。地面、空中、木の葉などに仕掛けられた多彩な魔法トラップが更に増えていたのだ。
俺は神経を尖らせつつ、トラップとルーの魔法を避けていく。たまに避けた先で爆裂魔法のトラップに触れ、吹っ飛んだりもした。やがて集中力は限界を迎え、つい眠ってしまうこともあり、その度に肩などを魔法で射抜かれる痛みで目を覚ましていた。
そんな事が繰り返されるうち、俺は眠っている間にルーの魔法を受けなくなっていた。どうやら無意識に避けていたようで、目覚めると周囲は穴だらけになっていた。
それと同時に変化が起きていた。何となく感じていた感覚が視覚的に見え始めたのだ。ルーに目を向ければ、指先に魔力が収束していくのが見える。見える色からして特大のファイヤーボールでも作るようだ。指先から火球が放たれる。
今までは逃げてばかりだった俺だが、今回初めて前へと踏み出した。俺は魔法が形成される過程に突破口らしきものを見つけたのだ。
剣を構え、放たれた炎の塊に向かって剣を走らせる。
「そんなこと、あるの?アーサー、あなた今何したの!?」
「………。」
ファイヤーボールは俺の眼前で左右に分断され、後方の木を燃やした。魔法を斬ったのだ。たぶん斬ったのは魔法の核だろう。俺はすでに限界を超えた状態で、意識も朦朧としていた。
「もう限界みたいね。じゃあこれでラストよ。死なないでねっ!」
ルーの中に膨大な魔力が生まれる。それは指先の一点収束していき、俺の目には凄まじい輝きを放つルビーのように見えた。
(ルー………それ、無理ゲーだよ。)
やがてルーの指先に生まれたのは、それまでに比べて圧倒的に小さな紅いビー球のような魔法だった。
今の俺には魔力が見える。見た目は小さな球だが、それは直前に見えた膨大な魔力が凝縮された末の結晶だった。そんな指先程度の球の中では、暴れ狂う魔力が解放の時を待ちわびているように見える。この魔法、避けるとかいう次元ではない。威力が想像を遥かに超えている。
置かれた状況に意識がだんだん覚醒してきた俺が選んだ行動はただ一つ。
「こんなの………逃げるに決まってんだろうがぁーーっ!!」
疲労困憊の体に鞭打って全力で走り出す。距離をいくらとっても安全圏だとは思えない。そして後ろで爆音が響くとともに、真紅のドーム状の空間が拡がった。たぶんあの空間内は焦熱の世界なのだろう。
(このままじゃ追いつかれる!)
そう思った俺は賭けに出た。魔力の感覚も分かった。流れも見える。距離も離れてその威力も少しは弱まっていそうだ。
立ち止まり、背後に向き直った俺は剣を前に突き出した。 そして、これまでの特訓を反芻し、脳内で確かなイメージを形作る。
刀身に魔力を集めるように、そして同調させるようにイメージを描く。
剣先が真紅の魔力に触れたと同時に、剣が魔力を帯び始める。
「できた!けど、この魔力量……抑えきれるか!?」
魔力を同調させることには成功した。しかし、強大で荒々しいその魔力を制御出来なければ、このまま暴発するのは目に見えていた。
「くっ、何か策はないのか!?………そうだ!ぐおぁぁーーっ!!」
このままでは確実に容量オーバーする。とっさに俺は剣から左手を外し、剣に蓄積した魔力を左手に流し始めた。
「予想以上の成果ね。」
左手には真紅の剣が生まれていた。純正の魔法剣、魔力剣である。右手の魔力を帯びた剣もなんとか制御が敵ったようだ。
「アーサー、やるじゃない!最後は見た目に惑わされず逃げ切れればと思ってたんだけど。その様子なら、私の魔力をもう完全に同調させれるみたいね!………アーサー?」
両手に二本の剣を携え、俺はすでに立ったまま気絶していた。
「本当にお疲れ様。ゆっくり休んでね。」
こうして特訓を終えた俺は、ルーのお姫様抱っこという憐れな姿で現れたわけである。
***
「とまあ、そんな感じよ。」
「そうだったのか。睡眠中も無意識に回避するなんて、何気に俺の行動ヤバくない?でも………成功したんだよな。」
部分的にルーに補足されながらも、異空間での特訓について語り終えた。俺は途中から記憶も曖昧で、どこか夢現のような状態ながらも無我夢中で動いていた事だけは覚えている。最後の瞬間、魔力の剣を生み出そうとした辺りはすでに意識がなかったように思う。
その話を聞いたセフィリア、クーデリカ、ノア、フェイは、まるで映画のエンディングでも見たかのように感動に浸っている。
「そんな中でよく生きてましたね。今まで鬼畜とか言って、なんかすいません。」
「アーサーは頑張り屋さん。えらい。」
「ピキピッピピーピキッ。」
「キュキュー、キューキュキュッ!」
「皆ありがとう。記憶があやふやでなんか実感湧かないけど、嬉しいよ。あとセフィリアさん、この流れでそんな事謝られてもあまり嬉しくないんですが。」
月明かりの下、夕食を囲みながら賑やかな夜が更けていった。
「あ、そうそう。そういえばルーテシアさん、最後にユニゾンは完成したんですよね?でも、あと一息って言ってませんでしたか?」
セフィリアが唐突な疑問を切り出した。なんか嫌な予感がする。
「うん、そうよ?一回出来たくらいで使いこなせるわけないじゃん。あと二、三回同じように特訓すれば身に付くはずよ?」
その言葉を耳にした皆の手が止まる。口元で動きを止めたスプーンからはスープが器へと溢れ落ちていく。それはあたかも俺に残された寿命を表しているようだった。地獄の門はまだ開かれていたのだ。
目線を上げると、今日の成果にご満悦な彼女と目が合った。
「嘘……だよな?」
しかし、誰もがその答えを悟ったかのように俺に言葉をかけてくる。
「アーサー、疲れたでしょう?今日はゆっくり休んでください。」
「諦めが肝心という言葉がある。今がその時。」
「ピキ。」
「キュー。」
一難去ってまた一難とはこういう事なのだろうか。皆あれだけ感動していたのに、もはや他人事のように俺を励まし始めた。ノアとフェイですら「ファイト。」と一言告げて食事を再開してしまった。
「うぅ、この薄情者ーーっ!」
森にこだまする叫び声とともに、無情にも夜は更けていくのだった。




