62 混乱の会議室
「アーサー様、どうしたっすか?もしもーし?」
それ以上の思考を放棄した俺は、早足で会議室へと戻っていた。血相を変えて戻ってきた俺を見て、ルーから声がかかる。
「アーサー、顔色が悪いわよ?どうしちゃったのよ、真っ青じゃないの!あら、シャルアもいたの?」
「アーサー様と偶然トイレで会ったんすけど、どういうわけか急にこんなになっちゃったんっす!もしかして僕のせいっすか?」
黒髪のポニーテールをゆらゆらと揺らしながら、シャルアは瞳を潤わせている。
「はぁ? トイレで会ったって………アーサー、まさか女子トイレに入ったんですか!?」
呆然自失の俺にセフィリアが追い打ちをかける。普段ならすかさずツッコむところだが、俺の耳にはそれすら届いていなかった。
だがそのかわり、きょとんとした顔でシャルアがすかさず答えた。
「何言ってるっすか?そこは男子トイレに決まってるじゃないっすか!僕、男なんすから。」
「………はいぃ!?」
室内の空気が凍りついた。
サリューアやソフィーラも知らなかったようで固まっている。ノア達魔物でさえ固まるこの空気の中、一人の声が室内に響く。
「なんじゃ、皆知らんかったのか?こんなナリでもシャルアは立派な男のコじゃぞ?」
唯一人、ナディアだけがその事実を知っていたのだった。
「サリューア様まで女だと思ってたなんて………ひどいっす。」
「………あぁ、すまん。」
海皇であるサリューアは心ここに在らずという様子で生返事で謝った。そこには海皇の威厳すら残っていなかった。
ふと正気に戻った俺は、このままでは話が先に進まないと思い、半ば現実逃避気味に会議の終結へ向けて進行を始めた。
「うん、シャルアが男なのは分かった。男でも女でもシャルアはシャルアだ。以上!次の議題だ。」
「えっ?ちょっ、短くないっすか!?嬉しいような、蔑ろにされてるような………非常に複雑なんっすけど!!」
黙らっしゃい。シャルアの抗議は全面的に却下である。
「次はナディアについてだが………サリューア様、こちらで預かっても良いですよね?」
「ん?あ、あぁ。再び攻められたらどうしようもないしな。アーサー達といた方が安全かもしれん。あとはナディア次第だが。」
サリューアの了承も得たので、俺はナディアの前に立ち、彼女の説得を試みた。
「ナディア。君は世界滅亡の鍵となっているんだ。俺達がそんな未来を防ぎ終わるまで、匿わせてくれないか?」
両の肩を掴み、正面からナディアの目を見つめながら、真剣な面持ちでナディアを説得する。
「そ、そそそ、それっ、プロロ、プロポーズとかいうやつではないんかのっ!?もう、まったくアーサーは大胆なのじゃ。し、しょうがないのじゃ。連れていくのじゃ。」
ナディアは真っ赤な顔で目を逸らしながらも了承の意を返した。よく分からないが、オッケーらしい。面倒なので、深く追及するつもりはない。
「えーっと、あとは………。」
「アーサーの話を聞かせてよ!魔酒がどうとか、亀の中で言ったこととか。」
「たしかにそんな事を言っていましたね。」
そういえばすっかり忘れていたが、そんな話もあったのだった。
「どう話したらいいかな。えーっと、魔酒を限界まで飲んだことで激しい頭痛に襲われたんだが、その時に白い蛇みたいなのに出会ったんだ。そして言われたんだ。『これは記憶の鍵だ。鍵を探して記憶を解放せよ。さすれば運命は切り開かれん。』とかなんとか。つまり、どうやらこの旅は俺の前世の記憶を探す旅でもあるようなんだ。」
「………それで、アーサーは前世を何か思い出したの?」
「いいや? 何も。」
「………そう。」
ルーは少し寂しそうに顔を逸らした。俺にはよく分からないがルーは何か知っているのだろうか?
「ルー、俺の事を何か──」
「聞かないでっ!………聞いてはダメ、なの。私に答えること、できないの。」
「ルー………。分かった。聞いたところで何が変わる訳でもないし、これは俺の課題だな!うん、自分で探してみるよ。」
「アーサー………うん、ありがと。」
突然の拒絶のような反応とルーの複雑な表情に俺は驚き、これ以上無理に聞くことを避けた。実際気にはなるが、嫌がるルーに無理に聞く程でもない。前世の記憶がどうであろうと、今の自分が俺なのだから。
「それで他には何か見たの?」
「ああ、どうやら昔復活した破滅神を前世の俺は封印したらしいんだ。チラッとそんな光景が見えたよ。」
「なっ!アーサー、あなたはそんな事ができるのですかっ!?相手は神ですよ?気配遮断が得意とか酒に酔わないとか、前々から変な人だとは思っていましたが、あなた本当に何者なのですか!?」
「そんなの知らないですよっ!!それやったのは前世の俺なんですから、まるっきり別人ですよ!ていうか、なんか今、サラッと俺のこと馬鹿にしましたよね?」
変人代表のようなセフィリアに変な人呼ばわりされるとは思ってもみなかった。ちょっと不愉快である。
そう思っていると、ナディアから援護射撃があった。
「セフィリアとか言ったかの?なんじゃ、お主はアーサーが何者かも知らんのか?そんなの勇者であり妾の夫であるに決まっておろう!常識じゃろ?」
この新キャラは何を言っているんだろうか。誰が夫だ。この後はルーがムキになって張り合う展開が目に浮かぶ。
「ん?ルー?」
しかし、ルーからの反応は無く、不思議に思いそちらを見ると、ルーは思い詰めたような顔をしていた。どこか絶望を垣間見たような表情だった。
たぶんルーは前世の俺を知っている。小田原朝の更にその前を。しかしどういう事情なのか、それについては語りたくないようだ。
触れるつもりはないが、このままにしておくには今の彼女の顔は少し深刻すぎる。こんな時、なんて声をかければいいんだろうな。頭には何も浮かんでこない。にもかかわらず、胸を突くように紡ぎ出される言葉があった。
「ルーが何を知っているか俺には分からない。以前の俺を知っているのかもしれない。でも、過去に何が起きたとしても今の俺が俺なんだ。上手く言えないけど、顔を上げろ!俺はここにいるし、セフィリアも、ノアやフェイもいる。そして、ルーテシア・バレンタインも今ここに存在しているんだ。前世と今は別なんだから、ちゃんと今を、未来を見ろっ!!」
不安に押し潰されそうなルーの肩を掴み、前を向かせ、顔を向き合わせる。俺の目をじっと見るルーの青い瞳は不安、驚き、期待、希望………様々な色が混在していた。
「そうですよ。ルーテシアさんは不敵なくらいが似合っています。過去に何があったとして、そんなものは罵りながら全て手の平の上とか言って転がすのがルーテシアさんでしょう?大丈夫。私達が付いていますから。」
「ピキッ!」
「キューッ!」
「言えないことは言わなくていい。お前はただ俺達を、仲間を信じろっ!!」
その言葉を聞いて、ルーは肩にある俺の手を払い、顔を隠すように後ろを向いた。
「ノア、フェイ、ありがとね。」
二匹はキュッキューっと嬉しそうに答える。
「セフィリア、私の事をどう見てるのよ。………当たってるじゃん。」
「当たり前ですよ。ルーテシアさんのファンなのですから。」
肩を振るわすルーを優しく包み込むような眼差しで見据えながら返事をするセフィリア。
「アーサー、今はまだ私の中の答えは出せないよ。でも──」
気丈に声を振り絞るルーの横顔から一筋、涙が伝うのが見える。
「私は今の皆を信じたい。これから先もずっと、何があっても!」
振り返ったルーは、決意を秘めた力強い瞳で俺の目を真っ直ぐに見た。その瞳は、今までの全てを見透かしたような青ではなく、凛然とした、未来を見通そうとする意志が現れた深く輝く青だった。
ルーが何を思ったかは分からないが、一歩前に踏み出したという事だけは分かる。
「もう大丈夫そうだな。」
「うん、心配かけてゴメンね。」
こうしてルーが落ち着きを取り戻し、場の空気は和み始めた。
「うー、何なのじゃ、この茶番はーっ!」
ルーが落ち着いて一段落かと思いきや、突然ナディアが叫び始めた。
「妾はアーサーの嫁なのじゃろ?なんでその女にばかり優しいのじゃー!」
俺は嫁にするなど一言も言ってないし、断ったはずだが?何かそれらしいことを言っただろうか。いろいろあって混乱していたので正直何を話したか記憶が曖昧だ。
とりあえず嫁の件はしっかり断ろうと口を開きかけるが、ルーが人差し指を俺の口に当てて塞いだ。
そして、ナディアに一言。
「ちょっと待ってて。」
ルーはそう言い残して部屋を出る。そして数分後、何食わぬ顔で戻ってきた。
「ルーテシアとか言ったか?いきなり出て戻って、何がしたいんじゃ?」
「ねぇ、ナディアは花嫁修業した事ある?」
ルーの笑顔が輝いている。なぜだかそれを見た途端、俺の全身の毛穴は完全に開ききった。
「ない………それがどうしたのじゃ?」
ルーは突然『ゲート』という名のドアを出現させた。
「この扉の向こうに、花嫁修業の部屋があるんだけど、ナディアやってみない?やっぱり勇者の嫁になるなら必要だと思うのよね~。奥さんがヘッポコじゃ旦那さんも軽く見られちゃうし~。」
「なんじゃと!?むぅ、たしかにそうかもしれん。なら………やるのじゃ!!」
「じゃあ、これを持ってドアを開けてみて!」
「なんじゃ、この紙切れは?」
「いいから、いいからっ!」
何やら手紙のような物をナディアに手渡し、さっさとドアを開けるように促す。
ガチャッ。
「うひょー!これはお姫様の部屋か?あれは夢にまで見たお姫様ベッドじゃー!すごいのじゃー!!」
そこには優美な設えを施した部屋、まさに王女の部屋といった空間があった。ゲートを越え、部屋に入って大はしゃぎのナディアであった。
バタン。
「えっ?」
ドアは独りでに閉じ、そのまま消えてしまった。
俺はどこかそんな予感はしていたが、他の皆は唖然としてしまっている。
「は、はは………ルー。」
「ルーテシア様、姉は一体どこへ消えたのですか?」
「落ち着いて、ソフィーラ。ナディアは王国へ送ったわ。あそこなら私の魔道具で連絡がとれるし、精鋭騎士も火のアーティファクト持ちもいるはずだから、敵が来ても安全に匿えるの。海底都市より安全なのよ。私達と一緒に旅しても一網打尽にされたら元も子もないしね!それにちゃんと修業もしてもらうから安心して?」
「そういう事でしたか。でしたら安心ですね!姉をよろしくお願いします。」
これで良いのだろうか。ナディアには申し訳なく思うが、ソフィーラがいいなら良しか。もう疲れたので、これで一件落着ということにしよう。そうしよう。
俺だけでなく、皆がそんな顔をしていた。




