58 漆黒の大賢者
ルーテシアは大怪魚シリシリグランを引き連れ、アーサー達からさらに離れた。
足の生えたその巨体は意外な程速く、その一撃が持つ威力は容易く岩山をも凪ぎ払っていく。ルーテシアが移動したのは、その被害を考えての行動だった。
そして、もう一つ。これから放つ魔法に巻き込まないためでもあった。
「陸でも動くなんて、あなた本当に面倒臭いのね。すぐに終わらせてあげるからじっとしておくことをオススメするわ。」
そんな風に優しい口調で声をかけるルーテシアへ、シリシリグランは勢いよく突っ込んでいった。
しかし、そんな脅威に対し、ルーテシアは避ける素振りすら見せなかった。
「『バリアLV3』『アースチェイン』『結界陣』『リフレクションマジック』」
ルーテシアは次々と魔法を詠唱していく。
体当たりをしたシリシリグランはルーテシアに向かう途中、壁に激突したように何かに阻まれた。
そして、気がつけば六本の足も全身も、地面から伸びた鎖に絡め取られていた。
周囲を見れば自分を覆うドーム状の光の膜。その表面は水面のようにキラキラと輝いている。
その魔物は目にした光景に何を思うだろうか。ただただ一方的に魔法陣が展開されていく。
「準備は良いかしら?じゃあいくわよ。『フレアイグナイト』。」
少女の指先から真紅の小さな球体がゆっくりと放たれた。その球は結界の膜を通過し、シリシリグランへと引き寄せられるように近づいていく。
真紅の球体がシリシリグランの目に映る。その距離はもう目と鼻の先だった。
巨大魚にもその球体がどれ程のものか予測できたのだろうか、着弾の直前、身を捩るように大きく跳ね上がった。
そして、着弾。
結界内が激しい炎の濁流に包まれた。まるで収まりきれないエネルギーを無理矢理閉じ込めているかのように、高圧力、高密度の炎熱が結界内で荒れ狂う。
数秒の後、赤に染まった空間が収まりを見せ始めた。
露になったそこには、黒く炭化した巨大な物体があった。
「あら、あなたタフなのね。」
わずかだがまだ息のあったシリシリグランは、最後の力を振り絞るようにルーテシアの方へ大きな口を開いた。
口腔内にエネルギーが収束していく。
「もうお眠りなさい。来世では幸せになれることを祈ってるわ。」
ルーテシアはレーザーを放たんとする炭化した大怪魚へ向けて、右手の平をかざす。
そして、手向けの言葉であるかのように、一言、そっと魔法を唱えた。
『サイレントデス』
その言葉とともに、大怪魚シリシリグランは静かに目の光を失った。
「生命を弄ぶなんて、本当に腹立たしいヤツよね。魔物だろうと何だろうと、命はその者唯一の自由であるべきだというのに。」
ルーテシアは今しがた相手をした魔物の、不自然に造られた命、強制された生に対し、怒りを覚えていた。なぜそこに怒りという感情が生まれるのか、彼女はそれを理解している。
「元巫女としてはアレに罰を与えておかないと気が済まないよね。」
銀の髪を靡かせ、ルーテシアはもう一つの戦場へと歩き出した。
***
赤い空間は数秒程で消失したが、それは時間が間延びしたと錯覚する程、敵味方問わず大きな衝撃をもたらす光景だった。
「あの赤いのは何だ?あの銀髪のガキがやったってのか!?」
「さあな。ここで終わるお前には関係ないことだ。竜闘気も消えたしな!」
「………さっきの銀の液か。何をかけやがった!?」
「お酒だよ、お酒。ちょっとお前を酔わそうとしただけだ。そんなに気にするなよ。」
「………。」
喋りながらも互いに牽制する。ケリアンは喋りながらも目だけを動かし、何かを探っているようだ。
(ホントなんで竜闘気が消えたんだろうな?失敗したかと思って本気で死んだ気分だったよ。)
竜闘気が消えた理由。それはケリアンが自身のマナを体外へ排出し、それを纏った状態であったため、体に降り注いだ魔酒とマナが反応したというのが真相だった。
息を乱すセフィリアに目をやり、俺は現状を分析する。
(状況は五分か。竜闘気も消え、数でも押しているが、ヤツもまだ余力があるはず。セフィリアさんも攻めに転じるのは厳しいかもしれないし、ノアの魔法はまだ連携不足………攻め手に欠けるか。)
互いに動けないまま膠着状態が続くかと思われたその時、ケリアンが口を開いた。
「このままいけばオレの負けみてぇだな。仕方ねえ。降参してやらぁ。」
「はぁ!?」
両手を上げ、ピラピラと手を振るケリアン。油断を誘っているのだろうか。
「アーサー。気を抜いては行けませんよ?何か仕掛けてくるかもしれません。」
「分かってます。悔しいけどヤツの方が格上ですからね。」
俺達は再び気を引き締めた。
「降参だって言ってるだろ?このままいけば、向こうのガキが来てオレは終了ってことだ。水の魂は今回は諦めてやる。」
「………今回は!?」
一瞬ヤツの言葉の意味を理解できなかった。重力魔法で動きを止められるこの状況で逃げ出せる方法が思い浮かばなかったからだ。
ケリアンはニッと口角を上げた。そして、両手を広げる。
「ゲート!!」
「なっ!?」
空間が裂け、穴が現れる。
「奥の手はいざという時に使うもんだぜ?転移魔法を使えるのは、なにもあのガキだけじゃねぇんだよっ!」
「くそっ!待ちやがれっ!!」
ゲートをくぐろうとケリアンが手を掛ける。
(まずい、逃げられる!)
だが結果として、ケリアンはゲートに弾き飛ばされることとなった。
「何故だ!お前がまた何かしたのかぁー!!」
ケリアンにも何が起きたのか理解できず、怒りに震えた声で俺に叫び飛ばした。
(えっ?俺が何かしたのか?もしかして知らない内に何かの力に目覚めたとか?あぁ、これがよくある覚醒パターンってやつですか!?)
そんなことを考えていると、後ろから声をかけられた。
「そんなわけないじゃない。私が結界魔法で転移阻害してるのよ!」
相変わらず心を読んだかのように話しかけてきたのは、銀の髪に白い肌、青い瞳を持つ大賢者、ルーテシア・バレンタインだった。
胸元の三日月のネックレスが朝日に照らされ、光り輝いている。
「ルー!」
「お、ま、た、せっ!いきなりでゴメンなんだけど、コイツは私に任せてもらえるかな?」
ルーの登場、そして提案に困惑を覚えるが、俺達はただ頷いた。ルーは微笑を浮かべていたが、なによりその目が笑っていなかった。
「ありがとね。………じゃあ、あなた。破滅神復活を目論むあなた達の情報を教えてくれる?と聞いたら素直に話してくれるかしら?」
「………それに答えたら生かして帰すのか?」
ケリアンの問い返しに、ルーは深い溜め息を吐いた。
「はぁ、もういいわ。少しは頭が回るかと思ったのだけど、ただの愚者だったようね。あなたは魂まで破壊することにしたから。もう二度と生まれ変わる事もないわ。本当に永遠のお別れね。」
「何を言ってやが──」
ケリアンが何か言おうとするのも聞かず、ルーは彼に向けて両手を前に突き出した。
ケリアンを囲むように光の柱が立ち昇る。
「おいおい、何するつもりだよ。何なんだよお前はー!」
「彼女こそが漆黒の大賢者、ルーテシア・バレンタイン、その人です!」
セフィリアが堂々とルーの名乗りを上げる。
「大賢者………ルーテシア・バレンタイン。………そうか、お前が叡知の書かぁーー!!」
「魂まで朽ち果てよ。『セブンスフォール』………」
七つの光がケリアンの頭上より降り注ぐ。
「ぐわぁーーー!!オレは、死んでも死なねぇ!死んでも終らねぇんだよっ!キャハハハハ!!」
「………『オブ・ジ・エンド』。」
その言葉と共に、光の柱が硝子が割れるように砕け、光の粒子となって霧散した。そこにはもう、ケリアン・ブラッキオの存在は欠片も残されていなかった。
ルーはこちらを振り返り、笑顔を見せる。
「海底都市が心配だわ。さっ、早く戻りましょっ!」
何事も無かったかのようにそう言って、ゲートを開くのだった。