56 科学者の実力
海底都市を覆うバリアの外に飛び出した俺達は、大怪魚シリシリグランに背後から泳いで接近する。そして、作戦通り海中から場所を変えるべく、ルーの転移魔法が発動した。目の前の景色が大きく歪む。その後、新たに目に入ってきたのは、ゴツゴツとした荒野地帯の風景だった。
「プハーッ!ハァ、ハァ………。どうやら成功したな。」
地上へと転移した俺達は呼吸を整え、周囲に人がいない事を確認した。あたりは薄明るく、どうやら夜明けが近いようだ。海底のあの明るさは何だったのだろうと思う程に、奇妙な感覚が残る。
ビチビチッ。
「水中からの転移ってイヤなのよね~。ほら、ずぶ濡れだし。ゲートを使わない転移は結構魔力消費も激しいのよね。」
「こんな魔法があるとは………ルーテシアさんは本当に優れた賢者様なのですね!」
服は元々水着の上に羽織ったような格好なのでそれほど気持ち悪くはないが、皆一様に髪の毛や服の水気を払いながら身支度を整える。
ビチビチッ。
「さっきからビチビチビチビチうるさいわね!少し静かにしなさいよ!地面が揺れるじゃないっ!地上でどれだけ暴れてももう遅いのよっ!!」
そう、俺達の隣には共に空間転移させた大怪魚がいる。クジラより大きいのではないだろうか。
「そうです。飛べないトビウオはただのトビウオだ、と言うでしょう?それと同じです。あなたは今、ただの大きな魚なのです!」
「あれ?セフィリアさん、飛べるトビウオもただのトビウオですよ?」
「えっ?」
俺の鋭い指摘に、決め顔だったセフィリアの顔が若干赤らんだ。
「な、なら、飛べないチキンはただのチキンです!これならいいでしょう!?」
俺達は苦笑いを返していた。
そんな時、俺達以外の第三者がこちらに話しかけてきた。
「何でーすか、あなた方ーは?邪魔者でーすか?そーして、さっきのはまさーか転移魔ー法ですーか?」
声の主へ目を向けると、シリシリグランの影から現れた男、ケリアン・ブラッキオが興味深そうにこちらを見ていた。
「よお!昨日の夕方はどうもっ!よくもやってくれたな。」
俺は開口一番、昨日の不意討ちのお礼を言ってやった。
「はてはてはて?あなた、誰でーすか?」
「くっ、いきなり岩場にレーザー撃ち込んできただろうが!忘れたなんて言わせないからな!」
「あーあっ!岩場に何ーかいたのーで、射げーきの練習をしてーたのです。あなーただったのでーすか。」
「くそっ、ふざけやがって。」
「アーサー、落ち着いてください。怒りに身を任せては相手の思うつぼですよ。それにあの者はすでに狂っているんです。腹を立てるだけ無駄です!」
ケリアンは俺の事など眼中にも無かったらしく、要は遊びで死にかけたということだった。無為に殺されかけたことに憤りを覚えるが、セフィリアに宥められ、どうにか冷静さを保つことができた。
そんな中、ルーが一歩前に出る。
「じゃあ、作戦通り行くわよっ!私があのデカイのやるから、アーサーとセフィリアはあの変態をお願いね!何か奥の手を持ってるかもだから、油断しちゃダメよ?」
「もちろん!」
「了解です!」
俺達は二手に分かれるべく、セフィリアが高速移動し、シリシリグランの側にいるケリアンを拳で弾き飛ばした。
ケリアンは腕をクロスしてガードするが、その勢いは殺しきれず、数度地面を跳ね、岩壁へと叩きつけられた。
「痛いーじゃないですか!わたーしと戦ーう気ですか?言っておーきますーが、アレは陸でもー動けますーよ?」
距離が離れたシリシリグランに視線をやると、なんと体の左右から三本ずつ、計六本の足が伸びていた。なんとも歪な見た目だ。流石のルーも少し引き気味に見える。
こうして、水のファクターを巡る戦闘が始まった。
「もしかしてわたーしが研究者だからーといって、あなーどってますか?甘い甘い甘いーっ!わたしーは自らのー事も研究してーいるのーです!見ますか?見ませんか?見せてあげーますですーよっ!」
ケリアンは何やら注射器のようなものを取り出し、首筋に刺した。
「うーん、きてーますきてます、きてますよっ!」
注入された薬の影響か、虚弱そうな体つきだったのが一転、筋肉が隆起し、一回り大きく、引き締まった肉体へと変貌する。その肉体は所々が緑の鱗のような物で覆われていた。
「あー………きちまったよ。久々にこの力使っちゃったよ。ガキ共、せっかくなんだ。簡単には死なせねーよ?たっぷり実験するんだからなぁ。楽しみだよなぁ?キャーハハハハッ!」
「何なんだ、こいつ?見た目も口調も丸っきり別人じゃないか。」
「嫌な予感がしますね。ヤツの中にマナの激しい奔流が見えます!アーサー、最大限に警か──ッ!!」
ガギーンッ!
警戒を促すセフィリアが、咄嗟にその手に持つ剣を動かした。何事かとセフィリアに目をやると、眼前にケリアンの手が迫っていた。二人とも前を見ていたはずなのに、そこまで接近するまで気づかなかったのだ。剣が弾いたのはその手から伸びる爪。手は緑の鱗に覆われ、その先には鋭く尖った爪が伸びていたのだ。
「オラオラオラァ、そんなに喋ってて大丈夫かぁ?」
「くっ………何なのだ、その力はっ!?」
初撃を防いだセフィリアだったが、その後は凄まじい速度で爪を振るうケリアンの攻撃に防戦一方だった。剣でガードするが、その隙にもう片方の手から攻撃を受けている。掠めた腕や足からは血が流れている。
だが、セフィリアの表情にはまだ余裕が窺えた。
「いくら素早くても攻撃が単調ですね。………そこっ!!」
セフィリアの狙いすましたカウンターがケリアンの横っ腹に剣閃を刻む。この一撃を受けては、体は上下に分かれてしまうことだろう。そんな一撃が繰り出されたのだ。
「セフィリア!やっ………た?う、嘘だろ!?」
「なっ!?」
しかし、横凪ぎに振られたセフィリアの剣は腰の鱗に阻まれていた。愕然とする俺達を見て、ケリアンの口角が上がる。
「だからさっきから甘いって言ってんじゃねーか!オレは今や竜と同じなんだぜ?その程度じゃ、鱗すら切れねーよっ!まあいい。とりあえず寝てろよ。」
頭を掴まれたセフィリアは、そのまま地面へと叩きつけられた。地面に亀裂が入る。さらにケリアンは追い打ちをかけんと片足を上げた。
「ヤメろーっ!」
俺は気がつけば剣を抜き、走り出していた。セフィリアが勝てないヤツに俺が向かったところで何の足しにもならないだろう。俺が動いたのはもう理屈でなく、ただただ助けたい一心だった。
「うおぉぉーーー!!」
俺は飛び上がり、上段から斬りつけた。が、ケリアンは振り降ろされた剣を苦もなく掴み、お返しとばかりにボディーブローを放ってきた。
「ぐはっ!」
全身を粉々にされたような痛みが駆け巡る。殴り飛ばされた俺は口から血を吐いて倒れた。
目が霞む。
一撃でボロボロになった俺だが、見上げればぼんやりとした視界に映るものがあった。
遠くで戦うルーの姿が見える。
よろよろと立ち上がり、再びケリアンと相対するセフィリアの姿が見える。
「俺だけ……こんなところで寝てる……なんて、カッコ悪すぎるだろうがよっ!!」
「ピキッ!」
「キュッ!」
服のポケットに待機していたノアとフェイが、俺の独り言に同意の声を上げた。
「そうだな。じゃあ、ちょっと手伝ってくれるか?」
軋む身体に鞭打ちながら立ち上がった俺は、ノアとフェイと共にケリアンの元へと歩き出した。