119 目覚め
俺達は世界樹の麓に集まっていた。
ルーとナディアは未だに目を覚まさない。どうしたものかと頭を抱える中、とある人物が姿を現した。
「てめぇは、再生神の巫女っ!もうてめぇの目論見は潰えたはずだぜ?一体何しに来やがった!!」
現れたのは再生神の巫女。突然の敵の姿に、戦いを予感した一同は即座に臨戦態勢を取り始めた。
俺はそれ慌ててを制止した。
「待って!彼女はもう敵じゃないはずだ。そうだろ、カグヤ?」
カグヤは軽く溜め息を吐いた。
「気安く名前を呼ばないでほしいものね。もうお友達にでもなったつもりかしら?………まぁいいでしょう。えぇ、そうよ。これ以上争うつもりはないわ。貴方はしっかりと行動で示した。なので私も約束通り、頼み事とやらを聞きにきたの。それで?頼みというのは何かしら?」
カグヤは面倒臭そうにそう言い捨てた。だが、これは彼女にしか頼めない事だ。俺達には彼女の再生魔法が最後の頼みの綱だった。
「ナディアとルーを元に戻して欲しいんだ!」
「まぁそうでしょうね。いいわ、可能な限りはやりましょう。とりあえず、彼女の魂は先に回収しておいたわ。」
彼女はナディアの傍らに腰を落とし、胸に手を当てた。そして、カグヤが取り出した光の玉がナディアの中へと吸い込まれていった。
「目覚めないな。失敗したのではないのか?」
魂はナディアの中に戻ったが、彼女は依然として目覚めていない。心配するクレイにカグヤは首を横に振る。
「いいえ、大丈夫です。もう少しして魂が定着すれば自然と目を覚ますでしょう。」
どうやらナディアは暫くすれば無事に目を覚ますようだ。
カグヤはゆっくり立ち上がると、今度はルーの横にしゃがみ込んだ。
「次は彼女ですが、彼女は私には治せないでしょう。どうやら魂の一部が削り取られ、あるはずの大量のマナが抜け落ちているみたいですね。」
カグヤの説明では、今のルーの魂は穴の開いた容器と同じ状態ということだった。魂の一部であるアーティファクトを奪われた時に主となる魂を損傷したらしい。
「そんな………何か治す方法はないのか!?」
するとクーデリカから一つの案がなされる。
「一度死んで新たに生まれるのを待つ?それなら元通り。ただし、記憶も何も無い。完全に無垢な状態から生まれる。どう?」
「クーデリカ、それは無しの方向で頼む。」
せっかく全てが終わったのに、ルーだけがいないなんて、そんなの俺には耐えられない。
クーデリカも俺がそれを受け入れないと分かった上で言っていたのだが、それは治す見込みが無ければ最終的にそうせざるを得ないという事前の通告だった。
加えて、叡知の書の高度な演算能力のせいで元々ルーの脳はオーバーヒートしており、その機能を叡知の書が代替してきた。
魂の問題が解決したとしても、今のルーは完全に植物状態といえる状態だった。
重い現実がのし掛かる。
そんな中、暗鬱な空気を切り払うように可愛らしい鳴き声が響き渡った。
「キュッキューーッ!!」
セフィリアの肩を伝い、フェイが下りてきた。
何だろう?
何か言いたいことがあるのか、フェイはそのままルーの胸の上に飛び乗り、カグヤをじっと見つめた。
「ハッ!これは、もしやランドイーター!?なんでこんな所に!?………あなた、もしかして彼女を助けたいの!?」
カグヤはフェイを手に乗せると、すぐにフェイの考えを理解したかのような反応を示した。
そして、皆に説明を始めた。
「ランドイーターは体内に取り込んだ食物などのマナを貯蔵することで、とある能力を発動することが可能となります。今のこの子ならば、秘術が使えるはずです!」
「秘術?」
「秘術が使える程のマナを貯える個体は滅多にいないのですが、どうやら世界樹の濃密なマナを取り込んだようですね。その秘術とは、『願いの具現化』。もちろん何でも、とはいきませんが、この子が願うのなら、本来在るべき彼女の思考機能くらいは取り戻せるでしょう。」
彼女は俺を見ると、唯一の手段を示してきた。
「竜神よ。貴方はティアと魂の一部を共有しているんでしたよね?前例が無いので保証は出来兼ねますが、一つだけ治す方法があります。」
「本当か!?何をすればいい?」
前のめりになる俺を鬱陶しそうにしながら彼女は先を続ける。
「貴方の魂で彼女の魂の穴を塞ぐのです。つまり、彼女と魂を完全に共有することになります。言い換えるならば、彼女と命を共有するのです。ただし、失敗すれば、彼女に侵食した分だけ貴方の魂も損傷するでしょうから、おそらく死ぬことになるでしょう。貴方にはリスクしかありません。それでもやりますか?」
ルーを救う方法。それは魂の共有であり、命を共有すること。お互いの命を身体に宿すということだった。すなわち、それは俺が死ねば彼女も死ぬし、逆もまた然りという状態だ。しかも失敗すれば、俺も死ぬ。
「じゃあそれで行こう!」
「………即答ね。少しは考えたら?」
彼女は少し眉間に皺を寄せるが、俺には考えるまでもなかった。
「リスクだけじゃないよ。ルーが元通りになるんだろ?なら、それは俺にとって十分すぎるリターンさっ!俺は前の戦いで一度死んでいて、ルーがその身を賭して俺を甦らせてくれたんだ。だから、今度は俺がルーを救いたいんだ。その為なら俺の命なんて安いもんだよ!」
呆れたように俺を見るカグヤはルーに視線を落とすと、愛しそうな微笑みを向けた。
「ティア、貴女は本当に運がいいのね?こんな奇跡ないわよ?これも運命………なのかしら。」
これが運命なら願ったり叶ったりだ。だが、そんな簡単な言葉で片付けて欲しくはない。
「違うよ。これは奇跡でも運命でもない!俺達の絆があったからこその状況だし、決められた未来を打破したからこそ勝ち取れた未来だ。」
「フフッ、そうかもしれないわね。では始めましょうか。」
カグヤの指示の下、ルーの治癒が開始された。
「これがランドイーターの秘術………。」
フェイの身体が仄かに輝き、やがてそれはルーの体を覆っていった。
「これで脳の機能は復活したはずです。では、次に竜神──」
変化は特に見られなかったが、身体の内部の事なのでそれも当然なのだろう。次は俺の番だ。
俺も頑張ろう。この命に代えても。
「──彼女に接吻なさい。」
「は?」
………この人、何を言ってるんだろう。
(えっ、セップンって接吻だよな?キスの事だよな?全然意味が分からないんですがっ??)
唐突に言われたその言葉の意味を俺は全く理解できず、若干パニックになっていた。
「接吻、知りませんか?キスです。口付けです。チュウとも言いますね。」
「いや、分かるけどそこじゃねぇよ!なんで?しかも人前で!?」
接吻が何なのか理解していないと思ったのか、カグヤが捲し立ててくる。しかし、問題はそこじゃない。何故、今それを要求するのかってことだ。
「魂の接触には粘膜接触が手軽な手段なの。他の部位でもいいのだけど、接吻が一番簡単でしょう?」
「………。」
周りの目が異様に気になる。シルフィーナはショックのあまりヒステリーを起こして皆に止められているし、特にキリウの顔には「いいネタができたぜ」とはっきり書いてあった。
「やめますか?」
「いや………やるよ。」
俺は気を取り直して、優しくルーに唇を重ねた。
カグヤの能力なのか、俺の意識は水の底に沈んでいくように深く落ちていった。
そこにはルーがいた。
「ルー、ようやく会えたな!」
「なんでアーサーがここにいるの?」
「お前を救いに来た。さぁ、帰ろう?皆待ってるよ!」
手を差し伸ばすが、彼女が俺の手を取ることはなかった。
「私の魂はもう限界を迎えてるわ。これ以上はもう無理ね。」
少し寂しそうにルーは俯いていた。
「大丈夫。俺の魂をあげるから。魂を共有すれば大丈夫だから。なっ?」
「ッ!? そんな事したらアーサーの命がっ!!やめてっ!!」
ルーにはそれがどういうことを意味するのか、すぐに理解できたらしい。必死で止めようとする彼女の顔は悲壮感で溢れていた。
「前に言ったろ?何があっても俺はルーを守るって。それに今の俺の命はお前がずっと紡いでくれてきたものだ。死ぬ時も生きる時もこれからずっとお前と一緒に居られるなら嬉しいよ!」
「でも………やっぱり私、そんなこと──」
俺はルーの手を取り、強く抱き寄せた。
彼女はそれ以上その先の言葉を発することなかった。俺の口が彼女の口を優しく塞いでいた。
「ルーがいないと俺が死んじゃうかもしれないだろ?しっかり俺を支えてくれよ。」
彼女の答えは聞いていないが、俺達を結び付ける何かが胸の中に芽生えたのを感じた。きっとそれが答えだろう。
俺の意識はそこで消え、気がつけば現実に戻っていた。
ルーから唇をそっと離す。
すると、彼女の口元が動いた。
「………ばか。後悔しても知らないんだから。」
いつもの口調で喋りながら、彼女は静かに目を開いた。
「馬鹿はお前だよ。するわけないだろ?これが後悔しない為の俺達の答えだろうが。」
「………ありがと。大好きっ!」
目覚めたルーはとても愛らしい顔で俺に飛び付いてきた。
全てを取り戻した俺達は、虚数空間から帰還するべく軽い足取りで歩き始めた。