114 カウント、ゼロ
「ふむ。お主らと遊んでおるのもなかなかの余興じゃが、そろそろ時間じゃな。」
セフィリアとガディウスは肩で息をしながら、対峙する老人が構えを解き、横を通りすぎるのを茫然と見送った。
「くそっ、間に合わなかったというのか!」
膝をつき、地面に悔しさをぶつけるセフィリア。
彼女達は間に合わなかった。
見下ろした地面の先を、無情にも魔法陣を描く光の線が走っていく。
「………仕方ねぇ。俺らも行くぜ。」
ガディウスが力ないセフィリアを抱え起こす。
タオが向かった先、輝きを増す大樹の方向へと二人もまた歩き始めた。
***
俺とシルフィーナが世界樹の下に着くと、ナディアを抱えたクレイとクリシュトフがそこにいた。
「ナディアは無事なのか!?」
見たところ、眠っているようにも見える。しかし、クリシュトフは首を横に振る。
「恐らく魂を抜かれたままなんだろう。目を覚ます気配はないよ。」
瞼を閉じたままの彼女は未だ仮死状態のようだ。そして、光り輝く大地を見る限り、彼女を助け出しただけでは復活を阻止することはできなかったらしい。
その時、大地が震えた。
「なんだ、この地震は!?」
「恐らく、始まるのでしょう。復活の儀とやらが………。」
シルフィーナの言葉が示す通り、地面から光の柱が昇り始める。周囲は眩い光に包まれ、やがてそれは空に向かうように消え去った。
奪われた視界が徐々に戻ってくる。
「皆、大丈……ぶ……。」
皆にかけた俺の声は尻すぼみに細く途切れていく。
目を開いた先、輝きが収まりを見せ仄かな光の粒子を纏う世界樹の前に、先程まで無かったはずの存在を俺の瞳は映し出していた。
それは異様な姿をしていた。
頭部は白く、皮膚も筋組織も何も無い。眼窩の空洞にはこれから起こる絶望を予感させる虚しい闇が存在している。頭だけではない。腕も足も、身体も、全てが骨なのだ。
何も無い、だが、はっきりとした幽玄さをその身に溢れさせる存在。
ボロいローブのみを羽織ったその姿には、見覚えがある。
『破滅の神アラマ』
具現化した破滅そのものがそこにはいた。
「やはり全ての封印を解かねば完全とはいかぬか。まぁ、事を為すだけならばこの身と我が秘宝が存在するだけでも十分であろう。」
光と共に突如現れた骸骨は、動作の十全性を確認するように骨の手を開閉している。
その姿と同時に、俺の視線は世界樹の上方からゆっくりと舞い降りる二人の人物を捉えた。
それは金の髪を持つ紅い瞳の少女と銀の髪を持つ青い瞳の少女。まるで対をなす双璧の天使を思わせた。
「ルー!クーデリカ!」
ようやく会えた喜びが胸を打ち、逸るように必死に呼び掛けるも、二人に反応はなく、どこか心ここに在らずという雰囲気である。
そして、再会の喜びは脆くもすぐに打ち消される事となった。
彼女達はやがて破滅神に付き従うように、アラマの背後へと降り立ったのだ。
「おい、二人共どうしたんだよ?」
「ふっ、愚かな。クーデリカは今や巫女として我が傀儡となっておる。もう一人も叡知の書を引き抜いたせいで、すでに知性を失った抜け殻。貴様の愛すべき存在だったのだろうが、残念だったな。」
「ルーが抜け殻だと!?どういう意味だ!」
たしかに彼女達は人形のように意思がなさそうな様子だ。
クーデリカはまだ納得できる。破滅神の巫女だから主とするアラマと何か繋がりがあるのだろう。そのせいでルーを連れ去られたのだから。
しかし、ルーには何が起きたのか。アーティファクトを失ったからといって、皆がそんな風に変わってしまうのか?仮死状態のナディアとはまた別の事がルーの身に起きているに違いなかった。
「愚者には解すこともできぬか。我が叡知の書は全ての言の葉を収める道具であるとともに、それらを行使するための演算装置でもある。いかに元再生神の巫女であろうと、人の身で人智を超えた力を代償無く使えるはずもない。一切の思考をこれが請け負っていたのだ。叡知の書を失った今、この者の知力はゼロに等しい。もはや喋ることすらできぬであろう。」
抜け殻──その言葉が表す通り、ただ中身の無い器かのようにルーはただそこに立っていた。
予言の言葉が思い出される。
「そんな………。」
予言にもルーの事を器と示唆する内容があった。もしかすると、ルーは初めからこうなることを予期していて、ずっとこの状況に怯えていたのだろうか。
その事を誰にも言えないままに………。
信じたくない。だが目の前の現実は、彼女を以前とは全くの別の物にしてしまっていた。
また、気付けなかった。
また、見逃した。
自分の中の誰かがそう言っている。
心に空虚が広がっていく。
自責の念にかられ始めたその時、不意に背後から声が聞こえた。
「ほぅ、これが破滅神か。なるほど、禍々しい気を発しておるわ。」
「タオ爺、僕の方が先約だよ?」
声の方を見れば、いつからそこに居たのか、タオとソウマが楽しそうに立っていた。
「破滅神。僕との約束、忘れてないよね?」
ソウマが俺達の横を素通りし、破滅神に近づいていく。一方、横に来たタオは俺を一瞥し、再び破滅神の方へと目を向ける。
「これが竜神の倅か………。ふん、とんだ期待外れじゃな!つまらん。」
一言吐き捨てると、ソウマの後に続いて前に歩み出た。
「貴様らか。ご苦労だったな。」
「そんな言葉どうでもいいからさぁ、さっさと僕の願い叶えてくれない?君なら出来るんでしょ?」
「時の檻に囚われし者よ。良いのか?このまま待って世界と共に消えた方が楽だぞ?」
「こんな世界と共に死ぬのは真っ平ゴメンだね。僕はちゃんと死んで理不尽から解放されたのを実感したいんだよ。」
ソウマの願い。それは時の止まった不死である彼自身の死。
自らを破滅神に殺してもらう事だった。
「ゼロッ!逃げるのかっ!!」
場に突如響いた声の先には、遅れて現れたナインとキリウの姿があった。
ナインの荒げる声にソウマはいつもの笑みで軽く振り向いた。
「ナインか。すまなかったね。君達を苦しめてきて。でももうすぐ君達も解放される。」
「ふざけるなっ!お前の呪縛はオレの中に残り続ける!!たとえ世界が滅んでもなっ!!」
「大丈夫だよ。君の呪縛はとっくに解けてる。さっきの戦いで君は僕への憎しみを超える何かを持っていたはずだ。つまり僕との関係性を断ちきったんだ。これから自由を手にするといいさ。」
それは求め続けた光をようやく手にした少年の、唯一の手向けの言葉だったのかもしれない。
ナインへの視線を切ると、ソウマは俺に目を向けた。
「アーサー、君とはもっと別の形で出会いたかったよ。もしも生まれ変わったなら、今度は仲良くなりたいね。」
「ソウマ………俺は──」
「ではいくぞ。」
いつ貫いたのか認識できなかったが、俺が言葉を紡ぎ出そうとしていた次の瞬間にはソウマの胸を骨の手が背中へと突き抜けていた。
「ゴフッ。……熱い。……血だ……血が……流……てる。……これ……ようや……く………。」
ソウマは今までの貼りつけたような造り物の笑みではなく、とても満たされた、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
その表情を皆の記憶に焼き付けて、彼は一瞬の内に塵と化して消えていった。
「おい………なんだよ、それ。俺はまだノアの仇を討ってないんだぞ?まだ何も言えてないぞ?勝手に逝くなよ………。」
俺の心情はかなり複雑だった。
ソウマはノアの仇であるし、彼は俺を絶望させたがっていた。
元々、彼は前回の破滅神の復活を阻止する役目を担っていたが、それを途中で放棄した。
それで成し遂げた俺を嫉妬したのが原因のようだが、それさえなければ、俺達はいつか親友と呼べる間柄になっていたと確信している。会った時間は短いが、それほどに、何のしがらみもなく話せていた間は心地良かった。
縁がなかった。
因果が悪かった。
そういう事なのかもしれない。
「アーサー、大丈夫ですか?」
シルフィーナが心配そうに肩を抱いてくる。
「………ソウマと俺は絶対仲良くなれたはずなんだ。でもなれなかった。たった一つ歯車が噛み合わなかったせいで。」
そう。たぶん些細な事が原因で俺達は相容れない関係になったんだろう。
「………分かったんだ、姉さん。これが運命神の管理ってやつだ。」
再生神の巫女の言葉が蘇ってくる。
見えざる対局者は、どこまでも俺で遊びたいらしい。
ルーを奪い、仲間を奪い、親友になれたであろう存在を奪い………。
どうやら俺はこれまで良いようにあしらわれていたらしい。
なら、ここから俺がお前の定めた運命を打ち破ってやる。
全てを守って、全てを取り戻してやる!
破滅神によるこの世界の滅びが運命というのなら、この定められた運命を全部覆しえやる!!
俺は剣を抜き、前を向いた。