108 決戦準備
常に明るさのある海底都市アリアスでは実感が湧かないが、地上では既に夜が更け、星が瞬く時刻だった。
「時間はないが、気力が尽きては元も子もないぞ?」
海皇の言に従って、俺達はその日、それぞれ静かに眠りに就いた。
翌朝、夜明けに程近いまだ早い時間に目が覚めた。暗くした部屋のカーテンを開けると、海底都市を常に照らしている太陽光集束装置からの光が脳を刺激し、はっきりと意識が覚醒していく。現在時刻と本来ならまだ暗いはずの外の明るさの相互性が崩されて、些か体内時計が狂いそうな気分だ。
今いるのは、前回同様サリューアの城であるアクアパレスの客間の一室だ。城は街よりも高い場所に位置しており、窓から外を見下ろすと、街でも城でも人が忙しなく動いているのが目に映る。夜通し頑張ってくれたようだ。今もアリアスの人々が総力を上げて、様々な試行錯誤を繰り返しているのだろう。
支度をして、実験中の広場へと足早に向かった。
「あら、勇者様。おはよーさん!」
「今度は俺らが恩を返す番だからな!しっかり期待に応えてやるから安心して待ってな!!」
広場に着くと、白衣を纏い、機械を弄るオジサン達や料理を運ぶオバサン達に挨拶や進捗状況について声をかけられた。
頑張ってくれている皆に声をかけていると、シャルアの後ろ姿が目に入った。
「シャルア、おはよっ!どんな感じ?」
「あー、アーサー様。久しぶりっすー。」
俺の声にのそりと振り向いたシャルアの顔は、普段ならば快活な少女を思わせる太陽のような笑顔であったのだが、目は爛々と輝き、しかしその瞼は重く、目の下にもクマができており、姿勢は丸く猫背になっていた。非常に不健康そうで、あたかも夜通しゲームをしていた徹夜明けのニートのように見る影もなかった。
「久しぶりって、シャルア大丈夫か?声が死んでるんだけど………。」
体力の限界なのか、その声には覇気がなく、気力のみで動いている感じだった。
「えへへー。奇跡は待ってても起きないっすから。やらなきゃ何も生まれないんすよー。諦めたらそこで研究終了っすー。」
なんか壊れた人形のようになっててアレだが、その瞳は楽しそうなので、特に口出ししないでおこう。
「それに昨日の夜アーノルドさんの助っ人も来て、あと一息、二息な感じなんすよ。」
そういえば彼は助っ人を連れてくると言ってどこかへ消えて行ったが、あれから会っていなかった。どんな人を連れてきたんだろう。
そう思っていると、不意に後ろからトントンと肩を叩かれ、手を置かれた。
咄嗟に振り返ると………肩に置かれた指で頬を突かれた。
「う?えりぉふおねーしゃん?」
「いい加減その間違え方、やめない?」
呆れた顔でそこにいたのは、マルタスでギルドの受付嬢をしているエルフ、エレナ・エルプリシルだった。
「今回はちゃんとエルフお姉さんって言いましたよ!?心外です!遺憾の意を表明します!………って、それよりなんでここに?」
突然現れたエレナの姿に、俺の頭上に疑問符が浮かぶ。
「彼女ならいろいろと有益な知識もあるだろうしね。」
答えは別の所から返ってきた。作業をする人々の隙間からアーノルドが歩み出る。
「君達が旅に出る時、アーティファクトレーダーを作るって言っていただろ?レーダーは探査装置らしいし、アーティファクトなら彼女が関わっているかと思ってね。彼女は口を割らなかったが、否定はしなかったし、乗り気だったから連れてきたんだよ。」
「そういうことよ。役に立つか分かんないけど、人手は多い方がいいでしょ?あと、これ。アイリちゃんから!」
彼女から渡されたのは、ムジナ家族と俺、ルー、セフィリア、ノア、フェイが楽しそうに食事を囲む一枚の絵だ。
『はやくかえってきてね!』
絵に添えられたそのたどたどしい字には、彼女の溢れんばかりの想いが滲み出ていた。見ているだけでも力が湧き上がってくる。
俺はエレナの心遣いに感謝して、その場を後にした。
***
皆で軽く鍛練をこなし、昼食をとった後、王国へと連絡をとった。
シャルア達科学班はひとまず理論を完成させた。しかし、それを実用するには、いくつかの問題点があり、それを魔法士の人と話し合い、合同で研究したいという事だった。
その後、王の了承はすんなりと得られ、アーノルドにより王国と海底都市を結ぶ転移魔法陣が構築され、王国魔法局の職員が流入するとともに合同作業が行われ始めた。
………それにしてもアーノルドさん、かなり優秀すぎるんじゃないかと思うんだが、これが年の功ってやつなんだろうか?
一方の俺達は、午後は対策会議を行っていた。
「では、敵の情報についておさらいしてみようか。」
司会進行は毎度お馴染み、クリシュトフだ。
世界樹のある虚数空間への道が開けたとして、そこから先が本番である。ルーとナディア、それに操られたクーデリカを取り戻し、破滅神の復活を阻止する。
それが俺達の為すべきことである。
「確認されている主要となる幹部らしき人物は、再生神の巫女、剣聖ソウマ・ミヤモト、仙人ファンキー・タオピー、狂科学者ケリアン・ブラッキオでよかったかな?」
「ソウマは俺が倒す。」
ナインは仇でも見るように視線を鋭くした。彼にとっては暗殺者としての呪縛を解く戦いなのだろう。
「でもおめぇにやれんのか?」
ガディウスが馬鹿にするようにナインに問うが、彼はコクンと頷くだけだった。だが、その視線の鋭さに皆それ以上何かを言うことはなかった。
「じゃあ、次はタオという老人。仙人なんて聞いたこともないけど、誰か知っているかい?」
前世の記憶の蘇った俺を含め、誰も知らない様子で室内が静まり返る。
すると、沈黙を破る声が響いた。姉のシルフィーナだ。
「記憶が曖昧なので恐らくですが、私はあの者を知っています。あの老人は遥か昔、私達の父、竜神ヴェルドーザによく挑んでいた気功師でした。印象的でしたので見覚えはあるのですが………ただあの老人が同一人物であるとすると、千年以上前の話なのですでに人間ではありませんけどね。」
「たしかソウマも『人間をやめた仙人』って言っていたよね。あれっ?つまりその流れでいくと、姉さんがナディアを見た時に聞いた話ってのは、親父と戦うためにタオは仙人になったけど既に親父がいなかったから、次は俺と戦おうと思って破滅神を復活させようとしてるってことになるのか?」
タオが戦いたがっていた相手が竜神であれば、それで話が繋がってしまう。だとすると相当傍迷惑な話だ。
「そして、恐らくそんな助言をした人物は、運命神の巫女オーカでしょう。よくも私のアーサーを………あのアマ、次会ったら折檻してやるわ。」
一瞬のうちに室内がシルフィーナの殺気で包まれる。苦笑しつつ、皆見てはいけないものという認識で彼女を視界から外し、会議は進行する。
「アーサー。竜神の力が戻った君ならその老人、やれるかい?」
クリシュトフに尋ねられ、たしかにあの老人に対抗できるのは現状強くなった俺しかいないと思った。
しかし、返事をする前に待ったがかかる。
「その相手、私が引き受けましょう。」
立候補したのはセフィリアだった。
「相手は動きも速く、気という特殊な力を使ってきます。恐らくマナを変質させたスキルのようなものでしょうし、その力は未知の部分が多い。ですが、それなら私の絶対領域ならば対処しやすいと思います。」
その言葉にはたしかに説得力がある。しかし、セフィリアの力量で敵う相手だろうか。
「カトレア、どうか安らかに眠ってください。あなたの無念、私が必ず晴らしてみせます!」
強い意志ですでに誓いを立てているセフィリア。こうなったら何を言っても聞かないだろう。ただ──
「カトレアさん………まだ死んでないですけどね。」
勝手に死んだと思われている元部下の現聖騎士隊長さん。こんな上司で大変だったろうなとカトレアを哀れに思いながら、俺は静かに突っ込みをいれておいた。
その後の話し合いの結果、各々に対して担当が決まっていった。
ソウマにはナインとキリウ。
タオにはセフィリアとガディウス。
ケリアンにはクレイ、クリシュトフ。
そして、再生神の巫女には俺とシルフィーナだ。
状況によって適宜変わっていくだろうが、概ねそんなところだ。
「今回は時間との勝負になると思う。突破できたら味方の援護よりもまず復活の阻止に赴いてほしい!」
クリシュトフの締めの言葉に、皆気合いの入った返事を返した。
「しっかし、あの変態科学者が生きていたなんてなぁ。それが一番驚きだよ。」
俺の言葉にセフィリアが深く頷く。
「ルーテシアさんが魂ごと消滅させたと言ったので、間違いなく存在しないはずなのですが………。」
「あの嬢ちゃんが言うんなら違ぇねぇだろ?てことは、おめぇらが倒したソイツは偽者だったのか?」
ルーはたしかにそう言っていた。だとすると、考えられるのは………。
「別人ってことになるのかもしれないね。双子やそっくりさんが何人かいるとか。」
クリシュトフの答えは分からなくもない。だが、わざわざそっくりな人を使う意味もないんじゃないだろうか。
ソウマという俺と同じ異世界人がいる事とケリアンが科学者である事。それを加味して俺が行き着いた答え。それは──
「おそらく、クローンだ。」
「クローン?」
──この世界では馴染みのないものだった。