106 始動
「アーサー、しっかりしてください!」
「キュー?」
「大丈夫、お姉ちゃんが側にいますからね!」
深い水の底から水面へと手を引かれながら浮上するように、俺の意識はゆっくりと覚醒していった。
開いた瞼の先には、心配そうに俺を覗き込み手を取るシルフィーナやセフィリア、フェイの姿があり、その後ろには他の仲間達が立っていた。
どうやら俺は倒れていたらしい。気がつくと、そこはベッドの上だった。
目覚めた俺は真っ先に、光に包まれた際のあの言葉を思い出す。
「………ったく。あいつ、何が『後は任せたよ』だ。勝手に俺任せかよ。」
ぶつくさと呟く俺を、セフィリアが訝しがるような目で見る。
「まさか、今までのアーサーに戻ったんですか!?いや、どこか違うような………もう一人の方とも何か違いますね。マナにとても暖かで力強いものを感じます。」
「そうですか。俺は俺ですよ、セフィリアさん!フェイもただいま!」
俺達は一つの存在に戻っていた。
分かれていた二つの魂が一つに戻ったのだが、その際もう一人の俺は、意志のベースに俺の意識を残して融合する事を選んだらしい。
つまり一言で言えば、俺という存在が大きく変わることなく、単純にパワーアップしただけ。それだけのことだった。
そうは言っても、もちろん多少の変化はある。
俺の中に今まで無かったはずの前世の記憶を思い出していたり、出来るようになったことがあったり、頭の中が妙にクリアだったり………。黒線のみで描かれていた絵に色が塗られ、今、一枚の絵として完成したような、そんな感じだ。
しかし、そこに違和感などはなく、むしろこの状態こそが自然だった。
「皆、心配かけてごめん。前世のアーサーと俺は元々同じ魂だったんだ。訳あってケンカしてたけど、さっき話し合って仲直りしてきた。それで今は一つに戻ったんだけど、何故か俺の意識が主体になってるんだ。今の俺を要約すればそんなとこかな。」
皆、理解不能というのが見て取れる。ただ、そんな中これだけは理解できたのだろう。
「よく分からんが、アーサーの中で何か折り合いがついたのだな。」
「うん!」
俺の意志のこもった返事に、クレイは納得した顔を見せていた。他の仲間にも何かしらは伝わっているようである。続いて、きちんと理解を得るべき相手へと俺は向き直る。
「シルフィーナ、俺は君の知ってるアーサーじゃなくなっちゃったんだ。その………。」
その人物は俺の姉であるシルフィーナ。彼女は長い年月、弟である俺が帰ってくるのを待ち焦がれていたようであるし、もう彼女の知っている俺ではない事はちゃんと話しておくべきだと思ったのだ。
「いいえ。たしかに雰囲気は変わりましたが、それは幼い頃の、竜神となる前の貴方に戻っただけですよ。竜神となった貴方は、どこか責任感に押し潰されそうで見ていられなかったものです。すごく心配していたんですよ?」
シルフィーナは肩の荷が降りたような安堵の籠った笑みを向けてくれた。
彼女には少し過剰な愛情を感じていたが、どうやらそれは使命感に駆られた俺を心配しすぎたことが原因のようだ。優しい姉なんだな。
「昔は、お姉ちゃん、お姉ちゃん、って私から一時も離れようとはせず、夜はいつもベッドに潜り込んできてましたよね。懐かしい話です。貴方は、今も昔も私の弟です。例えどんなに変わったとしても、私はずっと貴方の姉なのです。だから、いつもみたいに『姉さん』と呼べばいいんですよ?そして、久しぶりに今夜一緒に寝ましょっ!」
「ありがとう、姉さん!………でも、俺そんな事してた覚えは絶対にないぞ。残念ながら俺の記憶は全て戻ってるんだ。記憶の改竄はダメだよ?」
前言撤回。どうやらシルフィーナは単なるブラコンのようだ。隙あらば攻めてくるタイプらしい。
「うっ………あ、あら、違ったかしら?記憶のか、か、改竄なんて、まったく大袈裟ですね。ちょっと間違えただけですよ。」
俺に昔の記憶が無いと思っていたのか、シルフィーナは明らかに動揺していた。まったくなんて姉なんだか。
「なんかシルフィーナさん、ルーテシアさんと似た雰囲気を感じるのですが。」
「きぃーっ!あんな女狐と一緒にしないでちょうだい!」
セフィリアの漏らした一言に対して、シルフィーナはひどく憤慨していた。
(なるほど、これが同属嫌悪ってやつか………。)
なんとなく皆の心が一つになったところで、この場は落着した。
それから、皆の頭が冷静さを取り戻すために、俺達はシュナが用意した冷たい飲み物で一息ついていた。
「さて、アーサー。現在の状況は把握してますか?」
セフィリアの問いに首肯して返す。
「うん。ルーを取り戻しにいこう。」
「ですが、場所が………。」
やはりセフィリアは答えに行き着いておらず、顔には僅かに悔しさが込み上げていた。
「大丈夫。ルーのメッセージはちゃんと俺に届いたから。」
「おい、マジかよ!分かったのか?そりゃ、どこだよ!?」
急かすようにガディウスが先を促す。
「この世界にあってこの世界にない場所。セフィリアさんもノアが生み出した空間を覚えているでしょう?」
「ッ!?まさか、それって………。」
それはノアが初めての空間魔法で繋いだ場所。おそらくルーはこの時からその可能性に気づいていたんだろうな。
「そう。虚数空間ですよ。」
***
俺は虚数空間について簡単に説明するが、皆分かったような分からないような、曖昧な反応だった。そもそも教える側の俺も理解しているわけじゃないので、それもまあ当然の反応だと思う。
「つまり、夢の中みたいなものなのかな?」
「たぶん………鏡の中の世界、といった表現の方が近いのではありませんか?現実に存在していても触れることのできない、さしずめ鏡花水月といったところでしょうか?」
クリシュトフよりもより正確にシルフィーナが言葉で表現する。
それは的を射ており、その一言で誰もが理解に至っていた。
「その理解で今は大丈夫だよ。だから、姉さんの目にも映らなかったんだと思う。それで問題はここからなんだ。」
「問題?」
そう、問題がある。
「そこへ行く方法がないんだ。」
「はんっ!んなもん、空間魔法で一発じゃねぇか。」
キリウは鼻で嗤うように言ってのけるが、一方でセフィリアは難しい顔つきになっていた。
「そうでしょうか。ノアが虚数空間を開いた時、ルーテシアさんは座標を指定しなかったから繋がったと言っていましたが、その存在すら世の中にほとんど知られていないということは、たぶんそんなに簡単なことではないと思います。」
「俺も座標指定と空間認識を主とする空間魔法にとって、それは真逆の操作で難しいんじゃないかと思う。それにノアの場合は特殊な方法で空間魔法を使えるようになったので………。」
ノアは元々空間魔法が使えなかったわけだし、他にもいろいろとかなり特殊な事例だと思う。
「だけど相手が世界樹に行けたんなら、きっと何か手はあるはずだ。時間はないけど、それを見つけよう!俺達に空間魔法を使える人はいないから、まずは使える人が欲しいね。」
「それならばアルハザルド王国へ参りましょうか。丁度近いですし、あの国は貴方に協力的なのでしょう?」
シルフィーナの提案に従い、俺達はアルハザルド王国の王都アルハザリアへと向かった。
世界樹への、虚数空間への道を求めて………。