105 対話
破滅神アラマに操られたクーデリカによってルーを連れ去られた俺達は、夢かと思う程瞬く間に起こったその出来事に完全に打ちひしがれていた。
「このまま、全部終わっちまうのか………。」
「だな。条件ってやつは全て揃っちまったんだろ?」
「魂、叡知の書、世界樹………クレイとシルフィーナさんの魂は無事だけど、その可能性が高いね。」
座り込んだキリウとガディウスがこぼした声に、クリシュトフが淡々と答える。
もちろん俺達も後を追おうとしたが、連れ去られたルーの居場所はシルフィーナの目を持ってしてもその行方は分からなかった。恐らく、世界樹のある場所へと向かったのだろう。
世界の終わりを前に打つ手を失った俺達は、砂時計の砂が全て落ちるのをただ待つような心境だった。
だがそこで、それまで顎に手を当てて何やら考えていたセフィリアが、急に顔を上げて何かが繋がったような表情をみせる。
「いや、ちょっと待ってください。正確にはまだ全ての条件が整ったわけじゃないはずです。」
「ん?それはどういう事だ?」
セフィリアの思いがけない発言に一同は目を丸くする。それは俺も例外ではなかった。
「アーサーも思い出してください。貴方も聞いていたのでしょう?王から聞いた、あの遺跡の碑文内容を。」
セフィリアはもう一人の俺に向けて言ったに違いないが、その視線はどこか内側にいる俺に対して向けられているように感じた。
その視線を受けて、記憶の断片が俺の脳裏をよぎる。
「………そうか!世界樹のエネルギーが満ちる瞬間は満月の夜。つまり、その時まではどうあがいても復活できない!!」
俺の思考とリンクしたかのように表のアーサーも俺と同じ答えを導き出していた。
「なら満月が来るまでに全部ぶっ壊しちまえば、まだ間に合うってことだな!?」
「次の満月は二日後でしょう。ですが、世界樹の場所が分からねばその希望も………。」
「ルーテシアはたしかノアの魔核がヒントだと言っていたな。」
新たに灯された、か細い希望の光に手を伸ばすように、皆が一斉に動き始めた。
クレイの言う通り、世界樹へ通じる道は現状ルーのヒントにしか残されていない。けれど、ルーの言い回しやノアというヒントを経て、俺にははっきりとルーの描いた答えが思い浮かんでいた。
これが分かるのはたぶん俺とセフィリアしかいない。
しかし、セフィリアは答えがはっきりまとまらないといった感じであり、一方、もう一人の俺はずっと内側にいたのでルーと関わっていなかったせいか、彼はルーの思考が読めずその答えへと辿り着けていなかった。
(くそっ、こんな所で足踏みしてらんないぞっ!場所はたぶん正解なんだ。だけど、そこへ行く方法がない。時間がないんだっ!!)
何を伝えることもできず、何をすることもできず………俺だけ役に立てないままなんて、何も救えないままなんて、そんな終わり方もうこれ以上したくない!
(アーサー!さっさと代わってくれ!!でないと本当に、手遅れに………。)
俺の心の中であろうこの真っ白で隔離された空間には出入口もなく、気持ちの昂りを俺はただ床を叩きつけることでぶつけていた。
力強く拳を握り締め、幾度となく床を殴りつける。そうしていると、床に拳が届く直前、俺を飲み込むように突如として目の前の床に大きな穴が広がった。
「ちょっ、うぉわぁーーーっ!!」
勢い余った俺は自らダイブする形で穴へと落ちていく。そして、すぐに別の空間へと転がり込んだ。落ちた先は先程とは全く別の白い空間だった。
特に痛みも無く顔を上げると、そこに一人の人物が立っていた。
それはクレイの宝剣を握った時に見た女の子だったと思う。
「君はたしか剣を持った時に会った………。あれっ!?なんで俺の中にいるの!?」
ここは俺の精神世界だと思っていたが、自分以外の人間が存在しているという不可解な状況に俺は困惑を露に狼狽してしまう。
だが、そんな俺の様子には一切触れること無く、彼女は静かに手を前に出した。
「外に出たい?出たいならこれを使うといい。」
無表情に彼女が突き出してきたのは、何の変哲もない一本の古びた剣。その見慣れぬ剣には正直なところあまり触れたくないと思ってしまった。それが何故かは分からないが、避けたい気持ちが込み上げた。
「これは?」
「なにも斬れないけど、なんでも斬れる剣。」
なんとも曖昧で大雑把な答えが返ってきた。これは謎かけか何かだろうか?
すると、心配するように彼女は俺の顔を覗き込んできた。
「ちゃんと自分と向き合った方がいいよ?次会うときは本当の僕で会いたいな。」
結局、少女は何も明かすことなく、剣だけを置いて姿を消してしまった。
「あの子、何だったんだ?………いや、それよりも今は抜け出すことを考えなきゃだな。」
頭を切り替えて、渡された古びた剣に視線を落とす。見ているだけで嫌な記憶をほじくり返されるような嫌悪感がわいてくる。
ルーを助けるためと、そんな感情をひとまず抑えて剣を掴み、俺は目の前の空間に振り下ろした。
***
剣を振り下ろした部分から空間の裂け目が開けていく。
その先へ進むと、心象風景というやつだろうか、白い空と小さなスミレらしき花がぽつぽつと咲く丘のような場所に俺はいた。
少しその丘を登っていく。そこには一人の青年が立っていた。その身体には鱗があり、人とは異なるように思える。
「それが元の俺の姿か。」
「そうだよ。これが本来の僕、竜神アーサーだ。」
彼は今の俺の姿とはまるで対称的だった。背も高く、黒く流れる長髪に引き締まった肉体、そして、使命感を帯びたような力強い瞳をしていた。
なるほど、こうして比較すると、俺がアーサーの弱い部分の魂というのも納得できる話だった。
「僕のところまで来て何の用だい?」
彼は俺と対峙していることを不思議に思っていないのか、そよぐ風に黒髪をなびかせながら戸惑うことなく質問を投げかけてくる。
もちろん俺も意図して出くわしたわけではないが、用件はちゃんとある。
「言わなくても分かるだろうが………外に出たい。代わってくれ。」
彼は一旦目を閉じるが、何かを決意したようにゆっくりと瞼を開き、俺を見た。
「………その前に少し、話さないか?」
「でも、時間がっ!!」
「大丈夫。そんなに長い話じゃないさ。」
そして、彼は何もない白い空を見上げながら語り始めた。
「僕は強くなければならなかったんだ。世界の守護者として。生まれついての役目だから仕方ないけど、やっぱり放り出したくなることもいろいろあったよ。そして今日、ティアに君の事を弱さだと言われた時、なんか妙に納得してちゃったよ。知らず知らずの内に本心を奥に奥にと追いやってきたんだなって思った。」
自嘲するように彼は笑みを溢した。
俺の事を言っているんだろうが、俺自身にはそんな記憶がないので、あまり追いやられたという実感はない。
そんな胸の内を吐露する彼の告白を俺はただ静観した。
すると、彼は俺に顔を向け、思わぬことを口走った。
「本当に弱かったのは僕の方だったんだろうな。」
強いはずの竜神アーサーが自分を弱いと言ったその真意を俺は読み取る事が出来ないでいた。
「………どういう意味だ?」
「僕は使命感に囚われて生きていたんだ。望まれる姿であろうと、自分の望みを表に出さないよう演じていたにすぎなかったんだ。君の旅を見てきてそんな風に思ったよ。」
王国で世界を救うなんて手に余ると拒んだり、クーデリカが危険かもと知りつつも彼女を信じてみたり、世界の守護者としては決して相容れない選択を俺はいろんな場面でしてきたという。
「仲間に頼りきったり、挫折してみたり………弱い部分の僕も好きになったとティアに言われて、そんな僕もあっていいんだって気づかされたよ。」
そう言ってのける彼はなんとも清々しく、晴れ晴れとしていた。
「彼女に必要なのはどうやら僕じゃなくて君のようだ。僕の人生はあの時で終わっていたんだ。これは君の物語だ。ここからは君に任せるよ。」
アーサーは歩を進め、俺の前に立つと、俺の肩をそっと掴んだ
「ティアを………ルーを頼む。」
彼は真剣な面持ちで愛する女性を俺に託した。その選択をする辛さは俺も似たような状況にあるので想像は容易だ。二人共がアーサーとして表に出るのは有り得ないので、いずれはどちらかがそんな選択をしたかもしれない。
俺は………
肩に乗るその手を払いのけた。
「いい加減にしろよ。お前本当に俺なのか!?馬鹿なのか!?ちゃんとルーの話聞いてたのかよ!!」
「何を言って──」
「ルーは俺も好きになったけどお前も好きだって言ったんだよ!勝手に自己完結してんじゃねーよ!周りの事も考えろよ!お前、どんだけエゴイストなんだよっ!!」
気がつけば腸が煮えくり返るという言葉の通りの感情が沸き上がり、俺の口からはとめどなく文句が流れていた。
なんとなく分かった。俺はたぶんコイツを好きにはなれない。それはお互いが陰陽のように相容れない思考、性格だからだ。
例えば今の話だと、俺は周りの意見を参考にした上で自分の意見をまとめていくのだが、彼は自分が決めた事が最善と信じ、疑わないらしい。
考え方が根本から違っている。
「俺だけがいてもルーの笑顔は完成しないんだよ。お前もいないとルーが好きなアーサーにならないんだよっ!!………別にどっちかが消える必要なんてないだろ?」
「それって、一つの魂になるってこと?そんな事できるだろうか。」
「出来るかどうかじゃない。やってみなくちゃ分かんないだろ?それに元々は俺とお前は一つだったんだ。お前が受け入れるなら、出来て当然さ。」
俺は好きにはなれないが、認める事はできる。竜神であるアーサーはきっと彼なりに世界のためにと奔走してきたのだ。その為には強い信念が必要だし、そういう思考回路になったのだろう。
そして、これからルーを救い出すには竜神でないと太刀打ちできないかもしれない。彼がいなければ破滅神を止めることはできないかもしれない。俺はきっと純粋な強さの面では、彼に憧れを抱いていた。
彼は一つ頷くと、俺に返事をする。それは彼が俺を自分であると認めた瞬間だった。
「君を受け入れるよ、アーサー。」
向かい合う俺達は、互いに手を握り締める。
やがて二人は光を帯びていった。
「………。」
「えっ!?」
直前に言われた彼の言葉を聞き返す間もなく、俺達の姿は光で覆われた。