100 激震の王都
時は少々遡る。
アルハザルド王国、王都アルハザリアにある王城にて、海神の巫女ナディアは今日も花嫁修行に精を出していた。
「この花嫁修行を始めてそろそろ半年。わたくしもそろそろ一端の女性として見れるようになったのではありませんこと?ねぇ、カトレア?」
「………えぇ、そうですね。話し方くらいは合格なんじゃないですか?」
小さな少女の言葉遣いに若干苦笑気味なのは、現聖騎士隊長のカトレアである。
元は聖騎士副隊長であったカトレアはあの日、去りゆくセフィリアに隊長の座を無理矢理押し付けられ、やむを得ず就任する形となった。
そんな彼女は現在、水のファクターである彼女の護衛兼保護者のような立場であり、ナディアと行動を共にしている。
和やかな雰囲気で会話が交わされていたが、そこへ一喝する声が室内に響いた。
「ど、こ、が、ですかっ!!なぁーにが、一端の女性として、です!立ち振舞いもまだ未熟ですし、そんな事ではすぐにボロが出てしまいますよ?だいたい貴女は………」
背を向けるドアから突然聞こえた声に、ナディアの背筋がピンと伸びる。ガミガミと小言を言いながら姿を見せたのは、貴婦人といった出で立ちの女性だ。 目尻の上がった小さめの眼鏡の位置を正し、鋭い眼光でナディアを射抜く。
「バ、バァ………」
ナディアは蛇に睨まれた蛙のように、完全に萎縮し、上手く呂律が回らずにいた。
「何です、ナディア。しゃきっとなさい!それとも、もしや今、あろうことか私の事を『ババア』と呼んだのですか?」
「ひ、ひいぃ!め、滅相もございませんわっ!ご機嫌麗しゅう、バーバラ先生!!」
以前ナディアに持たせたルーテシアの手紙の一文には、『彼女に上流階級の礼儀作法を教えて込んでほしい。その際には、ぜひバーバラを指名で!』と書かれていた。
バーバラは王家御用達の礼儀作法の教育係であり、非常に厳しい事でも有名で、花嫁修行に関しても一流の講師だった。
ナディアの奔放な性格を矯正するには最適な人選だろう。もちろん彼女にとって、それはあまり喜ばしい出会いではなかったのだが………。
必死に取り繕おうとするナディアの姿に、カトレアもバーバラも呆れて溜め息を吐いた。
このままでは今日の授業が一段厳しいものになってしまう。そんな空気を感じ取ったナディアは窓の方へと足早に向かい、外を指差した。
「ほ、ほら、外をご覧下さいな。今日も晴れ渡った良い天気ですわよ!城下の民草までもが、まるでゴミクズのようにしっかりと見通せますわ!」
余程焦りすぎたのか、思いがけず、よく読んでいた物語の台詞の一文が口をついて出てしまう。
眉をひそめるバーバラと笑いを堪えるカトレアに、ナディアは己の間違いに気がつき、あたふたしていた。
「少し落ち着きなさい。貴女は自称『一端の女性』なのでしょう?」
そう言われて今日の授業のハードルが更に一段上がった事を悟ると、ナディアは窓枠に手を置き、疲れを吐き出しながら外を眺めた。
その時、ナディアの様子が一変した。
「カトレア………あれは何じゃ。」
口調が普段のものに戻った事に対し、バーバラの眉間に皺が寄る。だが、普段と違う様子のナディアを不審に思ったカトレアは、諌めようとするバーバラに待ったをかけ、窓の方へと急いだ。
そして、外を目にしたカトレアはそのままの姿勢でバーバラに告げた。
「バーバラ先生、今日の指導は中止です。急いで逃げる準備をしてください。」
「カトレア?それはどういう──」
「いいから早くっ!!」
カトレアに激しく一喝され、バーバラは身を縮めそうになる。しかし、日々培われてきた胆力は、彼女の精神の太い支柱となっており、揺らぎそうになるのを辛うじて堪えた。
「すみません。どうやら敵襲のようです。どうかお早く。」
カトレアの瞳に映ったのは、澄み渡る視界の奥に城門を目掛けて来襲する魔物の軍勢だった。
ルーテシアの手紙には海底都市アリアスが襲われた事件についても書かれており、こういう事態が起こりうる可能性はカトレアも予期していた。
彼女達は王の元へと急いだ。
すでに伝令を受けていたのか、大広間では王の傍らに大臣らが集まっていた。
「して、敵の勢力は。」
「はっ。ゴーレム、グレートニードラ、ミニドラゴン、ギガアントなど、地属性の魔物メインで構成された集団のようです。その数、およそ八千かと。」
「数が多いな………。」
王は報告を聞き、少し思案する。
「しかし、突出して危険度の高い魔物はおらず、中級、上級程度の魔物ばかりですので、我が国の精鋭騎士並びに聖騎士団の力であれば対処は可能かと思われます。」
「そうか。ならば全兵に伝えよ!城門を死守せよ。一匹足りとも街に入れるな!」
王の号令に、兵長を初め、指揮系統を担当する大臣達も一斉に動き始めた。
城内が慌ただしさを見せ始める中、王とカトレアの目が合う。
「おぉ、カトレアか。ナディアにバーバラも一緒か。………今回の件、どう見る?」
「はっ。僭越ながら、やはりナディアを狙ったものかと。しかし、先程の報告を聞いていましたが、それにしてはいささか物足りなさを感じます。海底都市の場合に比べ、中心人物となる者が見られていないようですし。」
「となると、やはり敵はまだ戦力を隠しておると見るべきか。」
「もしくは、陽動の可能性も………。」
ドサッ。
敵の真意を見抜こうと、王とカトレアが話を進めていると、誰かが倒れる音がした。慌てて目を向けると、大臣の一人が床に横になっていた。
「ウォンベルト殿、どうした!?」
大臣の一人が突如倒れ臥した大臣に駆け寄る。どうやら気絶しているようだ。
「一体どうしたというのだ。誰か、治療師はおるかっ!」
声を上げ、広間の外に助けを呼ぶが、反応の無さに誰もが違和感を覚える。
「ま、まさか、敵なのか!?………うぐっ。」
別の大臣が城内への敵襲に思い至ったまさにその瞬間、広間に残った数名の大臣は皆、先程のウォンベルト大臣同様に気を失い、床へと崩れ落ちていった。
カトレアは目を閉じ、気を鎮める。そして、ナイフを手に取った。
「そこだっ!」
投げられたナイフが柱の一つを目掛けて走る。すると、柱の背後からゆらりと一つの影が現れた。
「ほぅ、よく分かったのぉ。それにしても、ワシの気を受けて四人も立っていられるとは大したものじゃ。」
現れたのは、後ろで手を組んだ小柄な老人だった。
「この者は………たしか、破滅神の遺跡を襲った者の片割れ。セフィリア隊長の話では、マルタスの武術祭に出ていたという老人で、かなり危険な存在のようです。………バーバラ先生、王とナディアを連れて逃げてくださいっ!」
その老人の名は、ファンキータオピー。セフィリア、ガディウスをして次元が違うと言わしめた存在だった。対峙するカトレアは、まずその気配の無さに極限の危機感を感じ取っていた。
「別に逃げずともよいわい。ちょっとそこの水のお嬢ちゃんと戦いたいだけじゃ。お主、海神を召喚できるんじゃろ?ワシは無駄な殺生はせん主義での。お主がワシを倒すか、負けて捕まってくれれば誰も死なんで済む。どうじゃ?」
「ナディア、そんな言葉聞かなくてもいいですよ。私が倒しますんで。バーバラ先生、二人をお願いします!」
真剣な瞳のカトレアから指示を受けたバーバラは、彼女にしっかりと頷き返し、王とナディアを連れ出そうと背を向ける。
しかし──
「ええい、どいつもこいつもさっきからうるさいのじゃっ!妾を差し置いて勝手に話を進めるでないっ!!」
──ナディアはこれに反発するように、癇癪を起こし始めた。
「『アクアリウム』、『ウォーターハリケーン』、『超ウォーターロック』!!」
ナディアから放たれた魔法は、広範囲に老人を水のドームで包み込み、その内部に幾つもの激しいうねりを生み出していた。
瞬時に老人を囚えたそれは、言うなれば水の牢獄である。
「ふん、水魔法三枚重ねじゃ。これなら簡単には解けんじゃろ?多少は時間が稼げるはずじゃ。さぁ、今のうちに皆でさっさと逃げるぞよ!」
相討ちも辞さないと決死の覚悟で臨んだカトレアだったが、怯むこと無く、むしろ堂々としたナディアの姿に大きな存在感を感じていた。
不思議と心にゆとりが生まれるのが分かった。そして、それを埋めていくのが期待感なのか、安心感なのかは分からないが、信頼にも似た確かな包容を彼女に感じていた。
ナディアを先頭にカトレアは王、バーバラを連れて大広間から脱出した。