97 アネカノ
シルフィーナの言葉と共に、一陣の風が庭園へと訪れた皆へと吹き付ける。そして、浮き上がったカーテンの奥に目をやったシルフィーナは愕然とした。
そこには、先程まで一緒にティータイムを過ごしていた目的の人物の姿がなかったからだ。
「なんだよ、誰もいねぇじゃねぇか。」
「えーっと、姉さん?」
「お、おかしいですね。どこに行ったのでしょう?」
不信がるような視線を皆に向けられ、シルフィーナは少し焦燥に駆られる。
駆け足でカーテンの奥へと向かうが、やはり誰の姿も無い。そこに在るのは、テーブルに残された二つのティーカップだけだった。
(まさかあの女、こうなる事を知っていて逃げたんじゃないでしょうね!?)
ここにいた人物の性質を考えれば、逃亡説は彼女の中で十分に成り立つ。
沸々と込み上げる怒りを一旦抑え、彼女は案内したアーサー一行に自分で説明することに頭を切り替えた。
「私が嘘を言ったように思われているようですが、それには誤解があります。私はそのように話を聞いていたのです。」
「聞いていたって………誰に?」
「それは──」
最愛の弟のまるで信用のないその視線を浴び、シルフィーナは失踪した彼女へ内心で毒々しい恨み言を吐きながら、これに答える。
「──運命神の巫女です。」
運命神の巫女。それは王国を初め、様々な地で破滅神に関する予言を残し、この旅路を始めた起源となる存在といっても過言ではないだろう人物だ。
そんな得体の知れない人物が何故こんな所にいるのか、どうして一緒に茶など飲んでいたのか等々、誰もが疑問が尽きない様子である。
「彼女の名はオーカ。私の茶飲み友達で、暇を潰しによく遊びに来るんですよ?どうやら姿を見せたくないのか逃げてしまいましたが………。」
「逃げた、ですか。クーデリカ、運命神の巫女はオーカっていうのかい?」
同じ巫女ならば知っていてもおかしくはない、とクリシュトフはクーデリカに確認をとる。すると、クーデリカは首を縦に振り、これを肯定した。
「うん。運命神の巫女、オーカで合ってる。」
「つまり、運命神の巫女にはここまでの事が見えていたということなのかな?」
「えぇ、そうなのでしょうね。少なくとも死んだ筈のアーサーがこの世界に生まれ変わってくる事は以前から聞いていましたから。そして、そろそろここへ来るという話を先程までしていたのです。そうですよね、シュナ?」
シルフィーナは自身の正当性を証明するように、人型の緋竜シュナに同意を求める。彼女は当然のように首肯する。
「はい。確かにオーカ様はそのように仰っていました。その後、皆さんがこの城へ来て話している際、シルフィーナ様がアーサー様に抱きついている隙に逃げるように帰っていくのも確認しました。」
「これで私が嘘をついたわけではないという事が分かりましたか?………シュナは後で折檻ですね。」
シュナへ向けられた白い少女の笑顔は、まるで嵐の前の静けさのように皆の瞳には映った。それはどこか、ルーが怒っている時に浮かべる笑みを彷彿させた。
「そういえば、白い嬢ちゃんはなんでウチの嬢ちゃんを知ってたんだ?会ったこともねぇんだろ?」
ルーの顔が過ったせいか、ガディウスが最初に聞いた話を思い出し、尋ねる。
だがそこに答えを切り出したのは、シルフィーナではなくキリウだった。
「おっさん、そんな事も分かんねぇのかよ?俺は分かったぜ。」
「なんだよ、キリウ。自信満々だな?そんなに言うんなら、てめぇの推理聞いてやろうじゃねぇか!」
謎の自信を全面に押し出すキリウに対し、ガディウスは手合わせするかのように先を促す。
「ケケッ。俺が思うにだな、たぶんこの姉ちゃんはストーカーってやつだ。異世界ではたしか好きなヤツをバレないようにずっと監視するヤツの事をそう呼ぶって言ってたぜ?」
キリウの突飛な答えに誰もが呆気に取られてしまった。
旅の途中、キリウはよく俺に日本の話をさせていた。それは彼にとって、この世界とは異なる全く未知の領域であり、知識欲が満たされる感覚を初めて味わった瞬間であった。
特に人間性などはこの世界とも共通する面ということもあり、例えばツンデレやヤンデレなどが感覚ではなく、言語で体系化されていることにひどく感銘を受けたようだ。
「何ですか、そのストーカーという呼び名は?非常に不愉快な響きですね。」
聞き慣れない言葉に眉をひそめるシルフィーナ。この世界には無い言葉だが、何となく、それが良い意味で使われる言葉ではない事に勘づいたようだ。
すると、ルーがハッとした表情で何かに気がついた。バラバラだったピースが彼女の中で一つの絵を成していく。
「キリウ。あなたの言う通り、この女はストーカーだったのよ!」
「ティア、姉さんがストーカーってどういう事だ?」
先程までの涙はどこへやら、突然ルーが前を向いた。アーサーも俺が話しているのを意識の深層で聞いているので知識としては知っているが、どうやら彼女の言っている事とは結び付いていない様子だ。
「そう、彼女は見ていたのよ。あなたが昔、ここを旅立った日から、ずっと。たぶん私と出会った時も、ね!あなたなら可能なんじゃない?………その、世界を見通す目があればっ!!」
ビシッ!っと効果音が出そうな勢いでルーは対峙するシルフィーナの瞳を指差した。
ルーは世界の異変を察知したという、彼女の特異能力に着眼していた。
「えぇ、その通りですよ?ここから見ていたので貴女の事も知っています。ですが、それがどうだというのかしら?姉が弟を見守るのは当然でしょう?」
「そうね。………でも、度が過ぎる愛情の場合、それはブラコンっていうのよっ!思えば、最初からあなたの態度はおかしかった。アーサーへのくっつき具合や、私への妙に棘のある口調。二百年の間、本物を見てきた私の目は誤魔化せないわよ?」
彼女は流麗でありながらも力強い口振りで、シルフィーナを追い詰める。
「ブラコン………あぁ、たしか兄や弟に恋愛感情持つヤツだったか?キャハハ!こいつぁすげぇ!ブラコンストーカーなんてダブル属性じゃねぇか!」
「まだまだ甘いわね。彼女にはヤミ属性の兆候も見られるわ。残念ながらトリプルよ。」
キリウへ指摘するルーは、まさに癌患者へステージⅣを告知する医者の図である。
すなわち、『彼女はすでに末期です』という事を暗に告げていた。
「チッ………さっきから訳の分からない事をグダグダと。あなた達、非常に腹立たしく不快です。ちょっと死んでもらってもよろしいでしょうか。特にティアリーゼ、貴女には早くこの世から消滅してもらいたいのだけど?」
「あらあら、ついに本性が現れたみたいね?猫かぶりの、お、ね、え、さ、ん?」
その瞬間、何かが切れる音が聞こえたかと、庭園にいる全員が錯覚する。実際には、感じたのは音ではなく、急激に変化した大気圧だった。
シルフィーナの僅かに開いた口の隙間からは鋭い牙が覗かせていた。そして、その開いた手の上には帯電しながら渦巻く透明の球体が形成されていた。
「この、泥棒女狐がぁぁーーっ!完っっ全に消し去ってやるよっ!!」
「ッ!? まずい、このままでは島ごと吹き飛んでしまうぞっ!シルフィーナ様、お止め下さい!!」
だがシュナの制止も効果はなく、振り払われると同時に彼女は壁まで水平に弾き飛ばされてしまう。
「この女は一遍、いや二遍死ぬべきなのよっ!!」
シルフィーナはすでに狂気に取り憑かれたように、一歩、また一歩と歩を進める。対するルーもその威力は危険だと判断したようで、普段とは違い、高速で魔法陣を展開し始める。
そして、二人が一気に動いた。
「はーい、ストップ!」
一瞬で二人の間に割り込んだアーサーは、なんと二人の手を取り無効化していた。それは明らかに今までの俺には出来ない芸当だった。
「姉さん、やり過ぎだよ?ほら、皆引いてるし。それにティアも。あんまり姉さんを虐めちゃダメだよ!」
しゅんとした様子で矛を収めた二人に、誰もが苦笑し、安堵した。
仲直りと言ってアーサーは二人に握手させたが、その様子は一触即発だった事はいうまでもないだろう。
一先ずは休戦という形で、状況は落ち着きを取り戻した。