96 アーサー
「ようやく会えたね、ティア。君の事はずっと見ていたよ。」
「まさか………アーサーなの!?」
自分の事をルーではなくティアと呼ぶその少年に、彼女は目を丸くした。そして、手で口元を覆うように押さえると、そのまま泣き崩れてしまった。
彼女をティアと呼んだその事実は、彼に前世の記憶が甦った事を物語っていた。同時に、それは彼女にとって二百年、もしくはそれ以上の間願い続けた夢が叶った瞬間でもあった。
「おめぇ、記憶は戻ったのか?さっきまであんな大げさに騒いでたのに、何も変わってねぇのな。」
「記憶に触れる時は気を失ったりすると言っていたが、今回は何ともなかったのか?」
ルーに優しい微笑みを向けるアーサーに、ガディウスとクレイから声がかかる。その声には僅かばかり心配と落胆の色が見受けられた。アーサーは前世では竜人という話だったので、腕輪を身につける前後で何か劇的な変化が起きるのを期待していたのかもしれない。
「ガディウス、クレイ………。大丈夫、記憶は戻ったよ。見た目は変わってないし、皆には期待外れだったかな?」
仲間達の曖昧な表情に、頬を掻きながら苦笑を浮かべるアーサー。
だが、そこに不信感に満ちた声が響いた。
「貴様、誰だ?」
声を発したのはセフィリアだった。彼女は涙を浮かべるルーとの間に割り込むように立ち、剣を抜き放った。
「何を言ってるんですか?誰って、僕はアーサーに決まっているじゃないですか。またいつもみたいに僕を変わり者にでもしようとしてるんですか?」
「………アーサーの真似など、くだらん芝居に興味はない。知らんのか?私のアーティファクト『絶対領域』はマナの視認が可能だ。貴様のマナが私の知っているアーサーの物でないのは明白だ!貴様は何者なのだっ!!」
怒りを露に、彼女は構えた剣先をアーサーへと突きつける。しかし、アーサーは物怖じすることなく手の平で剣を押し下げ、口を開いた。
「冗談だよ、セフィリア。ちょっとした悪ふざけだ。別に敵ってわけではないんだからさ、物騒な事はやめよう。ちゃんと全てを話すからさ。」
そう言って笑顔を見せるアーサーは、これまでとなんら変わりなかった。
信用はしていない。しかし、彼が何者かも分からぬ以上、セフィリアには彼の話を聞く以外道はなかった。
彼女は静かに怒りを鞘へと納めた。
「皆さん、ひとまず落ち着きましたか?」
緊迫した空気が薄れてきたところで声が掛かる。この状況の発起人、シルフィーナだ。
「アーサー、私が誰だか分かりますか?」
「勿論だよ、姉さん。元気にしてたかい?って、ちょっと待っ………ぐおっ!」
シルフィーナは自分の事を姉と呼ばれて嬉しかったのか、突然玉座のある壇上からアーサーを目掛けて飛び込んでいった。
「アーサーッ! やっと戻ってきたのね!?お姉ちゃん、ずっと会いたかったのよ?」
飛びついたシルフィーナは想いの丈がそのまま表に現れたように、アーサーをきつく抱き締めた。彼女にとっては大切な弟との感動の再開だったのだろう。ただ、竜の力を宿す彼女の締め付けは思いの外きついようで、アーサーはその反面で苦悶の表情を浮かべていた。
それから少しの間を置き、シルフィーナが平静を取り戻したところでアーサーは皆の方を向き直った。
「では、改めて自己紹介でもしておこうかな。」
腕にベッタリとくっつく姉の存在には構うことなく、アーサーは自身について語り始めた。
「僕は正真正銘、アーサーだよ。この場合だと、『前世のアーサー』と言った方が分かりやすいかな?」
「前世のアーサー………ね。それはどういうことなのかな?その言い方だと、まるで私達の知ってるアーサーと今の君は別人だと言っているように聞こえるんだけど?」
「その通りだよ、クリシュ。僕は君達と共に旅してきたアーサーとは別の存在………いや、正確には同一の存在だから、別の人格だな。まずは、ここまでの僕のあらすじを話そうか。」
怪訝な顔でクリシュトフは尋ねるが、アーサーは直ぐ様これに答えを返す。そして、別人格である前世のアーサーは、ここに至るまでの経緯を語り始めた。
***
天空に浮かぶこの島は竜の巣として世界を漂っていた。そして、アーサーと姉のシルフィーナはこの地を治める最上位竜である竜神と人との間に産まれた子だった。
竜神──それは地上世界の秩序を守る存在である。
地上の裏側には魔族の領域があり、遥か昔、地上で暮らす人間と裏世界から侵出しようとする魔族との間では絶えず争いが起こっていた。それはどれだけ長い年月続いてきたかも分からないが、魔族の力が弱まりを見せた時、竜神は二つの世界を繋ぐ穴を封じる事に成功する。そして、争いは一気に終焉を迎えた。
だが、竜神は魔族を抑え込むため力を使い果たし、その役割を次代へと託す事となった。
人型をとれる上位竜もいるので、姉弟は人間の姿であることに奇異の目を向けられることもなく、また、竜としての力をそのまま受け継いでおり、強さの面でも竜達に認められていた。
こうして、アーサーは竜神の名を受け継いだ。
竜神となった彼は、ある日、姉のシルフィーナが持つ世界を見通す能力により異変が起きていることを知る。それは破滅神が顕現しようとしている予兆だった。もし仮に破滅神がこの世に顕現してしまえば、世界は滅んでしまうだろう。
アーサーは竜神としての使命を全うするべく、旅へと出立した。
だが相手は自分とは違い、本当の意味での神。このまま戦っても勝ち目はないに等しい。
手立てを模索するべく世界を旅する中で、人間を初め、獣人、海人、エルフなど彼には多くの仲間ができていった。そして、彼は一人の少女と出会う事となる。
彼女は再生神の巫女。名をティアリーゼという。
初めは偉そうで気難しい娘だと少し敬遠していたが、ある時を境に互いの距離は縮まり、恋に落ちていった。
ドワーフに最高の剣を打ってもらったりと戦いの準備を進める中、皆が集まった会議でティアリーゼは驚く事を口にした。
「再生神の巫女としての力を全て使えば、破滅神アラマが不完全な状態であればおそらく封印することは可能でしょう。」
条件付きではあるが、ようやく見つかった可能性のある打開案に皆が歓喜した。だが、それと同時に疑問も浮かんだ。何故初めから言わなかったのか、と。
彼女がそれについて答えることはなかった。
その答えは、彼女にとっては非常に大きな選択だった。
再生神の巫女の使命は、魂の摂理を見守る事である。そこに世界の安寧など、微塵も関与しない。領分が違うのだ。
『全ての力を使う』──それは巫女であることを放棄する事であり、人間ではない巫女という一つの存在である彼女の死を意味していた。
更に言えば、それは『巫女としての自分ではなく、一人の女性としてアーサーの力になりたいと思ってしまった』という心情の表れでもあった。
薄々であるが、その事へ思い至ったアーサーは旅の途中で得た知識から、とある仕掛けを密かに施す。
その仕掛けとは、封印の効果を強化するべく、世界を構成する基本の四属性の力を借りて破滅神の封印を補助することである。それを行う為、各属性に由来する物に自らの魂を込め、それを媒介とした。万が一に備えて、彼は自らの魂をもって封印の楔となるように仕込んだのだ。
勿論こんな手段は使わないに越したことはない。しかし、破滅神に力が及ばず封印するしか手が無かった場合、愛する彼女一人を犠牲になどしたくはない。そんな想いから考えた策だった。
そして、破滅神との対峙の刻を迎えた。
直前に封印に関して告げられたティアリーゼは困惑していたが、最終的には折れるように彼の想いを受け入れた。
破滅神の力は予想以上に強く、まるで歯が立たない。しかし、まだ肉体は不完全なのか、身体は骨のみで構成されていた。
良くも悪くも、封印の前提条件は満たされていた。
「ティア、君の命を俺にくれないか。」
彼女からは微笑みという形で答えを得た。
その後、封印の発動と共に彼と彼女は光の粒子となって消滅した。
***
「そして、再び僕の意識が目覚めた時、目の前にはどういうわけかルーテシアとなった君がいた。」
アーサーはスッとルーの顔を見た。
「たぶん君が魔法による命名を行った時、魂がこの世界とリンクし、眠っていた僕の意識が呼び覚まされたんだろう。魂が繋がっているおかげで、君がティアだということはすぐに分かったよ。それからはずっと、意識の深層から彼の目を通して見ていたんだ。」
千年前の受け継がれぬ歴史を皆それぞれに受け止めた様子であり、各々違った顔つきをしていた。
すると、セフィリアが手を挙げて、アーサーに質問を投げかけた。
「一ついいか。貴様が元々のアーサーだという事は理解した。魔酒などで記憶が戻ったのは、宿らせていた魂が戻ったからなのか?」
「たぶんそうだろうね。」
「ならば、貴様はこうして復活するまでの事を計画していたのか?」
セフィリアが知りたかったのは、この人物が信用できるか否かである。仮に今までの話が真実だったとして、自身の魂が甦る事まで計算していたのなら、ティアリーゼ一人を犠牲にしたくないという話は嘘ということになる。しかし、そうでなかったならば、シルフィーナの『これはアーサーの計画だ』と言った言葉に矛盾を感じる。
彼女は何か綻びを感じていたのだ。
「いいや。僕は死んだ後にまで考えが及んでいなかったし、まさか目覚めたら生まれ変わってるなんて思ってもみなかったよ。それについては僕も知りたいね。どういうことなのかな、姉さん?」
いまだにアーサーの腕に顔を寄せていたシルフィーナだったが、彼女が初めに言った事への矛盾点を指摘され、その顔には明らかに動揺が見て取れた。
「あ、あれぇ?違ったかしら?私はてっきり貴方の計画とばかり思っていましたわ?おほほほ………。」
まるで誤魔化しきれていない姉の態度に、アーサーは一つ溜め息を吐き、悲しそうな瞳で更に言及する。
「姉さん、嘘は良くないよ?本当の事を言わないなら、もう二度と口聞かないからね!?」
「ぐっ、その顔はやめなさい。………はぁ、私としたことが下手な事を口走ってしまいましたね。わかりました。では、ついてきなさい。私はある人に聞いたのです。」
久々に会った弟に懇願されて弱った様子の彼女は、しぶしぶながらに第三者の存在を仄めかした。
そして、皆を引き連れてシルフィーナが歩き出した先には、陽光の差し込む穏やかな庭園があった。その中心にはカーテンで覆われた空間がある。そこに誰かがいるのだろうか。
カーテンの合間から見えるテーブルの上には、二つのティーカップが並んでいた。
「紹介しましょう。私は彼女から聞きました。お姉ちゃんには何の罪もないのです。そう、彼女こそが全てを知る者なのです!」
突如として風が吹き、カーテンが捲り上がる。
だが、そこには誰の姿も無かった。