95 待ち焦がれし者
両開きされた扉の奥には、高い天井の大広間があった。部屋の中央を続けて走る赤絨毯が途切れた先には豪華に仕立てられた大きな椅子がある。部屋の造りからして王国の城で見た謁見の間と似ているので、あれは玉座なのだろう。
空席の玉座の隣には一人の女性がいた。
雪のようにふわりとした白い髪で低めの背丈の女性だ。白いドレスを纏った肌も透き通るように白く、体つきも華奢である。女性というよりは少女と表現する方が正しいかもしれない。
白で構成された少女、そんなイメージだった。
「よくぞ戻ってきてくれました!」
そう言って彼女は嬉しそうに微笑んだ。だが、その微笑みは俺に困惑を与えた。彼女の視線は俺だけを見据えているように思えたからだ。
「久しぶりですね、アーサー。」
やはり俺に対して言っているらしい。しかし、俺はこんな少女は知らないし、竜も空中都市も知らない。同じ名前という偶然すぎる人違いでないならば、可能性としては前世の俺がここを訪れたのだろう。
「ごめん、俺は君の事を知らないんだ。ちょっと記憶を無くしてるみたいでさ。」
できるだけ気を悪くしないように、白い少女に伝える。彼女は驚く様子もなく、微笑みを保ったまま言葉を続けた。
「えぇ、知っていますよ。それは貴方が計画した事なのですから。恐らくここで全ての記憶が甦るでしょう。それにしても………。」
(俺が計画って………どんだけ壮大な計画立てたんだよ!前世の俺っ!!)
自分の意志で記憶を封印したようだが、どんな意図でそんな事をしたのか見当もつかない。というより、前世の俺って何者なんだよ!とツッコみたくて仕方ない。
「姿は変わっているようですが、貴女はティアリーゼですね?何故貴女がここにいるのですか?たしか千年前、破滅神を封印した時に消滅したと思うのですが?」
ルーを見る彼女の表情は、笑顔の裏にどことなく悪感情があるように思える。言葉も毒づいているように聞こえるのは俺の気のせいだろうか。
「二人は知り合いなのか?」
ルーを見るが、彼女は首を横に振って否定した。
「あなたには会ったこともないのだけど、何者なのかしら?それに千年前の事にも随分と詳しいようだけど?」
「フフッ、貴女が知らないのも当然でしょう。私が一方的に知っているだけよ?そういえば自己紹介がまだでしたね。私は白竜人シルフィーナ。風のアーティファクトを宿す古代竜にして、天空を統べる存在。そして──」
白い少女、シルフィーナは風のファクターだった。白竜人というのは、人型の竜ということなのだろうか?聞く限りでは、竜の女王といった立ち位置にあるように思える。
「──貴方の姉ですよ、アーサー。」
そして、俺の姉だった。
「姉………って、えぇーーっ!!俺の姉っ!?」
「はいっ!そうですよ?お姉ちゃんですよ~?」
シルフィーナが満面の笑みで俺の姉であることを強調する。本当に嬉しそうである。しかし、それはどうだろうか。
「いやいや、流石にそれは無理があるでしょう!つまり、俺ももともと竜だったと?」
正直、有り得ない話だと思う。俺にはそんな大層な力も無いし、翼も鱗なども無い、ごく平凡な転生者なのだから。転生者が平凡というのもどうかと思うが、ただの一般人上がりなのは間違いないという自信はある。
「正確には竜人。竜と人との混血です。力の全てを無くした貴方には信じられないかもしれませんね。ならば、これを嵌めなさい。そうすれば全てを思い出すでしょう。」
シルフィーナの手の平に、突然二つの腕輪が現れた。淡い緑と淡い黄色の二種類の腕輪だ。
腕輪が彼女の手の上から宙に浮かび、俺の前へと移動する。
(これを嵌めたら、いつもみたいに頭痛やら気絶して記憶が戻るってパターンなんだろうなぁ。でも、全ての記憶が戻ったとして、一体何が起こるんだろうな。魔酒を飲んだ時、海神らしき奴が運命が開かれるとか言っていたが、何かが変わるって事なのか?クレイの剣を掴んだ時も、少女が記憶の鍵を開放する事を望んでいたし。あの娘は誰だったんだろうか。そういえばルーも………。)
ルーを見れば、少し俯き気味になっていた。記憶が戻ることを望んでいたはずなのに、今は何か後ろめたい事でもあるのか罪悪感のある雰囲気を感じる。
しかし、意を決したようにルーは顔を上げて俺を見た。
「アーサー!あ、あの………記憶を取り戻すの、止めてもいいんだよ?記憶が無くてもアーサーはアーサーだし。………うん、やっぱり止めよう?」
迷いながらもそんなことを言い出した。明らかにおかしい。俺の記憶を戻したいが、それが戻ることで何か不都合が起こるのを知っているような、そんなジレンマに苛まれている様子だった。
「………ルー。詳しくは分かんないけど、これまでお前には前世に関してとか、言いたくても言えないみたいな事がちょこちょこあったよな?その度に、俺の記憶が戻れば全て分かるって。」
「………うん。」
普段は勝ち気なルーだが、今は叱られる子どものような面持ちになっていた。それでも俺は俺の意思、俺の想いをしっかり示しておきたかった。
「記憶が戻ることで何が起こるかなんて俺には分かんないけどさ、やっぱり俺は知りたいんだよ。前世の俺がどうとかは実感ないし興味もないけど、俺はお前が何を胸に仕舞い込んでいて、何に怯えているのかとか、もっともっとお前の事が知りたいんだよ!」
ルーの表情は沈んだままだった──
「お前の、………とだしな。」
──のだが、呟くように小さく言った俺の言葉に目を丸くし、食い入るように見つめてきた。
「ごめんなさい。最後の言葉がよく聞こえなかったの。もう一回、言って?」
今の反応からして明らかに聞こえていると思うのだが。
「お前の恋人だしな。これでいいかっ?」
「まだ聞こえないわ。もう少し大きな声で、お願いっ!」
「………はぁ。だ、か、ら、お前が好きだから、お前の事を知りたいって言ってんだよっ!!絶対聞こえてるだろうがっ!」
慣れない台詞に完全に赤面する俺を余所に、ルーは身悶えながらセフィリアの方を向いて、その手を握った。
「セフィリア、セフィリアッ!今の聞いた!?私、ちゃんとアーサーに恋人として想われているのよ!?」
ブンブンと音がしそうなくらい、繋いだ手を高速で上下に振るルーは有頂天といった感じだ。一方のセフィリアは、どこか苦笑気味である。その行動のせいだけでなく、ルーのファンとしては複雑な心境なのかもしれない。
「想いが通じたようで良かったですね!………アーサー、後でちょっと話があります。分かっていますよね?」
紅潮していた顔も一気に血圧急低下である。その殺気の篭った鋭い瞳を俺は二度と忘れないだろう。
「熱いったらねーな!こういうの、たしか、おめぇの世界じゃ『リア充』とか『バカップル』とか言うんだよな?ケケッ、このリア充がっ!」
「何となく理解できたよ。うん、ほんと爆発すればいいのにね!『エクスプロージョン』いっとく?」
「ならば、火の手は俺が食い止めよう。」
仲間なのに俺を敵視している人が多いのは何故だ?日本にいた頃の余計な知識は毒にしかならないらしい。要らないことを言わなければよかった。
ここは早く話題を変えた方が良さそうだ。
「………だから、俺はこれをつけるよ!」
宙に浮かぶ腕輪を手に取り、多少強引に話を戻す。するとクーデリカが俺の前に立ち、口を開いた。
「記憶が戻ってもアーサーはアーサー。きっと大丈夫。私信じる。」
クーデリカは後押しをしてくれた。全てが甦った時、クーデリカの秘密も明かされるのだろうか。
「クーデリカが一番しっかり者かもしれないな。後でいろいろ教えてくれよ?………皆、後を頼むねっ!」
「私がいるから大丈夫よ!アーサー、私の元へちゃんと帰ってきてね。」
これで全てが明らかになる。仲間達に見守られる中、俺は左右の手を腕輪に通した。
「うっ………。」
頭痛や倦怠感すら感じる暇もなく、俺の意識は闇へと落ちていく。
一瞬、糸が切れた人形のように項垂れたアーサーだったが、次の瞬間には意識が戻ったようである。
顔を上げたアーサーは精悍な顔つきをしており、全てがクリアになったのだろうという印象を誰もに抱かせた。
「待たせたね。ティア。」
ルーの事をティアと呼ぶ俺の姿がそこにはあった。