③
私と太平が出逢ったのは、二年前。私が大卒一年目の新入社員で、太平が大学四年生だった時だ。場所は、ここ。東京スカイツリーだった。
ちょうどクリスマスイブの夜だったと思う。スカイツリーはあの日もクリスマス仕様の赤と緑のライトアップに照らされていて、その景色は妙に記憶の中にはっきり残っている。それに太平が見とれていたことで、私たちは出逢った。
よそ見のせいで段を踏み外した太平が、ソラミ坂の階段の上から落ちてきたんだ。
ちょうど下を歩いていた私は、突っ込んできた太平もろとも地面に投げ出されたっけ。あれは割と本気で痛かった。でも、すぐに太平は謝ってくれて、しかもその謝りざまが面白かった。
──『すっ、すみませんすみません! 土下座でも何でもしますから許してください!』
必死さしか感じないその姿が、なぜだろう。可愛いな、って思えたんだった。
私も太平も孤独だった。気を取り直そうとテナントのケーキ屋さんに入って、そこでお互い、クリスマスの孤独を少しでも誤魔化そうと街に繰り出してきたんだと知った。なんだか運命的ですねって、太平は笑っていたなぁ。
それから一ヶ月後、私たちは付き合い始めた。太平は私に心から好意を寄せてくれて、私も私なりに懸命に応えたつもりだ。キスをまともにするまで半年かかるくらいに、私たちの恋路は純だった。
私にとっても、初めてできた彼氏だったんだ。だから、分からないことも戸惑うこともたくさんあったけど、今にしてみればそれはどれも、幸せな日々の一部に過ぎなかった。
私が、死んでしまいさえしなければ。
きっと今ごろ私たちはあの坂を、笑い合いながら登っていたのに。
「おー。無事についたのう」
神様が無邪気な声を上げている。「見事なもんじゃ、人間というものは。わしなんぞはあんなに人がおったら、何が何やら判別がつかなくなって倒れてしまうかもしれん」
なんでそれで倒れるのよ……。人混みに耐性なさすぎよ。
太平は今やツリー前の広場に到着して、ぴょこぴょこと跳ねてはプロジェクションマッピングの投影される建物を眺めている。周りの人たちの背、きっと高いんだな。私はなんだかほんわかした気分になった。
プロジェクションマッピングが映し出されるのは、ツリー本体の一部と隣に建つソラマチのビルの大壁だ。私たちのいるツリー頂上からは、その壁の部分しか見えない。ちょっと残念だけど、我慢しなきゃね。もとからここは夜景の特等席なんだもの。
すると、神様が提案してきた。
「お前さん、そのブロマイドマッチングとやら、見たいんじゃろ?」
「だからプロジェクションマッピングだってば……。うん、まぁ、見たいけど」
そもそもツリーついでに観ようって言ったの、私だったしね。
「見るかね」
神様は言い放つや、またごそごそと服の中をあさり始めた。
……え、うそ。本当に観られるの? 見ていいの? だとしても、どうやって?
期待の気持ちが膨らんでいく。いやいやちょっと待ちなさいよ、と私は自分を戒めた。過度な期待は禁物よ。こいつの価値判断基準は金! それ以上じゃない! それ以下かもしれないけど、それはどうでもいい!
悶悶とする私の隣に、神様は取り出した物をどんと置いた。私はちらっとそれを見て、あれ、と意外に思った。
テレビだ。サイズのやたらに大きな薄型テレビ。
「うむ、やはり有機ELの画面は美しいのう。目の付け所がシ〇ープじゃ」
神様はケタケタ笑いながら、リモコンを押した。そこに大写しされたのは、今この瞬間のスカイツリーの根本とソラマチの光景だ。つまり、これからプロジェクションマッピングが映される場所。
「……あんた、こんな高そうなテレビは用意できるくせに、人一人も移動させらんないの?」
「ご、誤解じゃ! テレビは元から持っとるんじゃ。わし、人間の作るテレビ番組は好きでのう、よく見るのでな」
「…………」
「それに、このくらいならばだいたい50ゴッドくらいで買えるしのう」
もう、そのゴッドなる貨幣のレートが分からないよ……。つーかそもそもゴッドって何なのよ……。
まぁいいや、と私は思い直した。とにもかくにもこの守銭奴神様のおかげで、楽しみにしていたプロジェクションマッピングが観られるんだ。
『間もなく上映、スタートです!』
放送が高らかにファンファーレを告げ、会場はしんと静まり返った。地上の太平も、私と同じくらいわくわくしているのかな。心が繋がっているような感覚が、私の心を暖めてくれる。
ごくん。
私も神様も、そして太平も、息を飲んだ。
その瞬間。ツリー本体を彩るライトアップが、一斉に消えた。
真っ暗になった建物の縁から、ひょいとサンタさんが顔を出した。赤い帽子に赤い服、背中の大きな袋と真っ白な髭。いわゆるサンタさん、って感じの人だ。
『ほっほほーい!』
サンタさんは楽しそうに叫ぶや、建物の壁を縦横無尽に走り回った。通過した場所から花が咲き、鳥たちが羽ばたき、壁は明るく萌えていく。
トナカイやら雪だるまやらも出てきた。思い思いに叫んだり跳ねたりしながら、壁を自在に走って回っている。きらきらと散っていく眩しい光がツリー前の広場を、そして見ている私たちを照らし出す。
その演出が、少なくとも二分は続いた。
……んん?
こんだけ?
私は首をかしげた。いや、確かにキレイだよ。キレイだけど、プロジェクションマッピングって建物の壁で演出するからいいんじゃない。もっとこう、その建物らしさを映像にするのかと思っていたんだけどな……。
『ほっほー! 皆、メリークリスマース!』
サンタさんが叫ぶ。ふうむ、と神様が横で唸った。
「何じゃ、あの神の紛い物は。わしの風貌にそっくりではないか」
言われてみれば、確かにそうだ。お腹の肉の乗り方といい、盛大な髭の生やし方といい、神様とサンタさんはよく似ている。大きな違いがあるとすれば、こっちの神様はとっても寒そう。いや、寒々しい。
「ふうむ。人間界ではあのような者が神を名乗り、皆にプレゼントを頒布しているのじゃな」
「サンタクロース、見たことなかったの?」
「そうじゃのう。あのような者、我らの世界では神とは扱えんがな。何じゃあの府抜けた笑いは。あれでは邪悪な悪魔から人々を救済するに足らぬ」
いや、サンタさんってそういう役割じゃないから。そもそも神ですらないから。
「贈り物というのはな、重いものなのじゃぞ」
神様は得意気に説明する。
「相手の心から望むものを与えるのは、その相手の肉親にすら難しいことなんじゃ。相手に本気で向き合い、その気持ちを髄から理解せねばならぬ。それを何じゃ、あの男はたった一人で世界中の子供に届けるじゃと?」
……神様はどうやらサンタさんに難癖をつけたいだけのような気がしてきたので、私は無視してプロジェクションマッピングを眺めることに徹した。
実際、あんまり面白い内容ではなかった。
背景はいつしか雪に沈んだ北欧辺りの山並みの景色に変わり、そこでは相変わらずサンタさんやら何やらがプレゼント箱を投げたり開けたりして跳ね回っている。
これ、何もわざわざスカイツリーを使わなくても出来たんじゃ……。
そう思っているのは私だけではなかった。眼下の太平の表情も、心なしか晴れやかじゃない。隣に私がいなくてよかった、と思った。もし隣で見ていたら、がっかりの気持ちが色々と口に出ちゃっていたかも。その証拠に、今も出てる。
えーい、ダメだダメだ!
こんなんじゃダメだ!
これじゃ太平の気持ちもきっと晴れないよ。私があんなに行きたがっていたから、太平だってここにわざわざ足を運ぼうと思ってくれたんだ。私を思い出してしまう覚悟で来ているんだ。それなのに楽しめなかったら、何の意味もないじゃない!
「大体ヤツはどこでゴッドを手に入れとるんじゃ……」
まだ独り言を垂れている神様の髭を、私はむんずと掴んだ。
「神様!」
「な、なんじゃ」
「あの映像どうにかしてよ!なんかこう、もうちょっとわくわくできてさ、もうちょっとスカイツリーらしい映像に出来ないの!?」
「むっ、無理を言うでない!それでは聴衆みなの記憶を変えることになってしまうじゃろう!」
「誰も不幸にはならないわよ!大丈夫だよ!」
「じゃがわしの大切な数千ゴッドが──」
「や、る、わ、よ、ね?」
凄んだら神様は小さくなった。
「全く、無茶な要求をしおるわい……」
渋々という感情が見え見えだ。ほんと、この性格どうにかした方がいいんじゃないか……。価値観が貨幣の神様なんて前代未聞よ。空前絶後だよ。
神様はテレビを離れ、スカイツリーの縁に立った。さっきと同じように指をうねうねとくねらせ、何かを操るように念を込めている。
やがて、テレビに映る映像がパッと変わった。
北欧の山奥に突如、一筋の真っ白な光が立ち上った。
それはたちまちたくさんの光の渦を産み出したかと思うと、ふわりと膨らんで強い光を放ち、次の瞬間には見慣れたスカイツリーの形に変じていた。
それだけじゃない。周囲の足元が次々に眩しい明かりに包まれては、そこから大小様々の建物がにょきにょきと生えてきた。
ものの十五秒で、風景は完全に東京のそれになった。そこを変わらず飛び回るサンタさんやトナカイの動きも、建ち並ぶ建物のそばをかすめたり、くるくるとスカイツリーの周囲を回転しながら上昇していったりと、バリエーションがぐっと増している。
バックの音楽も変わった。いかにも機械で出力した感のある響きの薄い音が、まるでオーケストラの演奏を間近で聴いているみたいな聴き心地に変わった。
映像の躍動感が、何倍にも膨れ上がっている!
すごい。
正直、神様には何の期待もしてなかった。だから素直に喜べる。この出来は……すごい。
これ、即席でやってるんだろうか?だとしたら神様、尊敬する。これに関しては本当、尊敬できる!
大興奮の私は、うんうん唸っている神様に声をかけた。
「神様、やるじゃん!」
「話しかけるでない──!」
神様が叫んだ。
えっ、どうして……? 問おうとしてから、その必要がないことにたちまち私は気づかされた。
映像が激しくぶれている。
「集中しとるんじゃ! ああもう、上手くイメージできん!」
言っているそばからスカイツリーがぐにゃりと歪んだ。うわわ、びっくりした……!
声をかけたことを私は後悔した。いや、でもこいつ、放っておいてもこうなったのかもしれない。だって人間界のこと、ろくすっぽ知らない様子だし。
「うーん、あの欺瞞サンタの笑顔が浮かばん! こうか!」
神様が余計なことをしようとしてる。ダメ、私が横から口を出さなきゃ! とても黙っていられなくなって、私も割り込んだ。
「ちょっと! サンタさん笑ってないわよ! 苦笑いしてるじゃない!」
「何を! 欺瞞サンタなど適当に笑っておればいいのじゃ!」
「だいたい何が欺瞞サンタよ──ってサンタさんがあんたの姿になってるじゃん!」
「大して変わらんじゃろ、どうせ体格は同じじゃ!」
「あんたは心の色が真っ黒なのよ! あと寒々しいの! ──ほら今度はトナカイがただのシカになってる!」
「いつまで続ければいいんじゃい──!」
プロジェクションマッピングが全編上映を終えるまでの三分間、私と神様の怒鳴りあいは続いた。
もう大変だった。スカイツリーはロケットになって飛んでいこうとするし、サンタさんの袋の中身はオバケに差し変わるし!
映像がふっと途切れた時、私と神様はもう、へとへとだった。