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如月・弥生  作者: たむら
season1
9/41

ダイアローグ・モノローグ(☆)

「クリスマスファイター!」内の「ナツコ的通訳」の二人の話です。

 言葉は無力で、言葉は災いだ。

 俺にとって言葉は、いつも厄介なだけの存在でしかない。

 思っている事ならちゃんとある。なのに頭から口に到達するまでに、言葉の細部は一つ消え二つ消え、不鮮明であやふやなものになってしまう。自分の気持ちを伝えるツールとして、自分にとってこれ以上不向きなものはないのではないかと思う。

 きちんと伝えようといくら言葉を重ねても、違う階層に存在する者同士のように、それは面白いくらいにすれ違う。数学が好きだと云えば変な人扱いされる事も多く、自分の好きなものを否定されると分かってからは、人との会話によりいっそうの苦痛を強いられた。

 

 大学生にもなると、さすがに周りも異分子を排斥するほど子供でもなく、また研究室に入れば自分と同じ嗜好の人間も増えたため、会話することに以前ほどの苦痛を感じなくなっていた。いくらなんでも合同で研究しているのに話さないという訳にはいかないし、同好の士と話す共通の話題は、ぎこちなくてもやはり楽しい。それでも一たび研究室を出れば、やはり会話はキャッチボールなどではなく、むしろデッドボールだった。

 相変わらず、きちんと生まれてこない言葉と伝わらない意図と繋がらない会話。いい年をして、重い口はますます重くなる。


 何も話さなくても成立する関係を夢想する。

 テレパシーこそ、自分には必要であるように思う。それが無理なら互いの頭にケーブルをさして、ダイレクトに伝えられたらいいのに。

 ――発想は子供っぽいし、三流のSFじみていて荒唐無稽もいいとこだ。我ながらばかばかしい。

 もちろん、会話を一切交わさずに生活する事など出来はしない。必要最低限で済んだらいいのにと思いつつ、求められる社交の言葉を交わす。『ぼそぼそしゃべるのがコワイ』とか云われるけど。

 それでも今、自分にはその『必要最低限のやり取り』で許される人間が家族以外に二人いる。一人は、谷原(たにはら)で、もう一人は恋人のはるだ。


 谷原には研究室でよくフォローしてもらっている。俺の足りない言葉が誤解を招きそうになると俺と他の人との間に入ってくれるので、おかげで人間関係が格段に良くなった。

 はるは、俺に毎日おいしいお昼ごはんとたくさんのおしゃべりをくれる。

 はるの言葉は好きだ。漢字は異なるもののその名の通り、春のひかりのように惜しみなく注がれる言葉たちは、俺のもそんな風だといいのにと羨ましく思う。

 彼女が紡ぐ会話の中でこちらに問いかけられれば「ん」と一言返すのがいつものパターンだ。そんなでもはるは俺の気持ちを泣きたいくらい正確に分かってくれる。そこまでミニマムな言葉で分かってもらえるのは、初めてだった。谷原でさえも舌を巻いていたし、俺自身もびっくりする事がよくある。

 そんな最大の理解者を、好きにならない訳がない。あっという間に、恋に転げ落ちた。


 好きすぎて、どうにかなってしまいそう。

 離したくない。

 君が大事だ。大好きだ。

 ずっと俺の傍にいて。


 頭の中では、いつもそう思ってる。でもうまく伝えられなかったらと思うと怖くて、いつもはるの「好き」を受け止めるだけでいた。せめて一言、「俺も」って云えば、はるを不安にさせる事もなかったのに。

 どうして、それが当たり前だなんて思っていたんだろう。

 そんな傲慢な自分だから、愛想を尽かされたんだ。



 もうすぐお昼だな。今日、はるは俺に何を食べさせてくれるかな。

 そう思っていたから、研究室で交わす会話も表情もいつもよりスムーズだったかもしれない。

 扉の向こうに人の気配を感じて、ふと視線を上げればそこにはいる筈のないはるがいて、扉に嵌めこまれた細長いガラスの向こうからこちらを見ているのが伺えた。俺と目が合うと泣きそうな顔で笑った後、走っていなくなってしまった。

 どうしたのだろうか。

 そう思ったものの、すぐ後で会えるのだからとそのままにしてしまった。

 結局、その日のお昼にはるには会えずじまいで、メールをしても返事はなく、突然はるは俺の前から姿を消した。


 どうして。

 当初はそう思ったものの、振り返ってみれば俺の側にばかり思い当たる節がいくつもあった。

 はるから与えてもらうばかりで、何も返していない。

 彼女がきっと欲しい、「好き」と云う言葉一つさえも。

 親しい人間の前で言葉少なになると云うのは俺だけの話であって、はるがそれをどう思っているのかなんて聞いた事すらなかった。彼女もそれを心から望んでいたなら、あの降り注ぐほど与えてもらったおしゃべりがそもそもある訳がなかったのに。


 お日様の匂いのするブランケットのような、はる。

 優しく空気を震わせて発する声と言葉で、いつも俺に暖かな気持ちをくれる唯一の女の子。

 少し前に交わした会話を思い出すと、それだけで胸が痛い。



 吉野(よしの)君、日曜日公園に行こうよ。


 ん―?


 風がなければ結構暖かいからさ、ポットにコーヒー詰めてって、お外でサンドイッチ食べない?


 ん。


 じゃあ、きまりね! 一〇時に駅の改札で待ち合わせだからね、寝坊しないでよ?


 ――んんー……


 そこは『ん!』って力強く頷くとこでしょう? もう。


 笑うはるの声が、耳の中で響く。

 もう俺には聞かせてもらえないかも知れない声。



 はると会えなくなってから食べる物もろくに喉を通らず、ゼミに最低限顔を出す以外で出歩く事なく引きこもり一歩手前になっていた俺のアパートに、ある日谷原が突然やって来た。そしていつにも増して口の重い俺から事情を聞くや否や、谷原は特大の雷を落としてくれた。

「このバカッ! お前が傷ついてる場合かよ! 一番傷ついてんのは戸田(とだ)ちゃんだろうが!」

 脳天に拳骨を落とされた。大人になってからそんな事をされるのは初めてで、痛いよりもびっくりしてしまった。武闘派ではない谷原の拳も痛かったようで、もう片方の手で落とした方の拳を包みながら谷原は低い声で告げた。

「云わなくても分かってもらえてても、気持ちを伝える事は必要だろ! お前は戸田ちゃんに気持ちを伝えてもらってどうだったよ!? 嬉しかっただろうが!」

 でも、誤解されるのは嫌なんだ。怖いんだ。それが大事な人であればなおさら。

 ぼそぼそ呟いていたら、「じゃあ、もう戸田ちゃんはいらないんだな」と云われて、頭を上げると、いつもは笑っている谷原が酷く真面目な顔をした。

「俺が掻っ攫うわ、『はるちゃん』」

「―-呼ぶな!」

 名前で呼ぶな。そう呼んでいいのは俺だけだ。

 そう云いたいのに、こんな時でさえ俺の言葉は俺の思うようにならない。もどかしくて、でも谷原に云われた事で頭が沸騰しそうだ。

「なんで? もういいんだろ? 手放すんだろ? あんないい子を放流するとか、お前も酷いね」

「そんな事、しない」

 ギリ、と握った拳の中で爪が掌に食い込む。

「あ、大丈夫だよ心配しないで? 俺、傷付いた女の子慰めるの得意だし。一晩中、抱き締めて優しく囁いてあげるから、きっと『はるちゃん』もお前の事なんかすぐに忘れるよ」

 そう云われて、自分の中でぶちんと何かが切れた。

「はるは、俺のだ!」

「へえ?」

「誰にもやらない!」

「――じゃあそう云ってやれよ!」

 ばしーんと、今度は背中を叩かれた。……ろくに飲み食いしておらず睡眠もとっていない人間にする仕打ちとしてはなかなかハードで、思わずよろめく。何とか体勢を立て直して睨みつけようとしたら。

 谷原が、いつもの顔で笑っていた。

「バカだねお前、云えるじゃん。――ちゃんとこっちにも伝わったし」

 ……試されていた? なんで?

「俺、今日の昼、戸田ちゃんに会ったよ」

「!」

 二人で、会ったのか。――はるは、俺をもう忘れる事にしたのか。

 そう思って顔をこわばらせていたら、「そんなんじゃねーよ」と谷原が顔をしかめた。

「ちょっと気になってたからさ、昼に彼女の方の校舎に行ってみたんだよ。そしたら彼女お弁当いっぱい残して、表情も言葉も少なくて、ボーっとしてた」

 そんなはる、見た事がない。俄かには信じがたくて思わず谷原の顔を見つめてしまった。谷原は、俺の視線を外すように顔をそむけた。

「戸田ちゃんな、もう吉野君に付きまとわないから安心してって伝えてくれ、だってさ」

「! 何で、そんな……!」

「どー考えてもお前の言葉が足りてないせいだよなあ、恋人にそんな事云わせやがって」

「……」

 はるは、どんな気持ちでそれを云ったのだろう。

 そう答えを出すまでに、どう思っていただろう。

「戸田ちゃんの事、大事なんだろ?」

「うん」

 きっぱりと自信をもって答える。

「じゃあ、一度ちゃんと話をしろ。ここを何とかしないと、お前も戸田ちゃんももっと傷付くだけだ。……大体お前らが二人でいないとか、おかしいんだよ。」

 それを聞いて、いても立ってもいられなくなった。

 着ていたスウェットを脱ぎ捨て、慌ててTシャツやジーンズやトレーナーを身に着ける。

「何だよ急に」

 訝しむ谷原に、ばたばた出かける支度をしながら忙しく言葉を紡いだ。

「行く」

 それだけで分かってくれる谷原は、やっぱり大事な友人だ。

 つまらなさそうに手をぴらぴら振って「おう行け行け、走れー」と無責任に煽り立ててくれた。

 もどかしく焦りながらコンバースを履くと、「落ち着け、とりあえずあの子まだ講義受けてんだろ、この時間」と、すっかり帰り支度を済ませた谷原が呆れた様にため息を吐いた。

「でも、早く行きたい」

 一秒でも早く、あの子の傍へ。

 二人でアパートのドアを出る。歩いて二分のところにある大学行きのバスの停留所で時刻表を確認すると、次に来るのは二〇分後だった。待たずに走り出した俺を、谷原は「青春だねぃ」と笑った。フォームなんかめちゃくちゃな俺の背中に、「戸田ちゃんに気持ち伝えろよー!」と声が掛かる。振り向く余裕はなかったので、片手をあげてそれに応えた。


 息がすぐに切れる。日頃運動をしない俺の脚は、すぐにがくがくになる。それでも。

 はるのところに行く。はるに会いたい。伝えたい。

 伝わるかどうかは分からない。そもそも聞いてもらえるのかすら。

 それでも。


 やっぱりバスを使えばよかったと思ったのは、二〇分待つよりはと走り出した自分を笑うかのように、ようやくたどり着いた大学のロータリーに、途中自分を追い抜いたバスが既に停まっていたのを見た瞬間だ。がっくりと膝を付きそうな自分を叱咤して、またよろよろと歩き出した。

 最後のコマがもうすぐ終わる。はるのいる方に向かって広大なキャンパスをひたすら歩く。足がこんなんじゃなくても、結構な距離だ。正門からだからこの程度で済んでいるけど、はるの学部から俺の方の学食までは今歩いている倍くらいかかる。それも、ただ歩くだけでなく、テキストの詰まったバッグとお弁当二人分を持って、はるばる通ってくれていたんだ。

 頭では理解していたつもりで、その実ちっとも分かっていない自分が情けなくて泣きたくなる。ここに来るまで縺れた足で転ぶ事数回、奇跡的に顔面は無傷だけれど服に隠れているところは傷だらけの打ち身だらけで、それも泣きそうではあるけれど。

 食物栄養学科の前まで来ると同時に、女の子達が校舎からわらわらと出てきた。どうやら講義が終わったらしい。だけど、その中にはるの姿は見当たらない。

 行き違いになったのかと思い、正門まで戻ろうとした時。

 はるが、出てきた。――見た事もないほど、元気のない、顔色も悪そうなはるが。

 声を掛けられなかった。

 いつも元気でにこにこしていた彼女を、俺があんな風にしてしまったんだ。なのにしれっと仲直りしてくれなんて云える訳がない。

 ――帰ろう。

 とは云え、帰るにしても、結局正門を出なければならない。間抜けな俺は、声を掛けられないままはるの後ろをひたひたと歩く。誰かに見られたら不審者と通報されそうだ、と自嘲した。

 正門前のロータリーに来ると、はるは足を止めてじっとそのヒマラヤ杉を見上げた。

 白と青のツリー。手を繋いで、綺麗だね、と囁かれたのはついこの間なのにずいぶん遠い事のようだ。ツリーを見つめる彼女を苦い思いで見ていると、突然はるは歌を口ずさみ始めた。

 ――かぼちゃとハムの、グラタン。ほうれん草のわさびソテー。アスパラとじゃがいものソテー。

 ああ、歌じゃない。

 ――豆腐のドライカレー。ブロッコリーと鶏炒め。ザワークラウト。秋刀魚のから揚げ。サバ缶のサバとさらし玉ねぎのサンドイッチ。お豆腐の味噌漬け。

 それは、はるが俺に作ってくれた、俺の大好きなおかずのレパートリーだった。


 目頭が熱くなる。俺は、好きな女の子を一人で泣かせたまま逃げるのか。

 何もしないで逃げて閉じこもって、『やっぱり駄目だった』って諦めるのか。

 携帯電話にメールが届いた音がする。こんな時に、と思いながら開いてみると、無題のその本文には一言『日和んな!』と俺の気持ちを後押しするような、谷原からのエール。

 誤解されるのが何だ。云えよ。うまく云えなくたって、伝えてみろよ。

 外国語でもなければほかの星の言葉でもない。動物でもない。

 同じ言葉なら、伝わる事がきっと一つくらいはある筈だ。

 自分にとって言葉が禍いで無力なものでも、彼女は俺の一言でさえも喜んで受け止めてくれたじゃないか。

 してもらった事のお礼くらいはするべきだ。今までの態度を謝って、はるを好きだと伝えなくちゃ。

 それがもし、もう手遅れだとしても。


 俯く彼女の足元に落ちた涙を見て、たまらずに駆け寄った。

 俺の事避けようとする、はる。そのまま譲ってしまいそうな駄目な自分はもうやめだ。

「はる」

 久しぶりに、呼ぶ名前。でも呼ばれたはるは、今までみたいに嬉しそうに笑ったりしない。その事に挫けそうになるけど、諦めずにもう一度呼ぶ。

「はる」

 悲しげに伏せられた顔と、彷徨う視線。

 はる、お願いだ。

 こっちを向いて。

 俺を見て。

 云いたい事は今日もたくさんある。でも、俺を振り切ろうとする気配に思わず口にしたのは、「はる、別れたくない」と云う懇願の言葉だった。

 ――今日初めて合わせてくれたはるの目から、涙が一粒零れた。


 何とか言葉を紡いで、喫茶店へと誘う。初めてはると会った時の思い出の場所。

 ここまで付いて来てくれた事にホッとする。そして、今までになかった沈黙に、どこか居心地の悪さを感じる。……ずっと、はるは気まずくならないようにおしゃべりで二人の間を満たしてくれていた。それを俺は享受していただけ。

 なら、今日は、俺が沈黙を切り崩す番だ。みっともなくても支離滅裂でもはるほど上手じゃなくても。

 何から話そうか、と考えて、まずはこれまでの自分の態度を謝った。谷原に駄目な自分が怒られた事を話した。話さなくても赦してくれたはるに、とことん甘えてしまった事も。


 会えなくて、寂しかった事。

 駄目になるのが怖くて、ごはんが食べられなかった事。

 聞いてもらえなくても当然の俺の言葉を、はるはひとことも聞き漏らさないと云った風情で、じっと聞いてくれた。そして、痩せた俺の頬を撫でて「私と同じだ」と苦笑するはるの手を、堪らずに掴んでしまう。それでも拒否されない事が、とてつもなく嬉しい。

 その思いのまま、今まで溜めに溜め込んでいたはるへの気持ちをようやく口にした。

 それは奇跡的に、頭の中で思った通りに出てくれた。

 怖れていた誤解もなく安堵したものの、もっと早く云うんだったと後悔してもしきれない。


 はるが俺の拙い告白に涙する。慌ててハンカチで拭いても後から後からぽろぽろとこぼされ、頬を伝う涙に出来る事もなくただおろおろと狼狽えていたら、はるは泣きながら、いつものように笑ってくれた。


 涙が落ち着いた頃合いで、はるからお願いをされた。

「好きって云って」も、「かわいいって云って」も、付き合っている恋人ならばきっと当たり前の事で、そんな事を大好きなはるに云わせてしまう自分をひどく恥じた。

 もう、言葉を惜しむ事でこの子を傷つけはしない。

 伝わると、分かったのだから。少なくともはると谷原には。奇しくもそれは少ない言葉で俺を分かってくれる二人で、そんな事も何故だか嬉しい。


 自宅に帰るはると手を繋いで、駅まで歩いた。改札で柵越しに電車が来るぎりぎりまでそのまま手を離さずにいて、喧騒に紛れて「大好きだよ」と伝えれば、はるがまだ赤い目を細めて「私も」と返してくれた。名残惜しそうに何度も振り返る姿が電車に乗り込み、その電車が見えなくなるまで見送る。それから谷原に「ありがとう、間に合った」とそれだけをメールすれば、即座に絵文字満載の祝福メールが返って来た。

 駅から、アパートまでを歩く。足はまだ痛いけど、頭も体も熱いから少しクールダウンしたくてゆっくりと家路を辿る。


 谷原が、はるの事を本気で好きであんな風に出たのか、それともただ俺たちを心配してくれて一芝居打ったのかは分からない。どちらにしても、問い詰める気はないし谷原の気持ちについて俺が云える事なんてない。ただ、はるは誰にも渡さないと思うだけだ。



 はるを失いかけてから、俺ははるになるべく気持ちを伝えるよう心がけた。

「はる、かわいい」「大好きだよ」と伝えていると、谷原が甘いものを食べ過ぎた様な顔をして「やってらんねえ……。おまえはイタリア人か」なんて毒づく。

「はるがもっと喜んでくれるなら、イタリア人のところに修行に行く」と大真面目で伝えたら、はるは「今の吉野君が一番好きだから、変わらないで」とこれまた大真面目に返してくれて、谷原は「……もう、なんも云えねえ」とどこかで聞いたような言葉を漏らして学食のテーブルに突っ伏した。


 あれから、俺ははると谷原以外にも、もう少しだけ伝える努力をするようになった。伝わらなくてもかまわない、なんて投げやりな態度はやめて、ちゃんと分かってもらえるまで会話を諦めずに成立させていたら、谷原が間で取り持ってくれなくてもきちんと関係を築けるようになった、ように思う。それを谷原は「あーあ、俺がいないと駄目だった子が育っちゃうと、おにーさんさみしいわぁ」なんておどけて云う。そんな谷原にも、「谷原、ありがとう。好きだよ」と目を見て伝えたら、「きしょいんだよバーカ!」と云われてしまった。でも、ものすごい勢いで後を向いた谷原の耳が赤いのを見つけてしまう。言葉が、態度と真逆の事もあるとそれでわかった。

「俺、まだまだだから、これからもよろしくお兄ちゃん」とおどけると、谷原はまだ赤い耳でパソコンのディスプレイに向かったまま「コンサル料取るぞ、駄目っ子」と谷原らしいコメントを返してきた。


 研究室でのそのやりとりを家に遊びに来てくれたはるに教えたら、はるはどこか不満げだ。

「どうしたの?」

 何か、また傷つけてしまったのか。そう思って聞いてみたら、はるは体育座りのスカートの山にぽすんと顔を埋めて「……いいなぁ」と漏らした。

「何が?」

 はるの目の前にしゃがんで聞いてみたら、「二人して、すごく仲良しさん。ずるい」と云われた。――これはいわゆる、やきもちと云う奴? 相手は谷原なのに。

 そんなはるがかわいくて愛おしくてたまらない。

「はる、顔を上げて」とお願いしたら、「やだ。今すごくかわいくない顔してるもん絶対」と顔を上げないまま、イヤイヤをされた。

 だから、膝をついてそのままはるを抱き締めた。

「かわいいよ」

「……吉野君、そんな嘘まで吐けるようになったの?」

「嘘じゃない。はるはかわいい。世界で一番かわいい」

 本当の気持ちを伝えたら、「――ん。」と、顔を上げたはるに俺のような返事をもらった。その一言に、満足な気持ちが見えたからホッとする。きちんと伝わった事に満足する。


 もう言葉は、俺に災いだけをもたらすものではなくなった。はると交わし合う言葉は、幸せを日々運んでくれる。大好きなはるに大好きだ、と伝えられるのは、それがきちんと受け取ってもらえるのはなんて素敵な事なんだろうと思いながら、いつまでも終わらないキスを楽しんだ。


谷原君はこちら→ https://ncode.syosetu.com/n4134ci/11/

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