オーハシジャンクション(☆)
「クリスマスファイター!」内の「ヨシダルート」の二人の話です。
大橋君は不二君ばっかりダントツでモテてると思い込んでるけど、ピアノが弾けて、筋肉もあって、美術館が好きで、人当たりのいい彼だって実はモテてる。わざわざ皆言わないだけで。
彼を介して、いろんな場といろんな人が繋がってる。まるで、高速道路のジャンクションみたい。
――私も、繋がってほしいな。何km先でもいいから。
そう思ったら、たまらなくなった。
それまでずっと見てたから、傾向と対策はなんとなく分かってた。
ギャルみたいにガッ! といきなり〇距離になると、超高速で逃げちゃう。バンドの人のくせに……。
でも、そんなところもかわいいな。
多趣味な彼は、その一つ一つに修行僧みたいに打ち込んでいるせいで、いつも忙しい。
大学にバンドにバイトにピアノ、バレーボール、将棋、ジョギング。たまに美術館のボランティア。
いつだってまっすぐ前しか向いていない人は、こちらのことなんて気付きもしない。
でも、気付かせた。
そしたら、振り向いてくれた。
だからもう、手加減しないよ。重たい女の本領発揮。
「……よ、よしだ、さん」
「ん? なーに?」
困惑して、赤い顔して、でも嬉しくて、そんな気持ちがちっちゃいブーケみたいにぎゅぎゅっと詰まってる彼がかわいすぎて、お行儀良く普通に繋がれた手を恋人繋ぎにしただけじゃ我慢出来なくて、きゅっきゅっと握ってみた。そしたら、立ち止まってうつむいちゃった。こんな時には意思確認。
「恥ずかしい? これやめる?」
私が聞くと、ゆるゆる横に振られた頭。そうしたことで乱れた彼の髪を直していたら、髪の毛の間から見つめられてドキッとした。
「……嬉しくて」
「うん」
「これ、夢なのかなあって」
「夢じゃありませーん」
身体を寄せると、まだびくっとされてしまう。でも、寄せてそのまま寄り添っているうちに、ふーっと力が抜けてくのが分かる。
目が合うとうつむく。こんな時には待つに限る。おそるおそる戻ってきた目線を合わせにいってニコッとすると、戸惑うだけだった人は最近ようやくふわーっと笑い返してくれる。
この、ちょっとずつ大橋君が私を自分の陣地に浸食させてくれる喜びを、誰かにのろけ倒したい。でも彼の魅力の虜になってほしくはないから、前々から相談させてもらっている友人に会いたいところだけど、なかなか忙しそうにしていてそれもかなわない。
あーあ、と思っていたら、存分にのろけさせてくれる友人じゃなく、どちらかというと天敵に近い人に遭遇してしまった。
――同じ大学だから学部が違ってても偶然すれ違うとか、まああってもおかしくはないけど、学食を出たところの廊下で物憂げに人待ち顔で立ってて、なおかつ私を見ると近づいてくるっていうのは、どうも待ち伏せされてたっぽいな。
そのまますーっとスルーしてしまいたい気持ちもあったけど、大橋君に繋がる直近の人だしねえ、とまだ少ししか話したことのない人に「こんにちは」と声をかけた。そしたら「ちょっと時間もらえる?」と食堂からほど近い屋外のベンチに連れて行かれた。他の子ならすごい嬉しいシチュエーションなんだろうけど。
「あんまりうちのを翻弄しないでやってくれないか」
絵に描いたようなモテ男であるギターの不二君は、無駄に色気を振りまくお顔で世間話もぶっ飛ばしてそう言った。聞く人が聞いたらそれだけで妊娠しちゃいそうな低音で。
「翻弄なんかしてないけど?」
ムッとした顔を隠さなかった自分は大人げないけど、早々にけんかをふっかけてくる方がもっと大人げないんだからいいや。しかもなによ『うちの』って。あーやだやだ。前からうっすら分かってたけど、この人とは気が合いそうにもないや。
――そんな人とも、大橋君が接点になってるふしぎを思えば、ギスギス一色だった心にほんの少し暖かさが灯った。
不二君はこちらを見ずに、長くてしゅっとした指を無造作に組んで、おなじく長いおみ足の間に置き、物憂げにため息を吐く。
「いろいろ不慣れで、しかも臆病なんだ。吉田さん、もう少しあいつのペースに合わせてあげられない?」
「大橋君に全部合わせてたら、お泊まりするのと卒業するのとどっちが早いかなあ」
私がくすりと笑うと、大げさに顔をしかめてみせる。またそのジェスチャーが嫌みなほどよく似合う。
「……お付き合いするまでは、ちゃんとあっちのペースで進めてたよ。それだけじゃ不満?」
「不満かどうかはあいつが決めることだ」
「じゃあ、どうして不二君がわざわざ出てくるの? 私、バンドの皆にとって目障りな存在なのかな。Fab Fourにとってのヨーコ的な」
誰もが知ってるリヴァプール出身のバンドになぞらえてそう返すと、またしかめ面。
「……そうは言ってない」
「そう聞こえるけどねえ」
全員同い年なのに、バンドメンバーの中ではお酒が入らないと無口なボーカル君と共に末っ子的な大橋君。何でも出来るくせに引っ込み思案な彼のことを皆でかわいがってたのは、見てて知ってた。
バンドの人たちが見守ってた、ほかの誰にも見つからない場所にある秘密の温室、みたいな彼にじわじわ近づいてってまんまとその中に入っちゃった私は、いい気はされていないんだろうな、そりゃ。台風みたいに壊しちゃうかも、とか、勝手に中をいじって変えちゃうかも、とか、そんな風に心配されてそうだ。勝手にいらぬ心配をしている不二君の胃に穴が開こうがやつれようが知ったことではないけど、あえて敵対することもないので「大丈夫だから」と告げた。
「あなた方にとって安心材料になるか分からないけど、私、別に大橋君を独占しようなんて思ってないよ。いろいろやってる彼が好きなの。バンドもね。いま彼がしていることを取り上げたり活動に制限かけたり、そんなのはする気ないよ。だから、あんまり心配しすぎないで」
「……わかった。出過ぎた真似をしてたなら悪かったよ」
「ほんとにねえ」
こんな風に釘さしに来られたらそれなりにやり返すけど、大橋君のことがなくても彼らのバンドは大好きだ。
「新曲いいよねえ。曲ももちろんだけど歌詞も好き」
私のその言葉で、ずっと微妙な顔をしていた不二君が、ようやく笑った。
「gracias、作ったの俺」
「知ってるよ」
そのままニコニコと友好的に出来たらよかったのだけど、ベンチに不二君と座っていたらだんだん衆目を集めるようになってしまったので「てか離れて。不二君といると無駄に目立つ」と言いながら立ち上がって距離を取ると、「やっぱひでえ人だ」とまた大げさなしかめ面をされた。
その日、大橋君が講義のあとからバイトに行くまでの短い時間で、お茶をした。小一時間の逢瀬なんてあっという間過ぎるけど、今日はバレンタインだし、チョコ渡したかったし、あっという間でも顔を見ておしゃべりしたかったから。
そこで「あのね、今日不二君と大学のベンチでちょっとだけ話したけど、浮気とか二股とかナンパとかじゃないからね」とテーブルの下(上でするのはまだびくっとされちゃうので)で手をぎゅっと握って報告した。
こういう話は誰かを経由して彼の耳に入ると良くない方に脚色されるものだし、彼が見てそう思っちゃう可能性もあるからだ。不安の芽は初期に殲滅します。
大橋君は、私の言葉にこくりと頷いた。
「うん」
「信じてくれた?」
「疑うなんて失礼だ……と言いたいところだけど、実は目撃して、ひやっとした」
やっぱりな。大橋君が一人でぐるぐる不安を熟成させる前に言ってよかった。
「遠くから見かけて、二人がすごくお似合いだったから、なんか気後れして声掛けに行けなかった」
「実際はけっこうやり合ってたんだけどね、バッチバチに」
「……どんな話してたのか、聞いてもいい?」
「もちろん! 大橋君の話だよ」
「え、」
「『あんまりうちのを翻弄しないでやってくれないか?』」
不二君の妊娠ヴォイスを真似て言ってみたら、噴き出された。
大橋君はそのままいつまでも笑って、それが納まると涙を拭きながら「だめだなぁ俺は」とぽつりとこぼした。
「なんで? 嫉妬嬉しいよ私」
「でも、ありもしないことで疑って、二人に失礼だった」
「いいのいいの、誤解が解けたならそれで」
「……吉田さんは?」
「ん?」
「妬いて、くれないの」
頬杖をついて、ふいっと目線を外してそう言う。
……あー、甘えてくれてる。答えを知っててわざと問われてる。かわいいなあ。
なので、じわじわよりちょっと大きく一歩踏み込んで、隠してた重たさを披露することにした。
「妬いてるよー。当然じゃん」
「……ほんとに?」
「うん」
多分ここまでは彼の想定内。ここから、どすんと重いよ。
「美術館の職員さんにもお客さんにも、将棋の常連さんにもバレーボールの人たちにも、ピアノの先生にもほかのレッスン生にも、バンドメンバーにもバンドのファンにもライブハウスのスタッフさんにも、大橋君に関わる全ての人に妬いてるよ」
そう言うと、目をゆっくりぱち、ぱち、としたのち、ぶわっと赤くなってくれた。
「……美術館の職員さんは既婚の人ばかりだし、ピアノの先生はおばあちゃんだし、将棋はおじいちゃんと小学生ばっかりだし、バレーボールは高校の友達だよ」
「でも誰とだって可能性は〇じゃないから」
私とだって、大橋君にとって限りなく〇に近かったのを、私がじわじわルートで攻めていって好感度を少しずつ地道に上げていっただけだし。
「全人類に嫉妬する日は近い」
真顔で言うと、嬉しそうにして、そして。
「……吉田さんがいやなら、おれ、」
「やめないでね。何にもやめてほしくない。そういうつもりで言ってない。ただ、何かしてる時に『ああ、今吉田さんがジェラシーの炎をぼーぼー盛大に燃やしてるなあ』って思い出してくれたら嬉しい」
「ジェラシーの炎って……」
手で顔を覆って笑ってる。照れてる。どっちかな。両方かも。
今だって、大橋君は私のジェラシーの炎に柔らかくくるまれてるよ。君が気付いていないだけで。
いろんな人と場所に繋がっている彼。
きっとこれからもどんどん新しく繋がるんだろう。今度は何を? って、こっちまでわくわくしちゃう。でも、同じくらい嫉妬もするよ。
本当なら見えるところにキスマークをいつでもつけまくりたいけど、それはまた不二君と言う名の小姑にいやな顔されそうだし、とりあえず今はまだしないでおく(この先ちょっとでもモテの気配を感じたら迷わずそうする)。
今すぐはキスマークを付けないかわりとして、さっき渡したのは情念込め込めなバレンタインのチョコレート。一口サイズにたくさん作った。
普段ハンドメイドなんてしない私じゃ買った方がおいしいって分かってるけど、敢えての手作りにしてみた。その方が、より喜んでくれそうで。
実際、喜んでもらえた。両手で頬をおさえて「どうしよう、にやにやが止まんない」なんて言われて、こっちこそにやにやが止まらない。
「帰ったら食レポよろしくね」
「もったいなくてそんなすぐには食べられないよ」
「でも手作りだし、早めに召し上がって」
「じゃあ記念に一個くらい樹脂で固めてとっておこうかな……」って呟く大橋君、私の重たさちょっとうつっちゃったかな。
チョコを湯煎で溶かしながら、温度調節しながら、箱に詰めながら、リボンを結びながら、携えて歩きながら、ず――っと唱えてたこと。
私のこと、もっともっと好きになってね。
楽しくいろんなところに繋がって。でも、恋に繋がるのは私だけにして。
他の人には、これっぽっちも恋心を揺さぶられないで。揺さぶらせないで。
さあ、残さずおいしく召し上がれ。
数日後、不二君にまた食堂のところで待ち伏せされた。
「あいつ、最近練習の合間によく思い出し笑いしてるんだけど、吉田さんいったい何を仕込んだの?」
それを聞いてよし、と心の中で盛大にガッツポーズしたのは、言うまでもない。
そして答える代わりに「ないしょ」って笑って、またしかめ面させてやったところに、今度は大橋君が逃げずに廊下の端からとことこ近づいてきてくれた。
「かっわいい……」
私の思わず漏れたその言葉に、不二君もうむ、と頷く。
「それは、賛同せざるを得ない」
「あの歩き方! なにあれ、小股でちょこちょこくるのあざとかわいい!」
「コートの袖からちょこんと指先だけ出てるのもな、テクニックでやられるとなんとも思わないけどあいつはそうじゃないからな……」
「だよね!!」
そんな風に盛り上がってたら大橋君に「やっぱり、仲良いね」と少し困ったような顔をされたので、不二君と二人して声を揃えて「いや、違うから」と大きく否定しておいた。