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如月・弥生  作者: たむら
season2
30/41

清算する女の子・擬態してる男の子(☆)

「ハルショカ」内の「時を駆ける寅ちゃん」に関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。

 いまさら片方が頑張ったってどうしようもない。終わった恋なんて。


 今年のバレンタインは学校がお休みだったから、喫茶店で会ってお茶した。

「これ、作ったんだ。受け取って」

 明らかに手作りモノって分かるラッピングの上の部分をつまみ上げて見せると、一応まだあたしの彼氏ということになっている人は喜びよりも戸惑いの顔を見せた。思ってても隠せよそういうの。

「これで終わりにしてあげる」

 親切にもこちらからそう申し出てみれば、はっとした顔になる。だから、ちょっとは隠せって。


 友達なんかに戻れない。戻れるはずもない。そんな偽善、嫌い。

 これでも、チョコの準備をしてた時はうきうきしてたんだよ。初めてだったからね、カレシカノジョのバレンタイン。しかも、もうすぐ元がついちゃいそうだけど、この人にあげるのも初めてだったから、めちゃくちゃ張り切った。駅ビルやショップで特設会場がオープンされるや否や各地を駆けずり回って、いいなと思ったラッピング用品や、かわいいチョコレート型が品切れになっちゃう前に確保して。チョコだって、きちんとつやが出るように温度調節頑張って。――何回か失敗もしたけど、自分としては最高傑作を作って、いつも何事もぎりぎりにならないと動かないあたしのくせに一週間前にはばっちり準備だって出来ちゃってた。


 なのにさ。

 ――あたしを隠れ蓑にして、ほんとは誰を見つめてたのか、分かっちゃったから。


 差し出された手。その上に、袋を乗せた。――っと。

「これは、いらないね」

 ハートのかたちのメッセージカードは端っこの方に穴を開けて、袋の口を縛っているリボンに通した。その時は、彼の態度に違和感を覚えつつもまだちゃんと付き合ってるって思ってたから、感謝の気持ちだとか、好きだとか、そんなことをちまちまぎっしり書いたけど、自分を好きじゃない人にはもう心はあげない。

 穴のところからカードをちぎって掌で潰すと、なぜか心臓まで痛くなった。

 彼の口が開く。その目の前に手をかざして、「云わないで」と言葉をせき止めた。

「好き『だった』とかごめんとか、そういうのいらないから」

 自分のそれはまだ現在進行形なのに、過去形で渡されたらたまらない。

 誰かのことが好きだとしても、そんなのハッキリと聞きたくなんかない。ただもう、一刻も早くこの場から立ち去りたかった。

「じゃあね」って背を向けたら、「寺田(てらだ)、待って」と呼び止められたけど。

「聞かない。なんにも」

「なんか誤解してるって!」

 いつも落ち着いてるその声が焦ってて、いまさら動揺してくれちゃうんだとおかしな気持ちになった。

「誤解じゃないよ、だって何回も見た」

 始めのうちはたまたま偶然、なんて思ってた。恋は盲目ってほんとだ。――本当を知りたくなくて、わざと見てなかったのかも。

 三学期に入ってからやった席替えのあと、教室の一番後ろの席の配置は、窓際から彼氏(まだ一応)である真野(まの)君・あたし・変わり者な美少年で有名な菊池(きくち)君、の順に横に並んでた。――ちなみに、真野君の隣の席は、最初にその席になった人をコーラで買収してゲットした。

 右隣に座る菊池君には、理数クラスに在籍してる幼馴染の彼女さんが、いる。登校もお昼も下校も、二人は一緒だ。だいたい、彼女さんがこっちに迎えに来てる。


 気づく前までは、真野君たらあたしを見ちゃってるわ、やだ照れるー! 爆発しちゃうー!――って無邪気に浮かれてた。でも目を合わそうとしても彼の目線はあたしを素通りして隣の席の方へと向かってて、そこには菊池君の傍で笑う、菊池君の彼女さんの姿がいつもあった。いつだってそれを、優しい切ない目で、見てた。

 あたしの視線に気づけばやっとこっちに目を向けるものの、それは菊池君の彼女さんを見てたのとは全然違って、いつも通りの落ち着いた真野君で。

 勘違いなんかじゃない。けっして。


 好きだよとかこっちが云うばかりで、真野君はちっとも返事や同じ言葉は返してくれない人だった、けど。

 あたしがそれを口にするたびに、かすかに伏せて優しく和む目元も。

 じんわり、という感じに上がる口角も。

 繋いだ手にきゅって力がこめられるのも。

 あたしを好きなしるしだって、そう信じてたから、教室で視線が合わなくても疑うことなんかなかった。でもね、さすがに一月のおわり頃『やっぱりなんかおかしくない?』って、思いはじめるようになってた。

『気のせい気のせい!』ってそのたび打ち消したけど、それが毎日だもん、――気のせいじゃないって、しみじみ分かっちゃった。すっかりチョコの準備が出来上がって、後は渡すだけになってから。

 ひどいなあ。いつからなんだろね。怖くて、気づいてからも聞けなかったよ。『実は最初から』だったら泣けるし、『心変わりした』でも泣ける。

 だからいいの。なんにも聞かない。それは優しさとかそういうんじゃなくて、ただあたしがこれ以上傷付きたくないだけ。


 自分の分のお代をテーブルに置いて席を立ってドアに向かうあたしに、大股で近付いてくるスニーカー。

「あたしを一番に好きじゃない人なんて、いらない」と告げたら途端に足が止まるとか、ほんとひどいよなあ。

 背を向けて、静かに静かに、扉を閉めた。


 少しだけ高さのあるストラップシューズの底を鳴らして日の当たる大通りを行く。背を伸ばして。早足で。涙も、吹き飛ぶ勢いで。


 ――今度、恋する時は。

 全然あてもないくせに、歩きながらそんなことを思う。


 今度恋する時は、ちゃんとあたしを好きな人がいい。


 それはきっと、真野君じゃないけど。


―――――――――――――――――――


 あいつみたいに、素直に気持ちを表せたらいいのに、と思う。

 いつだって幼馴染な恋人にひっついて、その時どきの心のうちを惜しげなく湯水のごとくだだ漏らしている男を、つい羨望の眼差しで追ってしまう。

真野(まの)君』

 自分の彼女にそう呼ばれると、いつだってみっともないくらいどぎまぎして、平静を装うので精一杯の俺とはえらい違いだ。

 クラスメイトがいる教室でハグしたり、好きだと云ったり――自分には無理過ぎる。想像しただけで体中の血が沸騰しそうだ。

 なんで人前でもそんなにあけっぴろげなのか、聞いてみたことがある。するとだだ漏れ男の(とら)は、静かに空を指差した。

『星になってからじゃ、見守ることは出来ても声は掛けられないから。By母ちゃん』

 こいつの父親は、確か俺らが小学生の頃に亡くなった、という話だ。

『それに俺バカだから、云ったか云わないかすぐ忘れちゃうから、好きって思った時に云っておくんだ』と笑う寅の頭をぺしっと叩いたのは、奴の彼女の富岡《とみおか》さんだ。

『TPOを弁えてよね! 駅前のでっかい交差点で信号待ちしてる時に『好きだよ!』って叫ばれる身にもなってよ』

『えへへ』

『えへへじゃないよ、もう』

 富岡さんはため息を吐く。

『寅は真野君と足して二で割ると多分すごくちょうどいいけど、真野君はそんなのヤだよね』

『――いや、そうでも』

『そうなの?!』

 二人に同時に驚かれて、苦笑した。

『寅ちゃんちょっと真野君撫でさせてもらいなよ、そしたらこの落ち着きが少しは移るかもしれないよ』なんて真顔で云う富岡さんに唆されて、それを真に受けた寅が『う、うん俺がんばる』と俺の頭や肩をさする。力任せにごしごしやられながら、俺も寅を撫でさせてもらいたいと思った。

 もっと、彼女に素直な自分を見せたいから。


 自分は積極的な方ではなく、恋愛経験値も低い――彼女である寺田との付き合いも、向こうから告白してくれたから奇跡的に成立した。でなければ、思いが孵化することはなかっただろう。

 一年前、好きだ、付き合って欲しいと震える声で告げられて、うん、と返した。それだけで彼女ははちきれんばかりの笑顔になってくれたから、バカな俺はそれ以上を言葉にせずに、付き合いを始めてしまった。

 デートやクリスマスや誕生日。伝えるチャンスはいくらでもあった。でも勇気がなくて、『今度』『また今度』と先送りしてた。

 寅が、うらやましかった。俺はよく人に落ち着いてる、なんて云われるけど高校生男子がそんな訳あるもんか。表情が出にくくて腰が重いのを、みんないい方に捕え過ぎだ――きっと、寺田も。

 でもそこがいい、と頬を染めて云われてしまったら違うんだとは返せない。幻滅されるよりは、擬態でも好かれている方がいい、なんて一人で勝手に拗れて、そして。


『これ、作ったんだ。受け取って』と、中身がチョコレートだと分かる物を渡してくれるその顔は泣きだす寸前で、いつも明るい彼女が見せた初めての表情に、表情が出にくい俺もさすがに目に見えて動揺した。

『これで終わりにしてあげる』という言葉で、寺田を泣かそうとしているのは自分だと気づく。

『好き『だった』とかごめんとか、そういうのいらないから』と、わざと過去形を強調されて、彼女には俺の気持ちが醒めていると誤解されているのがようやく分かった。最後に放たれた『あたしを一番に好きじゃない人なんて、いらない』という言葉に、ガツンと頭を殴られた気になった。

 伝えることを怠っていたせいで、誤解させてしまった。

 寺田が一番だ、決まってる。でもそんなの、伝えなければないのと同じ。だから彼女は別れることを選んだんじゃないか。

 何か、云わなくちゃ。でもその何かを云う為には擬態をやめて、不器用な自分をさらけ出さなくちゃいけない。黙っていても口を開いても、結局幻滅される気がして、この段に来て迷ってしまう。それでもなんとか勇気をかき集め、本当の気持ちと、寺田に好かれている『落ち着きのある俺』像が目くらましであることを伝えようとしても、――もう遅かった。

 静かに、ドアが開いて、閉まる。彼女の気持ちと同じに。


 仕方ない。自分が悪い。全て。

 思いもよらない結末を受け入れる為に、すっかり冷めてしまったコーヒーに口を付けて苦い液体を少しずつ飲み下す。でも、カップの中身は減っていくのに、どうしてもこの現実を受け入れる気には一向になれない。そうこうしているうちに、電話がかかって来た。もしかして寺田からかと思って慌ててディスプレイを見てもそんな都合のいいことが起きる筈もなく、――実際は寅からだった。

「――もしもし」

『もしもしー、真野ちんなんか元気ないね、どした?』

「今さっき、寺田と別れた……」

『はぁぁぁぁぁぁぁ?』

 電話の向こうで、寅が絶叫し、『うるさい!』って多分傍にいた富岡さんに怒られている。

『なんで? どして? 真野ちんなんかしたの?』

「――なんも、しなかったから」

『へ』

「好きとか、一度も云えなかった……」

『なんで? 好きって云ったら死んじゃうの? 大変!』

「いや、死にはしないけど」

 その言葉がイヤミじゃないって分かってるだけ、言葉は余計にキツく感じた。

 少しの沈黙。寅の方から口を開いた。

『真野ちんや』

「何」

『今すぐダッシュ』

「どこへ」

『決まってるでしょー? 彼女んトコ!』

「――もう遅いよ」

『それを決めるのは寺田さんだよ。それとも、別れるって云われたらもう好きじゃないの?』

「好きだよ、決まってる」

 店の中だったので、怒鳴りたいのを堪えてそう返すと、『だよねえ』といういつも通りの寅の声。ささくれ立った心が、少しだけ宥められる。

『ね、真野ちん、もし寺田さんに『やっぱりもうムリなの』って云われちゃうとしても、云ってごらんよ。一年付き合ってたんでしょ、一度も伝えないなんてそりゃないよ』

「――でも」

『デモデモダッテは伝えて玉砕した後にいくらでも聞いてあげる! 今すぐ走れ!』

 珍しく命令口調の寅の言葉に、大きく背中を押された。

「サンキュ」と短く伝えて、彼女が置いて行ったお代をジーンズのポケットに押し込み、もらったチョコをリュックにしまって、レジで会計を済ませた。そして、走る。


 云いたかった。云えなかった。そしたら、誤解されたし傷付けた。

 もし、もう気持ちは間に合わないとしても、誤解を解くことや傷つけてしまったことへの謝罪は出来るかもしれない。寺田の為に。――彼女をまだ好きな、自分の為にも。


 寺田が店を出たあと、どこへ行くかなんてもちろん聞いちゃいない。でも。 

 この道は公園に続く一本道。ここの通りが好きだといつか云っていた。デートや学校帰りに何度も足を延ばした。公園には、彼女お気に入りのベンチだってある。

 ここがハズレだったとしても、駅前の跨線橋や、デパートの屋上や、好んで通っているお店だって知ってる。彼女の家だって。そこを片っ端から当たればいい。

 怖い気持ちはまだ心のど真ん中に居座ってる。でももう、それだけじゃなかった。


 公園の奥の、大きな池。暖かい季節には白鳥ボートで賑うそこだけど、まだ暦の上で春になっただけにすぎない今、ボートは営業を休止しているので鴨たちが悠々と浮かぶばかりだ。

 池の側に設置されているベンチで、寺田は腰かけていた。――走っていたせいで上がってしまった息を整えた後、何度か深呼吸をした。

 いつもより小さく見える背中に、一歩ずつ近づく。逃げ出さないように、静かに。

 残り一メートルのところで立ち止まった。

「――寺田」

 俺が呼びかけても、まるで聞こえないように微動だにしない背中。そんなことで簡単に傷つきそうになるたび、『逃げ出されないだけマシだ』といいように変換した。

 わざと足音をさせて、距離を詰めていく。それでもやっぱり、寺田はベンチから動こうとしない。

 とうとう、寺田の真後ろに到着した。座る彼女を後ろから囲うように、ベンチの背もたれに両手をつく。


 妄想の中でなら何度だって云えた言葉。でも、実際には云えずにいたこと。

 今さら言葉にしてどうなる。信じてもらえないかもしれない。

 そんな気持ちをねじ伏せて、ようやく声にした。

「好きだ」

「嘘」

 間髪入れずに返ってきた言葉に怯んでる場合じゃない。

「ほんとに」

「じゃあなんで、いつも富岡さん見てたの」

「俺が見てたのは、寅だよ」

「嘘」

「ほんとに。――あいつが、羨ましかったから」

「――それって、富岡さんが好」

「違うって!」

 俺の声で、頑なに向けられたままの背中がびくりと震える。

「――ごめん、デカい声出したりして。でも、ほんとだから。何で羨ましかったかって云ったら、あんな風に素直になりたいけどなれなかったから」

「なんで」

「俺が、意気地なしだから」

「嘘」

「ほんとに。今だって、手震えてる」

 それでようやく彼女の頭がゆっくりと動き、背もたれにある俺の手を見た。赤く潤んでしまった目が、ふっと柔らかく細められる。

「ほんとだ」

「カッコ悪いだろ。小心者で、なかなか気持ちも伝えられなくて、ちっともどっしりと落ち着いてなんかないよ」

「嘘」

「ほんとに」

「だって、何かあってもあたふたしないし、じっくり考えてから行動に移すじゃん」

「顔に出にくいだけ。どうしようどうしようって頭ん中であたふたしてるから動くまで時間がかかる」

「――じゃあ、それは信じる、けど」

 ふいと、せっかく見せてくれていた横顔が真正面に戻ってしまう。

「あたしがデートにどんなかっこして来てもノーリアクションだった」

「ごめん、いつも、――みとれてた」

「! そ、そんなこと云ったって今更信じられないんだからね!」

 早口で一息に告げてから俯く後頭部。さらさらと肩までの髪が前に落ちて、覗いたうなじに触れたいと思いつつ口を開く。

「ピンクの、リボンのブローチ」

「え」

「修学旅行で、ブレザーの胸元に付けてた」

「……」

「デニム生地のひらひらした膝上のスカート。初デートの時、歩くたびに裾が揺れて、そればっか目で追っちゃって、寺田に気づかれたら幻滅されるって思って、困った」

 俺がそう云うと、息を飲む気配。顔が見えないので、引かれているのか喜ばれているのかは分からない。でも、云う。伝える。そう自分を奮い立たせて、大きく息を吸って。

「っ、! イテ」

「どしたの!」

「――舌噛んだ」

 座ったまま体ごと勢いよく振り向いた寺田の目には、涙目で情けない顔の俺が映っているのだろう。堪える間もなく吹きだしてから、「ご、ごめん」と謝ってきた。

「いや」

「……」

「さっきの続き、云ってもいい?」

「……うん」

「とにかく、寺田はいつだって、――か、」

「また噛んだ?!」

「だ、大丈夫」

「……」

「……」

「……『か』、続き、何?」

 焦れた寺田に請われて、ようやく蚊の鳴くような声が、出た。

「か、」

「それはさっきも聞いたのよ」

「――わいかった、です」

 それだけ云うのに、えらい時間がかかってしまった。『好きだ』は必死だったのでなりふり構わず云えたけど、『か』で始まるその言葉は、少し焦りが落ち着いたら今度は羞恥心が舞い戻ってしまって、本当になんとも口にしづらかった。

 それでも。

 伝えられる。聞いてくれてる。それがなんて幸せなことかは、よく分かった。

「不甲斐ないせいで彼女泣かして、どうしようもない」

「ほんとにね」

「でも、やっぱり寺田と別れたくない。付き合ってたい、です」

「やだ」

「――」

「って云ったらどうする? っていうイジワルだったのにそんな全身でしょんぼりされたら罪悪感覚えるじゃん!」

「――今の、嘘?」

「嘘」

「よかった……!」

 顔はやっぱりそれほどあんまり動じてないっぽい。でも、安心してその場にへたりこんだ俺を見て「ださ」って云いながら、優しく笑ってくれた。

 それだけで俺はこんなに嬉しい。

 ばさばさと羽音がしたのを聞いて、ふたりで同じ方を見る。鴨が飛び立ち、数メートル先の水面にまた着水していた。


「いつまでも地べたにいないでここ、座って!」と寺田が空いている座面――彼女の隣――を手のひらで叩いて示したので、おずおずと立ち上がり、並んでベンチに腰かけた。

「まったくもうばかみたいだね」

「――ごめん」

「あたしも、ばかみたい」

「そんなことない」

「あるよ、付き合ってるのにほんとの真野君に気づけなかったもん。今まで、何を見てたんだろうね」

 ぽつりとそう零してから、ゆっくりゆっくりこちらを見上げた。

「勘違いしてて、ごめんね。これから、ちゃんと見るから」

「うん」

「でも勘違いしてないとこもあると思う、ほら、お年寄りに親切だし、人の悪口とか云わないしさ!」

「――うん」

 こみ上げてくる感情。それをいつもみたいに我慢しないで、でも寺田の顔は見られなくて、やっぱり池の鴨を見ながら、小さく小さく「好き、だ」と口にする。

 言葉が返ってこなくて、不安になって、ちら、と彼女を見ると。

 笑ってる。でも、笑った目元から涙が零れてる。一粒、二粒。

 手を伸ばしかけて、自分の指は荒れ放題でガサガサなことと、出がけにリュックに入れてきたハンドタオルの存在を思い出した。でもリュックの中はおろか、コートのポケットにもジーンズのポケットにも見当たらなくて思いきり慌てていたら、「――ほんとだ、顔は動揺してないけどけっこう落ち着きないや」って、結局自分で涙を拭いた寺田が、赤い目のままで笑った。


 この日、彼女が身につけていたのは短い丈のダッフルコート。初詣にも着ていたやつだ。

「それ、すごく、似合ってる」と伝えられたのはその日の帰り際で、その一言を告げるのでさえもさんざん時間がかかったけど。


 彼女は、擬態じゃない俺に呆れつつ、それでも嬉しそうに「よく云えました」と褒めてくれた。


―――――――――――――――――――


 カンチガイして真野君といっしょにテーブルへ置き去りにして来たお茶代は、仲直りしたあと「ごめん、すっかり忘れてた」という謝罪と共に、すっかり温まった温度で返ってきた。

「いつも割り勘だからいいのに」

「今日はお詫びも込みだから」

「――ん、分かった」

「もちろん、これでチャラにしてもらったとか思ってないから」

「うん」

 誤解でした、仲直りしました、アイムハッピー。

 なんて今日の今日ではまだ手放しで喜べなくって、多分自分の中では忘れられないこと。真野君はどうだろって思ってたら、なんか結構反省してくれてるみたいだ。まじめなとこは、『ほんとの俺』も変わんないね。真野君のそういうとこ、やっぱり好きだな。今日の今日は、まだそう思っちゃうことがちょっと悔しくもあるんだけど、それでも。


 繋いだ手の、あったかさだとか。歩く速さがあたしにちょうどいいだとか。

 嬉しいと思っちゃうんだもん。どうしたって。



 そんなビタースイートなバレンタインデー以来、ものすっっっごい時間をかけながら、真野くんは顔にはあまり感情が出ないまま、照れて、悶えて、それでも。

『今日の服も、……似合ってる』

『好き、だ』

 ――等々、頑張って伝えてくれている。ぎこちなく手渡される言葉は、普通に云われるより破壊力があると思い知った。聞いてるこっちにまでぎこちなさが伝染して『あ、りがと』ってなっちゃうよ。

 それは私だけじゃなく、教室で居合わせた菊池君もそうだったようで、「やだ……なんか俺、真野ちんにドキドキしてる……」と潤んだ瞳で真野君を見るし、真野君は真野君で「寅、俺にお前の素直さ分けて」って真面目な顔して美少年の頭を撫でるし、美少年も「う、うん、好きなだけいいよ」って大人しく撫でられてるし、なんなのこの人達両思いなの。

 呆れてたら彼女さんが「寝言は寝ても云うな」って菊池君のかたちのいい頭をスパーン! ってはたいて、「真野君、寺田さんにまた誤解されたいの?」って冷やかに言い放ってくれた。そのあまりのカッコ良さに「惚れてしまうわ……」とうっかり呟けば。

「だめ!!!」って真に受けた男子二人がハモったもんだから、女子二人で大笑いしてやった。

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