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如月・弥生  作者: たむら
season1
27/41

チョコレート対決(後)(☆)

 涙が出た。ばかみたいこんなの。笑いたい。でもちっとも笑えない。

 暗い商店街をめちゃくちゃに走って息が切れたところで立ち止まり、そのまましゃがみこんだ。

 拳がじんじんする。あの局面で『この人はお店に出ることもあるんだから』と顔をとっさに避けたのは我ながら偉いと思う。じゃあ腹なら殴っていいのかと云われれば否だけど、だけどでも。

 あんなひどい返事ってない。一〇〇年の恋も冷めるレベルだ。そう思うのに。


 どうして冷めてくれないの。冷めてよ。もういいよ。

「……う――っ……」

 怪我した動物みたいに唸りながら泣いた。

 今の自分はまるで消しゴムのかすだ。おろし金のような立木さんに三回も挑んで、その都度こんなで、もう心なんて全部すり下ろされて粉々だよ。

 早く家に帰りたい。部屋に閉じこもりたい。そう思ってるのに、足が立ってくれない。

 ぐずぐずそこで泣いていたら、「柘植ちゃーん?」と、恐る恐るな感じの馴染んだ声が降ってきた。

 上を向くと、いつのまにやら現れた大矢君がもの凄く困った顔をしている。

「どした? とりあえずここは寒いから、うちのお店来なよ」と云うその声に、やっと立ち上がる力をもらった。

 のろのろと立って、のろのろと歩く。そんなでも大矢君は苛ついたりしないで、「行こ」って何でもないように云う。

「さっきさー、ナオさんと織枝さんと『そろそろ帰りますかね』って話してたら、カッツンカッツン走ってるヒールの音が聞こえて来てさ、なんだ? って思ったら柘植ちゃんがものすごい勢いで店の前通り過ぎたから、ナオさんが『大矢君、追いかけて』ってコマンド下して、それで俺が探しに来て発見したって訳さ」

 聞いてもいないのに、そんなことを教えてくれた。ご陽気なだけでなく、優しいね。

 なのに、泣き止まなくてごめんなさい。

 しゃくり上げる合間につぎはぎでそう伝えたら、「いいのいいの気にしない」と頭をポンポンしてくれた。

「大矢君が、お兄ちゃんだったら、いいのに」

「いいよ、柘植ちゃんかわいいから」

 実家を出たきりふらふら放浪しているらしい兄とは全然違うのに、優しいところがちょっと似てる。にこにこな横顔にそう思った。


 お店に再び足を踏み入れると、ものすごく心配そうなナオさんと織枝さんに迎えられてしまった。

 何も聞かれずに、温かいコーヒーがそっと置かれる。

「飲んで。あったまるから」

 ナオさんに声を掛けられて、口を付けた。でも心の芯まで冷えてしまって、ちっともあったまりはしなかった。


 お店のドアをコン、と一回ノックする音が聞こえた。すぐに大矢君がドアを開けて、「すいませーん、もう閉店なんですよ」と声を掛けると。

「悪い、うちの柘植が来てないか?」

 ――切羽詰まった様子の立木さんの声に、思わずびくりと体を震わせてしまうと、織枝さんがそっと手を握ってくれた。

「来てますけどー、もしかしなくても彼女泣かせたのって立木さんですよね?」

 珍しく感じ悪く大矢君が云っても、立木さんはムッとすることなく「いるなら、いい」とほっとした様子で返事をするとそのまま出て行こうとする。でも私の突いたところが痛むのだろう、お腹を押さえて顰め面した立木さんを見るとナオさんがやれやれと云いたげにため息を吐いて、「――少し休んで行って下さい」と引き止めた。


 それから一〇分後。

 立木さんは入口に一番近い席でナオさんと大矢君から、私は一番奥の席で織枝さんから、それぞれお腹と拳の手当てを受けながら、事情を聞かれた。

 熱を持っていた拳に、氷を入れたビニール袋を当ててもらった。お腹には当てづらいから、多分立木さんは湿布だ。

「まさか本当にこうなるなんて……余計なことを云ってごめんなさいね」と謝る織枝さんに、「織枝さんは、悪くないです」とようやく伝える。まだ涙は止まらない。泣きすぎて頭が痛い。

「大矢君も、ナオさんも、ごめんなさい」

 もう帰るところだったのに引き止めてしまって。そう思って謝るけど「大丈夫ですから気にしないで」とナオさんは優しく笑ってくれた。大矢君も手をひらひらさせてくれている。

 あの人には謝らない。まだごめんなさいって云えない。拳で突いてしまったんだから云わなくちゃいけないの分かってるけど。

 姿も見たくなくて、入口に背を向けるように座った。

 そんな私のところにとことこと大矢君はやってきてしゃがむと、テーブルに両手をちょこんと乗せたまま、私に話しかけた。

「ねえ柘植ちゃん、俺と付き合おっか!」

 その提案に驚いていたら、ぎょっとしたような声で立木さんがナオさんに云った。

「おい、お前んとこの従業員が何かふざけたこと云ってんぞ」

「いいんじゃないですか?」

 ナオさんはさらりと返す。

「子供じゃないんだし、つきあうつきあわないは本人たちの自由ですよ」

 ――どういうことだろう。困っていると大矢君が、立木さんに見えないようにこっそり『しーっ』って唇の前に指を当てている。

「よし、ナオさんのオッケーが出たことだし、じゃあそう云う事で、どう?」

 いつの間に書いたのか、目の前にメモ紙が差し出されて『大丈夫だから、頷いて』と書いてあったので、何も考えずにこくりと頷く。

「うん、よろしくー」

 手を取られると、すかさず恋人繋ぎにされた。

「暖かくなったらTDL行こー。俺ね、彼女と二人でお揃いのカチューシャ付けて歩くのが夢なんだ」

 にこにこと語られる未来図はひたすら楽しそうで、やっとくすりと笑えた。そんな私を見て大矢君はほっとした顔で「ん、かわいーね」と云ってくれた。多分涙でぐちゃぐちゃでちっともかわいくなんかないだろうにね。

 恋人繋ぎにデートの約束に「かわいい」。お付き合い宣言からまだ数分しか経っていないのに、大矢君はたくさん嬉しい言葉をくれた。

 この人を好きになったら、幸せなんだろうなあ。本当にそう思う。

 なのに心は一ミリも動かなかった。


「さ、じゃあ幸せな俺たちは帰ろっか。あ、帰るって云っても駅で解散―じゃなくって、俺んちおいで。今日、帰さないからね」

 さすがにそれは。と思っていたら、ちっとも恋で浮かれた様子のない目の大矢君がまた『頷いて!』と声には出さず口だけ動かしてきたので、いいのかなと思いながらまたこくりと頷いた。

「それじゃ、ナオさんまた明日お願いしまーす。織枝さん、立木さん、お先でーす」

 そう云って大矢君に手を繋がれたままお店を出ようとすると、後ろから突然もう片方の手首をがしりと掴まれた。

「……やめて下さい」

 自分でもびっくりするほど低い声が出た。なのに。

「行くな」

「離してください! 離して!」

 めちゃめちゃに振っても、立木さんに掴まれた手首は離れなかった。すると、大矢君も繋いだ手を強く握り直して、立木さんを睨む。

「ちょっと、人の彼女に何してますかね。手、離してくださいよ」

「うるさい!」

 大岡裁きのように二人に手を引っ張られながら一触即発の雰囲気に戸惑っていると、「立木さん」とナオさんの静かな声がその場を収めてくれた。

「柘植さんに、云う事がありますよね」

「……苦手なんだよ」

「は?」

「男が、愛だの恋だの云えるか!」

 噛みつくようなその立木さんの言葉さえ、ナオさんはにっこりと切り捨てた。

「俺は云って、正々堂々アプローチしましたよ」

 ね、と織枝さんに話を振れば、彼女は顔を少し赤くした。あー、と大矢君が可笑しそうに笑う。

「ナオさん、織枝さんが初めて店に入った時、持ってた空のバットを床に落としたりめっちゃソワソワしてたー! なのに、お会計済ませた織枝さんが店を出たらすぐさま追いかけてデートに誘ったんですよね。そりゃもうドラマかっつう潔さでしたよ」

「別にそれを真似しろとは云いませんけど」と、さすがに恥ずかしそうにナオさんは言葉を継いだ。

「でも、云えない理由を『男だから』なんて云うカッコ悪い立木さんは、見たくないです」

 優しげなナオさんが、静かに怒っている。

「男なら、――女の子を泣かしてる場合じゃないでしょう?」

 とん、とナオさんの拳が、立木さんの胸の当たりを軽く叩いた。

「あとは二人で、立木さんのお店で話してください。俺たちも、もう帰りますから」

 その言葉で、私の手を包んでいた大矢君の手がすっと離された。それからドアを開けて、「またね」と小さく手を振ってくれたから、私も何とか笑顔を向けて、手を振り返した。


 無言のまま、お店の方に歩き出す。手首を、掴まれたままだった。歩きながら、何とか逃れられないかと捻ってみたり振り払おうともがいてみても、がっちり掴まれた手首はびくともしなかった。そんな風にして振り返りもしないで立木さんは前を歩いているのに、そのスピードは明らかに私に合わせた速度で、そんなとこが好きなんだとこの局面になってさえまだ思う。ただし、じくじくとした痛みを伴って。

 店の裏口のドアの前に立つ。

 鍵を開けようとしたら、立木さんが「――空いてる」とだけ云って、無施錠だったそこに入って行った。そして連れて行かれる先は、廊下も厨房もどこもかしこも電気がつけっぱなしだった。

「立木さん」と声を掛けると、ばつの悪そうな顔をしている。

「お前がこん中にいるか探し回って、いなかったからそのまま外に出たんだよ」

「駄目じゃないですか! 電気代勿体無いし、お店の事務所には金庫だってあるんですよ!」

「悪い」

「それに、」

 続きを云うのは、辛い。それを振り切るように明るく振る舞った。

「ただの従業員を、そこまでして追いかける必要なんかないです」

 立木さんの手が、一瞬緩んだ。その隙に、するりと抜けだした手首を擦る。掴まれていたあたりは、ほんのりと赤くなっていた。それも、きっと明日になれば消える。

 だから、今はまだ痛いけど、いつかはきっと忘れられる。

「柘植、」

「もう、いいですから」

 心はまだじたばたしているけれど、恋については諦めがついた。ようやく。

 要するにこの人は『おう』以外の言葉で答える気なんかないんだと、ナオさんとのやりとりで分かってしまったから。そんな程度なのだ、私の存在なんて。

 さすがに――堪えた。バイトを辞める、と決めた程度には。

 だからと云って無断欠勤のなれの果てで辞めるのも、突然『辞めます』って来なくなるのも無責任すぎるし、丸二年勤めていたから恋心を差し引いてもお店には愛着がある。徐々にシフトを減らしてフェードアウトしよう。そう決めた。


 ナオさんは二人で話すように云ってくれたけど、話したいことは消え失せてしまっている。

 大矢君も、多分立木さんがその気になるようにアレコレ焚き付けてくれたのに、申し訳ないなあ。

 店内をぐるりと見渡す。

 ここのお店の、ケーキもタルトもパイも焼き菓子も、みんなみんな好きだった。

 サンタガールをしていた時、寒かったらすぐにベンチコートを着ろとかカイロを貼れとか、口うるさく心配してくれるのが好きだった。寒くても我慢しろなんて一度だって云われたことない。キレてもおかしくないほど忙しい時期だったのに、疲れた顔してたくせに、私のばか話にいつも付き合ってくれるのが好きだった。

 店長はキツい、とこぼすバイト仲間や、言動のキツさについて行けずに辞めていくバイト仲間に、それは自分の作る物とこのお店にプライドを持っていて、サービスもそれに見合ったものを提供して欲しいと思うからだよと云っても『柘植ちゃんは人が良すぎる』と怒られもした。

 試食で食べさせて貰った新作や、その日に残ったケーキを持ち帰らせてもらっても、『おいしかったです!』っていつもそれしか云えない私に、『当たり前だ、俺が作ってんだから』とふてぶてしく云いつつ、どこか嬉しそうな立木さんが好きだった。

 まだちっとも過去じゃない気持ちに過去形を嵌めていく。

 そうやって扉を一つ一つ閉めていくように、思いを封印しようとする。無駄だって分かっていても。

「――帰ります」

 そう云うや否や、またさっきと同じところを掴まれた。

「あの、それじゃ帰れません」

「まだ帰るな」

「困ります」

 せっかく人が心の折り合いを付けようと必死になってるのに、これは何なんだ。

「ここに、いてくれ」

 初めて聞く懇願だった。


 イートインコーナーの椅子に腰掛けた。立木さんも、まだ私が食べたフォンダンショコラのお皿がそのまま残っているテーブルの向かい側の椅子を引っ張ってきてすぐ横に座っている。

 何云われるんだろう。耳を塞いでしまいたい。だっていいことは聞かせてもらえないって、イヤと云うほど分からされた。これでもまだ希望的観測を持てる程前向きじゃない。


 実際には大した時間じゃないんだろうけど、私には冷蔵庫から出したバターが柔らかくなるくらいに思える沈黙の末、立木さんがようやく重い口を開いた。

「俺は、あのギャルソンじゃねえ」

「……知ってます」

 何云ってんのかなこの人。私が隠さず顔に出すと、立木さんも思いきり顰め面をした。

「俺は、あいつみたいに口がうまくないって事だよ」

「それも知ってます」

「言葉も、キツい」

「それも、よ――く知ってます」

 だいぶ慣れはしたけれど、はじめのうちは言葉でガンガン殴られるように傷付いたものだ。

『飲食店なんだからきちんと髪を結べ』って云えばいいのに、『お前はおかーちゃんに髪の結び方も教わってねえのかよ』はないよね。何だこの人と困惑していた頃の事を思い出し、くすりと笑った。立木さんは決まりが悪そうに私から目を逸らす。それから、云いにくそうにぼそぼそと話し出した。小学生の男の子が、自らのしでかした悪いことを告白しているみたい。

「言葉で伝えるのは、苦手だ。どうにもなんねえ。だから言葉の代わりに、自分の作るもんに、心を込めてる」

「……だから、あんなにおいしいんですね」

 立木さんの大事な秘密を知ってしまった。

「……おう」

 あ、少し笑った。照れてもいる。

 その瞬間、ピンとひらめいた。もしかして、あの時もあの時もこの人――

「照れてたんですか!?」

「ああ? なんだよ急に」

 さっきまでしょげてたのに勢いよく身を乗り出して話す私に、立木さんが気圧されている。

「私が告白した時、『おう』って云ってたの、照れてたの?」

 そう聞くと、明らかに言葉に詰まった様子を見せ、ぶんっとそっぽを向いて、「知るか!」と一言叩きつけるように云った。

「教えて下さい! イエスかノーでいいから!」

「ノーコメントだ!」

「云って!」

「云わねえ!」

 ぎゃあぎゃあと、立木さんにつられて私まで小学生の女子みたいに、ついムキになってる。迫る私をあくまで撥ねつける立木さんに、また悲しくなる。涙を堰き止めていた門も、散々泣いた今日は簡単に決壊してしまう。

「……云ってよ……」

 私が泣くと大木さんがぎょっとしているのが分かる。ざまあみろ。人の気持ちをないがしろにしたんだから、せいぜい困ればいいんだ。

 とはいえ、いつまでもあふれる涙をそのままにはしておけない。ハンカチか、ティッシュを出さなくちゃ。片手は相変わらずがっしり掴まれていたから、片手で膝の上のバッグの中を漁った。そしたらバッグが倒れて床に落ちる。

 慌てて椅子から降りると、同じく椅子から降りて膝をついた立木さんに手首を引かれた。そのまま抱き込まれる。

「離してください」

 本当は嬉しいのに何でこんなこと何回も云わなくちゃいけないんだ。

「嫌だ」

「気持ちを教えてくれないなら、離して!」

 そう、云ったのに。

 濡れた頬は、コックコートの胸にますます押し付けられた。そのせいで、耳が立木さんの刻む大きな鼓動を聞き取ってしまう。私を宥めるように優しく頭を撫でる手に、私を囲う腕に、意味を見出してしまう。

 ――ずるい、こんなの。

「これで、分かってくれ」

「……分かってあげたくなんか、ない」

 私が返すと、頭の上で少し笑う気配がした。

「柘植」

「……はい?」

「さっき、作るもんに心を込めてるって云ったろ?」

「はい」

「俺は、いつもお前に『おいしかったです』って云われたくて、作ってる」

 ずるい。ずるいずるい。

 心を込めてるって云ってた内訳がこれだなんて。もう、気持ちを伝えられたも同然だ。

「立木さん、」

「ん?」

 聞いたこともないような優しい声に、えいっと勇気を出した。

「私のこと好きなら、ぎゅってして下さい」

 云い終る前に、強く抱き締められた。

 手放したつもりの思いは、ひとかけらも零れてなんかいなかった。

 私はやっぱり立木さんのことが大好きで、立木さんも私のことが、どうやら好きみたい。

 あんなに憎まれ口をたたく人なのに云わなくちゃいけないことが云えないなんて、ほんと困った人。でも立木さんだからしょうがないか、と思いながら、コックコートから漂うバニラとバターの匂いで幸せな気持ちに浸った。


 ちょっとするとお互いに猛烈に恥ずかしくなって、同じタイミングでそっと体を離した。そして。

「なんで、もっと早く教えてくれなかったの」

 詰る口調になるけど、いいよねこれくらい。

「……俺は店長で柘植はバイトだろ。手なんか出せるかバカ」

「じゃあ、なんで今、手出したの」

「……おまえが、あのギャルソンといるのが似合ってて、」

 壁に貼られた『今月のおすすめ』と書かれたポップを親の仇のように睨んでいた立木さんが、一瞬口を噤む。それから。

「それがすごく嫌だったんだよ!」

 それだけ云ってすたすたと更衣室へと歩き出してしまう。慌てて追いかけた。

「え、立木さん?」

「着替えしてから送るから待ってろ」

 そう云うと、目の前で更衣室の扉を閉められた。

「まだ聞きたいこといっぱいあるのに!」

「今日はもう無理だ」

「けち!」

「ガキかよ」

 扉越しに笑う声に、また泣きそうになる。でも今度のは悲しくてじゃない。

 ちょっと目を潤ませていたら、着替えをして出てきた立木さんを大いに慌てさせることに成功した。


 約束通り、立木さんの車で家まで送られることになって、駐車スペースまで並んで歩いた。すると、さっきまでは気が付かなかったけど、いつも姿勢のいい立木さんが、まだ少し前かがみになってる。

「ご、ごめんなさい」

 今更だけど、謝った。立木さんは、「いや、俺がはっきりしないのが悪かったんだから気にすんな」と、頭を撫でてくれた。

「でもすげえ効いた。柘植、空手かなんかやってたのか?」

「お兄ちゃんが習ってて、以前ちょこっと遊びで教わりました。もうしません」

 恐縮していると、「ああ、俺ももう喰らわないように気を付ける」と憎まれ口半分で返された。


 車の中で約束を交わす。

 言葉で云えないなら、その代わり分かるように態度で示して欲しい、マシンガンみたいに連射で聞いたりしないから、私が立木さんの気持ちを聞きたい時はちゃんと教えて欲しいと。

 立木さんは最初渋っていたけど、「それが守れないならお付き合いしてあげません」と私が告げると、焦げたクッキーを齧ったみたいな顔して「……おう」って云ってくれた。


 こうして、立木さんと私のお付き合いは始まった。

 約束通り、言葉の代わりにと頻繁にハグされる。贈ったトリュフの感想を聞いた時も、ご馳走になったフォンダンショコラの意味を聞いた時も、改めて「好き」って伝えた時も。

 二人で外を歩く時には手繋ぎが標準装備になった。言葉はくれないのに、変な人。

 そんな気持ちで見上げたら、やっぱり理解されてるみたいで、「変なのが寄りつかないようにしてんだろ」とそっけなく云われた。


 ナオさんのところには、翌日こちらのお店の閉店後に早速二人で訪れた。もちろん手を繋いで。お付き合いすることになったと報告すると、ナオさんも大矢君も自分のことのように喜んでくれた。

「面倒掛けて、済まなかった」と、立木さんがお詫びにと持参したフィナンシェをナオさんに手渡している間、私と大矢君はハイタッチでの大騒ぎだ。

「柘植ちゃん、早くみゆさんと織枝さんにも教えてあげなよ! すっごい気にしてたから」と促されて、慌てて二人にメールすると速攻でおめでとうメールが返ってきて、またそれを喜んでくれた大矢君とハイタッチを交わした。

「お前ら、はしゃぎすぎじゃねえの」って立木さんが照れ隠しにそんな風に云えば、大矢君が「だって柘植ちゃん、俺らの妹ですもんね」と云って、ナオさんも「そうですよ。ですから、今度泣かせた時には兄として容赦しません」と、包丁を手にしたままにっこり笑った。

「お前どんだけ愛されてんだよ」と呆れる立木さんに、「でも一番愛してくれてるのは立木さんだって知ってますから」と返すと、たちまち顰め面になる。

「愛の告白されて顔顰める男ってどうなの柘植ちゃん」

 にやにやと聞いてくる大矢君。

「照れてるんです、かわいいでしょ?」

 私がそう云うと、立木さんは「勝手に云ってろ!」とコーヒーをガブガブ飲んだ。

 それ見て、ナオさんも大矢君も私も笑って、それでさらに仏頂面になった立木さんのご機嫌を宥める為に後でたくさんキスしたのは、二人だけの秘密。


大矢君はこちら→ https://ncode.syosetu.com/n4804ce/16/

立木氏ほんのちょこっと登場→ https://ncode.syosetu.com/n0063cq/19/


14/05/21 誤字修正しました。

14/05/22 一部修正しました。

14/10/13 一部修正しました。

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