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如月・弥生  作者: たむら
season1
22/41

サヨナラホームラン(☆)

「クリスマスファイター!」内の「さよならトランペット」から三年後の二人の話です。

 短大を出てもうすぐ社会人二年目だから、高校を卒業してからもう三年経ったのか。在籍したのとおんなじ分だけ時が過ぎていることに驚く。


 時折、わあっと大きな声や、おめでたい報告でもあったのだろう、拍手が会場のそこここで上がる。私は壁に寄り掛かって、なんとなくボーっとしながらそれらを聞いていた。

 今日は、年イチで行われる高校のクラス会。同じく年イチで自分たちの学年全体の集まりも開かれるから、大体半年に一度は懐かしい顔に会える計算になる。――ただ一人を除いて。

 クラス会の会場は毎回、地元のこのイタリアンレストラン。オーナーが高校OBなので、ちょっと会費をまけてくれたり、少々うるさくしてもかまわないよと云ってもらったりと、大変ありがたいお店だ。

 慣れない高さのヒールの靴を履いてきてすっかり足が痛くなってしまった私は、友人にそれを呆れられつつ一旦おしゃべりから戦線離脱して、壁際に並べられた椅子の一つに腰掛け白ワインを飲みながらまったり過ごしているところだ。

 キリッと冷やしてある甘口のワインは口当たりがいい。気を付けて飲んでいたのだけど、ちょっといい気持ちになり過ぎちゃったかな。酔いの海にぷかぷか浮いているような酩酊感。

 空になったグラスを持て余していたら、店員さんが引き取ってくれた。お礼を云って渡す。おかわりは、と聞かれてやんわり断った。

 空調の効いている店内は、二月だと云うのに暑い位だ。かくいう私も、彼に見てもらえるかも、なんて叶う可能性が極めて低い望みを捨てきれず、半袖のピンクのニットにフレアの膝上丈のスカートにヒールの靴と云ういでたちでここへ来てしまった。待ち合わせ場所での友人のにやにや笑いには毎回のことながらヘンな汗が出る。私の思惑なんて、周りの人たちにはお見通しらしい。分かってても知らんふりして欲しいなあ! と切に思う。

 いつも胸を一人で高鳴らせて、会場に着けばまずそのデッカイシルエットを目で探してはがっかりして、遅れて来る人の中に野原(のはら)君がいやしないかといちいち入口に目をやって、――終わる間際でようやく諦めて、毎回友人たちに手荒くお酒で慰められてた。

 そんな過去五回の勝負は、〇勝五敗のボロ負けだ。そのたびに、めったに登板機会を与えられない服と靴が増えていく。それでも、もし万が一会えた時には、もっさりした冴えない私よりちょっとでもかわいい私を見て欲しくてそうしてた。

 こんな気持ちは、はたして恋なのかな? 未だに自分でもよく分かっていない。

 卒業するまでは確かに恋だった。でも、会わなくなってもうすぐ丸三年になる相手に寄せる思いに、勝手な願望やありもしなかった過去を肉付けしていないって誰が云えるだろう。

 だから、怖い。未だに野原君以上に好きになれる相手がいなくて、まだ初恋の続きを一人で歩いているようなのは。

 誰かが手を引いてくれたらいいのに。でもその誰かは私の中では一人だけ。

 ここにはいない人。デッカくて失礼で優しい人。でも、もう手が届かない人。

 涙が滲んでしまいそうだったから、喧騒に誘われるようにゆっくりと目を閉じた。


 まだ学生さんもいるし、社会人三年目の人もいるので集まりはいつも雑多な雰囲気だ。

 そんなクラス会、もしくは同期会の日程を聞くたびネットで調べては、野原君の所属する球団の試合と日時が丸被りである事を確認し、落胆した。それでも毎回、雨が降って試合が中止になったら、とか、あっという間にゲームセットになって駆け付ける、とか、どうしても妄想してしまうのを止められなかった。もれなくがっかりが付いてくるのにね。

 今年のクラス会の幹事の男子は、野球部の子。そのせいだろうか。

 今回伝えられた日程は、試合のある日だったけどデーゲームで、それももうこの時間には終わっている筈だった。


 あんなに会いたかったのに、いざ会えるかもと思うと急に落ち着かない。幹事の男の子は、『野原、多分今回は来れるって云ってたよ』なんて人の気も知らずに爆弾を投げ込んできて、おかげでこっちはすっかりパニックだ。

 向こうは一年目から一軍で大活躍のピッチャー。私はただのOL一年目。トランペットだけはまだ続けているけどそれ以外に得意なこともなく、美貌もなく、相変わらずちっちゃいまんまだ。――それで、一体何が出来るって云うの。

『すごいね』『テレビで活躍見てるよ』『応援してるよ』。そんな、つまんないことなんか云いたくない。

 だから今日はもし野原君が来たとしても、こっそり見られたらそれで十分だと思ってた。なのに。


 ――膝に、何かあったかい物が掛けられた。それから。

「おい」

 ん。この声知ってる。思わず、にこってしてしまう。

「起きろって鳥谷(とりたに)

 私のこと、そう呼ぶのは一人だけ。だって皆は鳥谷ちゃんとか、あと親しい子は下の名前で呼ぶし。

 でもそんなのある筈ない。きっと夢だ。目を開けたらデッカイ人なんかいないんだから。誰が起きてなんてやるもんか。

「起きないと襲うぞ」

「!!!」

「なんだ、残念だな」

「なななな何云ってんのデッカイ族の人!」

「よう、久しぶりだな、小っちゃい族のお姫様」

 ――私の目の前で、野原君がしゃがんで笑ってる。

「え、早くない? 何で?」

 時計を見たけど、到着予想時刻より三〇分から一時間は早い。

「今日は絶対来たかったから、気合い入れて投げてきた。完封勝ちよ」

 そう云って懐かしいサムズアップ。でも、あの時とは全然違う。

 ただの坊主だった頭は少しだけ明るい色味の短髪に、着る物なんてガクランかユニフォームか部活ジャージの三択だったのに高そうなグレーのスーツ――ヘンな皺がなくて体格にぴったりだからオーダーっぽい――に艶やかな黒のシャツを纏った野原君は、なんだかおしゃれが過ぎててテレビの中の人、って感じだ。

 遠慮なくじろじろ見てたら、野原君がプイと横を向いた。

「何だよ照れんだろ、じろじろ見んなよ」

「そんなこと云って、見られることには慣れてるくせに」

「ファンに見られるのとは違うだろ」

 その言葉に、希望的観測を抱きたくなる。どう返したらいいのか分からなくて黙っていたら、野原君も黙ってじっとこちらを見ていた。

「……何」

「ん、小っちゃい族のお姫様も、お年頃なのか奇麗になったなと思って」

「い、いいよそんなお世辞とかいらないよ」

 あわあわしてたらぶはっと笑われた。その笑い方には見覚えがあったから、ほっとする。

「奇麗になったくせに一人で酒かっくらって椅子で寝るとか、小っちゃい族の教育はどうなってんだ」

 苦い顔でため息吐かれてしまった。

「……すいません」

「俺がここ来てまず何したと思う?」

 ふいに投げられた問いにビクター犬みたく首を傾げていたら、今度は盛大にため息を吐かれた。

「その無防備に投げ出された脚を隠すことだよ!」

 そう云われて、膝の上に掛けられたのが野原君のコートだと云うことに気付いた。慌てて手に取るとタグが見えて、私でも知ってるお高いブランド品だと分かってしまった。

「うわ、ごめんありがと! どうしよう、皺になってたりよだれ垂れたりしてたら!」

「……それは大丈夫だし、そうだとしても気にしなくていいけどさ」

「?」

「女の子としてはまず最初に脚が開いてなかったかどうか、そこを聞くんじゃないのか……?」

「あああああ」

 野原君に返そうとしていたコートは、私が頭を抱えたせいで再び膝に落ちた。

 どうしよう、せっかく会えたのに。せっかく、つまんない社交辞令じゃなく、おしゃべり出来てるのに。情けなくて顔は赤くなるし涙も出そう。幹事の男の子に『野原君来るよ宣言』を落とされた時よりパニックになった。

 ぽん、と大きい手が私の頭に乗る。

「大丈夫。パンツは見えてなかった」

「……それならよかった」

「でもだからってこんなとこで寝るなよ、せっかくおしゃれしてるのに」

「あ、えっと、普段はあんまりこんなんじゃなくってね、だから慣れない高さの靴で足も痛くなっちゃって座って飲んでたらいい気持ちになっちゃって」

 云わなくてもいいことをべらべら話す。野原君がまた呆れたような、でもどことなく暖かい目で見てくれてたから、まだここにいて欲しいと思ってしまう。

「そう云えば、ヒーロー登場の割にみんな静かだね?」

 ようやく周囲を見渡す余裕が出来て、そんなことも云ってみる。

「ん、鳥谷がぐーすか寝てる間に写メも握手も一通り終わったよ。幹事の奴があんまりしつこいのはつまみ出すって云ってくれたしな」

「そっか」

「ん」

「……あ、何か飲む?」

「いや、いい」

「そっか」

「ん」

「隣、座れば」

「そうする」

 そう云うと、私の右隣に腰掛けた。私には大きいこの椅子も野原君には小っちゃいみたいで、体の右側にほわんと熱を感じるくらい近くにいる。

「元気にしてたか」

 私が云ったらただの社交辞令になってしまいそうなことを、野原君がちゃんと聞いてくれた。そのことが嬉しい。

「うん。デッカイ族は?」

「おう、相変わらずだ」

「相変わらず失礼なんだフーン」

「小っちゃい族の人ほどじゃないけどな」

 くすくす笑ってしまう。

 久しぶりに会ったら、きっと何も云えないと思ってた。同級生たちに囲まれる野原君を見られたら、それでいいと。

 そんなの、嘘だった。やっぱり、大好きだ。

 野原君が『平成の真怪物』なんて云われてても、やっぱり私にはただの野原君だ。それで、いいじゃない。好きな気持ちまで貶めること、ないよね。

 この会が終わって野原君が宿泊先のある都内に戻ったら、それでおしまいなの分かってる。だから、今こうして過ごしている時間を大切にしたい。

 あの日、私と野原君が二人で遊んだ時みたいに。


「鳥谷、付き合ってる人は?」

 ――人が感傷に浸ってたのに、現実的な質問しやがって。まったくデッカイ族はデリカシーに欠けるなあ。

「いませんよ。そっちは?」

「いねえよ」

「嘘だー。合コンとか凄いんでしょほんとは」

「出ないよそんなの」

「信じないよそんなの」

「鳥谷、好きな奴は」

「……いるよ。そっちは?」

「いるよ」

「……」

「だから、合コンは出ない」

「フーン」

 心臓が嫌な音を立てた。そうか。好きな人、いるのか。

「告白、しないの? 野原君ならいいお返事貰えるでしょ」

「……好きな男が、いるって云うから」

「じゃあ、奪っちゃえばいいじゃない」

「いいのか」

「いいよ。小っちゃい族のお姫様が許可します」

 泣きたい気持ちをはしゃいでごまかした。だから、反応が遅れた。


 ひょいっと、人をちびっ子みたいに腕に乗っけて、膝から落ちかったコートを即座にキャッチして、野原君はすたすたと歩く。見慣れない高さと不安定な体勢に思わずしがみついたらにやりとされた。

「しばらくそうしといて」

 そう云うが早く私の友人のところに行って、預かってもらっていた私のバッグとコートを野原君が引き取って、幹事の男の子を呼んだ。

「俺と鳥谷抜けるから!」

 そう宣言した途端、会場内が「うおおおお」だとか「キャー!」だとか、色んな声でどよめいた。ちょっとちょっと、あんまりうるさくすると次貸してもらえなくなるよと心配している間に、お子様抱っこされたまま会場を出る。

「寒いいいい!」

「すぐだから我慢して」

「てか何で! 何でこんなことに!」

「それもちゃんと説明するから」

 小っちゃいとはいえ五〇キロ近くある私を片腕に乗せたまま、野原君は歩く。乗せられたのが利き腕じゃない事に胸を撫で下ろした。


 すぐって云った通り、一分もしないうちに小さな居酒屋さんに到着した。さすがに腕に乗ったままでは暖簾をくぐれないので、お店の前で下してもらった。見慣れた高さにホッとする。

 そこのお座敷に通されると、野原君が「生ビール、の大」と飲み物を注文した。

「鳥谷は?」

「あ、じゃあ、青リンゴサワー」

 お店は土曜日の夜なのに他にお客さんが見当らない。とりあえず野原君がパパラッチされることはなくてよかったけど、この先お客さんが来たらどうしようと思っていたら、「ここ、知り合いの店。無理云って今日貸切にしてもらった」と、野原君がこのお店の大将らしきおじさんに頭を下げたので、私も慌てて下げた。それなら安心だ。

 おじさんが飲み物と突き出しを持ってきてくれる。お礼を云うと、「コイツが女の子連れてくるのなんか初めてだから、おいちゃん嬉しいよ!」と笑って、お店の奥に行ってしまった。

 流れているBGMは知らない演歌。それを聞くでもなしに聞くことでドキドキしっぱなしの心臓を宥めて、乾杯ののちサワーに口を付ける。

「……ごめん」

 急に野原君が謝るからびっくりした。

「え、何で」

「こんな風に、連れて来て」

「……」

 私は嬉しかったよ、って、云っていいんだろうか。

「でも、鳥谷も悪い」

 拗ねた顔した野原君は、一口で半分まで減ったビールを睨んでいた。

「好きな男がいるくせに、俺に『奪っちゃえ』なんて無邪気に云うなよ。――ほんとにそうされた感想は?」

「……え?」

「俺が好きなのは、鳥谷なんだよ」

 まっすぐ、見つめられた。

「ずっと、好きだった」

 そう云うと、ゆっくり視線を下げる。

「卒業する日、云いたかった。連絡先も交換したかった。でも告白して、もしいい返事をもらえたとしても側にはいてやれないし、そもそも俺に恋愛する余裕なんかなかったし、あの時点で付き合ってもすぐに駄目になるの分かってたから云わなかった」

 じゃあお互い、あの時に同じ選択をしたんだね。

 寂しかったし、すごく辛かった。でも、自分の気持ちを押し付けなくて本当によかったよ。だって、そのおかげで今こうして向き合えてる。

「プロに入って、何とかやっていけそうな目途もようやく付いた。今日、鳥谷が参加するって聞いてたから俺の気持ちを伝えようと思って来た。でも鳥谷だってもう大人なんだよな」

 野原君が、見たことないような苦い顔してる。

「俺が知らない三年間が、あるんだよな」

 その言葉があまりに寂しそうで、思わずテーブルの上の手を握った。

「鳥谷、」

 戸惑う声。好きな男がいるのに、こういうことするなよって云いたいんでしょ?

 引いてしまいそうなそのデッカイ族の手を、慌てて両手で抑え込んだ。

「おま、それ一応商売道具だから優しく扱ってな」

 苦笑されて、左手をぎゅうぎゅうしていた事に気付く。

「わ、ごめん!」

 慌てて離した手は、やっぱりさりげなく遠ざけられた。

「やっぱりおっちょこちょいだな」

「うん、何にも変わってないの、私」

「……」

「合コンに出たことないし、夜遊びもそんなにしたことないし、好きな人も高校の時から同じ、デッカイ人なんだ」

 野原君が、目を見開いている。びっくりしてる証拠だね。

「私の好きな人は、野原君だよ」

 そう告げたら、さっきまでしゃきっとしていた野原君が、テーブルに崩れ落ちた。

「……なんだよ、俺一人でカンチガイしてこんな無理やり連れて来て、バカみたいじゃん……」

「でも、びっくりしたけど嬉しかったよ」

 さっき云えなかったことも、今なら云える。

 野原君がさっさとジョッキを空けて次のビールも注文して、またため息を吐いた。

「……嘘じゃ、ないよな」

「うん」

 おずおずと近付いてきた大きな左手が、今度はテーブルに置いたままだった私の手を包む。

「俺、球団のホームこの辺じゃないし年中あちこち行ってて、多分鳥谷に寂しい思い、させる」

「うん」

「メールとかも、そんなに出来る方じゃない」

「うん」

 それでも。

「それでも、お前のこと大事にしたい気持ちは本当だから、俺と付き合ってもらえませんか?」

 三年越しの告白を、受け止めた。その答えはとっくに決まってる。

 まだ少し不安そうにしている野原君に、満面の笑みを見せた。

「もちろん。宜しくお願いします」

「こちらこそ」

 二人で深々とお辞儀をした。頭を戻すタイミングで目が合って、大笑いした。

 寂しくても何でも、好きな気持ちはこっちも同じだ。

 全然太刀打ち出来る気はしないけどね。なんてったって、相手『怪物』だし。


 二杯目のビールと、頼んでいないのに焼うどんの大盛りがやって来た。

 お店のおじさんが、「うまくいってよかったね、これ、おいちゃんからのお祝いだよ」と種明かししてお皿を置いてくれたから、二人して盛大に照れた。

「熱いうちに食べな」と云われて、野原君も私もぎこちないまま取り皿によそった。まだ湯気がもうもうと立ち上るそれを頬張る。

「おいひい!」

「うん、これ好物なんだ。こっち帰ってきたら必ず食ってる」

「そうなんだ」

 相変わらずものすごいスピードで食べ尽くしては大皿からまた取り分けるデッカイ族の野原君。結局私が一皿食べる間に、向こうが残りをやっつけてしまった。まあ、こっちはレストランで散々食べてたし、君が大食いなのは知ってるけどね。


 二杯目のビールも飲み干して、野原君の目が少し和らいだ。

「あー、ようやく緊張解けた」

「緊張してたの?」

 ちっとも分からなかった。さすが勝負の世界の男は違うわ、なんて感心してしまう。

「どっちに転ぶか分かんない勝負して、九回裏に二アウト満塁の状態で俺んとこに打順が回ってきて、二ストライク三ボールに追い込んだ次の球でサヨナラホームラン打ったみたいな気分」

「分かりやすい説明をありがとう」

「まあ実際にはそんな場面で俺が打つことってまずないけどね」

「そっか、代打の人になっちゃうか」

 納得してたら、「今度、試合観に来ないか」って誘われた。

「今度って、野原君が投げる時ってこと?」

「そう」

「……行かない」

「何でだよ」

 三杯目のジョッキを傾けながら野原君が面白くない顔してる。だって。

「今まで私が観に行った野原君の試合、全部負けちゃったんだもん」

 三年間で五回観に行って、〇勝五敗だった。そんな勝負の女神は家に引きこもっていた方がいいと思うんだけども。

「それでも来てくれたら、俺すっごい頑張れるよ。きっとそん時だって、教えてもらえたら絶対勝つ! って気合入ったのに」

「だって連絡先知らないし」

「あ、そうだ、連絡先」

 教えて、と云ったくせに野原君は赤外線通信が苦手みたいで「機種変えたばっかりなんだよ!」なんて云い訳してたのが妙におかしかった。


 サヨナラホームランはこっちの気分だよ。まさか今日、こうなるなんて思ってなかった。私はいつまでも野原君に心を残しながら恋したり、結婚するんだと思ってた。

 遠くにいた筈の人が、目の前にいる。

「野原君」て声を掛ければ、「何」ってすぐに返事をくれる。

「『嬉しい』が体中に詰まってて、パンクしそうで大変だよ」

 今の気持ちを正直に伝えたら、「俺知ってる、そう云う時どうしたらいいか」と、野原君から返ってきた。

「え、教えて!」

 そう、聞いたら。

「こうするんだよ」って、テーブル越しに短いキスをされた。

 ――あっという間に元の場所に座り直して、今にもサムズアップしそうな『どーだ!』って顔でこっち見ないで。悔しいからメニューで顔を隠して青リンゴサワーを飲み干す。

「あ、こら、隠すな」

「フェイント攻撃するデッカイ族の云うことは却下します!」

 私がバシッと断ると、野原君のくせに切なげな甘い声で「頼むよ、……お姫様」って云った。云ったけど。

「今その一瞬黙ってたとこ、『小っちゃい族の』って心の中で呟いてたでしょ!」

「おお、俺と鳥谷は以心伝心だな」

「ごまかさないの!」


『嬉しい』はさっきのキスで一気に溢れ出して、照れ隠しにいつまでもぎゃあぎゃあと騒ぐ私と、ちゃんとそれが照れ隠しだって分かっててさらにからかう野原君と、やれやれって呆れてるおじさんのいる、この小さなお店の中を優しく包んだ。


作中にて、デッカイ人が「二ストライク三ボールに追い込んだ」とある部分が自分でもややこしいなと思っていたので、「ボールカウント」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2013年11月30日 (土) 03:35 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%88

より該当部分を引用しました。

引用部分は以下の通り

「ボールカウントは、投手と打者の勝負の経過を表すものであり、投手有利か打者有利かを示すバロメーターとなっている。一般的にストライクが先行していれば投手有利、ボールが先行していれば打者有利と言われる。

2ストライクになると、投手は「追い込んだ」、打者は「追い込まれた」と言われる。3ボールは逆に打者が「追い込んだ」、投手は「追い込まれた」と言われる。」

引用ここまで


続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n4804ce/8/


14/05/07

14/05/12 一部修正しました。

24/06/16 一部修正しました。

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