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如月・弥生  作者: たむら
season1
21/41

Eater?(☆)

「クリスマスファイター!」内の「Fighter!」の二人の話です。

 その辞令を、フラットな気持ちで眺めたはずだったのに。


 私と組んでいる営業の西山(にしやま)さんが、四月一日付で本社に異動することになった。突出して業績の良いその人が本社に行くことは勝手に周りの人の間では決定事項のように前々から噂していたので、ものすごい衝撃、はなかったけれど、それでも約一年間一緒に組んで、絨毯爆撃的な仕事量を二人してやっつけていたからやっぱりそれなりに寂しさはある。

 最近、書類を見返して纏めていることが多いな、とは思っていた。そのうち、『俺がいなくても分かるようにしてあるから』と云われてああ、いよいよ内示があったのかもと思った。それから程なくして、いつものようにパウンドケーキを渡した時に「……本社に異動することになったけど、あっち行ってからもこれ、たまに焼いてもらえるか?」とはっきり伝えられた。

「いいですよ」と即答したら冷たそうな目は「よかった」と細められた。

「仕事のことは何の心配もしていないけど、パウンドケーキを食えなくなる事だけが心配だった」

「そんなにですか!」

「そんなにだよ。もう、これなしで生きられる自信ない」と、聞きようによっては愛の告白のような言葉をさらりと吐いた。似合わねー……。

 忘れないうちにとプライベートの連絡先を教え合う。繋がりが一本出来たせいか、寂しさは少しだけ薄れた。


 さすがの西山さんも後任の人との引継ぎで内勤が増え、それに反比例して爆撃は劇的に減った。停戦状態と云って過言ではない。六時に会社出られるとか、新人研修終わってから初めてかもしれない。

 後任の人と馴染む意味もあって、私も二人が社内にいる時は引き継ぎの中に一緒に入った。そして、作成した書類を説明する西山さんと、その向かい側で「いやこのボリューム尋常じゃないですって! 俺一人じゃ無理です!」と訴える後任の遠藤(えんどう)さん。それを西山さんも体育会系根性論とかでねじ伏せたりせずに、「わかった。じゃあ、遠藤の分はここまで」と本人のキャパに合わせて割り振りをしていた。

 時折、私が作成した書類の話も出る。西山さんからの指示の中で最も絨毯爆撃だった時のものをちょうど資料として見ていたのでそれを笑い話的に遠藤さんに話したら、「この分量こなすとか、すごいね」と驚かれた。それを受けて西山さんがそっけなく「本多(ほんだ)はこう見えて負けず嫌いだから」なんて口にする。――銀縁眼鏡のその人の表情はややもすると冷たく見えてしまうフラット具合なくせに、案外優しい声でそんな風に云われて、こっちは照れたらいいのか、『“こう見えて”ってなんですか!』と怒るのが正解なのか分からなくて困る。

 三人であれこれ細部につっこみながら話しているうちにお昼休みがきた。その流れでお昼も一緒に食べようと云うことになったのだけど、外で話すにはちょっと、な話題もあることだしコンビニで何か調達して来ることになった。午後はまた引継ぎの続きだ。

 遠藤さんとは飲み会なんかでお話することはあったけど、一緒に仕事するのはこれが初めて。悪いうわさは聞かないし、こうして話していてもイヤミなところもない。西山さんの仕事をまるまる引き受けるんじゃなく、無理な分は『無理!』ってはっきり云える人だっていうのにもホッとする。――ペアの営業さんが手におえない量だと云うことをギリギリまで認めず『大丈夫だから』と連発された挙句、結局タイムリミット寸前に『すいません無理でした』と告げられ、そのフォローに奔走していた同期のやさぐれ話をつい先日聞いた後なので、余計に。


 ようやくやって来た下りのエレベーターは、外に行く人たちで既にいっぱいだ。そこへさらにプラス三人でごめんなさいと内心謝りつつ、遠藤さん西山さん私の順で乗った。ぶーって鳴らなくてよかった。と、ほっとした瞬間。

「ちょっとだから、我慢しろよ」と、慣れ親しんだ優しい声が、すぐ後ろから降ってきた。はい、と口にしたらおっきな声になっちゃいそうで、こく、と首を縦に振るに留める。

 満員電車よりは空いているけど、ぎゅうぎゅうな箱の中。西山さんの体は、私と触れてしまいそうに近い。もちろんその手がセクハラなおさわりをすることはないけれど。

 ――忘年会の後のことを思い出す。あの時は、手を繋がれた。それから、チョコレートサンデーとテイクアウトのクッキーをご馳走してもらった。そのお礼がきっかけで、パウンドケーキを焼いては渡している。型丸々一本分のそれを、短髪の銀縁眼鏡で甘い顔立ちじゃない三〇男な外見とは裏腹にスイーツ大好き男子な西山さんは、いつも目をキラッキラに輝かせ、大層喜んでくれる。そして幾日もしないうちに食べ尽くして、『旨かった。次、チョコチップ入りをお願いしてもいいか?』なんて嬉しいリクエストまでくれるのでとても作り甲斐があった。 

 本社に行っちゃったら、渡す回数も減るだろう。きっと、そっちにはおいしいスイーツのお店もいっぱいあって、西山さんはその開拓に忙しくなって、私の作る洗練されてないパウンドケーキなんてそのうちどうでもよくなるだろう。

 そんなのが、何故かひどく寂しく思えた。


 ぽん、と音がして、箱が一階に着いたことが分かる。慌てて降りようとして転びそうになった私の手を、とっさに西山さんが引いてくれた。そのままエントランスを邪魔にならないところまで三人して歩く。立ち止まると、するりと離れて行った手。

「ありがとうございます……」

「いや、考えなしに手を引っ張ったけどバランス崩して足挫いたりしなかったか」

 銀縁眼鏡、冷たく見える顔、なのに優しい声。こんなのは反則だ。急に泣きたくなってしまったから、わざと笑いを取りに行った。

「大丈夫ですけど、もし後で痛くなっちゃったら西山さん責任取ってくれます?」

「お、本多さん意外としたたかな女だねー」

 遠藤さんが乗ってくれて助かった。なのに、銀縁眼鏡ったら。

「取るよ」

 遠藤さんがえ? って驚いてる。私だって、予想外の返答に、そんなつもりないのに顔が赤くなる。

 同僚二人にサプライズを与えておきながら、西山さんは通常モードのそっけない顔で眼鏡のブリッジを押し上げた。

「ほら、早くコンビニ行かないと目ぼしい弁当がなくなる」

「やべ、俺今日ぜーったいカルビ弁当とハムカツサンド食いたいんですよ!」

 お先に! と遠藤さんが走って行ってしまった。それを呆れた風情で見送ってから、西山さんが振り向く。びくっとしたのを、気付かれないといいんだけど。

「俺達も行くぞ」

「……はい」

 一歩先を行く後姿。歩くリズムで揺れる手を何となく見ていた。

「とりあえず、本多の食べたいものをごちそうするからそれで許せ」

「……何をですか?」

 許さなくちゃいけないことなんて、私と西山さんの間でそんな深刻なトラブルはなかったはずだけど。そう考えていると西山さんが歩くスピードを落として、私の横に並んだ。

「さっき、手を掴んだだろ」

「それは、だってそうしてくれなくちゃ転んでたし、不可抗力って奴ですからお気遣いご無用ですよ?」

 慌ててそう云うと、「……いいから」とぽつりと漏らされた。

「奢られるのは、迷惑か」

「痛くもないのに?」

 それじゃまるで当たり屋だ。くすりと笑うといつか見たのと同じに、ちょっと拗ねた顔になった。

「嫌なら、いい」

 そう云って返事も聞かずに早足になりそうなそのジャケットの裾をちょいっと掴む。

「やじゃないですけど」

 ぴたりと止まる足。

「それに、手なら前にも繋いだじゃないですか」

 忘年会の時のことをそう指摘したら、困った顔をしていた。

「あれは、その、おまえが泣く前にあの場から連れ出したかったから、」

 慌てる西山さんなんて、新鮮過ぎてまじまじと見つめてしまう。

「……何だ?」

 怪訝な顔は、もう通常モードに戻ってしまっていて、少し残念。

「かわいいなあって思いました、ついさっきのあわあわしてる西山さん」

 笑って、かつんとヒールを鳴らして先に歩く。

「からかうな」

 西山さんが、また大きく一歩踏み出して並んだ。少しだけ拗ねた顔をしているのが声で分かる。

「本気です」

「なお悪い」

「しょうがないですよ、西山さんがかわいいのが悪い」

 重ねて『かわいい』と云ってから横目でちらりと伺ってみれば、ますます眉を顰めておっかない顔をしている。

 見てくれからは想像がつかない、がっつり本気のスイーツ男子。いつも冷静なのに、どうしてそんなかな。

「明日、パウンドケーキ焼いて持ってきますね」

「……それは楽しみだ」

 お、ご機嫌が少し戻った。

「ご所望のチョコチップ入りですよ」

「うん」

 小さい男の子みたいなお返事。これもかわいい。

 そこでコンビニに着いたのでこの会話は終了。無事に獲物をゲット出来たにこにこ顔の遠藤さんに続いて、私と西山さんもお昼ご飯を調達する。オムライスにしようか中華丼にしようか悩む私の横で、西山さんはさっさとしゃけ弁当と食後のデザートらしいモンブラン(2個入り)を手にしていた。


 そっけない表情。でも中身はそうじゃないって知っている。それを知っているのは私だけ、なんて思わない。きっと、本社に行ってまたそこでペアを組んだ子はそんな西山さんを知ることになるだろうし、ここの支社にも西山さんのことをちゃんと知っている人はいるはずだ。前任のペアの人とか。そんなことがもやもやする。

「決まったか」

 優しい声。私に向けられたそれを、あと何回聞ける?

「はい」

 悩んだけど、決まらなくて結局オムライスを手にした。お昼の時間は短いから長考は不可だ。手にしていた途端、それはひょいと西山さんの手に渡った。

「せっかくごちそうするって云ってんだからもっと高いのにすればいいのに」

「いいんです、オムライス気分だから。ここのおいしいし」

 そうか、とうっすら笑う顔を見て、何だか泣きそうな気持ちになる。

 なんだなんだ、センチメンタルか。春だからか。

 いろんな理由を付けて必死に目を背けて誤魔化した。


 しゃけ弁当を食べながら、西山さんが遠藤さんに惜しげもなく営業の裏技を伝授する。そんなとこもいいなとか思いながら、いやいや、フツーに尊敬しているだけですよとセルフつっこみ。

 箸使いが奇麗。まあ大人だし当り前だよね。

 お弁当は猫またぎ状態。ご飯粒を残さないのは日本人として素晴らしいね。

 低い落ち着いた声。怒ると怖いんだこれが。

 とん、と書類を整えて丁寧に仕舞う。必ず『ありがとう』って云う。駄目だった時に八つ当たりしないし誰かのせいにしない。いらいらも虚しさも全部一人で引き受けて、私には優しい声で『せっかく作ってもらったのに、契約取れなくてごめんな』と謝ってくれた。――ああ。

 せっかく、見ないふりをしていたのに。この人はもうすぐいなくなるのに。なんで、このタイミングで気が付いちゃったかな。

 やっぱり、責任とって欲しくない。迷惑なんかじゃないけど、優しさだけならいらない。

 今パウンドケーキ焼いたらすっごい味のが出来そうだ。情念込めまくりの。濃厚においしくて、でも具合悪くなっちゃいそうな。


 口を開いたら何かぽろっと云ってしまいそうで、そんなに腹ペコでもないのに結構なペースでもりもり食べてた。そしたら当たり前だけどあっという間に食べ終わってしまった。かくなる上はお茶でも飲んでおくか、と思っていたら。

「ほら」

 西山さんが、目の前にモンブランをすすめてきた。

「え」

 それは西山さんのデザートでは。そう思って顔を見たら、「分けてやる」と一言。よく見れば二個入りパックのうち、半分はすでにない。って、もう食ったんかい!

「あ、いいなあ俺の分は?」

 遠藤さんが云うので慌てて差し出そうとすると「おまえは甘いもの食わないだろ」と西山さんが速攻でつっこんだ。

「でもいいなあ」

 遠藤さんが食い下がると、西山さんはやれやれと云った風情で眼鏡のブリッジを押し上げた。

「帰りに立ち飲み奢ってやる」

「ヤッター! 西山さん、あざっす!」

 よーし午後も頑張ろうと遠藤さんがはしゃいでいるのを周りの人がくすくす笑っている。

 遠藤さんたらおちゃめさん、と私も一緒になって苦笑していると、西山さんに「食べないのか?」と聞かれた。なら俺が、と続きそうだったので慌てて「ありがとうございますいただきます」とケーキを容れ物ごと引っ張ったら笑われた。そんなのにいちいち心臓が反応するのが嫌だ。

 オムライスを食べた白いプラのスプーンを丁寧に紙ナプキンで拭って、モンブランに取りかかる。

「んま」

 意外とスポンジがしっとりしてる。もっとぼそぼそかと思っていたのに。私がパクパク食べていると、「コンビニの中ではモンブランはあそこが旨いんだ」と妙に誇らしげな西山さん。

「西山さん……」

 ブレない人だなあ。

「ん?」

「今度ケーキバイキングでも行きますか?」

 呆れついでに、ぽろっと誘ってしまった。うわ、私今、何云ったと内心慌てていたら西山さんはやっぱりそっけない顔で「いいな」と返してくれた。それから。

「その前に、パウンドケーキ頼む」と、嬉しい一言も。

「はい、もちろん」

 情念は、モンブランと一緒にもう一度お腹に収めた。

 いいや。

 本社に行ったら忘れられても、いいや。とりあえず、明日もその次もリクエストが続く限り焼いてくるさ。西山さんが、甘いもので幸せになったり拗ねたり目をキラキラさせたりするの、好きなんだからしょうがないわ。

 そんな風に腹を括った。



 四月になる一週間前、廊下に張り出された辞令。

 そこにある西山さんの名前と、やっぱりね、という周囲の下馬評。

 ひと月弱かけてゆっくりお別れモードになってたから、フラットな気持ちで眺めてた。どこか他人事みたく。

 辞令が出てから、西山さんは遠藤さんを引き連れて怒涛の御挨拶回りに出ていたので、私が会社でその姿を見る事は朝を除いて殆どなかった。私が退社してから西山・遠藤組は会社に戻ってまた打ち合わせと引継ぎを連日していたらしい。


「おはようございます」

 いつもより三〇分早く出社したのに、やっぱりもうその人はいた。声を掛けると、「……本多か、おはよう」とだいぶ疲れが滲んでいる声。

「お疲れですね」

「さすがにな。……本多は元気そうだ」

「爆撃がないですからね」

「そうだな」

 ふ、っと笑う横顔。あんなに甘いもん好きなのにどうして太らないんだろうと、すっきりとした顎から耳までの奇麗な輪郭線をじろじろ眺めているうちに、三〇分早く来た理由を思い出した。エコバッグから取り出したケーキボックスを、顔の横に掲げる。

「西山さん、これ」

 これ、と云った時には何だか分かっていたのだろう。

「コーヒー淹れてくる」

 いそいそ、という擬音がぴったりな、短髪の銀縁眼鏡で甘い顔立ちじゃない三〇男ってどうなんだろ。笑い出したいのを我慢しながら、こちらもいそいそとパウンドケーキ・渡す用@型一本分が入ったケーキボックスを持参した紙袋に入れて机に出して、今食べる用の三切れを同じく持参した紙皿に並べた。ちなみに三切れの内訳は西山さん二切れ私一切れ。

 紙コップにコーヒーを淹れて、西山さんが戻ってきた。二人ともコーヒーはブラックだ。キラッキラの目が、さっそく紙皿の上をチェックする。

「今日はかぼちゃの種入りか」

「大正解です」

「どれ食ってもほんと旨いよな。いっそ本多、パウンドケーキ専門店の菓子職人に転職したらどうだ」

「それは暗に今の仕事は向いていないと仰っています?」

「そうは云ってない」

「ならいいですけど」

 他愛のない会話。こんな風にのんびりなの、お昼のお弁当をご馳走してもらって以来じゃないかな。

 お弁当ゴチの翌日に、約束通りチョコチップ入りを『一日置いた方がしっとりして美味しいんですからね!』って釘を刺して渡した。『我慢出来るか、そんなの』とやっぱり聞き様によっては際どく聞こえる台詞と、唸るような声。けれど要は僕パウンドケーキすぐに食べたいんだもん! と云うただの駄々っ子モードだと思うと笑えた。

 そしてさらに翌日、『厳命を守ったぞ』とわざわざ私の机に云いに来た、銀縁眼鏡のドヤ顔。

 西山さんはさらにその翌日、『ごちそうさま。今回のも旨かった』と出社した私に告げに来た。

『もうですか!?』と驚く私を尻目に、そっけない顔のまま『今朝食べたらもうなくなった。次は、紅茶がいい』とさっそくリクエストをするだけして、西山さーんこれなんですけどー、と遠藤さんに呼ばれるとそっちに行ってしまった。呆れた。でも嬉しかった。


 抹茶入りも、プレーンも、くるみ入りも、今回で最後かもと思いながら作って渡した。

 辞令が出てから西山さんは外回りで忙しくしていたけれど、渡せばその都度新鮮に感激してくれたし、食べ終えれば一言二言感想と次のリクエストを私に伝えてから慌ただしく挨拶回りに出ていた。直接云う機会がない時にはメールで。

 自分の気持ちに気付いちゃったら、そんな他愛ない言葉や一言メールが嬉しくてたまらない。メールなんか思わず保護掛けたほどだ。乙女か。

 それでも、時間は私の恋心なんか関係なく流れてしまう。――今日はもう、金曜日で送別会だ。三一日は月曜日なのでこの日程になったらしい。

 週明けの最終日に、ゆっくり話せる機会があるとは思えなかった。今日の送別会の後も然り。だから、早く来た。早く来て、ゆっくり話しながら二人でパウンドケーキを食べたかった。思い出作りって奴ですよ。

 告白する気はさらさらなかった。だって駄目だった時のダメージ、デカすぎる。同じ部署にいられるなら、振られちゃってもペアが解消になっちゃっても、目で追ってみたり忘年会や暑気払いで顔を合わす機会はある。でも、いなくなっちゃう。

 本社と支社の人になって、交わした連絡先は指先一つで消去することが出来る。でもパウンドケーキを気に入ってもらえてる間は、それを理由に会えるかも。そのチャンスをわざわざ潰すようなことはしたくなかった。


 って、かなーり後ろ向きで、猫背の体育座りみたいな考えなのが我ながら悲しくなったから、背筋をえいっと伸ばす。

「今日は思いきり飲みましょうね!」

 そう云ったら、「それより早く家帰ってパウンドケーキを食いたいよ俺は」とため息を吐かれてしまった。

「……どんだけ好きですか」

「今まで味わってきた中で一番」

「熱烈ですねぇ」

 あっという間に二切れを腹の中に収めたその人を呆れて見ながらこちらもパウンドケーキを食べた。ブラックのコーヒーをゆっくり飲んでいるうちに西山さんが「ごちそうさま」と一足先に切り上げて自席に戻って行く。ぼちぼち西山さん以外の早い人が出勤する頃合いだなあと思いながら、いい塩梅に冷めてきたコーヒーの紙カップのふちを齧った。

 西山さんは、いつも食べ終えてからリクエストをくれる。だから、『次、コレが食いたい』が今日聞けるはずもなかった。こっちから聞くのも催促してるみたいだし。

 ああ、終わっちゃったかな。

 想像したより呆気なくて、想像したよりがっかりした。

 気が付いたら、紙コップのふちをぐるりと一周がじがじ噛んでいた。


 今日こそ、あのプロレスマスクを被りたかったな。持ってくればよかった、と思うのは半分本気で半分は嘘。さすがに忘年会と同じお店で『ああまたあのマスクの人(笑)』なんて辱めを受けたくはない。でも気を抜くと泣いちゃいそうだったから、下っ端特権で皆さんにビールを注ぎまくって、注がれまくって、お皿を下げまくって、注文を取りまくって、お料理を配りまくった。西山さんが行くならカラオケ付いていきますよ! 恋する占い入りクッキーな歌を振り付きで歌ったっていい。そうやって無理したって、土日の二日間あれば復活出来る……はずだ。私は『負けず嫌い』、なんだから。家に帰ったら、お母さんの作った梅酒をロックでちびちびやって、『フィッシャーキング』のDVD観てじわじわ泣いて、夜中のキッチンでアホ程パウンドケーキ焼き焼き祭りしてやる。


 二次会行く人―という幹事の声に、どうしても担任の先生に当てて欲しい小学生みたいに「はいはーい!」と良い子のお返事で手を挙げた。ら。

 挙げたその手をがしっと掴まれて、するりと酔っぱらい軍団から連れ出された。――二回繋いだことがある骨っぽい大きい手。少ししっとりしてる。ジャム手体質なのかな。乾いてそうなのに。

 西山さんは何も云わないから、私も何も云わないで、歩く。


 連れて行かれたのは送別会を開いていたお店から少し離れたところにある公園だった。

 すたすたと手を繋いだまま歩く西山さんが自販機でブラック無糖のコーヒーを二本買ってベンチに座るから、私も否応なしに座らされた。

 手を離されて、カシッ、とプルタブを開ける音が二回。そのうちの一つを「飲め」と渡されて、もう一本も「持ってろ」と渡されて両手がふさがった。そうしておいてから西山さんは、脇に置いていた紙袋の中からあるものを取り出す。その紙袋は私が朝渡したやつだから、その中身が何だかは分かりすぎるくらいに分かってる。てか、西山さん、さんざんお酒飲んだし普通にお食事しましたよね? ほんとにいつも、どこに格納するの、その小麦粉とバターとお砂糖と卵で出来たカタマリ。

 横目で呆れながら、もらったコーヒーを飲む。

 ――大きな一口で齧り付くのに、ちっともお行儀悪く見えない。

 一切れが、あっという間になくなる。すぐに、また次の一切れを掴む手。

 ――私より大きい手だから、パウンドケーキがやけに小さく見えるなあ。

 また一切れがなくなる。私の右手から缶が消えて、少し上を向いた西山さんの喉仏が上下する。

 ――よーく見て、覚えておこう。ぜんぶ。

 コーヒーの缶が右手に戻されると続けてまた一切れが、って、オイ! 早食い大会か! ってつっこんでもいい?

 人がセンチメンタルモードになってるのに何なのよ。

 睨んでいたら「何だ」って聞かれてしまった。

「イエ、何も」

「そうか。旨いな、やっぱりこれ」

「ありがとうございます」

 もぐもぐもぐと一心に食べ続ける西山さんに、何だか笑いが込み上げてきた。

「何だ」とまた聞かれる。

「いえ、いつ行きますか、ケーキバイキング」

 酔ってるせいか、またぽろっと素直に誘えた。

「……」

 あらら黙り込まれちゃった。ごめんなさい酔っぱらいのたわごとなんでと云って撤回しようと思ってたのに。

「明後日の日曜はどうだ? 明日はまだもらったパウンドケーキを食っていると思うから」

 まさかの、お誘い返しが来た。さっきの沈黙は、口の中にパウンドケーキがまだ入っていたから、らしい。 ――この期に及んで、やっぱり優先順位はそっちなんだ。

 嬉しさが、じわっと湧く。

「大丈夫ですよ、じゃあ、もしそれまでにリクエストしてくれたら、明後日またパウンドケーキ持っていきますから」

 それに対するリアクションは、目をキラッキラに輝かせる+小さい男の子みたいな「うん」。

 どんだけ好きなのよ。西山さんはパウンドケーキを、私は西山さんを。

 ずっとくつくつと地味に笑っていたのだけど、堪えきれずにぶはっと噴き出してしまった。

 まったく、もう。私のセンチメンタルを返せ!

 そう、云おうと思ったのに。

「本多、」

 おやおや、西山さんが慌ててるよ。なんでだ。

「泣くな」

 ああ、そういえば泣いてるわ私。だから慌ててるのか西山さん。

 ハンカチを渡そうとしてくれてるけど、両手が缶コーヒーで塞がってますよ私。そんなのもおかしくてやっぱり笑っちゃう。でも泣いちゃう。

 そしたら、今までで一番困った顔した西山さんが「泣くな」って、ハンカチでそっと涙を拭ってくれた。

「無理、です、よ」

 泣き笑いなまま云ったら、ハンカチを握りしめたままの西山さんが途方に暮れた顔をしている。

 もっと私で慌ててよ。困った顔を見せてよ。

 酔ってるせいもあって、涙も笑いも止まらないでいたら、おずおずと伸ばされた手が私の後頭部を覆う。そのまま西山さんの胸元に抱き込まれた。さすがにびっくりして、涙の勢いが弱まった。

「――泣くな」

「なんで、ですか?」

「おまえが泣くのは嫌だ」

「だから、なんで」

「泣き止んだら教えてやる」

「そう云えば、どうして連れ出されましたかね」

 そもそもこうしている理由を聞くのをすっかり忘れてた。そしたら、西山さんが拗ねた声して、「……はやくおまえの作った旨いパウンドケーキ食いたかったし、二人になりたかったからだよ、悪いか」と云った。

 それを、前向きに捉えてもいいものかしら。てかもう、そう捉えちゃってるんですけど。

 酔った頭は、弱気をすっかり追い出してしまったらしい。

「泣き止んだか」

 少しだけ胸元から離されて、覗き込まれる。

「はい」

 だから、教えて。私が泣いたらなんで困るのか。

 今じゃなくていい。今日じゃなくてもいい。でもいつか必ず。

 そう思ってぼやけた視界のままにっと笑ったら、ほっとした顔の西山さんが映ってた。


 その日はそれで別れて、朝寝坊した次の日にはもう完食宣言とリクエストのメールが来ていた。約束通り日曜日に、リクエスト通りのパウンドケーキをぶら下げて行った。ケーキバイキングに二人で足を運んで『パウンドケーキのお礼だから』とごちそうになってしまって、そこで改めてまた会うことを約束して。


 そんな風に、週一程度でパウンドケーキを受け渡しがてら食事に連れ出されるのにも慣れた頃、お店を出て「ごちそうさまでした」を云ったところでぎゅうと抱き締められた。でもその手には、私が作ったパウンドケーキ入りのケーキボックスを握ったまま。――私そのうち、『私とパウンドケーキとどっちが好きなのよ!』とか詰め寄っちゃうかもしれない。今、それ聞いてみてもいい?

 抱き込まれたまま、おずおずとそれを口に出してみれば。


「おまえに決まってるだろ」と、拗ねた声でお返事をくれた。


続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n4804ce/41/


14/04/28 一部修正しました。

14/05/02 誤字修正しました。

14/05/06 脱字修正しました。

14/05/28 一部修正しました…どんだけミス多いの私…orz

20/08/14 一部修正しました。

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