チョコレートはあげない
高校生×高校生
毎朝通学の電車で同じになる、文武両道の男子校の男の子。
彼のことが好き、かもしれない。
うん、バレンタインにチョコレートをあげたいなと思う程度には。
「おはよう嵯峨」
「おー、おはよう」
ふわあと欠伸交じりのお返事。今日もいい低音だぁ、高校生なのにね。
あたしは本を読みつつイヤホンで音楽聞くふりして、実は両方カモフラージュで、そのいい低音の持ち主である『嵯峨君』にアンテナを向けまくっている。
連れの男の子、同じ高校の子安君――これも彼らの会話を集音マイクにして聞いているうちに知った――が、可笑しそうにくすくす笑う。
「まぁた、遅くまでゲームしてたの」
「うん、ほぉ」
お返事がてら、また欠伸。
「何やってんの今」
その子安君の問いかけに返ってきたのは、ゲームをあまりやらないあたしでも知ってる作品名と、「泣けるぞー」と云う一言。へぇ、泣けるんだアレ。
「いや俺RPGとかまだるっこしくてやらないし」
お前それは人生を損なっているぞと嵯峨君が云って、人の人生勝手に損なわないでと子安君が冷静に返す。今日もいいコンビだ。
もっともっと聞いていたいけど、残念ながら自分の高校の最寄駅に着いてしまった。また明日、面白いトークきかせてね、嵯峨君たち。と、勝手に親近感を寄せているあたしはいつものように心の中でご挨拶をした。
あたしがそのコンビに気付いたのは、去年の夏、電車通学にも慣れて痴漢を撃退出来るようになった頃だ。
第一印象はま反対な二人だなー、だった。
嵯峨君はでっかくって、髪は短くて、低い声。どっちかって云うとぱっと見コワいタイプ。反対に子安君は、漫画から抜け出したみたいな王子様っぽさのある中性的なタイプ。なのに、仲良しな二人はいろんな話題をひっさげて、毎日車内で楽しげにトークを繰り広げている。
高校生クイズ選手権の決勝に進んじゃう位、頭がよくて、かつ甲子園の常連校なその高校。なのに二人はいつもお気楽。
その会話は、いつしか毎朝のお楽しみになっていた。朝、お母さんとけんかして心がざわざわしていても、今日は出席番号で当てられそうと憂鬱でも、二人の暢気な会話で心はいつも救われた。
特に、嵯峨君が、いい。
いかついのに、くしゃっと笑うと小学生の男の子みたいで可愛らしい。
通勤通学の時間帯でギスギスしている車内で、いつも乗り合わせたお年寄りや妊婦さんや赤ちゃん連れのお母さんに、優しい。一度なんか、ベビーカーを下ろすのを手伝っているうちに、降りる筈じゃない駅で降りちゃって、そうこうしているうちに扉が閉まっちゃって、呆れた子安君に『さとセンに遅刻するって云っておいてー!』って笑って手を振ってるのを見た。
ああ、いいなあ。この人、いいなあ。
そう思うのに、時間はかからなかった。
なのに、あたしは彼のことをちっとも知らない。
知ってるのは、ゲームが好きで、いつも眠そうで、成績はそう悪くなさそう、それ位。大抵盛り上がっている話題は学校のことでさっぱり分からないし、バラエティ番組の話題なんて正直実もないし。
嵯峨君の、お誕生日も好きな食べ物も、好きな女の子のタイプも、下の名前さえ知らない。なのに好きってヘンかな。
チョコレートあげるとか……ヘンかな。
でも、もうちょっと嵯峨君に近付いてみたいと思うんだ。
そう思って、女の子と女の人でひしめくバレンタインのチョコレート特設売り場に繰り出してみた。あちらこちらで様々なチョコレートが売りに出されていて、迷ってしまう。
そして、はたと気が付いた。――嵯峨君が、どんなチョコレートを好きか、知らない。
せっかくあげるなら、自己満足じゃなく相手が喜ぶものを、と思う。
甘いのが嫌いなら、ビターテイストか、いっそチョコをやめてなにか好きな物をあげてもいいだろうし、部活動をしているならそこで役立つ物、例えばスポーツタオルとかをあげたい。
甘いのが好きなら、ミルクチョコレートのおいしいお店の詰め合わせをあげたいし、シロップ漬けのチェリーが好きなら中に入ってるのを。
そう思うのに、好き嫌いさえ知らない。まあ、そんな状態であげるんでもアリだとは思う。ないよりはもらえる方が嬉しいらしいし。
せっかく来たのだからと、一応自分の一番おいしいって思うチョコレート屋さんで試食をさせてもらって、小箱を買い求めてみた。
でも何だか、しっくりこないと思っている自分がいる。
その当日も、いつもの電車にいつものように嵯峨君と子安君が乗っている。
いつもと違うのは、すでにその手に小さな紙袋をいくつか持っている点だ。子安君がいっぱい、嵯峨君はふたつ。――ふうん、モテるんだ。
何だか面白くない。
一応、と思いつつ買い求めていたチョコレートは『一応』持って来てはいた。リュックの中で一等上に乗せて来たし、混んでいる車内ではいつもリュックは前に抱えているから、潰れる心配はいらない。
でも、今、あげたくないような気持ち。
学食の話題で盛り上がる二人のトークが、今日はいつもより心を弾ませてくれない。結局心が盛り下がったまま、電車を降りた。走り出した電車を何となく見送っていたら、車内にいる嵯峨君と目が合ったような気がした。――まさかね。
あたしの通っている学校は女子高だから、校内でそんなにチョコは行き交わない――なんてことはない。
友チョコも、男の子みたいにかっこいい先輩にあげるという女子高ならではの風習もある。そしてあたしはかっこいい先輩として認定されているらしく、小袋をいくつもぶら下げて帰る羽目になった。ちなみに友人たちと交わしたチョコレートは、お昼休みに交わし合ったメンバーでおいしいおいしいと騒ぎながら食べた。
だから学校にいる間は、気が紛れた、かも。
夕方、電車が来るほんの数分、駅のベンチに座ってた。
そして、役に立たなかった『一応』を取り出して――やっぱりそれでもリュックの奥には押し込めず、上の方に乗せてた――、バリバリと包装を解き、そして食べた。ほっぺの内側がひいやりとしたあと、口の中に馴染んで溶けて、味が広がる。うん、おいしい。やっぱりあげればよかったかな。
でも、自分がおいしいと思っているから相手もそう思うとは限らない。人には好みがそれぞれあるし。
そう思っていると、ふっと答えが降りてきた。
ちがう。
あたしは、嵯峨君のことをよく知らないってことを、臆病の隠れ蓑にする理由に据えていただけ。
口の中、最後にひとかけら残っていた、『一応』が、やけに重たく感じた。
結局渡せなかったチョコレートの粒をいくつも残したまま、小箱に蓋をした。そして今日自分宛てにもらったチョコレートの入った袋を見る。知ってる子もいたしよく知らない子もいたけど、皆とってもかわいかった。
おどけながら寄越す子、顔を真っ赤にして手を震わせてながらくれた子。『世話になってるから、いちお』とそっぽを向いたまま差し出した子。
あたしは甘いミルクチョコが好きだけど、もしもらったのがビターなチョコでもちっとも構わないし、すごく嬉しい。――なのに。
その子たちの思いがまっすぐなのに引き換え、自分は、チョコを買うのに躊躇して、買っても『一応』、なんて嘯いて、大事に持って来たくせに渡せずに終わって。だめだなあ。
でも、好きみたいだ。今、分かった。ちょっとしか知らなくても、知ってる嵯峨君のことが好き。
知らないのは当たり前だよ。朝の一〇分の会話しか聞かないもん。それでも知りたいのだって当たり前だよ。朝の一〇分だけでも、嵯峨君の色んな面を、見ているから。
そう思う気持ちはぜんぶ、本物だ。
だったら、次に会ったら――多分それは明日の朝で、そうなるとチョコレートのイベントに乗じて、と云うお助けはないけれど――頑張って、伝えようと思う。だから今日、チョコレートはあげない。あげようにもチョコ、開けて食べちゃったし、そもそも会えないけどね。
片手に、女の子たちからの思いのカタマリ、片手に、『一応』なんかじゃない、ちゃんと本気で用意したチョコレートを持って立ち上がった。電車を待っている列の一番後ろに並ぶ。
定刻通りやって来た急行電車がゆっくりと停車して扉が開く。座れない程度に混んでいる車内。中の方へは進まずにこのまま扉前に立って外を見ようと、乗ったその足をくるりと反転させて手すりに体を凭れると。
閉まった扉の片側に、嵯峨君がいた。――こんな偶然、アリ?
あたしと同じ様に手すりに凭れて、手には朝より微妙に数が増えたチョコレート。うわ、やっぱり面白くない。
せっかく次に会った時には告白しようと思っていた勇気が、あっという間に萎える。だって。
あたし、チョコたべちゃったし。なのに、嵯峨君チョコ増えてるし。
あたし、チョコいっぱいぶら下げてるし。ぱっと見、まるで気の多い女の子みたいじゃない? そうじゃないって伝えたいけどそんなこと言える仲じゃない。もしかしたら顔くらいは覚えられてるかもしれないけど、でも。
左手に、女の子たちの気持ち。右手にひとつ、自分の気持ち。ぎゅっと両手に下げている小袋たちの取っ手を握りしめて、窓の方を向く。
流れる景色を、今同じに見ているのにちっとも嬉しくなんかない。
『センパイかっこいいです!』と渡されたチョコレートたちが、電車のカーブに合わせて責めるように左手の先で揺れる。ごめん、あたし全然かっこよくなんかないんだよ。ただ背が高くてショートヘアでかっこつけなだけだよ。
嵯峨君を好きだと分かったし、チョコレートを渡したいと思ったのは本当だけど、あげる勇気がない、臆病者だ。
こんな、だまし討ちみたいなタイミングじゃなく、ちゃんと覚悟してたら告白できたのかな。顔を合わすのが明日だったら。――って、また云い訳してる。ははは、進歩ないね。可笑しくって泣きそうだ。
次の停車駅はあたしの家の最寄駅。嵯峨君はきっとまだ先まで乗ってる。
名前を、聞くだけで嬉しいのに。笑顔を見ると心が弾むのに。
扉一組分の距離に立っている嵯峨君が、遠い。
急行電車は三つの駅を通過して、停車駅に入るために減速した。あたしと嵯峨君の立っている側の扉の上に、『この扉が開きます』と表示される。
軽い衝撃の後に開いた扉から、逃げるように出た。二、三歩歩いたところに、ゴミ箱がある。
分別ごみで、この気持ちも捨てられたらラクだろうな。そう思いながら、『一応』から『本気』、『本気』から『諦め』へと目まぐるしく変貌を遂げた開封済みのチョコレートの小箱を、手提げ袋から取り出して少しだけ見つめて、燃えるごみの方へと入れようとしていたら。
「なんで?」
――その声が、するわけないのに。なんで?
その人は、固まってしまったあたしとゴミ箱の横に立ち、郵便ポストみたいに横長に開いてる口に手を掛けた。――これじゃ、捨てられないじゃない。
「捨てちゃうの? それ、チョコ……だよね? 中、入ってるの?」
なんで? で頭の中がぎっしりのところに矢継ぎ早に質問がきて、考える余地なんかない。思わずうん、うんと頭を素直に縦に動かしてしまった。
「捨てる位なら、俺がもらってもいい?」
いかつい顔は見慣れたもの。でもいつもの夏の太陽みたいな笑顔じゃなく、冬のこの時期のお日様みたいな、ちょっと困った風の嵯峨君が、あたしの顔を覗き込んでいた。
「――って、図々しいか、いきなり」
そう云ってすっと離れていきそうな嵯峨君に慌てて声を掛けた。違うんです、びっくりしただけで引いてるわけじゃないんです。
「あの、いいんだけどでもそれもう開けちゃったから!」
「別にかまわないよ、開けたって云うことは食べた?」
「あ、はい……」
こくんと頷けば、マフラーに顎が沈む。戻す勇気はなくて、顎も目線もそのままでいた。くしゃっと笑う嵯峨君が、目の端に映る。
「どうだった? 味」
「すっごくおいしいですよ」
チョコレート売り場を何周もクルージングして、試食も一通りして、その中で一番おいしいと思ったから選んだんだ。
「じゃあ、一緒に食べよ」
そこのベンチで、と誘われて、頭がパニックのままほらほらと追い立てられた。
え、なんで。どうして。誰か説明して。
「これ敷いて」と、渡されたのは白いスポーツタオル。遠慮しても、「結構駅のベンチって冷たいから」と引かない嵯峨君。
「……じゃあ」と、云われたとおりに敷いて座ると、また嬉しそうに笑うから、あたしも嬉しくなる。
嵯峨君も座るかと思いきや、ぼすっとスクールバッグを置くと、「飲み物買って来るから、待ってて!」と云うが早く、ホームの端の方にある自販機へと駆け出して行った。そのフォームがやけにきれいだ。それにしても、自販機ならすぐそばにもあるし、売店もコンビニもあるのに何であんな端まで。あたしはたまにそこので買うけど、きっと同じ理由じゃないだろうし。
「お待たせ」と云われたほど待たされずに、嵯峨君は両手にホットの缶ドリンクを持って戻ってきた。
「こっちでしょ」
差し出されたのは、好んで飲んでいるアップルティーの缶で、しかも端の自販機にしか置いてないそいつは、ここいらではちょっとマイナーな奴。
どうして? と横に座った人を見上げれば、嵯峨君は笑ったまま豪快にプルタブを開けた。あたしも開けた。
「朝、電車乗る前にここのホームでたまに飲んでたよね? それで空き缶を、前に抱え直したリュックに入れて電車に乗ってくるの、何回か見た」
その言葉で、嵯峨君もあたしを認識していたことを知った。
「うん、これ好きだけど、あんまり置いてる自販機見なくて。駅にはあるから、それで買ってた。――まさか、嵯峨君に見られてるとは思ってなかったけど」
「え? 俺の名前知ってんの? なんで?」
「お友達と、よく話してるでしょ?」
ネタばらしをし合って、笑って、それぞれの手の缶の飲み物を飲んだ。嵯峨君は、カフェ・オ・レ。
「甘いの好きなんだね」
思わず呟けば、「そー。だから、目の前でチョコレートを捨てられそうになって、つい声掛けちゃった」
そっか。じゃあ、あげてよかったんだな、甘いの好きなら。
少し反省しながら、膝の上でまた箱のふたを開けた。
「ごめんなさい、欠けちゃってるけど、よかったらどうぞ」
「あ、でもいいのかな」と何故かこの段に及んで遠慮された。意図が分からず? マークを頭に浮かべていると、「……誰かに、あげようとしてた、とか、だよね」とまた弱気顔でチョコレートを見た。
「うん」
あたし、ふられたとでも思われてるのかな。
「でも」
まだ、ふられてない。
大丈夫。ちゃんと、嵯峨君はあたしのこと知ってた。それだけでも満足だ。もし告白してだめでも、ちゃんと思いを告げられたなら自分を褒めてあげよう。
「それ、嵯峨君にあげようと思っていた奴だから」
「……俺に?」
「そう、『俺』に。――勇気が出なくて、きちんと渡せなかったんだけど……」
嵯峨君のいかつい顔が、今まで見た中で一番のにっこにこになった。
「嬉しい」
「チョコが?」
「違うよー! ずっと気になってて、いいなあって思ってた子からそんな風に云ってもらえて、嬉しいんだよ」
しっかりはっきり好意を示された。
「あたしも」
それだけじゃだめ。伝える。左手のチョコレートたちが、ガンバレーって背中を押してくれている。
座ったまま、嵯峨君の方に体を向けて、背筋を伸ばしてちゃんと見つめた。
「……嵯峨君が、好き、です。……多分」
やっぱり、色んなことを知らなさすぎるから、云い切ることは出来なかった。でも、嵯峨君は茶化すことなくそれを聞いてくれた。
「うん。俺も君も、まだ知らないことばっかだしね。だから、まずは、名前を教えてくれないかな?」
そう云われて、通学の電車であたしがしゃべることも、名前を書いたものを見せることもなかったと初めて気付いた。知ってる子たちは皆自転車通学だから、電車では大抵ひとりだし。
「あ、西条女子高二年、滝田麻実です」
「嵯峨健太郎、松風高校二年です」
ぺこりとお辞儀しあった。それから、もちろん名前だけじゃなく、携帯の番号とメアドも交換した。その時に、ちょくちょく会話に出てきて気になっていたことを二人してチョコをつまみつつ聞いてみる。
「さとセンって、担任の先生?」
「そー。生徒指導担当でチョー怖ぇの。滝田さんなんか泣いちゃうよ、見たら」
「そんなことで泣かないよー」
「そうかなあ、泣きそうな顔してたよ、今朝もさっきも。……なんで?」
なんで、って、それをアナタがききますか?
それでも、ロックオンされちゃった視線は、いくらこっちが外してみても、あたしから離されなかった。
「……だって、嵯峨君持ってたんだもん、チョコ二つも。で、さっき見たら、増えてるし。で、怖気付いて諦めようとして」
「ゴミ箱に、か。危なかったなぁ」
あたしだけだと思ってた。いかつい嵯峨君をいいなって思ってる子。なのにそれは勘違いで、ちゃんと彼の魅力を分かってる人がいたことに焦って、出遅れたことに焦って、何もできない自分が悲しかった。
俯いてしまうと、ぽんと頭に大きな掌が乗った。
「……ほんっとかわいいね、滝田さん」
そのまま圧を掛けるようにぐりぐり撫でられた。か、かわいいって、なんで? って云うかとりあえず圧が強いです。
「ちょ、もげる、やめてー」
お願いしても「ダメ」って拒否された。でも掌はぐりぐりをやめて、後頭部に留め置かれた。
「……そのまま聞いて。いま俺、顔緩みまくりで、こんなん見られたくないから」
「え、見たい見たい」
「ダメですー。……あれねぇ、アズカリモノ」
「……え?」
「俺宛てじゃないの。同じクラスのモテ男宛てに、バイト仲間の女子から渡せって云われて持たされてただけ」
「信じられないよ。じゃあ、今持ってる分は?」
ちょっと拗ねた声で聞いてみたら、もっと拗ねた声が返ってきた。
「――罰ゲームで、部活の後輩から、もらった」
思わず、ぶっと笑ってしまった。
「えっと、一応聞くけど、後輩って男の子……なんだよね」
「当たり前だよ男子校だよ? なのに、こないだ記録会でタイムが伸びなかったからって――あ、俺、陸上部なんだけど、怒られた一年坊主三人と俺が部長から『罰としてバレンタインにチョコのやり取り。一年はちゃんと本気っぽいチョコを用意して嵯峨もちゃんと受け取る事』なんて云われてさぁ、もうへこむ……」
「――そっか」
安心した。もう、両想いになったからいいっちゃいいんだけど、やっぱり他にライバルがいるとしたら気持ちがもやもやするから。
「大体、俺みたいなのに食い付く滝田さんみたいな趣味の悪い人なんかそうそういないんだよ」なんて云われた。
「趣味悪くないもん」
「悪いよ、普通は子安に行くもんだ」
なら、嵯峨君はあたしだけの嵯峨君だ。嬉しくてたまらない。
「他人宛てのバレンタインのチョコなんか持たされて、気になる子は泣きそうな顔して、ほんと今朝はまいったよ」
そう云われると、ますますこちらの勘違いが恥ずかしい。
ごめん、と小さく口にした。すると、頭の上の掌が一回、優しく大きく動く。
「一日じゅう、滝田さんの顔がちらついた。いつもの涼しげな顔じゃなく、今朝の泣きそうな、顔。んで、今日部活休みだからいつもより早い電車乗ってたらそっちも乗って来ただろ? すげーな、バレンタインでこんなの、運命だなとか思ってたのにやっぱり滝田さんは泣きそうな顔して外見てて。どうしたんだと思って、どうしても様子が気になって一緒に電車降りてみたらチョコ捨てようとするし。ふられたのか、とか、好きな奴いたんだ、とか、さっきも頭ん中ぐるぐるよ」
そんな風には見えなかった。――気を遣っていつも通りで、いてくれたんだ。
「優しいよね、嵯峨君」
今まで何度も朝に見た優しい嵯峨君を思い出して、云ってみたら。
「優しくないよ。男だもん、付けこもうと思ってたよ」と潔いお返事。
「それでも。こうしてくれなかったら、きっと、云えなかったから」
そう伝えたら、後頭部に乗っていた手で犬にするみたいにわちゃわちゃって髪を撫でられて、それでようやく解放された。
右手で髪を直してたら、「――俺からも、質問して、い?」と聞かれた。
「うん、何?」
「その、チョコレートは誰にあげるの」
「誰にもあげないよ」
せっかくもらったのに。
体で隠すようにすれば、悲しげな顔をされた。
「俺にも?」
「『俺』宛てのは、さっき食べた奴だから」
二人で食べようって云ってたけど、嵯峨君がもりもり食べてくれて、嬉しかった。
「じゃあその、左手に持ってるのはどうするの?」
ようやく彼の云いたいことが分かった。
思わず赤くなる顔をまたマフラーに埋めるようにして、ぼそぼそと申告する。
「あのね、あたしの学校って女子高なのね」
「うん、知ってる」
「これ、後輩からあたしにってもらった奴なの。罰ゲームとかじゃなく。だから、あげられない」
そう云うと、嵯峨君は「うーわー……ごめん」と頭を抱えてしまった。
「もう、マジ恥ずかしいんですけど」
「あたしは嬉しいけど」
「ほんとに? やじゃない?」
「やになる要素なんかどっかにあった?」
本気で分からなくて聞き返すと、「……やばい滝田さんかわいすぎる」と聞きなれない讃辞をふたたび戴いた。嬉しいくせに、テンパってしまって、「さ、嵯峨君、かわいいって云うのはね、ふわっふわで守ってあげたいような女の子のことを云うんだよ!」と云われたことを全否定してしまった。
そしたら嵯峨君はさらりと「? だから、滝田さんのことじゃん」って当たり前のように云ってくれた。かーっと漫画みたいに顔が熱くなるのが止められない。
「あ、りがと……」
マフラーをぐいと押し上げて顔を隠しながら、小さく呟いた。
「うん。かわいい、かわいい」
嵯峨君はこの日ずっと、そう繰り返してくれた。
名残惜しいけど、いつまでも駅のベンチでこうしてもいられない。
嵯峨君はまだ電車に乗らなくちゃだし――聞いたら二つ先の駅だった――、あたしだってそろそろ帰らないと。
電車がやって来るのを二人で待って、そしてやって来た電車に嵯峨君が乗り込むと、あたしはホームでお見送りをした。
「またね」
「うん、また明日」
こんな風に言葉を交わせる日が来るなんて。
ぷしゅーっと音を立てて閉まる扉の向こうで、嵯峨君が手にした携帯を指差して何かを伝えている。――メールする、だって。
あたしも、うん、と頷いて、待ってる、と口を一字ずつ大きく開いて伝え返してみた。ガラスの向こうで嵯峨君がにっと笑ったから、通じたと思う。
嵯峨君を乗せた電車が遠ざかってから自分も改札に向かった。相変わらず赤い頬と緩んだ口は、まとめてマフラーに埋めて隠す。
左手には、後輩たちからもらったチョコレート。右手にあったチョコレートと気持ちは、嵯峨君になんとか渡せた。今、右手の中が空っぽなのが妙に誇らしい。
今日が嵯峨君の部活のお休みの日じゃなかったら、一本でも乗る電車が違っていたら。――色んな偶然のおかげで、こうなった。
それから、嵯峨君が、あたしを追いかけてくれたから。
気が付けば浮かれた気持ちのまま、早足で競歩のように歩いていた。はっと気づいて照れていると、コートのポケットの中で携帯が鳴る。着信メールが携帯会社からの無粋なご案内じゃないことを祈りつつ開いてみると、ちゃんと嵯峨君からの初メールでどきんとした。
『滝田さんのことを思い出して、チョー浮かれてます。電車の中で怪しい人にならないようにするのが大変』
そっちもか! 案外似てるのかなあ、あたしと嵯峨君。
マフラーにより一層顔を押し込めて、一言『あたしも』と返した。
明日の朝が待ち遠しいと思いながら、また早足になりすぎないように気を付けながら帰り道を歩いた。その様子を中学の時の友人に目撃されていたらしく、家に帰った頃『なんかニヤニヤしながらものすごく早い足取りで麻実ちんが商店街を歩いてくのを見たんだけど、どうした?』ってメールが来たから、やっぱり隠せていなかったみたいだ。
苦笑しながら、『彼氏が出来た』と一言だけ書いて返信した。
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