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如月・弥生  作者: たむら
season1
17/41

苦い苦いコーヒー(☆)

「クリスマスファイター!」内の「甘い甘いコーヒー」の二人の話です。

 あなたが飲んでいるコーヒーは、私の飲むコーヒーとずいぶん違う。

 深煎りのブラックが好きなあなた、ミルクもお砂糖もたっぷりの酸味も苦味も少なめが好きな私。

「それ、俺の知ってるコーヒって飲み物と違う」と、お出かけのたびに小池(こいけ)さんは笑う。普段無口で滅多に笑わない小池さんのレアなその表情を見ると、いつも私はとっても幸せな気持ちになる。しゅわーって心の中に小さな泡がたくさん生まれては浮かび、弾けていく。でも、それを気取られたくなくてつんと澄ましてしまうのも、いつものこと。

「そっちこそ、何かの煎じ薬かと思いますよソレ」

「せっかくおいしいのに、ほんとに杉田(すぎた)さんは残念だな……」

「なんですか! 勝手に残念認定して溜め息吐かないでください!」

 冷静沈着で、アクシデントにも柔軟に対応し、どんなお客様にも綻びを見せない鉄壁の接客で、親しみを持たせても馴れ馴れしくはさせない鋼のチーフ。

 それが、オフィシャルな私なのに。

 この人だとその衣を簡単に脱がされて、ただの等身大の私になっちゃう。

 小池さんも、二人でいる時はいつもより表情が豊かみたい。笑ったり、照れたり。


 たまにお休みが合うか双方とも早番シフトで上がれる日は、こうして二人でお茶をしたり食事に行ったりするようになった。お友達のような、お友達じゃないような。ワリカンにさせてもらえないから、お友達じゃないと解釈したい。――小池さんの方が少しだけ年上だからお会計を持ってくれるのではないと思いたいところ。


 一年中飛行場で日差しや風に晒されている小池さんは浅黒い肌をしていて、屋外で働く人特有の皺が目じりに刻まれている。ヒールを履くと私の方が少し高くなるけど、肉体労働で培われた身体は、がっちりしていて頼もしい。作業着とブーツ姿も素敵だし、今日みたいにミリタリーコートに薄手のVネックのニットとTシャツにジーンズ、みたいな格好も侮れない。コーヒーカップを口元に運ぶ時、ニットの腕のあたりはぱつぱつで、太い指で取っ手を抓むように持つコーヒーカップは私にサーブされたものと同じ大きさの筈なのに一回り小さく見えてしまって、そんなのにいちいちときめいてしまう。


 恋なんて、初めてでもないのに。過去の恋人とはもっとセクシャルな関係だったことももちろんあるのに。でも、小池さんとの恋は、なんだか遅れてきた初恋、みたいだ。

「何?」

 私の視線に気づいて、小池さんが聞くけど、『見惚れてました』なんて云えない。だからつい、「おいしいですか、その煎じ薬」なんてかわいげのないことを云ってしまう。またそれを受けた小池さんも、反抗期のお嬢さんみたいな私の言葉をさらっと受け止めて、「うん、杉田さんと一緒に飲んでるせいか、おいしいな」って云ってくれた。そのコメントに、またときめいたり。


 お休みの日がなかなか合わないせいだろうか。そこそこ大人なせいなのか。

 こうやってプライベートで会うようになって三か月目に入るけれど、未だ『お茶か食事』以上には至らない。それらしい言葉ももらってないし、こちらからも掛けてない。バレンタインのあたりは互いに忙しくて会えずじまいで、そうこうしているうちに用意したチョコレートは渡しそびれたまんまだ。

 タイミングは、一度外すともう一度チャンスが巡って来るまでのスパンが長い気がする。


 一度、そんな感じになりかけたことがあった。

 二週間前、二人で出かけた平日の、ぜいたくにも貸切り状態なシネコン。映画が終わり、立ち上がったところでポップコーンの入れ物を私がうっかり落としてしまった。もう幾粒も入っていなかったけど、二人してしゃがんでせっせと拾っていたら。


 同じ粒を追いかけていた互いの指先が、触れた。ぴくりとして、でもそれだけで、すっと離れていかない指が嬉しい。

 念入りに塗った、でもさりげない色合いのネイルの指が、小池さんの親指と人差し指に抓まれる。思わず顔を見ると、無表情のように見える小池さんの目の中に、色んな色が浮かんでいるように思えた。

「小池さ……」

 そう声を掛けたところで、何を云いたかったのかは分からない。それでも、掠れたような声が出た。小池さんが、絨毯に片手をついたまま顔を斜めに寄せてきたから、吸い寄せられるようにして私も近付いた。

 目を、瞑る。


「すみませーん、清掃が入りますのでご退場願いますー!」

 甘やかな空気は、突然飛び込んできたその言葉で霧散した。

 慌てて立ち上がる私と、「すみません、ポップコーンを落としてしまって」と清掃の人に冷静に告げる小池さん。その声色にもう何も帯びていないのが憎らしい。

 暴走しそうな心臓を宥める為に、離れてしまった寂しい指をごまかす為に、乱れてもいない前髪をせっせと整えた。そんな私を振り返って小池さんがくすりと笑うから、ドキドキしながらまた心の中で炭酸が弾ける。

「杉田さんが好きそうなヘンテココーヒーがいっぱいあるお店にでも行こうか」

「ヘンテコって! シアトル系のコーヒーショップ好きの人に怒られますよ!」

 二人ともわざと、明るく振る舞った。


 あれが、今までで最大の接触だ。

 以来、指にも触れられない。唇なんてもってのほかだ。昔のアイドルの歌じゃないけど、あなたって手も握らない、だなんて。――この歳になって、こんな風にもどかしくさせられるとは思いもよらなかった。でもそれはお互いさま。私だって、ちゃんと気持ちを告げてないし。


 大人の恋は、いいなと思ったその先に一歩踏み出すのが難しい。でも、これも悪くないとどこか楽しんでいる私がいる。

 訳も分からず何かに急かされたような焦った気持ちになって、心が追いつく前に体の関係を持ったりはしない。翌日の仕事に影響が出るようなこと――夜中に電話を掛けたり、自分の気持ちだけで気ままに相手を振り回したりもしない。

 冷静に、地に足がついたままじっくり恋愛するとこうなるんだなんて知らなかった。

 この歳になっても、まだ初めてがあることが、嬉しい。それを教えてくれるのが小池さんだからもっと嬉しい。


 傍から見たらきっとどちらの側にも脈がないように見えるだろう、私と小池さんの距離感。一見、何でもなさそうで、でも二人ともなかったことにはもう出来ない筈だ。

 一晩で燃え上がる恋、とは違う。充分に熱された白炭の上で、長い時間を掛けて燃やされているのが分かる。――そろそろ頃合いじゃないかな。もし私だけがその気で、小池さんはまだそんなつもりじゃなかったら一歩引いて様子見したっていい。いざと云う時にしっかり捕まえられるように、爪とぎのお手入れを欠かさないままのんびりと待っていればいいだけ。


 テーブルのあちら側に座っている小池さんの『煎じ薬』。

 それに手を伸ばして、「一口ください」と断ってから、カップに触れた。いい? と目でも聞いてみたら本当に? やめとけば? って心配そうな目を返された。

 きっと、おいしいとは思えないけど、でも、あなたのくちびるがふれたところにキスをしたかった。

 こく、と飲めば、深煎りのそれはやっぱり私には苦いばかり。

 よほど情けない顔をしていたんだろう。ほら、と呆れた小池さんがお水をくれた。

「杉田さんて、冷静そうなのに時々考えなしだよね」

「小池さんは真面目っぽいのに意外と毒舌ですよね」

 口の中から苦みが消えてようやく応戦出来た。そして、カップに残る口紅をきゅっと紙ナプキンで拭き取ってから、小池さんにコーヒーを返す。

 小池さんが再びカップに口を付ける。そこは、私も口を付けたって分かっているかな。

 見つめてみても、小池さんの目に浮かぶ表情はよく読み取れなかった。


 ふと、何かを思い出して小池さんがカップをソーサーごとテーブルの脇に寄せる。――残念。誘惑のつもりだったことは不発みたいだ。少しがっかりして、また『様子見待機』に入る。


 小池さんは横に置いていた帆布のショルダーバッグから携帯を取り出して何やら操作すると、テーブルの真ん中に置いた。

「メールと電話以外で使わないから、最近まで知らなかったんだけど、これ」と示されたのは、携帯に入っている辞書メニューの中の、『日常英会話集』。さらに操作して示されたのは、『恋愛』と云うカテゴリー。

 その中から、小池さんが選んだのは。


 Come closer.

 ――もっと俺に近付いてくれ。


 と云う例文だった。

 ……ほんとうに?

 思わず見上げれば、真剣な顔をした小池さんと目が合う。

「……俺はこんなんだから、気の利いたこと一つ云えないけど、……」


 再び落とされた視線と、慣れない手つきで操作されるボタン。


 I thought that you're so cute.

 ――すごくかわいいと思ったんだ。


 それを見て、顔が赤くなる。

 あの、夏の日の終業後に? 口にしていたか分からないけれど、小池さんがそうだと頷く。そして。


 What do you think of me?

 ――俺のこと、どう思ってる?


 畳み込まれるように次々見せられて、不意打ちの攻撃の前に憎まれ口も嘘もこちらからの反撃も、何一つ出来そうにない。


 だから、「携帯、貸してください」とコーヒーに続いて今度は携帯も借りてみた。

 例文をスクロールする。そして見つけた。


 Don’t play hard to get.

 ――焦らさないで。


 それを見せると、「ごめん、焦らしてるつもりはなかった」と謝られてしまった。これだけじゃお返事になっていないなと、また気持ちに近い言葉を探す。見つけたのは、


 I find you very attractive.

 ――あなたのこと、とっても素敵だと思う。


 おずおずと目線を上げると、また滅多に見られそうにもない、とんでもなく嬉しそうな小池さんと目が合う。


 Be gentle.

 ――やさしくしてね。


 そうねだってみれば、「自信ないけど、出来るだけそうする」と云ってくれた。

 調子に乗って、


 You make me happy.

 ――あなたは私を幸せな気持ちにしてくれるの。


 もう一つ、本心を伝えてみたら。


 May I hold your hand?

 ――手をつないでもいい?


 小池さんからもまた例文に乗せられた気持ちがやってきて、私の返事を聞かずにもう手は繋がれてた。二人して、互いに顔を見合わせて笑った。

「何やってんのかなあ」

「ほんと」

 行こうか、と手を繋がれたまま立ちあがった。

 いつものようにご馳走してくれたので、いつものようにお礼を云う。そしたら、「デートなんだから、当たり前」ってさらりと云われてしまった。

 でも、肝心の言葉をまだ聞いていない。それを聞かなくちゃ、このお出かけをデートにはしてあげない。そんな気持ちで横顔を見たら。

「……ちょっと待って。店出てから」と苦笑交じりの待ったがかかった。店員さんの声に送られて扉を開ける。

「歩きながらでも、いいか?」

「いいですよ」

 ゆっくりと、人通りの少ない小路へと歩き出した。日当たりが良くて車が来ない道には、そこここで猫が寛いでいた。

「……俺、こんなだからあんまり女の人の喜ぶようなことを云ったり、したり出来なくて」

「小池さんがエスコート上手だったら、ちょっとヤです」

「云ったな」と答えながら、それでもムッとしてはいない。

「それで、付き合っても『つまらない』『何考えてるか分からない』って云われて終わることも多くて」

「小池さんと一緒にいてつまらなかったこと、一度もないですよ?」

 素で答えたら嬉しそうに目じりの皺が深くなった。

「でも、何考えてるのかなーって思うことはあるから、その時は聞きます。ちゃんと教えて下さいね」

「うん」

 今は分かる。すっごく嬉しそう、だ。

「それで、肝心なことはいつ云ってくれるんですか?」

 拗ねた声になってしまった。だって、さっきから云い訳ばっかり。

 いつの間にか立ち止まり、正面を向き合っていた。急かす私を宥めるように、繋いでいない方の手が私の頬を包む。

 見ていられなくて俯いてしまう。これで『いいお友達だよ』と云われる訳はないだろうと思うけど、でもまだ分からない。ドキドキする。――お願い、早く。


 欲しかった言葉は、永遠にも思える位に長い沈黙ののち、ようやくもたらされた。

「好きだ」

 飾らないその言葉は無骨な小池さんそのもので、嬉しくて俯いたまま笑ってしまう。

「……笑うなよ」と、拗ねてしまったその人に顔を上げ、「私も」と同じく短く返した。

「私も、何?」

 今度は一転、小池さんがいたずらっぽい目で笑う。私のコーヒーをちゃかす時とおんなじだ。

 でも、云ってもらったんだからだんまりはナシだよね。

 一息ついて、心臓を落ち着かせて、背筋を伸ばして、それから、それから。


 小池さんよりずっと時間を掛けてから返した、もらったのと同じ言葉を、小池さんは「うん」と受け止めてくれた。

 その一言で、心の中の炭酸が盛大に弾けた。

「あ、そうだ、小池さんこれ」

バッグの中から出したのは、渡しそびれていた小箱。中に入っているのは炒ったコーヒービーンズをチョコレートでコーティングしたものだ。

「遅くなってごめんなさい」

お詫びと共に渡せば、「ちゃんと手に入ったから、いいよ」と少し笑って受け取ってくれた。何が? とそれが何だか分からない私に小池さんが告げたのは、私の下の名前だった。


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