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如月・弥生  作者: たむら
season1
16/41

七瀬さん、不機嫌そうなの(☆)

「クリスマスファイター!」内の「篠塚君、幸せそうなの」の二人の話です。

七瀬(ななせ)、そんな風にストロー噛むのはお行儀悪いよ」

 てやんでえ、べらぼうめ。ほっとけってんだこの野郎。

「七瀬、眉ぎゅってしてると皺寄るよ」

 だったらそうなるようなことを云うな、そしてするな元凶のくせに。


 目の前では、二年の時を経てクリスマス前夜に元恋人から恋人へと返り咲いた篠塚(しのづか)(まなぶ)が蕩けそうな目を隠しもせず私を見ている。当然、『甘いメンチ切り対決』なんぞ不得意な私は早々に白旗を揚げた。すなわち、見つめていられなくて目を逸らした。すると、奴は私の手をひょいと掬い、おまけに下から覗き込んでくる。右に左にと視線を動かしても、必ず捕えられてしまった。

「……おい」

「俺は『おい』じゃないでしょ。そんな昭和のお父さんみたいじゃなく、ちゃんと呼んで」

「今すぐその手を放すんだ篠塚学」

「七瀬、」

 甘いのにどこか厳しさのあるその声色に思わずびくっと身を竦め手を引こうとすれば、そうはさせないと云わんばかりにその綺麗な手で私の手は閉じ込められる。

「ちゃんと、って云ったよ俺」

「……」

 見つめられて、逃げ場もないので仕方なく見つめ返して、ごにょごにょと何とか名前らしきを口から絞り出すと、それでも篠塚学は嬉しそうにまた目を蕩けさせた。

「もう、素直じゃないんだから七瀬は」

「だったら他の女子を好きになればよかろう」

「それ、二年も待ってあげた俺に云う?」

 不満げに、取ったままの私の手を弄ぶ。下から支えるように持って、私の手を包んでいても充分に余った指の先でさわさわと手の甲を触る。綺麗な手。綺麗なだけでなく、二年前と変わらず――ひょっとしたら二年前よりも――私のことを天国に連れてっちゃうみたいに気持ちよくしてくれる、ちゃんと『男』の手。いかんいかん、何を考えてんだ私は痴女でもあるまいし。お天道様が見ているぞ襟を正せい。

「真昼間のシャレオツな女子満載のカフェでそう云うことをするなっつうのラテン男気取りか」

 噛みつくように云ってみても、篠塚学ときたらどこ吹く風だ。

「それ位がっついてるんだよねえ俺、何と云っても二年分のおあずけ期間があったもんだから」

 片手で私の手、片手でカフェオレボウルを上から掴むように持って、当たり前のようにそう答えてからカフェオレを飲む。そのままこっち見んな目がつぶれる。

「……いいから、放せっ」

「いやだよ」

「即答しないで少しは考えたらどうだ」

「考えたって答えなんかどうせ変わんないし」

「人前でいちゃいちゃするのは苦手だって前の時にも伝えただろうが!」

 小声で抗議したところで右から左へとスルーされる。そして、篠塚学は笑っているくせにひやりとした目をしていた。――あ、怒ってんなコイツ。

「だって、誰かさんは俺に自分じゃなく他に好きな人がいるとかカンチガイして決めつけたし、結局誰かさんの意見を尊重してたら別れられちゃったからねえ、俺もう我慢しないことに決めたの」

「ぐ、」

 それを云われると痛い。一点の反論も出来ないからだ。すなわち、篠塚学サイドには落ち度はなく、私の方で渋る篠塚学を寄り切ったのが二年前のお別れの主たる原因であるからだ。

「そんな訳で俺は愛の言葉もいちゃいちゃするのもいつでもどこでも出し惜しみしないから、まあ慣れて、七瀬」

「慣れるかあああ!」

 ガターン! と高らかに音を立てて椅子から立ち上がりつつ反射的に返せば、真昼間のシャレオツな女子満載のカフェで衆目を集めまくってしまったのは私で、顔は赤くなるし頭の中は真っ白になるし心の中は上を下への大騒ぎだ。そうして私がただつっ立っている間、篠塚学はどうしていたかと云うと、何かありましたか? なんて云う顔をしてこれっぱかりも慌てたりせず、周りの人達に『お騒がせしました』とにこやかにお詫びをしてさりげなく伝票と私のバッグを手にして、――もう片手はずっと繋いだまま――颯爽とお会計を済ませてその店を出た。途端に私は店先でしゃがみこんでしまう。頭も抱えたいが手を繋がれていてはそれもままならない。

「……ああああ、この店好きだったのにもう来れないじゃん……!」

「七瀬、ミニスカートでしゃがんでるとパンツ見えちゃうよ」

 そう云われて瞬時に立ち上がる。

「そうそう。見ていいのは、」

 結んだままの手をくっと引かれて、篠塚学の胸に抱き寄せられた。そして、「俺だけだからね」と耳元に囁かれ、ついでにそのまま耳にキスをされる。飛びのきたいのに、繋いでいない方の篠塚学の手はがっちりと私の腰に巻き付けられていたのでそれは不可能だった。

「お前……!」

「お前じゃない」

「……学!」

「何、七瀬」

 ただ、ちゃんと聞こえる声で名前を呼んだだけ。それだけで、篠塚学は泣きそうな、それでいて嬉しそうな笑みを私に惜しみなく振る舞う。そんな顔されたら『お前はどうしてそうなんだこのトンチキめ!』って文句が云えなくなってしまうではないか。足掻いてみても抜けられないなら抵抗など無駄の極みなのであくまで仕方なく力を抜いてその胸に頬を寄せた。『あくまで仕方なく』と云う点にご留意いただきたい。

 ベージュのコートは前を開けられていて、カーディガンが優しく私の頬を擽っている。カーディガンの下に着ているシャツは、今日はお休みで仕事じゃないから柔らかなネルシャツ。くるくるっと首に巻いたマフラーは篠塚学を実年齢より幼く見せている。そんな恰好に見惚れてしまいそうなのが嬉しいやら悔しいやら、やっぱり悔しいやら。

 ――今日、篠塚学が身に着けている物は私からの誕生日兼バレンタインのプレゼントだ。

 誕生日とバレンタインの日にちが近いので、前のお付き合いの時に『無理に二つとか用意しなくていいよ』って云われてた。高価なプレゼントをよしとしない男なのを知っていたから、プレゼントはいつもそう値の張らない物で、向こうに好きな人がいるならいつか別れるであろう(カノジョ)より長く傍に置いてもらえたらと云う願いから、使い捨てではない物だった。

 お別れしてからも、篠塚学のお誕生日が近付くと街に出てあれでもないこれでもないと探して買い求めては、『元カノから身に着ける物とか贈るのはヘンだろう』と我に返り収納にしまいこんでいた。

 その二年分の品物を、先日『少し早いけど』と今年の分も合わせて渡したら、想像以上に喜ばれ浮かれられ、その日の夜のスキンシップはいつもより濃厚かつ過剰なもので――、まあそれはどうでもいいことだ。とにかく今日のデートで、篠塚学はそれをすべて身に着けてきてくれた。

 チャコールグレーのカーディガンはイギリスの老舗メーカーの物だけど、セール品でギリ予算内だった(と、これは渡した時にも釈明をさせられた)。

 ネルシャツはチェックの具合が非常にかわいらしい一品だ。それを探すのにずいぶん時間がかかった。その甲斐あってとてもよく似合っている。

 そして今年は、黒のカシミヤのマフラーを贈った。ネルシャツもカーディガンもオフタイムに身に着けるものだけど、黒いマフラーならオフタイムにも仕事の日にも使ってもらえるから。そんならしくない発想をしてしまう自分が痒い。

 どうにも照れ体質らしい私は、今更恋愛体質になんかなれない。それは長年の付き合いの篠塚学も分かっていて、『無理しないでいいから。七瀬のそんなとこも、俺は気に入ってるしね』と容認してもらっている形だけれど、それも今日みたいにちょいちょい仕掛けられてその都度盛大に自爆してしまっていては、なんとも情けない。

 たまには、こっちから反撃だってしたいんだコンチクショウ。

 降り注ぐ愛情と言葉と態度は、恥ずかしいだけじゃない。ちゃんと嬉しい。

 だったら私だって、少しぐらいやり返したいと思ってもいいだろう。いいと云ってくれ誰か。


 さ、行こうかとやんわり解かれた拘束はほっとするけど寂しい。そして辛うじて繋がれたままの手が嬉しい。我ながらなんて勝手な女なんだ私は。おまけに面倒でもある。私が篠塚学ならこんな女の相手なんか断じてごめんだ。でも篠塚学は篠塚学であって私ではないので、決してそんなことにはならない。それは私にとっては泣きたくなるほど嬉しく安堵することだ。

 捨てられたくないし捨てたくない。好きだし好かれたい。

 もし万が一この先別れることになったとしても、もう話をせず云い分を聞きもしないで一方的に思いを押し付けるような真似はしないと心に決めた。

 話をする。分かりあうまで何度もする。そして受け入れる。それが、恋人ではなくなっていた二年間に互いが学んだことだ。


 未だ、繋がれたままの手。すこし緩く結ばれたそれを、えいとばかりに絡めてやった。

 篠塚学がぴくりと身じろぎ、『コイビトツナギ』などと云うこっぱずかしくも乙女心満載な名のついた絡め方のその手を見て、そののち私の横顔をまじまじと見た。やめろ、穴が開いたらどうしてくれるんだ。そう云いたいのをぐっと堪えて、絡めた手に力を込める。すると、その返事のように、絡めた手は向こうからもきゅっと一瞬力を加えられた。

 嬉しいやら恥ずかしいやら、やっぱり嬉しいやら。多分、私は今ものすごくヘンな顔をしている。怒ったような、でも口元が笑っちゃいそうな。頬もきっと赤いまんまだ。


 数寄屋橋の交差点で、信号が変わるほんの数秒前。

 横断歩道の向こう側の歩行者信号を見たまま発した「学、好き」と云う囁きほどの小さな言葉は、信号が変わる前にと急ぐ車の行き交う音もあって他の人の耳に届く筈もない。なのに、きちんとキャッチし得た篠塚学の耳はどんだけ高性能なんだ。


 信号が変わって人々がスクランブルに歩き出しても、私と篠塚学の二人が横断歩道へ踏み出すことは出来なかった。云い逃げしてさっさと歩こうとした私は、やっぱり篠塚学には敵わない。

 不意打ちの筈の私の言葉に呆然としていたのはほんの少しの間のこと。すぐにいつもの自分を取り戻した篠塚学は、

「……俺も、七瀬のこと大好きだよ」と私の姑息な告白よりもその表現をバージョンアップさせ、しっかり私の目を見ながらはっきりと聞こえる声で告げて、そして先ほどカフェの店先でしたように再びぎゅうと私を抱き締めた。そして数寄屋橋の交差点にほど近いその歩道で衆目を集めまくった挙句、さらなる暴挙に出た。すなわち、ディープなキスをした。

 こんなところでこんなことするとかお前はどれだけ強心臓なんだ、と云いたかった言葉は、言葉にならないまま篠塚学の舌に絡め取られ飲み込まれた。


「お前と云う奴は!」

「お前じゃないでしょ」

「バカか! バカなのか! 見ろいい恥晒しだ!」

「バカだよ、こんなことするとか自分でもバカだと分かってるよ」

「じゃあなんでしたんだ!」

「そんなの決まってるよ、七瀬のこと好き過ぎて、だよ」

七瀬さん、撃沈。


続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n4804ce/14/

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