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如月・弥生  作者: たむら
season1
15/41

おでこにちゅ。(☆)

「クリスマスファイター!」内の「ほっぺにちゅ。」の二人の話です。


「ただいまー」と帰って来たあなたのおでこには、スーツに似合わない、白い湿布がぺたりと貼り付いていた。

「おかえりなさい」と声を掛けるわたしも、それにいちいち驚いていたのは結婚当初まで。よくあることなのだ、この背の高い人がどこかに頭をぶつけるのは。でも湿布は久しぶりかな。

「またぶつけたんですか?」

 怒ると『ですます』口調になってしまうけど、今のこれは呆れてだ。云われたあなたは何でもないことのように「そう、またぶつけました」と『ですます返し』をしてきた。

「湿布、替えますか?」

「お願いします」

 そう云って、リビングのソファにぼすんと無造作に座り込む。まだジャケットを脱がず、ネクタイも緩めず、きっちりお勤めの人の格好のまま。

「痛かったらごめんね」と断りつつ、横に座っておでこの湿布を剥がす。なかなか粘着力が強かったらしく、何度か眉が顰められた。


「じゃあ貼るよ」

 さっき貼っていたのと同じくらいの大きさに切った湿布を、少し膨れているあたりに貼り付けた。

「つべてっ」

 だから、その格好でやんちゃ坊主みたいな反応、面白すぎるってば。笑いながら、「はい、おしまい」と立てば、手首をくんと引かれた。

 スーツがよくお似合いなのに甘えたさんのあなたが、ちょっと拗ねたような顔をして「してくれないの、あれ」ってわたしにおねだりをする。『あれ』とは、おでこをぶつけてしまった日のあなたに必ず請われるおまじない、だ。

「して欲しい?」

「して欲しい」

 ご丁寧に、目を瞑って、わたしの方に身を乗り出して。だからわたしも、それ以上はもったいぶらずにあなたの前で屈んだ。

 髪に手を入れる。耳に触れると少し擽ったそうにして、でも目は瞑っている。

 湿布の上から、そっとキスをした。そして唇を当てたまま、「……早く治りますように」と囁いて、仕上げにもう一度『おまじない』をした。



 気を付けていても頭をぶつけてしまうことがよくある背高のあなたは、初めて会った時――お見合いの席である老舗の料亭の個室に入って来た時――にも、お約束のように思いきりおでこを打っていた。古い日本家屋でモダンだけれどいわゆる普通の飲食店にはない鴨居が、彼には禍した形だ。

 ――大丈夫ですか!?

 わたしは『初めまして』も何もかもすっ飛ばして、入り口でおでこを押さえて蹲るあなたに駆け寄った。

 ――すみません、ちょっとぼーっとしていて……

 そう云って眉を顰める顔に、冷やかに見えたお見合い写真よりもずっと親しみを感じた。

 ――ごめんなさいね、うちのバカ息子はお見合い相手のお嬢さんがあんまり可愛らしかったから見惚れててぶつけたみたい。

 そういってあなたのお母さん――今はわたしのお義母さんでもある――がからからと笑う。冗談なんか云っている場合だろうかとオロオロしているわたしに、よくあることだからそんなに心配しなくても大丈夫と云ってくれた。

 そして席に着き、挨拶やら紹介やら、お見合いらしく話が進んでいく。その横で、給仕の人がお水を注いでくれたので、わたしは手持ちのハンカチをたっぷりと濡らして、まだ痛そうに時折おでこをさするあなたに、

 ――これ、よかったらおでこにあてて下さい。腫れは引かないかも知れないけど、気持ちいいだろうから、とすすめた。あなたも受け取って、

 ――すみません、お言葉に甘えて、お借りしますね。

 そう笑った顔が、とってもかわいかったのを覚えてる。

 そのやり取りでお互い緊張が解けたのか、スムーズに会話は進んだ。もっとずっとこの人とおしゃべりしたい。そう思ったものの、朝からの雨が止まずに降り続いていたので『あとは若い二人に任せて』なお庭散策も出来ずに、ちょっぴり物足りない気持ちでお開きを迎えた。

 料亭の玄関先で、下足番のおじいさんに履いて来た靴を出してもらう。玄関を出たところには小さな池があり、そこには大きく育った鯉がひしめくように泳いでいた。苦手な人なら涙目間違いなしのちょっと異様なその光景に、彼は興味を持ったらしい。下足番のおじいさんに、

 ――これは、いつからいるんですか? なんて聞いて、いつからでしょうかねえ、なんてあやふやに答えられて。

 ――こりゃタコ部屋だな。鯉のくせに。と呟いたのを耳が拾ってしまい、笑いを堪えるのが大変だった。

 タクシーが来たので挨拶を交わしてそれぞれ乗り込む。どうだった? と興味津々な叔母に苦笑しながら、鴨居にぶつけたおでこは大丈夫かしら、と心配して、『鯉のくせにタコ部屋』を思い出しては笑いそうになって。

 あまり感情の起伏が激しくないわたしには、珍しい一日だった。


 ハンカチを貸したままだったことに気付いたのは、夜になってからだ。

 もし、ご縁がなくてもう二度と会えないのであれば、叔母を通じて返してもらえたらな、と思った。その真白なレースのハンカチは、わたしのとっておきの一品だから。


 翌日に叔母から電話が掛かってきた。いつも弾んだ声のその人が、一段と声を弾ませて、わたしに伝えた言葉は。

 ――先方から、よろしくお願いします、お借りしたハンカチは次にお会いした時にお返ししますってお返事が来たよ。よかったね。

 まさかの、よろしくだった。


 それからとんとん拍子で結婚が決まり、今こうして二人で生活をしている。

 分からないことや見解の違いもあって、クリスマスの時みたいにたまに喧嘩もしてしまうけれど、甘え上手で、甘やかし上手なあなたと結婚できてよかったなあってしみじみ思う。

 あの日、あなたがおでこをぶつけず、鯉にあんなに食い付かなかったら、わたしは恋しなかったかもしれない。

 だから、お見合い場所の料亭と鯉に感謝だ。普通のホテルの普通のお見合いだったら、心は動かなかったかもしれないから。


 そう伝えたら、あなたは渋い顔をして「そもそも『お見合い相手のお嬢さんがあんまり可愛らしかったから見惚れてて』ああなったんだから、鴨居がなくても柱にぶつかるか給仕にぶつかって水を被るか、何かしでかしてたよ」と貼ったばかりの湿布をさすって教えてくれた。

「じゃあ、絶対結婚してたかな?」

「してたね。一目ぼれだったんだ、こっちは」

 わたしをソファに座らせると、背もたれに手を付いて、もう片方の手でわたしの腰を支えて、ゆっくりとキスをした。

「わたしもひとめぼれだったよ、頭を豪快に鴨居にぶっついた人に」

 キスの合間にそう伝えると、「それもうちょっとかっこいい理由がいい」って唇を尖らせた。

「普段がかっこいいから、いいじゃない、たまには」って云ってみても「やだ」の一点張り。

「ほら、着替えして? スーツしわになっちゃうから」と促して、ようやくソファから立ち上がらせることに成功した。

 渋々と云った様子で寝室に向かうあなた。『不本意!』って張り紙してあるみたいな背中にどんと抱きつきたいけど、危ないから我慢だよねと、そっとお腹に話しかけた。


 バレンタインのチョコは事前に用意してある。焼酎好きなあなたに、焼酎ボンボン。気に入ってくれたら、きっと毎年の贈り物になるね。

 それから、サプライズの贈り物がもう一つ。


 セーターとジーンズになったあなたは、まだちょっぴり不満顔。でも、「秋にはお父さんになるよ」と伝えたら、落ち着きなくうろうろと部屋の中を歩き回ってまた頭をぶつけそうになって、


 とびきりの笑顔と、とびきり優しいハグをくれた。


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