彼だけど陸のひと(☆)
「クリスマスファイター!」内の「陸だけど空のひと」の二人の話です。
ショッピングセンターにお勤めするようになって二年目、お昼休憩がお昼の時間じゃないのにも慣れた。
三時にお昼を食べていた社食のテレビは再放送タイム。映し出されたのは、
――軍隊ではないと云う事になっている隊の、陸と海と空のうち、彼氏がお勤めしている陸、だった。しかもどうやら本人のいるとこらしいと、以前写メでもらって見覚えのある、建物の前に掲げたその部隊の旗が映された事で分かった。
戦車のように、私みたいなその方面に疎い女子でもぱっと見で分かる乗り物や、反対によく分からない乗り物が次々に紹介されて、そして彼が操縦するそのヘリコプターも映しだされる。最後にヘリを囲んで大勢の隊員さんが集合した中に彼もいた。
思わず、啜っていたうどんにむせそうになる。
その日の夜、早速その件でメールしてみた。
再放送見たよ、と送信すれば、どうだった? とすぐにお返事が来た。
『カッコ良かったよ、でもあんまり見られたくないなあ』
『どうして?』
『モテたら困る』
本気で心配しているのに、次に来たのは『ありえない!』ってタイトルのメールだった。
『絶対ないから、そんな心配するだけ無駄だよ』
絶対ないなんて絶対ない、と返事するのはムキになってるみたいだから止めた。かわりに、『もし合コンとか誘われても、彼女いますからって断ってね』とお願いしてみる。
『いつものろけてるから誘われもしないよ』
『ほんと?』
あんな真面目そうな人が、のろけ? にわかには信じがたいけど、嬉しい。
『ほんとだよ。云うと彼女のいない奴からボコボコにされるんだけどね』
大きい彼がなされるがままの図を想像したら、夜中なのにいつまでも笑えた。
そんなやり取りを数日前にしたのに。
何故か、『合コンに行かないで』とお願いしていた筈の自分が、職場の人たちの合コンに参加させられている。
同期の鈴木に「お前なんでここ来てんだよ!」って驚かれたけど、自分でも驚きだ。
「女子会だって聞いたからきたのにメンズがいてこっちだってびっくりだよ!」
私が憤慨していると鈴木が「あー……」と天井を仰いだ。
「そう云や、メンズファッションフロアのチーフがお前と飲みたいって云ってたから、多分それでだよ」
「彼氏いるのに!」
結構休憩とかで包み隠さず話しているのに。
苦い思いのまま眉を顰めていたら、鈴木が「まぁ何かあったら俺んとこ来いや。かくまってやるから」と本人的にはかっこいいつもりらしい顔で云ったので、「アリガトー」と全然あてにしていないのが丸出しの口調で流し、絶対途中で抜けて帰ると心に決めた。
そしてその一時間後、『俺んとこ来いや』と大見得を切っていた鈴木は、セクシー系OLブランドのお姉さま達にまんまと潰されていた。毎度の事なので期待していなかったよ鈴木。
「次、何飲む?」
「――いえ、もう帰りますから」
「そんなのもったいないよ、会費分の元は取ろう、ね?」
そう云って私を引き留めるのは、噂のメンズフロアの人。
合コン開始早々に右隣をキープされて、それでいて誘うような言葉を一つもかけてこないからやめて下さいとも云えない。おまけにチーフ格の人なので、アルコールを頑なに断り続けるのも難しい。『帰るから』じゃなく『飲めないから』って嘘も方便で云えばよかった。
帰りたいなあ。一〇日連勤で疲れてるのになあ。女子会で愚痴云い合って憂さを晴らして帰るつもりだったのに。私に声を掛けてくれた子は少し離れたテーブルにいて、目が合うと『ゴメン』と手を合わせて謝ってきた。それでチャラに出来る程大人じゃないけど、彼女も職場の力関係でお断りできなかったのかも、と思う事にする。
遅いお昼だったのに腹持ちの良くないうどんを食べたせいなのか、早々と空腹になったままここに来た。お通しの小鉢くらいじゃ胃が満たされるわけもなく、すきっ腹に入れたビールで簡単に酔ってしまう。
まだ、一応大丈夫。でもこれ以上飲んだらほんとに駄目だ。
油断するとすぐ注がれてしまうビールのコップに手で蓋をした。メンズコーナーの人が「サワーでも頼もうか」なんて聞いてくるのを、笑ってごまかす。
なにやってんのかな。
こんなとこにいないで、会いたい。声、聞きたい。
そう思っていたら、手で蓋をしていたコップを突然左横から現れた大きな手が攫った。一息に温いビールを飲んだその人は。
「なんで?」
「なんでって、鈴木君が潰れる前に俺に連絡くれたから」
あっさり種を明かしたのは、大好きな彼氏だった。
「なんで、鈴木の連絡先知ってるの」
「俺が前にアドレスを交換してくれって頼んだんだ、何かあったらすぐに連絡取れるようにって」
「さすが、『備えよ常に』だね!」と感心したら、「それはボーイスカウト」って笑われた。
もぞもぞと手をつないだら、笑ったまま手をきゅっと握り返してくれる。
一〇連勤に入る前は向こうが忙しくて、会うのは三週間ぶりくらいだった。約束のなかった今日、会えて嬉しい。すごく嬉しい。
彼は私の頬に繋いでいない方の手をあてて、「熱い」と一言云った。
「うん、結構酔ってる」と申告すると、「じゃあ出ようか」って、繋いだままの手を引かれて歩き出した。会費は開始時に徴収済みだから抜けても構わないだろう。元々一時間程度で抜けるつもりだったんだし。
「え、ちょ、ちょっと!」
メンズコーナーの人が慌てるけど、「彼氏が迎えに来てくれたから帰りまーす!」と高らかに宣言して、囃し立てる声を後ろに聞きつつ店を出た。とたんに、つんと鼻の奥が痛くなる程寒い。内ボア付のモッズコートとキュロット+タトゥーストッキングって云う格好は、二月の寒い夜には不向きだ。でもいい。今は彼が隣にいるから寒さなんてへっちゃらだ。
「歩ける?」
「だいじょーぶだよーう、歩けてるもーん」
しっかりと答えたつもりだったけど、語尾がのびのびだった。彼氏は困った顔して笑って、はあとため息を吐く。
「歩けてるのは俺が支えてるからだよ」
「あ、そうかあー。フフフ」
それを聞いて、もっと体重を彼に掛けるように体を預ける。
「歩きにくいよ」
「ごめんごめん~」
「悪いと思ってないだろ、それ絶対」
笑うと白い歯が見える。
うちのショッピングセンターにはいそうにないタイプの、おっきくて筋肉で真面目で優しい彼。モテないとか絶対信じないよ。
それに引き換え私ときたら、騙されたとは云え『出ないで』と云っていた合コンに自分が出ていて、こんなに酔って。――嫌われちゃったらどうしよう。
酔っ払っているせいか、想像しただけで涙が出る。
どんと彼の胴に抱きついて、「嫌いにならないで―!」って号泣したら珍しく狼狽えた彼が「なんで? 嫌になるわけないって!」と云ってくれた。
彼がジーンズのポケットから出したハンカチで私の涙を拭いてくれる。大きな手で、優しくそっと。そして、両方の手で頬が包まれた。
「どうしたの急に」
「――だって、今日、合コン出ちゃったし……」
「鈴木君から聞いてるから大丈夫。大変だったね、疲れてるのに」
その言葉に、嫌われるかもと張っていた緊張の糸が全部切れた。そしてますます足がふらついてしまう。
「ん、なんかもう歩けそうにないね」と、彼は私をよいしょとおんぶしてくれた。スカートじゃなくてよかった、今日。
大きな背中に背負われて、ゆらゆら揺れる。高い彼の背中の上は、あったかいし見晴らしがよくって気持ちいい。
「どこ行くのー」
「そりゃあ決まってるよ、二人になれるところ。さすがに君んちまで背負っていくのは時間がかかるから、駅前のどこかだけどね」
駅前まで、の理由が『重いから』とか『疲れるから』じゃなく『時間がかかるから』なあたり、さすがに自衛隊員なんだなあって感心してしまう。
でもって、駅前のどこかって事は、ホテルに行くんだ。私達、いちゃいちゃ出来るんだ。そう思うと頬が緩むのを止められない。一〇日連勤で頑張った私に、ちゃあんとごほうびが用意してあった気分。
ぎゅうと胸を押し付けると、五〇キロを背負って歩いているとは思えない彼が普通の口調で話しかけてきた。
「何すんの」
「誘惑―」
誘われてくれたら嬉しいんだけど。どうかな?
「……動揺して落としちゃったら困るから、やめて」と云うお答えに、ひどく満足した。
ヘリコプター操縦してるくせに、ヘリが落っこちる訓練だってしてるくせに、こんな事で動揺してくれるんだ。かわいくて、笑っちゃう。
彼の短いタワシみたいな髪に手を入れる。犬を撫でるみたいに何度も何度も後ろから頭を撫でてたら、「それも、駄目」って云われた。
「なんで―」
「今すぐ襲われたくはないだろ」
「だーいじょうぶ―。私の彼、自衛隊員だから、襲われてもヘリで助けに来てくれますから」
笑いながら背中にほっぺたをすり寄せてそう云えば、彼氏も「確かに隊員だけど、今は勤務時間外でただのオトコですから」なんてそれに乗ってくれた。
道端ではもちろん襲われる事はなく、無事に辿り着いたラブホテルのエレベーターを待っている間にキスして、エレベーターの中でもキスして、もちろんお部屋の中でもキスをたくさんたくさんした。
翌朝、お仕事の彼が始発で帰るのを駅の改札までついて行って見送って、それから自分も家に帰った。
アパートに辿り着くや否や、化粧を落としてベッドで一眠り。遅く起きて洗濯を干していたら、ぱるぱる云いながら飛ぶ、あのヘリ独特の音が聞こえてきた。ベランダの柵に凭れて待っていると、音に続いて予想通り横長のヘリコプターが悠々と飛んでいくのが見える。
彼が操縦してるといいな。まあでも、おーい、と手を振ったところで見えやしないだろうな。万が一気付いたとしても、『ブレーキランプを五回点滅させてアイシテルのサイン』もヘリじゃ出来ないしね。
そんなしょうもない事を考えている間に、とうとうヘリの姿は見えなくなってしまった。それでも、いつまでも聞こえてくるその音に胸を弾ませて、いつまでも耳を澄ませていた。
14/04/22 誤字修正しました。ごめんね鈴木君。