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如月・弥生  作者: たむら
season1
12/41

私があなたに贈るもの(☆)

「クリスマスファイター!」内の「あなたが私にくれたもの」の二人の話です。

 正田(しょうだ)さんのおうちで、クリスマスの後から一緒に暮らすようになった。

 クリスマスにプロポーズを受けて、お正月にはうちの実家に結婚の申し込みに来てくれた正田さん――高志(たかし)さん。

「名前で、呼んで」って請われた時にはいつも余裕のその人の、少し甘えたような、恥ずかしげに逸らした目がかわいらしくて、即座に望む通りに呼んだ。

「高志、さん」

 並んで座ったソファーでぎこちなくそう呼べば、「――うん」と、嬉しさを滲ませる彼。

 突然大きな手で自分の顔を覆ったと思ったら、ため息を吐いて『名前で呼ばれただけでこんなに嬉しいとか、大人なのにみっともないな』ってそっぽを向いて呟くから、思わず腕に抱きついてしまった。

「どんな高志さんも好き。今日の高志さん、大好き」って頬を寄せて伝えたら、「まったく、君って人は……」と何故か盛大に呆れられた。

 え、何かやらかしただろうか。思わず不安をそのまま顔に出していると、胸に抱き込まれて「大丈夫、そうじゃない」と私を宥める大きな手。でも、困った顔はそのままだったから、やっぱり何かやらかしたんだと落ち込んでいたら。

沙保里(さおり)はいいかげん、自分の発言の破壊力を思い知った方がいい」と、いつもは優しいキスをくれるその人は、私の後頭部を片手で押さえて少しだけ乱暴なキスをくれた。


 そんなことがあって以来、しばらく名前で呼ぶたびにキスまで思い出してしまって挙動不審になってしまっていた。でもいいかげん、名前呼びに慣れないとだ。自分だって、正田さんになるんだから。

 正田、沙保里かぁ。よかった、語感が悪くなくて。字面も普通で。

 それに、高志さんのお父さんやお母さんに反対されなくて、本当に安心した。だって。

 そこはかとなく、上品で、優雅で。静かで、大人で。

 そんな人と、自分とが結婚するなんて、何だか夢みたいだ。私は今でもたまに『これって結婚詐欺なのかな』なんて失礼なことを考えてしまう。そのたびにやっぱり高志さんには怒られることなく、『君って人は』と苦笑しながら優しくハグされる。


 一緒に暮らすようになってから、ワーカホリックの高志さんも週に一度は早めに帰宅するようになった。

 一人暮らしの時にメールが来るのはいつも遅い時間で、それは全然困ることではなかったのだけれど、いろいろ済ませた後のメールならまだしも、いの一番にされているとしたらこの人はそのうち倒れてしまうのではないかと密かに心配していた。でも私と会う休日には疲れのかけらも見せずにいるから、もっと心配していた。

 だから、こうして暮らして彼の負担を少しでも減らせるなら、とっても嬉しい。総合職じゃない自分は、繁忙期じゃなければ残業しても一時間程度、残業なしで帰ってこられる日もある。だから自然とご飯を作るのは私の担当になった。それはちっとも負担なんかじゃない。大好きな人に自分の作ったご飯を食べてもらえて、それは高志さんの体を作る大事な栄養になるのなら、私には幸せなことだ。家でちょこちょこお台所に立っていてよかったなあと、しみじみ思う。

 早く帰って来る日でも、高志さんと私が一緒に食卓を囲むのはちょっと厳しい。待っていたい気持ちはあるけれど、そうするとカロリーを気にする時間になるだろうし、おなかもすく。それに『何時になるかは分からないし、俺が帰って来るまで待たないで、先に食べていて』と云われたから、作り終えたらすぐ食べることにしている。


 一人のご飯を終えて、お風呂も先に戴いて、のんびりしている頃に「ただいま」と高志さんは帰って来た。「おかえりなさい」と玄関に迎えに行けば、高志さんは私の頬に手をやって、もう一度「……ただいま」と嬉しそうに告げる。そして、後ろ手に隠していた包みをひょいとこちらに見せた。

「これ、おいしそうだったから」と、照れ臭そうにケーキボックスを渡される。

「わ、ありがとう! 今日……はもう遅いから、明日一緒に食べましょう?」

 そう云って、にこにこしてそれを受け取ると、高志さんも嬉しそうに笑った。

 今までもさんざん贈り物をしてくれた高志さんは、一緒に暮らすようになると『いつもうちの中の事をありがとう』って、忙しい中、時間を割いてお花やケーキを買い求めてくれる。それに加えて、お休みの日に出掛ければアクセサリーに服にと、相変わらず何かにつけて私にプレゼントをくれるので、嬉しいのに『無駄遣いは駄目です!』と抗議する羽目になる。

『駄目なの?』

『――こんなにしょっちゅうは、駄目です』

『たまになら、いい?』

『それならいいですよ』

 そんな風に会話を交わしても、いつの間にかまた贈り物の嵐に戻っていて、それをまた抗議して。でも決して嫌な訳ではなくて心苦しいだけだから、抗議の言葉も頼りない。そこにつけこまれちゃうんだよね、と、今週三回目のケーキに苦笑した。


 炊飯器の保温ボタンを切ってもまだ暖かなご飯はそのままよそって、おかずとお味噌汁は温め直して食卓に出す。「戴きます」と手を合わせる高志さんの向かいに座って、お茶を飲みながらおしゃべりをする。それが、平日の夜の食卓風景・高志さん編、だ。

 これ美味しいね、とか、初めて食べたけどいいね、とか、嬉しい感想をくれる高志さんの、綺麗な箸使いには食事のたびに毎回見惚れてしまう。いつもの夜の幸せな時間。


 高志さんがお箸を置いたので、じゃあ今度は二人分でお茶を淹れようとしていた時、高志さんの携帯が着信を告げた。プライベートの方の携帯の表示を見て、眉を少し顰めつつ高志さんは電話に出る。

「もしもし。――ああ、久しぶり。――うん。――、え、」

 珍しい。高志さんが動揺を声に表わすなんてめったにないのにと、お行儀悪く聞き耳を立ててしまった。

「いやそれは、――もしもし?」

 通話は切れてしまったらしく、手の中の携帯を呆然と見つめた後、高志さんはとても困った顔で私を見た。



「――え、昔の女?」

「しー、(とも)ちゃん声おっきい」

 会社のお昼休み。ランチタイムで込み合うイタリアンレストランは、ざわついていたから注目されることはなかったけれど。


 昨日の夜、高志さんの携帯に突然電話を掛けてきたのは、かつて付き合っていた女性、だったそうだ。

『確かにその人とは長く付き合っていたけど、もうずいぶん前に別れて以来ただの友人に戻っているから、沙保里が心配するようなことは何一つないよ』と、気持ちを隠せない私の頭を優しく撫でてくれた。

『彼女は五年前に結婚して、今は海外で暮らしている。ちょうど今旦那さんの仕事の都合で一週間だけこっちに滞在していて、俺と君に会いたいって云ってきたんだけど、どうかな?』

 いつものように、最後の選択は私に委ねてくれた。

『沙保里が嫌なら断ってくれて構わない。誰も好き好んで、恋人の元恋人に会いたい訳もないしね』と苦い笑みを浮かべて静かに云ってくれたから、『いいです、行きます』とうっかりお返事してしまった。


「どうしよう朋ちゃん」

 あのあと高志さんは何度も『無理しないでいいんだから』と云ってくれたけど、『無理じゃないです』って云い切っていた手前、『やっぱり無理です』とは云えなくなってしまった。約束の日の時間帯からして食事は必須で、多分ちゃんと予約のいるお店で会うらしいので、ドタキャンなんて失礼なことは出来ない。でもざわつく気持ちもどうしようもない。

 あうーと頭を抱えた私を尻目に、朋ちゃん師匠はいつかのようにあっさりと云い捨てた。

「いいじゃん、行ってこい行ってこい」

「そんなあ、他人事だと思って」

「だって他人事だし」

 朋ちゃん師匠はやっぱりシビアです。

 ちょうど運ばれて来たパスタにフォークをのばして、「でも」と朋ちゃんが続ける。

「さっちゃんよかったじゃん、だって二人でこそこそ会われたらイヤでしょ」

「うん」

「堂々と会いに行かれてもモヤモヤするでしょ」

「うん」

「連れて行ってもらったら自分で見られるんじゃん、相手も、正田さんも。一番いいと思うけどな」

「――うん」

 まだそれが『いいこと』には思えない私がそう渋っていると、「ついでにその元カノさんに昔の話を聞いておいでよ!」と高度なミッションを与えられた。


 会うのは、土曜日のお昼間だった。

 お支度をして部屋を出るまでに少し時間があったので、コーヒーを淹れて二人で飲んだ。その時に、おずおずと聞いてみる。

「高志さん、今日会う人とは、どうして……」

 別れてしまったの? と云い切ることはなんだか悪いような気がして出来なかった。けれど私の考えなんてお見通しの高志さんはコーヒーを飲みながら、少し歯切れ悪く「……価値観の不一致、かな」と答えた。その曖昧な言葉の濁し具合で、聞かれたくなかったことなのだと分かってしまった。

「ごめんなさい、こんなこと聞いて」

 ワンピースに包んだ身を縮めると、高志さんがふわっと笑う。

「いいんだ、君に隠す事なんか何もないんだから。それより」

 高志さんの目が、いたずらっぽく細められた。

「似合ってる、そのワンピース。素敵だ」

 光沢のあるジャガード素材の服は、よく見ると織りに花柄がちりばめられている。梅春物を探しに行ったお洋服屋さんで一目ぼれして買ったはいいけれど、シンプルな形とは云え鮮やかなコーラルピンクで、通勤着にはとても出来ないこの服をどこに着て行ったらいいのかと悩んでいた。ちゃんと着る機会が出来て、本当によかった。

「ありがとう」

 はにかみつつ賛辞を素直に受け取ったら、化粧が落ちないようにか、そっと額に押し付けられた唇。

「……いつまでもこうしていたら、寝室に連れ込みたくなるからそろそろ行こうか」なんて冗談を聞きながら、少し早目にその部屋を出た。



 高志さんの車が向かったのは、皇居にほど近い老舗のホテルだった。

 名前はもちろん知っていたけれど、こうして足を踏み入れるのは初めてでドキドキしてしまう。そんな私を笑うことなく、高志さんは優しくエスコートしてくれた。

 レストランの入り口で店員さんと高志さんが二言三言言葉を交わすと、「こちらでございます」と席に案内される。

 そこにはもう、その人が座っていた。


 土曜日のお昼間の店内は広いのにほぼ満席だったけど、その人だ、って、すぐに分かった。

 とびきり美しい人だった。

 私ならその大きさに面食らって、着けている間びくびくしてしまいそうなジュエリーをふんだんに身に纏っていて、それがちっとも嫌味じゃない。耳から零れ落ちそうなイヤリングも、肩が凝ってしまいそうなネックレスも、太いバングルも、どれもとても馴染んでいる。もちろん一目で高級だと分かるドレスワンピースも、奇抜な柄に負けることなく似合っていた。

「初めまして」

 ゆっくりと立ち上がったその人の少し低い声も大人の女性の証のようで、なんだか羨ましい。

 薄茶色の目にじっと見つめられて、同性なのにぽーっとしてしまったまま「初めまして、こんにちは」と何とか挨拶を返す。すると、その人はくしゃっと笑って、白い歯を見せて笑んだ。

「かわいい子ね、早く紹介してよ高志」と当たり前のように高志さんを呼び捨てにされて、少しだけ胸が痛む。そんな私に気付いてか、高志さんは思いきり顰め面をする。

「今更呼び捨てにするなよ。……沙保里、これは元同僚の中薗(なかぞの)理恵(りえ)

 これですって、ひどいわねーと笑う中薗さんに、今度は私の肩を抱いて紹介してくれた。

「俺の婚約者の、(かけい)沙保里(さおり)

「沙保里ちゃんね、よろしく」

 差し出された手を、握り返す。

「さ、座って座って! おいしいもの食べましょ」と云うが早く、中薗さんは席に着いた。

 外見は高嶺の花なのにそんな風に自由なその人に、私は高志さんと顔を見合わせて笑った。

「こう云う人なんだよ」

「マイペースで、素敵です」

 良かった、威圧とか値踏みとかされなくて。かしこまったお店での食事に緊張は解けないけれど、肩に入っていたヘンな力は抜けた。


 それにしても、こういうところでご飯を戴くの、まだ慣れていなくてお作法が間違っていやしないかとひやひやする。自分一人が恥をかくなら構わないけれど、連れの高志さんや中薗さんに迷惑を掛けたくはない。

 頭の中でマナーをお浚いしていると、二人は元同僚と云うよしみでか、ポンポンと会話を交わしていた。

「え、今竹中君て北京なの?」

「奥さんとお嬢さんは日本だから何かって云うとちょくちょく帰ってきてるけどね」

「あらー、うちのコスメも来年中国に進出するらしいから、それなら一度会っておきたいわねえ」

 話について行けない私に、中薗さんも高志さんもちょこちょこ話を切って『今のはね』と教えてくれる。置いてきぼりにされないのはありがたいけれど、何だか通訳を介さないと日本のバラエティ番組の笑いについて行けない来日したハリウッドスターみたいな気分だ。ちなみに『うちのコスメ』とは、中薗さんの旦那様が経営されている会社――私も知ってるし雑誌にもよく載っている外資系――の一つだと云うことだった。

 主に二人の会話を聞きつつ、たまにこちらにも話題をふられて答えつつ、アミューズ、サラダ、ポタージュ、肉料理、デザートと、ゆるゆる出されていたそれらを、気が付いたら完食していた。さすがにお腹が苦しいけれど、ここでさする訳にもいかない。高志さんも中薗さんも私と同じ量を食べて、なおかつ中薗さんはワインのハーフボトルを一本空けていたのに涼しい顔をしている。大人ってすごい。


「ごめん」と、コーヒーを飲んでいた高志さんが胸ポケットを探り、震えていた携帯を取り出した。ディスプレイをちらりと見て、ふ、と目を和ませる。

「噂をすれば竹中からだ。ちょっと席外すよ」と席を立ち、お店の外へと向かうその後ろ姿に見惚れていたら、「ラブラブね」と中薗さんにほほ笑まれた。

 頬が赤いくせに「婚約中ですから」と開き直ると「いいわねー、私も旦那に会いたくなっちゃう」とのろけ返されてしまった。

 中薗さんは、ねえ、と内緒話のように声を潜めてこちらに身を乗り出してきた。大胆にあいた胸元から、豊かなバストが覗けてしまえてドキッとする。

「さっきの竹中君の電話ね、私がお願いしたのよ、五分だけ正田君と会話してちょうだいって」

 その言葉の意味が分からなくてきょとんとしていると、すぐに答えを示された。

「あなたと二人でお話がしたかったの」

「――何でしょう」

「私の事、気になるでしょう?」

 挑発するみたいに微笑まれた。

 なるけど。ならないって云いたいけど。頭の中で二つの言葉がぐるぐるしてる。でもきっと、『そんな』とか『いいえ』とか云ったら駄目だと思ったので、素直に「そりゃあ、なりますよ。元恋人さんですもん」と答えた。

「元、ね」

 ふふ、と中薗さんが笑う。

「私はまだ高志を好きだって云ったら、どうする?」

「――え?」

「目が真んまるよ、かわいいわね」

「えっと、中薗さん、ご結婚されてますよ、ね?」

 勘違いをしているかと思って聞いてみたら「そうよ。でも、愛ってひとつじゃないのよねぇ」とあっさり云われてしまった。

「だから私としては、あなたと高志が結婚してもしていなくても構わないのよ。私の気持ちは変わらないんだし」

 その猫科の獣のような美しい目が、私を捉えた。その強い視線を受け止めきれなくて、ふいと外してしまう。

「――私じゃなくそれは高志さんに云って下さい」

「あら? あなたは『あの人に近付かないで』って私に云う権利があるんじゃない?」

 私は緩く首を横に振った。

「人の気持ちを左右できる立場じゃありません。ですから、云いたいことがあるなら私じゃなく高志さんにどうぞ」

「いいの?」と聞く顔は、何だか興味津々だ。

「いい気持ちではないですけど」

「二股、掛けられるかもしれないのに?」

「高志さんは、そんなこと出来る人じゃありません」

 それだけは、自信を持ってきっぱりと云えた。


 まだ出会ってから一年も経ってはいない。彼の仕事の詳細を私は知らない。会社についてはざっくりと『鉛筆から戦闘機まで売ってる会社だよ』と教えてもらったことがあるくらい。

 年上で、上品で、優雅で。静かで、大人なひと。

 一緒に暮らし始めたら、ひいきの野球チームの試合に一喜一憂する、意外と子供っぽい一面も見られた。

 あの人の全部は、きっとまだ知らない。でも、私はちゃんと彼がどんな人なのかは充分知っている。


 中薗さんはますます面白そうに身を乗り出してきた。お胸が本当に目に毒です……!

「私に気持ちが戻ってしまったら、沙保里ちゃんどうする?」

「そんな人じゃありません」

 重ねて云えば、「信じているのね」と優しく微笑む中薗さん。

「はい」

「揺らがない?」

「揺らぎません」

 そう答えながら、意志が固まっていく。

「お二人が長く付き合っていたとは聞いていますし、きっと今でも仲良しさんなんだろうなと思いますけど」

 すっと背筋を伸ばした。

「今、彼の隣に立っているのは私ですから」

「うん、そうね」

 中薗さんは、にっこりと私に笑う。

「ごめんなさい。意地悪な事いっぱい云っちゃったわ」

 そんな風にぺろりと舌を出すのも様になるって、いいな。大人なのに少女みたい。

「あの人、私と別れてからなかなか次の恋をしなくてね、そうしたら若―い女の子と付き合い始めました結婚しますっていきなり云うじゃない? こっちは結婚詐欺に遭ったんじゃないかって余計な心配しちゃった。それで直接会って見極めたかったのが一つ」

 そうか。こっちと同じような心配をしていたんだ。

「それからもう一つは、過去の女からのちょっとしたいやがらせよ」

「いやがらせ」

「そう。もう正田君を愛しちゃいないけど、やっぱりかつては愛していた人だから、自分より大事な相手を作られるのは癪なのよね」

「――ご自分も結婚されているのに」と私が文句を云えば、「愛って自在なのよ」ってさらりと返されてしまう。

「あの人をよろしくね」

 薄茶で猫科の獣みたいな目が、お月様みたいに細められて笑った。

「もちろん。とびきり大事にします」

 差し出された手を握っていたら、ちょうどそこに高志さんが戻ってきた。

「……君たち何してるの」

「新旧の女で親睦を深めていたのよ」と中薗さんがしれっと云うと、高志さんは「沙保里」って私に聞いてきた。

「引き継ぎ、かな」

 何の? って高志さんは訝しむけど、愛の引継ぎです、だなんてとっても云えない。


「それじゃ、私これから人との約束があるからこれで失礼するわね。沙保里ちゃん、また会いましょう」

「はい」

 中薗さんは私が履いたら五歩で躓いてしまいそうな高いピンヒールでさっそうとお店を出て行った。

「俺達も帰ろう」と促されてテーブルを立つ。店先で預けたコートを高志さんに着せ掛けてもらって歩き出してから、『元カノさんに昔の話を聞く』と云う高度なミッションをクリア出来なかったことを思い出した。それからもうひとつ。

「高志さん、お会計してないです!」

 大変、食い逃げになっちゃうとロビーで慌てる私をおかしそうに引き止める手。

「大丈夫、今日は中薗が、って云うか、中薗の旦那さんがスポンサーだから」

「中薗さんの旦那様が?」

 なんでも、中薗さんは自分のお財布を自分で持つことはなく、管理しているのは旦那様か、もしくはお付きの人なのだそうだ。

「あいつが自分で財布を持たないのはね、とてつもなく管理能力が低いからだよ」

 そう云われても、ピンとこない私に高志さんは付き合っていた頃のことを教えてくれた。

「お嬢さん育ちのせいか、財布をしょっちゅう落としても、ATMで下ろしたお金を持って来ないで忘れる事がよくあってもいつも中薗はけろりとしてた。一事が万事その調子だったから、さすがに好きでもそれが日常茶飯事の人との結婚は考えられなかった」

 なるほど、価値観の不一致。

「だから、あいつにはあれくらいスケールのデカい旦那さんがお似合いだよ」

「……よかった」

 私が思わず本音を漏らすと、「何が?」って聞かれた。

「高志さんと中薗さんの価値観が合わなくて。高志さんのお財布が、中薗さん仕様じゃなくって」

 繋いだ手の指を、自分から絡める。駐車場に下りるエレベーターの中で、二人きりなのをいいことにもっと言葉を紡ぐ。

「高志さんが、私のものでよかった」

 地下階に到着して降りた途端、人気のないそこで高志さんがくれたのは強い抱擁だった。

「――沙保里に、云ったよね」

 抱き込まれたシャツから立ち上る、馴染んだ香り。

「な、に?」

 顎を掬われて上を向くと、高志さんが怒ったような顔をしている。

「『その発言の破壊力を思い知った方がいい』って。君は言葉一つで、大いに俺を翻弄するって事」

 翻弄されているのはこっちの方、って云う反論は、唇が塞がれたので云うことは出来なかった。


 相変わらず、贈り物は好きでも贈られ物は少し苦手な高志さん。せめてものお礼にとご飯のお支度を張り切れば、またそのお礼と称してお花やケーキや、時々アクセサリーや服を贈られてしまう。

 物でのお返しを喜ばないのなら、言葉くらい贈りたい。素直に気持ちを差し出したい。

 それを咎められたらどうしたらいいの?


 長いキスの後に、そんな気持ちをこめて見つめたら、「その目も、反則」とまた苦しいほどのキスを贈られた。


14/04/13 一部修正しました。

14/09/16 誤字訂正しました。


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