もしものボックス(☆)
「クリスマスファイター!」内の「どこにも行かないドア」の二人の話です。
『来週の土日、出張絡めてそっちに戻る』
交渉の末、一日一回は送ってもらえるようになった龍ちゃんからのメールに、そっけなくそう記してあった。
夢じゃないよね? マボロシでも妄想でもないよね??? と七回位携帯を確認して、それから宅配便でチョコを送ろうと箱に詰め始めていたのをやめた。もう、もっと早くに教えてくれたらそれだけ楽しみに出来たのに、と云う私のお小言は、きっとピンクな色と甘いフレーバー付き。
浮かれてた。金曜日の夜に帰って来るのか、会えるのが土日のどっちかなのか、はたまたその後なのかはまだ分からないけど、まさか世のカップルみたいにちゃんとバレンタインを過ごせるかも、だなんて。
やっぱあれだよね、龍ちゃんに振る舞う晩御飯は『龍ちゃんスペシャル』だよねと、バイトがお休みの日、学校から帰ってきてから一度実家に行って車を借りて、唐揚げとグラタンとカレーの材料を買い出しに行った。鶏肉一キロは買いすぎかなあ、まあいいや。玉ねぎとじゃがいももちょうど切れていたので、車で来たのをいいことに両方箱買い。ついでに、龍ちゃんが大好きな太郎さんシリーズの駄菓子だとか、じゃがりこだとかもあれこれ大量買いしたら、飲み屋さんで宴会コースじゃなく皆でバラバラに頼んだ位に長いレシートと、どんだけ食べ盛りの男の子さんがいるおうちなの! てな位の量のお買い物を持って帰る羽目になってしまった。それでも、車までカートを押す私の顔はきっとにやけてる。
バイト先のカフェでも、だいぶ早めにコナコーヒーを買った。いつもは月末なのに、まだ月ナカだからね。
それを野口君に目敏くチェックされて、「あれ、いつもより早くないですか『定期便』」って云われた。
野口君にはあれからすぐにかわいい彼女が出来て、おかげでイラッとくるような無神経なアプローチがすっかりなくなり、職場は和やかさを取り戻した。余りの変わり身の早さにやっぱり女子からは猛烈に嫌われているけど。
「うん、そうなんだよー」と私がにやにやしながら話そうとしたら、「あ、いいですいいです、あんまり他の子と話すると彼女妬いちゃうんで」とのろけを一つ投下してさっさと離れて行った。散々人に迷惑かけたんだからこっちののろけ話も聞けー。
髪色を染め直して、少し毛先を整えて、『龍ちゃんスペシャル』以外で龍ちゃんが好きになりそうなレシピも試作してみたりして、一週間が過ぎていく。その中で、ぽんとやって来るメールを繋ぎ合わせると、龍ちゃんが帰って来るのは金曜の夜で、時間はこないだと同じ位遅いかもで、土曜日はデートに行きたいとこ、どこでも連れてくから考えとけとのことだった。そして、会社に行くのは次の週の月曜と火曜で、水曜日には転勤先に帰る、という素っ気ない追加の一文。まあ、龍ちゃんがカラフルでポップな絵文字とか使ってたらちょっと気持ち悪いから、いいか。
デートは嬉しいけど、もし疲れてたらおうちでまったりして欲しいって思う。でもやっぱりデートは単純に嬉しい。
龍ちゃんのお勤めしている会社は北欧雑貨をメインに揃えた生活雑貨店を全国展開していて、龍ちゃんは唯一出店がなかった某地方のお店の立ち上げや品揃えのリサーチなどをしに行っている。店舗スタッフを教育してお店をオープンさせて軌道に乗せたら東京に帰って来る、と云うことらしいけれど。
年を越して、『来年にはこっちに帰る』と話していた来年は、いよいよ今年になった。でも、何事も確定しないと教えてくれない龍ちゃんからその件についての続報はあれからもたらされず、その話が四月なのか一二月なのかはまだ分からない。
分からないと云えば、一日一回のメールもおねだりしてよかったのか分からない。そもそも龍ちゃんはメール苦手だし、お仕事で疲れていたり忙しくしている中でメールが欲しいと云うのは、お勤めの人よりは時間に余裕のある学生の私のワガママなのかも。
だから、守らなくてもいいよとこっちからメールで切り出したら、『それ位は、する』と一言きっぱりなお返事が来た。
写真だけでもいい。何を食べたとかどんなお天気だったかとか分かったら嬉しい。そう伝えてからは本文なしの画像添付オンリーなメールも増えた。
その中で、私が毎月送っているコナコーヒーが映りこんでたりすると、あ、龍ちゃん、ちゃんと飲んでくれてるんだって安心する。写真で見る、行ったこともない龍ちゃんのお部屋は当然見覚えもないし、知らない風景がなんだかちょっと寂しかったから。
日、一日と弾んでいく心。どうかいいお天気でありますようにとお祈りしてしまうよ。龍ちゃんの乗る飛行機やバスがちゃんと通常どおりのダイヤで動きますように、トラブルや困ることなんかありませんように。
そう思っていたんだけどな。お祈り、足りなかったかな。
待ちに待った金曜日の深夜、帰ってきた龍ちゃんからお土産とハグを貰いながら告げられたのは、「ごめん、明日仕事になった」だった。出来ない約束を龍ちゃんはしない人だから、きっと突発的な仕事が入ってしまったんだろう。
「――ん、わかった」
それ以外に何が云える? 出張でこっちに来ているのに、私が文句なんか云える立場じゃない。日曜日に改めてデートすればいいじゃない、と思うも、少ししかいられない間の貴重なデートが一日分ごっそりなくなってしまって、ガッカリが隠せない声になっちゃったのは自分でも分かった。
「ごめん、美智佳」
ああ、龍ちゃんがしゅんとしちゃった。私がどれだけ会うのとデートを楽しみにしていたか、龍ちゃんはよーく知っているから、期待させて悪かったなってきっと思ってる。私もあんなに浮かれたメールを連発しなきゃよかったなあ。そう云えば、ハートマークをこれでもかと飛ばしまくっていたら『目がチカチカする』ってお返事をもらったっけ。
「ごめん」
二回も謝られてしまった。
『えええー?』『楽しみにしてたのにな』『そんなのヤダ!』
ぱっと思いつくだけで、これだけ浮かんじゃう。ああ、心が狭いったら。でも口に出さない位の分別はある。
心の中のボックスを開けて、その中にイヤな気持ちを押し込めて。せっかく久しぶりに会えたんだ、どうせなら顰め面じゃなく笑顔を見て欲しい。
なけなしのプライドで、なんとか意地は張れた。
「大丈夫だよ。お夜食何か食べる?」
そう聞いたら、ぎゅうと抱き締められた。それから、私の髪を撫でて、匂いを嗅いで、耳にキスして、「ん、美智佳だな」って呟く。あたりまえじゃん。て思うけど、そう確認したくなる気持ちはよーく分かる。
離れているとね、何か夢みたいと云うか嘘みたいと云うか、本当に龍ちゃんがいるか不安になる。もしかして空想の産物かも、なんて。
メールしても声を聞いても写真を撮って送ってくれても、直接触ったりは出来やしない。だから、帰って来るなり私を触る龍ちゃんが、嬉しい。私も、触って確認して欲しかったから。ちゃんとここに居て、龍ちゃんのことをずっと好きでいるって。
結局、龍ちゃんはお夜食を所望することなく、シャワーを浴びて着替えして、ベッドの中でもう一度私を抱き締めた。
もしかしてそのまま始まるのかなとドキドキしていたけれど、長旅の疲れからか龍ちゃんは私のパジャマの中に手を入れて直接胸を触りながら寝てしまった。――ちょこっとだけ、残念。重たい物体と化した手をずるずると引き出して自分のパジャマを直し、おやすみなさいのキスをした。
翌日、大学に行く平日より少しだけ早起きをして朝ご飯を二人で食べた。
大好きなコナコーヒーの匂いがお部屋に広がる。
クロックムッシュを作ったら、食パンに敷いたチーズの配置が今一つだったせいで卵が端っこに寄ってしまった。でもその不格好なパンを龍ちゃんは「ん、やっぱ美智佳の作るのはうまいわ」と何でもないようにばくばく食べてくれた。
それに見惚れていたら、自分のクロックムッシュから卵の黄身がたれた。
「あ」
とろりと流れた黄身は、腕まくりした私の手首を伝って落ちていく。黄身が流れないようにと、両手でパンが水平になるよう下から支えるみたいにしていたので、すぐには身動きが取れなくて困っていたら、龍ちゃんがダイニングの向こうから身を乗り出してぺろりとそれを舐め取ってくれた。突然のことに呆然としている私からひょいとクロックムッシュを受け取るとお皿に置いて、舐め取られた手首を緩く掴む。そして、まだそこに黄身が残っているみたいに再び舌を添わせて、掌に向かって舐め上げた。
声が出そうになるのをくっと堪えた。朝、だもん。
でもそんな私を笑うみたいに、龍ちゃんはそこにキスをいくつも落とす。手首の内側の筋に合わせて軽く吸い上げて、時折こちらを見て。
「……お礼、云ってくれないの?」
ちゅ、とわざと音を立てて吸い上げられる。
「な、んでっ」
「美智佳が零したの、せっかくきれいにしてあげたのに」
手はいつの間にか絡め取られていた。それも、恋人繋ぎじゃなく、後ろからハグするみたいに手の甲の方から指を差し込まれて。吸い付く唇の熱さとその感触が気持ちよくて、龍ちゃんの望むようにしたくなる。
もう、声を我慢できなくなっていた時、急に龍ちゃんの携帯がメールの着信を高らかに告げたから、それでお互いはっと冷静になった。龍ちゃんは素早く携帯を手にして画面を確認すると、ちょっと乱暴にテーブルに置いた。
「……くそ、とりあえず会社行って、帰ってきてからだ。今から夜が待ち遠しいなー」
そんなこと、朝から云わないで欲しい。
龍ちゃんはコーヒーを飲み干すと私を見て笑った。
「美智佳、チークつけすぎ」って頬を擦るけど、落ちやしないよ。
「ん?」
なんでだ? って顔する龍ちゃんに、種明かしをした。
「――龍ちゃんがあんなことするから顔赤いのがおさまらないの!」
小声でそう怒ると、龍ちゃんが「ごめんごめん」と心のこもってない謝罪をする。
「龍ちゃんの、ばかっ!」
「ああ、悪かったよ」と、やっぱり悪いと思ってないみたいにさらっと龍ちゃんが謝りながらネクタイを締める。大好きなその仕草が久しぶりだから、許してあげるけど。
慌ただしく身支度をして、龍ちゃんが玄関で革靴を履く。
「行って来る。いい子で待ってろよ」と、私のおでこに一つキスを落とした。
「ん、龍ちゃんスペシャル作ってるね」
今日と明日はバイトのシフトをお休みにしてもらっているから、云いつけどおり『いい子で』待てる。
「そりゃあ楽しみだ」
スーツを着てお仕事モードになるとちょっと冷たい顔の知らない大人に見える龍ちゃんが、その瞬間だけくしゃっと笑った。
そして重たい鉄のそのドアがぎいって開いて、そっと閉ざされ、龍ちゃんの足音が遠くなっていく。どれだけ耳を澄ませても聞こえなくなってから、ようやく私も玄関から動いた。
「……さぁて、お洗濯、しよっ」
洗濯機さんが洗濯をしてくれたあとそれを干して、冷凍庫に入れていた唐揚げ用のお肉を解凍して、観ずにたまっていたDVDやら録画やらを観てのんびりといい子にしていた。
まだかな。時間、早く過ぎないかな。
夜が待ち遠しい。
冷え込みがきつくなる冬の夕方を嬉しく思うなんてめったにないことだけど、今日は特別。分厚いカーテンを引く前に、空に浮かぶ月を見て頬が緩んでしまった。
気が付けばお部屋の中が暗いから灯りを付ける。龍ちゃんが帰って来た時に暖かくしておきたくて、ヒーターのスイッチをオンにした。
確か定時で上がるって云ってたから、そろそろご飯炊いてもいいかな。お肉も下味付けておこう。
いそいそと、夕ご飯のお支度にとりかかることにした。
手を洗って、髪もギュッと束ねて、エプロンをつけて。
まだメールは来ない。それでも龍ちゃんスペシャルを粛々と準備した。
カレーを寸胴鍋いっぱいにこさえた。玉ねぎをアホ程スライスして、じっくり飴色になるまで本を読みながら弱火で気長に炒める。それから、軽く塩と胡椒で下味をつけたすね肉の表裏に焼き色をつけてからお野菜と隠し味をいくつか入れて、圧力かけて。
それからえびとほうれん草とマカロニのグラタンを作る。連絡がなくて心がちょこっとここにあらずなのに、バターを焦がしたり、小麦粉がだまになったりもせず作れちゃうあたり、我ながらかわいげがないかも。
食べやすい大きさに切った鶏肉を生姜とお醤油とお酒に少し漬ける。長く漬けた方が味が沁みそうに思うけどお肉が硬くなるので我慢。キッチンペーパーで軽く水分を取って、片栗粉をはたいて、あとは揚げるだけにしておく。
すね肉がほろほろになったら圧力鍋の蓋を取って、カレールウを入れた。ルウは龍ちゃんの好きな銘柄の中辛。辛口だと辛いばっかりでカレーの味がしないんだとか何とか。
一時間もすると、おかずはほぼ出来上がった。
目の前には、揚げるだけになった肉が山に積まれた大きいバットが二つに、あとは焼くだけのグラタン二皿に、カレーが寸胴鍋一杯。ご飯はうっかり、龍ちゃんがいるからと三合で用意してあったのをそのまま炊いちゃった。
連絡は、まだない。
何かあったのかな。何が、あったのかな。
電車、遅れてるのかも。そう思ってテレビのニュースを見るけど、どの路線も特に遅れはないみたいだ。
気になるけど、お仕事中ならこっちから連絡するのは憚られる。でも。
――電話一本かメール一つ、くれればいいのに。
思わず、口をとんがらせながらぎゅうとクッションを抱き締めて、そう文句を云いたくなる。
「考えるのやめっ!」と立ち上がり、甘い缶チューハイを冷蔵庫から出して、ぐびっと飲んだ。こんな時、考えれば考えるほど、イヤな女になっちゃう。なら考えない。
おなかすいたな。そう気付いて、とりあえず一つだけ出来上がっているカレーをよそって、やっぱり缶チューハイを飲みながら食べた。二日目には敵わないけど、今日もちゃんと美味しい。連絡がないまま、いらいらしながら作ったから味がとんがってるかと思ったけど、そうじゃなかったみたい。
いらいらしてるんじゃない、寂しいんだと気が付いた時には缶チューハイをいくつも開けてラグの上でまあるくなってうとうとしていた。
暖かくしてあるお部屋、龍ちゃんの好物がずらりのお夕食。とっても幸せそうなシチュエーションなのに、龍ちゃんがいないだけで泣きたくなる。
こんな気持ちになるのは駄目だって分かってる。けど、悲しい気持ちはどんどん生まれてきてしまう。
目下の憂いと、会えない間に募らせていた不安と不満と、たくさんの『もしも』で仮定してしまう未来と過去。
何時になったら帰って来るの? 明日はちゃんと一緒に過ごせるの? お仕事になっちゃったりしない?
もしも、『美智佳ごめん、やっぱり今年中には帰れなくなった』って云われたら、どうしよう。
もしも、『美智佳ごめん、やっぱり遠距離とか無理だ』って云われたら。
もしも、私が龍ちゃんじゃない人を好きになってしまったら。
もしも、私がメールやコーヒーを送るのを早々にやめていたら。
もしも、私が龍ちゃんと付き合ってないまま龍ちゃんが転勤してたら。
もしも、私か龍ちゃんが相手に恋愛感情を抱いていなかったら。
もしも、お兄ちゃんと龍ちゃんが仲良しじゃなかったら。
イヤな気持ちを押し込めてぎゅうづめにしたボックスは、会えたら全部空っぽになると思ってた。なのに、今、詰め込みすぎて弾けてしまいそうだよ。
ただ、龍ちゃんのこと好きなだけなのに。好きでいたいだけなのに、な。
どうしてきれいな気持ちだけじゃないんだろう。
がちがちっと、玄関の方で音がして目が覚めた。
「んん、……なーにぃ……?」
むくっと起きると、体の節々が痛い。――そっか、ベッドじゃなく食べながら飲んで、そのままラグの上で寝ちゃったんだ。
まだ酔いが抜けてなくて、ふわふわしてる。ふふ、いい気持ち―。もっとこのままでいたい。もう一本、何か飲もうっと。
「美智佳、」
冷蔵庫に掛けた手がその声を聞いて、止まる。
「ごめん」
ハア、ハアと荒い息をしているのが見ないでも分かった。
「ごめん」
いいよ。
急いで帰ってきてくれたんでしょ。まだそんなにハアハア云って、運動不足じゃないの龍ちゃん。
云いたいことはいっぱいある。優しい言葉もそうじゃない言葉も。でも今何か云ったら一緒に涙も出ちゃいそうだったから何も云わずにいた。
時計を見ると、一〇時を回っている。
「言い訳があるなら聞くけど、」
そう云って龍ちゃんの方を向くと、ラグの上でスーツ姿のまま正座してた。
「――先に着替えしなよ、話はそれから」
「わかった」
ふらりと立ち上がる。いつも身綺麗な龍ちゃんなのにスーツも髪も少し乱れていた。
「ご飯は?」
「まだだけど、先に言い訳したい」
「わかった」
どっちみち揚げ物もグラタンももうひと手間かかるから丁度いいだろう。
龍ちゃんの着替えを待っている間に換気扇をつけてコンロに火をともす。揚げ鍋は強火、寸胴鍋は弱火に。それからグラタン皿を天板に乗せてレンジに入れた。オーブン、余熱ナシ、二五〇℃、二〇分。設定をセットしている間、コンビニのレジみたいに『ピッピッ』って音だけがしている。
頃合いに熱せられた揚げ鍋の中にお肉を入れた。しょわーと云う音が、キッチンに響く。
いつの間にか龍ちゃんが戻ってきて、また正座していた。
揚げ物をしつつ、どうぞ、と目で促して、ようやく『言い訳』が始まる。
「――夕方に仕事終わって会社出ようとしたら同僚が急に倒れて」
救急車を呼んだり、病院に付き添ったりして、同僚さんのご家族が病院に駆けつけるのを待っていたらこの時間になってしまったそうだ。
「その方は……?」
「胃潰瘍でしばらく入院するらしいけど命に別状はないって」
「それは不幸中の幸いだったね、お疲れ様」
カレーをよそって、福神漬けとらっきょうと一緒にテーブルに並べた。
それからレタスを敷いた大皿に揚がったお肉を乗せていく。
「お腹すいたでしょう、食べて」
「ん、戴きます」
きちんと手を合わせて、そして豪快に食べ始めた。
いつもなら、『うめーな!』とか、『美智佳メシ、食い溜めできればいいのに』とか騒がしい食事も、さすがに控えているらしい。云ってくれていいのにな。聞きたいのにな。
いつも堂々としている龍ちゃんが若干猫背でしょぼくれてる。らしくないったらそんなの。
「落ち込んでるの?」ってチューハイ呑みながら聞いたら「そりゃあ、まあ」とあっさり認めた。
「デートしようって云ってたのが流れて、早く帰るって云ってたのに連絡一つしないでこんな遅くなって。駄目な彼氏だろ」
「連絡は欲しかったけど、しょうがないじゃん」
それに、救急車を呼んで『じゃ、俺はこれで』って帰る龍ちゃんなんて、私の好きな龍ちゃんじゃない。
「龍ちゃんは、仕事はくっそ真面目で融通が利かない、自慢の彼氏、だよ」
項垂れた頭を、ぽんぽんする。
「でもおまえの事、寂しくさせただろ」
「いつものことじゃん」
ふざけて云えばますます項垂れた。
「――今日は、『美智佳スペシャル』だけでも我慢する」
龍ちゃんが口にしたのは、けんかの後に私が発動させる、『龍ちゃんにだっこしてもらって、はだかんぼになる前に私がいいって云うまでいっぱいキスしてもらう』の刑のこと。確かに、いつもなら発動間違いなしの案件だ。でも今日はね。
椅子を降りて、とことこと歩いて龍ちゃんの横に立ち、項垂れたその頭をぎゅっと抱き込んだ。
「こんな時間まで頑張ってた人にそんな意地悪云えないよ」
ほんとは云いたかったけどね。落ち込んでる龍ちゃんなんていう世にも珍しいものを見られたからチャラにしてあげる。
「――それに、朝の続き、して欲しいもん」と、私も珍しくそんなおねだりをしてみた。
「なら、とっとと食って風呂入らないとだな」
ようやく龍ちゃんが少し笑った。
ベッドの中で、龍ちゃんは私のあちこちにキスを落としながら「美智佳、ごめんな」っていっぱい云った。私は、やっと正直者になって、「龍ちゃんの、ばか」とか「連絡、してよ」とか云えた。さっきは龍ちゃんが落ち込みすぎてて云えなかったから。
私に文句を一つ云われるたびに、龍ちゃんはぎゅっと私を抱き締める。そうされて、ようやく心の中のボックスから不安や不満が一つ二つ消えていく。
「美智佳に、甘え過ぎててごめん」
「――ほんとだよ」
ようやく涙もぽろりと零れた。
「メール、して、って云ってんのにっ」
ぽかぽかぶってたら、拳を両方握りこまれた。
「ごめん」
「もう、聞き飽きた!」
文句云いながらこうして愛されてるとか、ほんと訳分かんない。ベッドの中なのに龍ちゃんは真面目顔だし。
何だか急におかしくなって笑ったら「ほんとおまえって、いい女」って、龍ちゃんがこつんとおでこを合わせてきた。
「そうだよ、いい女だから、捨てたらだめだよ」
「この場合、どう見ても捨てられるの俺だよな」
「捨てないよっ!」
「うん」
嬉しそうな龍ちゃんと魂まで繋がっちゃうみたいなキスをした。
終わると龍ちゃんは処理を済ませてこてんと寝てしまった。
コドモみたい。私は、いつも龍ちゃんにされてるみたいに龍ちゃんの前髪を指に巻きつけてくるくるしてみる。短いからすぐにほどけちゃうけど。
明日はどこに行こう。お部屋でまったりデートかな。それとも久しぶりにあてもなくドライブする?
バレンタインデート楽しみ、と思ったところで、帰ってきてからバタバタしててチョコをまだ渡していなかったことに気付いて、慌てて枕元に置いた。
ねえ龍ちゃん。もしものボックスには、今度は二人のこの先のことばっかり詰め込んでおきたいよ。不安も不満も付け入る隙がない位にね。
もしも、いつか龍ちゃんがプロポーズしてくれたら、うーんて考えるふりをしようか、それともわんわん泣いて受けようか。
もしも、本当にこっちに帰ってきたら、一緒に住もうよって提案してみるのもいいかもね。
もしも、龍ちゃんのこと好きな人がちょっかい出してきたら、私泣いて身を引いたりなんかしないでちゃんと闘うよ。
とりあえずほんとに連絡はもうちょっとちゃんとしてくれなくっちゃ駄目だからねと、すやすや眠るその鼻先を弾いてやった。
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14/03/28 一部訂正しました。




