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つばさ  作者: takasho
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 森の動物たちが、急に落ち着きをなくしはじめたのはいつの頃からだったろう。

 動揺は徐々に徐々に高まっていき、やがてそれが頂点に達したとき、一気に静けさが戻った。

 だが、それは静かというよりは、不気味なほどの沈黙であった。

 リゼロッテは、この雰囲気をよく知っていた。

 嵐の前の静けさ。

 大騒動が起こる前の、一瞬の静寂。

 部族が壊滅したあの日のことを思い出す。

 女の族長に率いられた戦好きの部族が、こともあろうに集落を直接襲った。なんの準備もしていなかった自分たちはあっという間に狩られ、生き残った者たちも完全に散り散りになってしまった。

 その日、赤き翼のクー族は世界から消えた。

 ――あのときと同じだ。

 あの〝匂い〟が、今まさに漂っている。戦に慣れていない自分にとっては、それだけで胸が締めつけられそうになる。

 このまま森に留まっていたほうがいいのだろうか。

 しかし森は、どの翼人にとっても故郷であり庭でもある。

 ここにいたらかえって見つかってしまうのではないか。

 どこかに逃げたほうがいいのではないか。

 そんな迷いがリゼロッテのこころを支配しかけたとき、とうとう町のほうから地鳴りのような音が響いてきた。

「これは……」

 なまじ耳がいいのが災いした。

 よく聞けば、それは人々の悲鳴と怒号が混濁した狂気の音であった。それらがいくつもいくつも重なり合い、まるで怪物の雄叫びのように辺り一帯を震わせている。

 リゼロッテはますます混乱した。

 じっとしているのが怖い。

 しかし、思いきって森を出ていくのも怖い。

 結果として、同じところをただうろうろするだけだった。

 そうこうしているうちに、森の天井を覆う木々の隙間から巨大な鳥の影がいくつも見えるようになった。

 翼人が襲ってきた。

 ――それにしても……

 数が多い。自分の集落が襲われたときとは比較にならないかもしれない。

 ――とにかく動こう。

 結局、不安に耐えきれず、せめて森の端まで様子を見に行くことにした。あの数では、木の陰に隠れていても見つかるのは時間の問題に思われた。

 木漏れ日の当たるところを極力避けて、怖々と進んでいく。先ほどまであれほど騒いでいた動物たちを一匹も見かけなくなったのが、あまりにも不気味だった。

 極端に遅い歩みではあったが、轟きのような悲鳴が響く中でまだ動けていることに自分でも驚く。

 足がすくみそうになる。

 あの茂みの中に入って震えていたい。

 それが正直な気持ちだったが、なぜか今は、逆に止まってはいけないような心持ちになっていた。

 やがて、上からだけでなく前方からも光が差し込んでくる。

 森の終わりが近い。

 あの狂った轟きも、否応なくはっきりと聞こえるようになってきた。

 一本の大樹の陰に隠れて、そっと外のほうをのぞき見た。

 目に映った光景に、リゼロッテは息をのんだ。

 ――町が、赤く燃えている。

 市壁を越えてまで立ち上る炎と赤黒い夕陽に照らされて、周囲は凄絶なまでの色彩を帯びていた。

 その赤を背景にして、真っ黒な点が無数に上空を舞う。

 どれも翼人だった。状況からして、彼らが人間の町を襲っていることは明白であった。

 ――なぜ。

 とは思うが、すぐに自分の部族を壊滅させた紅色の翼のことを思い出した。

 ――常識が通用しなくなっているのかもしれない。

 漠然とだが、そんなことを思う。

 すべての予測がつかなくなっている。自分自身、つい一年前までは、まさか部族も母も失い、空腹に耐えながら各地をさまようことになるとは、夢にも思わなかった。

 ――これから何が起ころうとしているんだろう。

 ひどく不安な気持ちになった。

 翼人だけではない。人間だけでもない。

 この世界のすべてが変わろうとしている。そんな予感がどこかにあった。

「…………」

 どれくらいの時間が経ったろう。

 不安に怯えながら外の様子を眺めていると、やがて変化が起こりはじめた。

 翼人の集団の一部が移動を開始した。

 ――こっちへ向かってる!?

 明らかにその集団は、森のほうへ飛んでくる。自分の居場所がばれてしまったのだろうか。それとも、やっと退却を始めたのだろうか。

 答えはそのどちらでもなかった。

 翼人たちは、森のすぐ横にある丘の上に建った、比較的大きな建物のほうを狙っていた。

 やがてそちらの方角から、以前とは比べものにならないほど生々しい悲鳴と慟哭の声が聞こえてきた。

「!」

 思わず耳を塞いでしゃがみ込んでしまう。しかしそれでも、体を通して響いてくる叫びからは逃れようもなかった。

 町の上空では、相変わらず無数の翼人がたむろしているのだが、その一部が標的を変えたようだった。

 建物から何人もの人間が、耐えきれなくなって飛び出してくる。町から逃げてきた人が集まっていたのか、とても数が多い。

 しかし無力な彼らは、次から次へと文字どおり翼人の〝餌食〟となっていった。なす術がないとは、まさにこのことだ。

「え……?」

 そのとき、リゼロッテの目の前で信じがたい光景がくり広げられようとしていた。

 翼人が倒した人間の上にのしかかり、そして――

 胸に剣を突き立て、心臓をえぐり出す。

 彼らは、それを迷うことなく喰らっていった。

 リゼロッテは、なぜかその光景をなかば予測していた。

 考えうるかぎり最悪の結末。

 しかしその見たくない光景から、どうしても目をそらすことができなかった。

「そこまでして……」

 哀れむような軽蔑するような複雑な表情から、震えた声がもれる。

 翼人の背負った業。

 それを目の当たりにして、こころが激しく揺れた。

 人間たちの恐慌状態が尋常ではないのは、それを見てしまったためか。誰だって自分の心臓が生きながらにして喰われると知ったら、とてつもない恐怖を覚えるだろう。

 よく見れば、あちこちで似たような光景がくり広げられていた。翼人たちは、ただ人間の町を襲ったのではない。これこそが、目的だったのではないか。

 翼人たちによる狂乱の宴を、リゼロッテは見ているようで見ていなかった。少女は同族の翼人の姿を通して、自分自身を見ていたのである。

 なぜ、あんなことをするのか。

 なぜ、そこまでして生きるのか。

 なぜ、なぜ、なぜ――

 疑問が疑問を呼び、混乱に混乱が重なる。少女は白昼夢の中にいるように、思考の螺旋の中で震えた。

 ふと気がついたときには、いつの間にか森を出て建物の近くまで来ていた。不思議なことに、それまで襲撃者たちに見つかることはなかった。

 そのとき、少女はひとつのものを見た。

 ――あれは――

 人間を襲った翼人が手に持つもの。それは血にまみれながらも、青くきれいに輝いていた。

 ――ジェイド? いや、違う。

 何か確信を摑んだ感触があったのだが、それは一事によってざっとかき消された。

 建物の裏手から火の手が上がった瞬間、リゼロッテは前方に人間の男の子が座り込んでいることに気づいた。

 驚きのあまりか、はたまた恐怖のためか、呆けたように上方を見つめて動かない。

「いけない……」

 はっとして空を仰ぎ見ると、少年の真上でひとりの翼人が留まっていた。その視線は、明らかに脆弱な人の子に向けられている。

 リゼロッテは、自分でも気がつかないうちに走り出していた。一直線に男の子のほうへ向かい、翼を広げて包み込むようにかばった。

 男の子は声を上げなかった。しかし、腕の中で震えているのがわかる。リゼロッテは、少しきついくらいにぎゅっと抱きしめた。

 すうっと何かが近づいてくる気配がある。

 固く閉じていた目を怖々と開くと、すぐ目の前に翼人の男がいた。困惑したような、喜びを感じているような複雑な表情をしている。

「お願い、この子は助けてあげて」

 男に反応はない。

 しかし、リゼロッテは言葉をつづけた。

「そのかわり、私の……」

 すっと決意に満ちた瞳を相手に向けた。

「私の……|心臓(ジェイド)をあげるから」

 少女の声に、初めて男の肩が動いた。

 ただそれ以上、男は言葉を発することも足を動かすこともできなかった。まだ幼いはずの少女から、言い知れぬ威圧感を覚えていた。

 リゼロッテは、すべての覚悟を決めた。

 ただ、終わりの前にひとつ、どうしても聞いておきたいことがあった。

「教えてほしいことがあるの。子供の私じゃわからないこと」

 少女のまっすぐな瞳に、男は息をのんだ。

「どうして、そこまでして生きようとするの?」

 その素朴な疑問は、男を貫いてあらゆる翼人のこころに達するほどの鋭さがあった――少女にそのつもりがなかったにしても。

 その一帯だけ時間が止まる。リゼロッテも男も動かない。

 風が、森の木々をわずかに揺らした。

 ざわめきが、空気を少しだけ動かす。

 男の表情から迷いが消えた。何かを捨てたような目で、剣の柄にゆっくりと手をかけた。

 そのとき、リゼロッテはすべてをあきらめた。

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