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つばさ  作者: takasho
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 いつも大祭の時期ともなると自分自身もこころが浮き立ったものだが、今回ばかりは憂鬱な気分にならざるをえなかった。

 それは、揺れつづける馬車のせいばかりではなかった。

「盛り上がりすぎだな」

「珍しいですな、お祭り男のフェリクス様がそんなことをおっしゃるなんて」

「おいおい、オトマルならわかってるはずだと思ったんだが」

「冗談です。確かに、この盛り上がりが裏目に出なければいいのですが」

 少し目を細めて帝都の情景を、馬に乗ったオトマルは見つめた。

 ノイシュタット侯フェリクスとその一行は、選定会議に参加するべく帝都内に入っていた。宮殿へ通ずる西の〝ジルヴェスター通り(シュトラーセ)〟を、宮廷軍の兵士に先導されて進んでいく。

 ノイシュタット侯といえば、今や帝都内でもっとも注目されている存在だ。必然、通りの両脇には大勢の人々がその一行を見に集まっていた。

 といってもノイシュタットの騎士は少なく、数えても二十人ほどしかいない。

 これは、帝都内に各諸侯の軍をけっして入れてはならないという厳しい約定があるためであった。いらぬ争いや、帝都の占領を防ぐ目的がある。

 ここリヒテンベルクは、いわば帝国内における絶対的な中立地なのであった。

 諸侯の護衛の人数でさえ必要最小限のものしか認められない。そのかわり、帝都を守護する宮廷軍が付いてくれるため、たいして心配はいらなかったが。

「しかし、すごい人だな。去年までとは比較にならないんじゃないか?」

「ええ。帝都周辺の町や村が、人がいなくて静かになってしまうくらいですから、相当なものでしょう」

「だが〝何か〟が起きるとしたら今しかない」

「はい。もしもの場合、大変なことになるでしょうな」

 今の帝国は、不穏な空気に満ちている。

 ロシー族の反乱、翼人の襲撃、そしてカセル侯の動向――そのいずれもが、ここ帝都に絡んでいるような気がしてならなかった。

「もし、オトマルが首謀者だったらどうする?」

 馬車に乗るフェリクスが、隣をゆく馬上のオトマルに問いかけた。

「ううむ、今回の大祭と選定会議が狙い目ですな」

「そうなんだ。今このときに騒ぎを起こせば、自然にその火は広がっていく。一度炎が上がってしまったら、それを消すのは容易なことではない」

 敵の目的がなんなのかは、まだわからない。それ以前に、誰が敵なのかということも判然としない。

「帝都に何かを仕掛けるのなら、今ほどの好機は他にない」

「人が多すぎます。そして、多ければ多いほど混乱も被害も極大化する」

「しかも各地から諸侯が集まっているから、それを一網打尽にすることもできる」

 フェリクスは無意識のうちに、馬車の手すりを強く握りしめていた。

「警戒を怠るわけにはいかないな。気づいていない人間があまりにも多いが、もう何が起きても不思議はない時代だ」

「そう思うと、この帝都の活気も影があるように思えてくるのですから、人間の気持ちとは不思議なものですな」

「〝人の目は物を映さず。こころを映す〟か……」

 古代の思想家、ショウの一節を口ずさみながら、やや憂鬱な気持ちで帝都の町並みを眺めていると、ある違和感を覚えた。

 ――なんだ?

 何かがいつもと違う気がする。

 その原因はすぐにわかった。

「妙に聖堂騎士の数が多くないか?」

「そうですな、どうも宮廷軍の兵士の姿もいつもより多いようです」

「衛兵だけでは足りないということか?」

「それもあるでしょうが、それだけでは聖堂騎士の連中については説明がつきません」

「ああ、そうだな……」

 どうにもきな臭くて仕方がなかった。

 ――さっそく、不可解なことが出てきたな。

 これらが一連のこととつながっているのか、それともまったく関係がないのか。今はまだわからないが、あとで後悔しないためにすべてに対して手を打つようにするしかなかった。

 一行は、人でごった返すジルヴェスター通りをさらに進み、宮殿へと近づいていく。やがて西の中門をくぐり抜け、宮殿の敷地内へと入っていった。

「相も変わらず、美しいところだ」

「ええ。同じ帝都の中とは思えませんな」

 そこは一面、美しく整えられた庭園になっていた。

 色とりどりの花が咲き乱れ、芝生の青が陽光を浴びて美しい。

 さすがにここまで来ると喧噪もなく、静かな時間を過ごすことができる。馬車は相変わらずガタゴトとけたたましかったが。

 その年季の入った黒い馬車は、宮殿の建物の直前にある小門の前で止まった。

 ここからは、何人たりとも馬車や馬に乗って進むことは許されない。それは、皇帝でさえも例外ではなかった。

 ぞろぞろと騎士たちが馬を降りていき、フェリクスは最後に馬車を出て大地に降り立った。

 庭園を吹き抜けていく風が心地いい。久しぶりに訪れる宮殿であったが、この庭園のすばらしさには変わりがなかった。

「宮殿の中とは対照的だ」

「フェリクス様、それは今は言わないほうが」

「ふん……」

 ここからは、宮廷軍の兵士ではなく廷臣らが先導してくれる。フェリクスを先頭にそれにつづき、いよいよ宮殿内に入った。

「……扉をくぐる瞬間はいつも緊張しますな」

「何が起こるかわからないからな」

 この宮殿で、これまで幾多の謀略が行われてきた。

 かつての諸侯の中には、宮殿に入った瞬間に暗殺されてしまった者までいる。そこまではいかずとも、騒ぎになることは実際多かった。

 特に、所領経営がうまくいっている者ほど狙われやすい。

 ――要するに、他の諸侯にとって邪魔な存在が標的になるということだ。

 だが宮殿の中は、意外なほどに静まり返っていた。ほとんど人の気配がしない。

 フェリクスは、しずしずと前をゆく廷臣に話しかけた。

「まだ他の諸侯らは入廷していないようだな」

「はい、フェリクス様が最初でございます」

「そういえば、町中でやたらと宮廷軍の兵士を見かけたが、どうしたのか」

「はい、幸か不幸か、今回は選定会議と春の大祭の時期が重なってしまいましたので、町の警備を強化せざるをえなかったのです」

「やはりそうだったか。では、聖堂騎士は? 彼らにも協力を仰いだのか?」

「いえ、そんなはずはありませんが……。わたくしも存じ上げませんでした。そんなに多かったのですか?」

「多いというほどではなかったがな。だが、珍しいではないか、有事でもないのに聖堂騎士が表に出てくるなんて」

 廷臣は首をかしげるばかりで、具体的なことは何も言わない。どうやら、本当にそのことについてまったく知らないようだった。

 フェリクスは、オトマルと目を合わせる。副官のほうは軽く肩をすくめてみせた。

 とりあえずは、一行も黙って先へと進んだ。たいして装飾もない回廊をひたすらに歩いていく。

 この宮殿は、内も外もほとんど見るべきところはない。

 それもこれも、七大諸侯が帝国を分割統治しているという性質上、中央になかなか富が集まらないためだ。

 皇帝となった者でさえ、財政に余裕があれば自領に回すというのが当たり前であったから、建国の昔から宮殿に対してはそれほど力を入れてこなかった。

 だが、そんな宮殿がフェリクスは好きだった。華美さはないが、実用性は十分。そういった質実剛健さは、自分の趣味と合致していた。

 程なくして、二階にある自室に着いた。七大諸侯には、宮殿内にそれぞれ部屋が割り当てられている。

「それではごゆっくりと。ご用の際は、なんなりとお申し付けください」

 部屋に入るとすぐに、廷臣はありきたりな言葉を残して去っていった。護衛の騎士たちも、それぞれの部屋へ散っていった。

「なあ、オトマル」

「先ほどのお話ですか」

「ああ。また宮廷と大神殿が対立しているのか?」

「残念ながら、その可能性は高いでしょうな。聖堂騎士が出しゃばっているのは宮廷側にとって寝耳に水だったでしょうし、仮に知っていたとしても大神殿の側がいちいち宮廷に許可を取るとは思えません」

「そうだな、問題の根は深いか……」

「宮廷軍と聖堂騎士団が衝突したのは、一度や二度のことではありません」

「〝カイザースヴェークの騒乱〟か」

 六十年前まさにここ帝都で起きた内紛は峻烈を極め、双方に多大な被害を与えただけでなく帝国の存続をも危機に陥れるものになってしまった。

 それ以来、さすがに両者ともに反省したのか表立って対立することは少なくなっていたが、それでも敵愾(てきがい)心の炎は陰で確実にくすぶっているようであった。

「しかし、閣下。例の翼人とカセル侯の件、これに宮廷軍と聖堂騎士団が絡んでくることになったら、さすがに手がつけられませんぞ」

「よしてくれ。そんなことになったら、帝都どころか帝国自体がおしまいだ」

 オトマルは笑っているが、フェリクスは少し冗談にならないと思っていた。

 ――有り得ないと断言してもいいことではあるが……

 まったく可能性がないわけでもない。もしものことを考えると、背筋に寒いものが走る。心配の種が尽きることはなかった。

「なんともやるせないものだ」

 フェリクスは、なんの気なしに窓のほうへと向かった。

 そこを思いきり開け放ち、宮殿の外を見渡した。

「――――」

「やはり、カセル侯のことが気になりますか」

 すぐに返事をすることができない。中庭とその外に広がる町並みは美しく落ち着いていたが、こころのどこかに晴れない(もや)があった。

 だから、少し話をはぐらかそうとした。

「そういえば、オトマルは最近『ゴトフリート』という名を言わなくなったな」

「ええ、わたくしはカセル侯を(うたぐ)っておりますので」

「……どうしてだ? 私より侯との付き合いは長いくらいではないのか?」

 オトマルは、先代どころか先々代の頃からノイシュタット侯に仕えている。必然、昔から親交のあるカセル侯とは旧知の間柄のはずだった。

「怪しいところが多すぎるのです。わたくしもフェリクス様と同じく、できれば最後まであの方を信じたかった。しかし、先日カセルの上空で飛行艇が襲われたときに、もはや疑わざるをえないと確信したのです」

「だが、あのとき襲ってきたのは翼人だ。ゴトフリート殿とかかわりがあるかどうかわからない」

「では、なぜ結局、渡航許可を出さなかったのです?」

 そこだった。

 あれから追加の使者も出したのだが、帝都へ向かって出発しなければならない段になっても、ひとりとして帰ってくることはなかった。

 その理由がわからない。全員が途中で倒れたとは考えにくい。となると、なんらかの理由でカセルのヴェストヴェルゲンで足止めをくっているとしか思えなかった。

 しかも、こうしたことは一度きりではなかった。以前も夜会を無断で欠席し、その謝罪が行われたのもずっと後のことだ。そのときはなんだかんだと理由を付けてはいたが、その中身はさほど納得のいくものではなかった。

「結論は〝疑うしかない〟か」

 フェリクスは椅子に腰かけて、その背もたれに身を預けた。

 わかってはいた。カセル侯の目的は判然としないが、何かを画策していることはほぼ間違いない。

 ――最後まで信じたいのだがな。

 最も尊敬する人、父のように慕う人物を疑いたくはなかった。

 そんなフェリクスの思いを知ってか、オトマルが少し揶揄するように言った。

「フェリクス様は、カセル侯のいい面ばかりを見ているのですな」

「うん? どういう意味だ?」

「閣下がまだ小さかった頃ですからお気づきにならなかったのでしょうが、以前、侯の何かが変わった出来事があったのです」

「――もしかして、例の事件か?」

 心当たりはあった。

 ゴトフリートは今、完全な独り身だ。だが、元々は妻子がいた。

 幸せだったその状況が一変したのは、今から十年以上も前のこと。侯の留守中に、館を賊に襲われ、無惨にもその妻と娘は殺されてしまった。

「やはり、あのことが転機になったのか……」

「はっきりとしたことはわかりかねます。ですが、表面上とは違う何かがカセル侯の中に生まれたことは間違いないでしょう」

「何か、か」

「閣下のお父上もお気づきになられていましたよ。しかし今にいたるまで、それがなんなのかはわからずじまいでしたが」

「そうか、父上も……」

 自分が知るかぎり、父の勘が外れた試しはない。ということは、ゴトフリートの内面になんらかの変化があったことは事実なのだろう。

「それに、元々カセル侯はこころの闇を抱えているところがありましたから」

「ギュンター殿と同じことを言うんだな」

「ハーレン侯もそのようなことを?」

「ああ、だから過信はするなと忠告されたよ」

 オトマルはうなずいた。

「今のカセル侯がまだ若い頃、領主になることを危惧されていたことをご存じですか?」

「危惧? 危惧って、何を危惧するというんだ」

 ゴトフリートは剣の腕は確かで、子供の頃から頭のほうも冴えていたと聞く。大きな問題など特にないことは、実際の領地の運営を見れば明らかだ。

 だが、オトマルは首を横に振った。

「性格に難があったのです。たとえば、狩りをすればその地の獣をすべて狩ってしまい、戦に出れば投降した相手までも斬って捨てる。言ってみれば、限度というものをまったくわきまえない野獣のような男だったのです」

「そんな……」

 現在のゴトフリートからすればまったく想像もつかない。今はどちらかというと穏和で、過激なことは嫌っている節がある。

「実際、先代のカセル侯は、このままでは帝国にさえ被害を及ぼしかねないと危惧して、実子を神殿に入れて養子をとろうと考えたくらいなのです」

 その後、父の死に思うところあったのか劇的に変化し、今では模範的な領主として多くの人々から慕われてはいるものの、根っこのほうは未だ変わっていない可能性もあった。

「閣下、今の姿に惑わされてはなりません。カセル侯は元々、内面に非常に激しいものを秘めているのです」

 ――正直、何をしでかしても不思議はない。

 ゴトフリートに悪意はないのかもしれないが、結果として大きな混乱を引き起こす危険性は常にあった。

「善意が最大の悪になりうることもある、か」

 フェリクスは、もう一度窓の外を見た。

 たとえ善意でやったことであっても、状況によっては最悪の結果を招いてしまうことも有り得る。

 なんとなくではあるが、ゴトフリートに悪意はないように思える。

 だが彼ならば、たとえ大きな被害を伴うようなことであっても、究極的にはそれが必要であるなら、その実行をためらわず決断してしまえることもまた事実であった。

「……どうなることやら」

「なるようにしかなりませぬ」

「それが怖いのだがな」

 なるようになって、いい結果をもたらすのなら問題ない。だが、悪い方向へ向かうのなら、歯止めが利かないということでもあった。

 窓の外の木々が、音もなく揺れている。町の喧噪も今は届かない。

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