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つばさ  作者: takasho
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 緊急事態に似つかわしくない気持ちのいいくらいに澄んだ青空の下、全速力で北西の方角へ向かう。

 ――状況が状況だが、やっと飛べるな。

 もう人目を気にする必要も、あの連中に見つかることを避ける必要もない。久しぶりに思いきり宙を舞うことができる。

 さすがに先ほどの翼人たちの姿はまるで見えないが、あの男の村の位置はすぐにわかった。

 ――火の手が上がってるじゃないか。

 前方に、煙の柱が風で西方向へたなびいているのがわかる。

 しかも複数。まだ遠くてはっきりとはわからないが、家屋のいくつかが燃えているようだった。

 風にのって近づいていくと、村の上空に何人かの翼人の姿も見えてきた。

 翼の色がそれぞれ違う。

 ――やはり、例の連中か。

 ある程度、村まで接近したところで、速度を急激に落とした。今のところ相手には悟られていない。現在どんな状況なのかを、まずは確認したかった。

 ちょうど村のやや近くに三本の|檜(ひのき)があった。そこに隠れて、村と翼人たちの様子をうかがうことにした。

 ――なんなんだ?

 意外にも、攻めあぐねているのは翼人たちのほうだ。村人たちが弓矢を巧みに用いているので、近づくことさえできないでいる。

 しかも炎と煙は、家屋が燃えているせいではなく|篝火(かがりび)によるものだった。

 うまい、と思う。

 翼人は火が苦手というわけではないが、あれだけ煙が出ていると視界が阻害されるうえに、炎によって起こされる上方向への気流が飛行のバランスを崩しやすい。しかも複数の篝火をたいているから、乱気流になっているはずだ。

 さらに、弓矢を使うのも有効だった。

 翼人は、弓を使うことを極端に嫌う。仲間を裏切ることを超える最悪のことと考えているためなのだが、そのことは弓矢を絶対的に苦手としていることの裏返しでもあった。

 戦いの場においてどんなに上の位置をとろうと、接近できなければ意味がない。広げた翼が格好の的となってしまう根本的な問題もあった。

 村人側に有利な要素はまだある。

 射手の腕がいい。翼人が煙と乱気流をぬって強引に近づこうとしても、そこへ的確に矢が放たれる。

 あの男の言った〝凄腕の射手〟がどれほどのものかはくわしくは知らないが、弓を構えるそれぞれの姿は様になっていた。よく訓練されているのは素人目にもよくわかった。

 ――これなら手助けする必要はないか。

 と思いはじめたとき、翼人たちがにわかに騒ぎはじめた。

 彼らの視線の先を追うと、そこには――白い翼をした銀髪の大男がいた。

「あ、あれは……」

 思わず、声に出してつぶやいた。

 あの髪。

 あの体。

 そして、あの翼――

「マクシム……」

 自分でもぞっとするほどの声が、喉の奥から絞り出されていた。

 マクシム。

 マクシム。

 マクシム。

「マクシム!」

 叫ぶと同時に、剣を構えて突進していく。

 旅の疲れなど関係ない。ただ目前にいる存在に対して、強烈な意志の炎を秘めて向かっていった。

「!」

 だが、今まで動きのなかった翼人の集団が、時を同じくして行動を開始した。

 銀髪の大男を先頭に、一塊になって一気に突っ込んでいく――射手のほうへ。

「やっぱり……」

 ヴァイクは目をむいた。さすがに〝奴〟は、こうした状況下で何をすればいいかよくわきまえている。

 弓矢に限らず遠距離用の武器を使う相手と対峙したとき、中途半端な間合いを取るのが最も危険なことだ。

 様子見ならば相手の攻撃の届かないところにいればいいだけの話だが、みずから仕掛けなければならないのなら、思いきって相手の懐に飛び込むしかない。

 それをするには勇気がいる。

 ――だからこそ、奴は自分が先頭に立って攻撃をしかけた。

 思わぬ相手の動きにあわてた村人の側は、やや統率が乱れて対応が遅れている。

 しかし、髪を逆立てた若い男の指示が出るとすぐさま立て直し、一斉射撃での応戦を試みた。

 翼人たちは剣を振りながらどうにかしてそれを防ごうとしているが、数人が矢の餌食になって落ちていく。

 それでも、一塊となった集団の勢いは止められない。射手たちは交互に撃つことで連続して矢を放ちつづけるが、やがて相手集団の先頭が剣の間合いに入った。

 ――決まったな。

 ヴァイクが後方から見つめる中、翼人たちが次々と村人に襲いかかっていった。

 接近戦となれば、弓はもはや最弱の武器となり果てる。一部の村人は弓を捨てて腰に|佩(は)いていた剣を構えるものの、本来兵士でもない彼らが生まれながらの戦士たる翼人にかなうはずもなかった。

 村人たちの隊列は乱され、見る間に混乱が広がっていく。あとは、翼人の〝狩り〟が始まるだけであった。

 ヴァイクにとっては、それが災いした。

「マクシム……」

 乱戦になったせいで銀髪の男を見失ってしまった。その姿を捜せど捜せど、煙と人影に邪魔をされてどこにも見当たらない。

 そうこうしているうちに、一部の翼人が倒した村人の体を抱えて飛び去っていく。

 思ったとおり、翼人の狙いはアルスフェルトのように集落を壊滅させることではなく、人間の体、おそらくはその心臓が目当てなのだ。

 ――このままじゃ、奴も逃げてしまう。

 焦りがつのっていく。ここでマクシムを逃がしてはならないという強烈な思いがこころを揺さぶり、気持ちをさらに急かした。

 ――いない。

 どこへ行ったものか、ちらりともその姿が見えない。

 はやる思いを必死に抑えながら首を振って状況を確認しようとしていると、自身の右下方で村人に指示を出していた男が複数の翼人に囲まれてしまった。

 小振りの剣でどうにか応戦しているものの、その劣勢は誰の目にも明らかだった。

 ――どうする。

 ヴァイクは逡巡した。元より、ここの村人に縁や義理があるわけではない。余計なことをしている間に肝心のあの男に逃げられてしまうかもしれない。

 だが、目の前で窮地に立たされている人間の男が、この村の実質的なリーダーと思われた。

 もし彼がやられるようなことになったら、ぎりぎりのところで持ちこたえている村の側が一気に崩壊してしまいかねない。

「……ちくしょう!」

 悪態をつきながらも、ヴァイクは右下方へ向かった。

「何っ!?」

 しかしその瞬間、右の翼に焼けるような感覚が走った。

 横目で見やると、翼の中ほどに矢が見事に突き刺さり、なかば貫通していた。

 前に戻した視線の先には、例の人間の男が片手で器用に剣を振るいながら、もう片方の手で小型の|弩弓(どきゅう)をこちらに向けていた。

「ばかやろう!」

 ――なぜ、これから助けてやろうとしている男に撃たれなければならない!

 だが、ここまで来て今さらやめるわけにもいかなかった。激痛をこらえながら翼の形を維持し、その勢いのまま突っ込んでいく。

 まず、こちらに背を向けている藍色の翼の男を屠る。

 つづけざまにその前方にいた男の胸を剣で突き刺し、そのままそこからいったん離脱する。

 痛みで気絶した相手から剣を引き抜き、すぐさま振り返った。

 が、そのときには村人の男が、他の翼人を剣と弓とですでに倒していた。

 そのことに少し驚かされたが、よくよく考えてみれば大人数の翼人をひとりでなんとか抑えていたくらいだ。その均衡が崩れれば、彼が相手を圧倒するのもけっして不思議ではなかった。

 男は、こちらに不審げな視線を向けてきた。感謝するという様子ではまったくない。

「なぜ、翼人が俺を助けた?」

「それは、助けられた側の態度じゃないな」

 男は沈黙している。

 ただ、後方から村人の悲鳴が聞こえてくるような状況では、いつまでもそんなことをしているわけにはいかなかった。

「ちっ! 理由はわからないが、助けてくれたことには礼を言う。だが、翼人なんかを信用したわけじゃないからな!」

 感謝しているのか、悪態をついているのか、さっぱりわからないようなことを宣って、髪を逆立てた男はそのまま走り去っていった。

「なんなんだ、いったい……」

 助けてやったことを少し後悔しつつも、いつまでもこんなことをしていられないのはこちらも同様だった。

 ――マクシムをかならず捜し出さなければ。

 右の翼の激痛は強まっているものの、だからどうしたとみずからを叱咤する。

 背後のほうを確認しようと振り返ったそのとき、翼にそっと触れる手があった。

「相も変わらず無茶をしやがって。こんな状態で飛ぶ奴があるか」

 その声は――

「マクシム……」

 真後ろに降り立ったのは、銀色の髪をした大男だった。

 その声、その姿、そして少しにやけたその表情に、どうしようもない懐かしさを覚えてしまう。

 しかし、それを振り払うかのようにヴァイクは目の前の男に摑みかかった。

「どうしてッ! どうして部族から抜け出したんだ!」

 ずっと聞きたかったこと。

 ずっと問い|質(ただ)したかったこと。

 部族がヴォルグ族に襲われたとき、兄ファルクと双璧をなす最強の戦士と謳われていたマクシムは、そこにはいなかった。

 その数年前に突然姿をくらまし、それっきり帰ってくることはなかった。

 兄はひとり奮闘したが、女子供を守りながらではまともに戦えるはずもなく、やがて力尽きていった。

 確かに、ヴォルグ族はひとりひとりが間違いなく強かった。しかも手段を選ばず、勝つことだけを意識して全体としてうまく連係するから手がつけられない。

 しかし、もしマクシムが部族に残っていれば、状況はまったく変わっていたはずだった。

 以前、|萌葱(もえぎ)色の翼をしたはぐれ翼人に聞いたことだが、ヴォルグ族は無謀なことをしているように見えて、その実、けっして無理はしないのだという。相手の抵抗が激しければ、味方の損害を回避するためにあっさり引くこともある、と。

 そのことを知ってしまったからこそ、なおさら肝心なときにいなかったマクシムが許せなかった。許したくなかった。

「あんたのせいで……あんたのせいでクウィン族はすべてを失った……」

 マクシムの服を握る手が震える。

 失われたのは兄の命だけではない。長老も友人も昔からよくしてくれたおばさんたちも、みんながみんな散っていった。

 しかし、取り乱すヴァイクとは裏腹に、マクシムの表情は冷酷なまでに落ち着いていた。

「俺のせいか……確かにそうなのかもしれん。だが、それをいうならお前も同罪ではないのか?」

 ヴァイクがはっと顔を上げた。

「部族が壊滅したのに――ファルクまで死んだのに、お前はなぜ生きている? そのとき何をしていた?」

 マクシムの指摘は鋭すぎた。ヴァイクは震える手を放し、我知らず一歩後ずさった。

 あのとき――自分は、集落にいなかった。友人と一緒に遠出をしていて、帰路についたのはもう暗くなりはじめてからのことだった。

 集落の方向に火の手が上がったのを遠くの森から見たときのことを、今でも忘れられない。

 翼人は普段めったに火を使うことはないから、火事が起こることもまったくといっていいほどない。儀式のときでもないのに大きな火の手が上がったとしたら、それだけで十分な異常事態だった。

 友人も自分も、すぐに戻るべきだと直感した。だから言葉を交わすこともなく、すぐさま集落へ向かった。

 しかし、すべては遅かった。

 炎が上がったのは、戦いも終盤に差しかかった頃合いだった。しかも、視認できているとはいえ、集落まではまだ遠い。

 急いでも急いでも、かえって目的地が遠ざかっていくかのような錯覚に陥りそうになった。

 そして、ようやく着いたときにはもう、戦いは終わっていた。

 すべてが倒れている。

 すべてが崩れている。

 自分の知っているすべてが失われてしまっていた。

 そのときのことを思い出して瞳を揺らすヴァイクに対して、マクシムは容赦がなかった。

「何か勘違いしているようだから、はっきり言っておく。クウィン族が壊滅したのは他の誰のせいでもない」

 同族の年下の男を、キッと睨みつけた。

「お前のせいだ。お前自身が弱かったからすべてを失ったんだ」

 その言葉は、今のヴァイクにとってはあまりにも重すぎた。瞳さえも動かせなくなり、唇を震わすことしかできない。

 マクシムは表情を変えないまま、すっと飛び上がった。

「それに、裏切られたのは俺のほうなんだからな」

「……え?」

 そこで初めて視線を動かすと、マクシムはすでに高い位置まで上がってしまっていた。

「生き延びろ、ヴァイク」

 マクシムの目は真剣だった。

「生き延びて、もう一度俺の前まで来てみせろ。そうしたら、すべてを話してやってもいい」

 そんな横柄なことを言って、近くの翼人たちとともに去っていく。

 ヴァイクは、それをただ呆然と見送ることしかできなかった。

 それと同時に、あっという間に他の翼人も引き上げていく。ヴォルグ族もかくやというほどの連係ぶりと引き際のよさだ。

 思ったとおり、あの連中はこの村を壊滅させることが目的ではなかった。

 気がつくと、村に残っている翼人は自分だけになっていた。

 今まではマクシムのことに気を取られていたが、いつの間にか村人たちの視線がほぼすべて自分に注がれていた――強烈な敵意とともに。

 そこへ、あのリーダーらしき男がこちらに歩み寄ってきた。

 表情は険しい。これだけのことが起きたのだから、当然といえば当然だが。

「おい」

 と、マクシムに負けず劣らずぞんざいな声をかけてきた。

「お前は何者なんだ?」

「お前はそれに答えられるのか?」

「俺は学者でも神官でもない。つまらん問答などどうでもいい。お前はどうしてここにいて、あの連中とはどういう関係なのかを聞いてるんだ」

 少し皮肉を返してやると、むっとした表情で問い直してきた。

 ――どうしたものか。

 ヴァイクも相手の意図はわかっていたが、いざ答えるとなると言葉に詰まってしまう。

 ここに来たのは偶然で、あの集団のことは自分もよく知らないと言ったところで、どこまで信じてもらえるものか。

「あの連中とは関係――」

「関係ないとでも言うつもりか。だったら、どうしてあの大男の名前を知っていた?」

 ――見られていたか。

 実際にはほとんど言い争いをしていたのだが、さすがにそこまでは確認していないようだった。

 状況は、明らかにこちらにとって分が悪い。答えに窮していると、村人たちがにわかに動き出した。中には、弓に矢をつがえようとしている者までいる。

 ふう、とため息をつくしかなかった。

「人間が礼儀知らずというのは、本当らしいな」

「何?」

「だって、そうだろう。恩に着せるつもりはないが、さっき翼人に囲まれていたお前を助けてやったのは誰なんだ?」

 今度は、村の男が窮する番だった。一部の村人もその場面を見ていたのか、村全体がざわついている。

「……確かに、そのことには感謝する。だが、それだけにわからん。なんで翼人のお前が人間の俺を助けたんだ?」

「助けちゃいけないのか?」

「それは……」

 また言葉に詰まる。この男は案外素直な性格のようで、けっして悪い人間ではないのかもしれなかった。

 だから、ヴァイクも正直に答えることにした。

「お前を助けたのはただのお節介だ。ここに来たのも偶然なんだよ。あの連中ともかかわり合いはない」

 言うだけ言ってさっさと背を向け、その場から立ち去ろうとする。

「待て!」

「なんだ、まだあるのか?」

「悪いが、お前を拘束させてもらう」

「……なんだと?」

 男は、すでに弓を構えていた。いつの間に準備をしたのか、他の村人たちも同様に矢じりをこちらへ向けた。

「正直、お前が連中の仲間ではないという確信が持てない。それに、もしかしたら人質として使えるかもしれんしな」

 ――現実的な判断だな。

 しかし今はそれが、ヴァイクにとっては厄介以外の何ものでもなかった。

 もしここで逃げ出そうものなら、それこそ結果的に〝黒〟と断定されて、弓矢のいっせい射撃を受けてしまう。

 かといって、こんなところで捕まっているわけにもいかない。ベアトリーチェたちのことがあるし、どうしても再びマクシムに会う必要があった。

 動くに動けずに逡巡していると、まだ少年と言ってもいい容貌の細身の男が、漁に使うような大きめの網をもってきた。

 ――翼人のことは調べ尽くしたというわけか。

 手枷足枷では、翼をはためかせて飛んでいける。翼人を拘束するには、網を使うことが最も手っ取り早いことを、ここの村人は知っているようだった。

 リーダーらしき男は一応罪悪感はあるのか、申し訳なさそうな顔で言ってきた。

「どうせその翼の傷ではまともに飛べやしないだろう。怪我の治療をしてやるから、そのためと思ってしばらくここに留まってくれ」

「治療してやる必要なんてありません!」

 そのかわいらしい顔とは裏腹に、細身の男の声には険があった。明らかに憎しみのこもった目で、こちらを射抜かんばかりに睨みつけてくる。

 だが、彼に対して敵愾心は感じなかった。

 ――俺も、ヴォルグ族を見ているときはこういう目をしているんだろうな。

 そんなことを漠然と思う。

 暗い思いを秘めた熱すぎる視線。それは、あまりにも悲しすぎる目でもあった。

 その青年が網を広げようとするのを見ながら、もう仕方がないのかとなかばあきらめたような気持ちになってきた。

 確かに、どちらにしろこの傷ではまともに飛ぶことは難しい。仮に怪我がなかったとしても、この状況を脱するのは難しいだろう。

 しかしそのとき、思わぬ声が横合いからかけられた。

「ま、待ってくれ!」

 どこかで聞いた覚えのある声だと思ったら、先ほど森に隠れていた小心者の男だ。

『落ち着け』だの『あわてるな』だの、その言葉をそっくりそのまま返してやりたくなるような様子で、転げるがごとく駆け寄ってくる。

「ジャン……」

 それに驚いたのは、ヴァイクよりもむしろ村人たちのほうであった。明らかに動揺した様子で、ヴァイクから視線を離している。

 ――逃げるなら今だな。

 とは思うが、少し様子を見たほうがよさそうだ。想像した以上に怪我の状態が思わしくない。右の翼はもう、まともに動かせそうになかった。

「よ、よかった、間に合って……」

 男は息を切らせながら、ようようの体で近くまでやってきた。周りの村人たちは、なぜかほっとした表情をしている。

「村長、無事だったのか。いつまで経っても帰ってこないから、てっきり翼人どもにやられてしまったのかと思ったぞ」

「ああ、セヴェルス。そのことなんだけどね……」

 まだ息の上がっている男は、言葉が途切れ途切れになる。

 だがそんなことよりも、ヴァイクにはもっと気になることがあった。

「お前は村長だったのか!?」

 疑問というより不信感が先に立っての問いであったが、それに答えたのは甲高い声だった。

「貴様は黙っていろ!」

 例の網をもった少年のような青年だ。目をむいて激昂している。

 ヴァイクにとってはその程度の怒りは痛くもかゆくもなかったが、邪魔ではあった。

 それは、他の男たちにとっても同様だったようだ。

「黙っているのはお前のほうだ、レーター。今は村長と話をしているんだ、お前は下がっていろ」

 弓使いのセヴェルスに叱責されると、レーターと呼ばれた少年のような青年――この際、少年としよう――は、渋々ながらもそこから離れていった。ヴァイクに、怒気と憎悪の感情を叩きつけながら。

 当のヴァイクは無視を決め込んで、重ねて問うた。

「こいつが村長というのは本当なのか?」

「こいつと言うな。――ああ、確かにジャンはこの村の長だ」

 ジャンと呼ばれた男は、照れくさそうに頭をかいたりなんかしている。

 どう考えても、村長として相応しい年齢には見えない。

 だが、そんなことより、

「じゃあ、お前はここの長のくせに自分が真っ先に逃げたのか」

 呆れているのはヴァイクだけではなかった。

「ジャン、やっぱりそういうことだったのか」

 セヴェルスの問いに、当人はしゅんとなってうつむいている。今近くに他の村人たちがいなくてよかったと思う。

「やっぱり、セヴェルスが村長になるべきだったんだよ。俺じゃあ、こういうときに何もできない」

「俺には、頭を使うような仕事は向いてないんだ。力仕事のほうが性に合ってる」

「そ、それより、あんたヴァイクって言うんだってな。俺の村を助けてくれてありがとう――って、ええ!?」

 強引に話題を変えようとしたジャンが、ヴァイクの翼に刺さったままの矢を見て目をむいた。傷口からは出血が止まっておらず、純白の翼を|朱色(あけいろ)に染め上げている。

「す、すぐに治療を」

「待て、ジャン。その前にこの男のことを話せ」

「あ、ああ。俺が森に隠れてたら、たまたま出会ったんだ。それで事情を話したら、村を助けに行ってくれて。実際に力になってくれたんだろ?」

「まあ、そうだが……」

「だったら、別に問題ないじゃないか。この人は神官さまと一緒にいたくらいなんだ。悪い人なわけがない」

「神官と?」

 しかしジャンの思惑とは裏腹に、セヴェルスの表情はかえって険しくなった。ヴァイクはそのことに気がついたが、あえて今はまだ聞かないことにした。

「とにかく、もういいだろ? 恩人を放ったままにしておくなんて、君らしくないじゃないか」

「だが、ここではこの男の治療は無理だ」

「セヴェルス!」

「落ち着け、ジャン。落ち着いて、周りをよく見てみろ」

 ジャンはセヴェルスの態度を懸念に思いつつも、言われるまま周囲をざっと見渡した。

 そして、ぎょっとする。

 敵意、敵意、敵意。

 もしくは、

 憎悪、憎悪、憎悪。

 それまであまりにも無頓着だっただけに、はたと気づいたときに仰天してしまった。

 むき出しの殺意が周りを取り囲んでいる。

 村の働き盛りの男たちだけでなく、屋内や近くの森に隠れていた女や子供たちまで、あからさまな敵意を翼人の男に向けていた。

 ジャンは生唾をのみ込んだ。

 ――俺の考えが甘かったのか。

 村人たちの翼人に対する憎しみは尋常なものではなかった。

 考えてみればそれも当然のことだ。彼らは皆、家族や友人、そして最愛の人をあの翼人の集団によって奪われている。村人たちには恨みを抱く権利があった。

 ――だけど、だけど……

 そこにこそ言いようもない違和感を覚えてしまう。

 ヴァイク自身は何も悪いことはしていない。それどころかこの村を助けてくれた恩人だ。

 ――それなのに、翼人というだけでこんな……

 普段は気のいい連中が憎しみの炎にとらわれていることに、ジャンは当のヴァイク以上に戦慄を覚えていた。

 ――これが人間というものなのか。しかし、こんな無差別的な憎悪はあの連中とまるで変わりがないじゃないか。

「セヴェルス」

「なんだ?」

「村人には、君からうまく説明してやってくれ。俺の、村長の命の恩人なんだと。その隙に、俺は彼を森のほうへ逃がす」

「……わかった」

 セヴェルスは何かを言いかけたが、いつになく真剣な表情のジャンに圧倒され、素直にその命に従うことにした。

「さあ、行こう。ヴァイク」

「ああ、助かった」

 ジャンがヴァイクを村の外へ連れていこうとすると、すぐさま他の村人たちが動揺しはじめた。しかし、それを睨みつけて完全に黙らせると、意に介さずさっさと進んでいった。

 ――意外にやるもんだな。

 ヴァイクは正直、感心していた。

 初めは、なんて軟弱な奴なんだろうと怒りを通り越して呆れ果てていたが、なかなかどうして、芯はしっかりとしている男らしい。

 決心するまで迷いに迷って時間はかかるが、一度覚悟を決めたならいつも以上の力を発揮していくタイプなのだろう。

 怒りをあらわにする村人たちを抑えるのに必死なセヴェルスの姿を見てほくそ笑みながら、ジャンの後についていく。どうやら、元来た方向へ戻っているらしかった。

 ――ベアトリーチェたちは大丈夫なのか。

 とふと考えたとき、ヴァイクはその前にやっておくべきことを思い出した。

「ジャン、ちょっと待ってくれ」

 急に立ち止まると、おもむろに右の翼に刺さっている矢に手をかけ、そして強引にへし折った。

 くぐもった悲鳴を上げたのは、当のヴァイクではなくジャンのほうだった。

「どうしてそんな無茶を!」

「これくらいなんでもない。ベアトリーチェの奴がうるさいからな」

 そう言いながら、矢の両端をそれぞれ翼から引き抜いている。矢を引き抜いたことでかえって傷口が開き、鮮血があふれ出した。

 今では、傷口から翼の下端まで、ひとつの赤い筋が|柄(がら)のようになっていた。

 ――うちの村の連中がやったんだろうな。

 翼人は弓を使っていなかった。ジャンは、申し訳なさと恥ずかしさで顔が熱くなってきた。

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