絵合
源氏二十九〜三十一歳
元藤壷中宮視点
壮麗な行列を連れて源氏が私の住む三条院を訪れた。向かいの大后の里は静かで動きはない。だけど様子をうかがっているに決まっている。最近ではあちらにこれほど華やかな人々は訪れないからだ。
人々は手の平を返して私たちの元に集まる。いつぞやのわびしい正月が嘘のようにこちらは勢いを取り戻した。
だけど私の心は晴れない。一番この栄華を見せつけたい人が向かいの邸にいないからだ。
大后は朱雀院の敷地内の東北にある柏殿に住んでいる。だからここがどんなに時めいてもその様子を見ることはない。昔私の感じた焦燥を突きつけてやることはできない。
————それに、人々は用心している
あの恐ろしい女がいつまた息を吹き返さないとも限らないから。東宮(皇太子)の位置についているのはあの女の孫だ。帝に何かあれば、あっという間に元の木阿弥だ。
そうなることを避けるために、一刻も早く男宮がほしい。だけど新たな弘徽殿の女御はまだ十二で、息子の一つ上でしかない。
あの女の姪であることに目をつぶっても、当分は授かりそうもない。
「今日はご相談があって参りました」
人を払わせ几帳越しに対面する。今の源氏は大事なビジネスパートナーだ。
今回彼が持ちこんだのは、亡き六条の御息所の娘で元斎宮だった人の入内の話だ。
「御息所は身分もありとても思慮深い方だったのですが、私のあだな心のせいで浮き名を流してしまったことを大変気にしていらっしゃいました。そのお心はとけないままお亡くなりになりましたが、それでも今わの際にこの斎宮のことをおまかせくださったのです。そのお気持ちにお答えして、ぜひ私への恨みを忘れるほど尽くしたいと思っています。実際帝は大人びてはいらっしゃいますが、まだ幼い年頃です。少しお年上の方をお側に置くことはどうでしょうか。ぜひご判断ください」
この話には前提がある。先の帝——つまり朱雀院にいる上皇が、この元斎宮を院に呼ぼうとしていると噂されていた。
通常ならそのために遠慮すべき話が、かえって私の心を逆に動かした。
「よくお気づきになりましたね。院のご所望があることは恐れ多くもお気の毒でもありますが、御息所のご遺言をたてにして知らぬ顔で話を進めてもよいでしょう。院は色めかしいことにそれほど執着がおありのようでもないし、仏のお勤めも熱心になさっていらっしゃるので、こう決めてもそれほどおとがめにはならないと思います」
あの男は大后の息子なのだ。意を通してやる筋合いはない。
ーーーーいいの、それで?
声がしたような気がして振り向いたが、人払いした部屋に他の女の影はない。不審がられる前に首を戻したが、喜色満面の源氏は気づかないようだった。
「それでしたら宮のご意向ということで入内候補にエントリーします。私も彼女に勧めますね。さんざん考えましたが世間体もありまして」
私は許容しただけなのに希望したことになっている。すり替えの上手さにわずかないらだちがよぎるが、それよりも大后の最愛の息子を傷つけることの喜びが勝って口元が歪む。
失意のどん底であるはずのあの女を、更に追いつめてやる。
————それはあなたの本当の気持ち?
ええ、もちろん。声の主がわからないまま肯定する。
なぜだか知らないが源氏はあの女に報復しない。それどころかかつての敵にそこまでしてやる必要もないのに、周りがあきれるほど尽くしてやる。立場の違いを思い知らせるためだろうけれど腹が立つ。
いつだって世界は残酷だ。だからこそ敗者は完全につぶさなければならない。その名を貶めて、二度と這い上がれないようにしないと相手の復活を許すことになる。この私のように。
薄く微笑んだままの表情は源氏が帰った後もそのままだ。不満はあるけれど、大后の息子に傷を与えたのは確かだ。
————本当にいいの? 帝は九歳も年上の知りもしない女を貢がれて幸せなの?
女の声が私に尋ねる。答えずに笑みを深くする。
よくあることだ。私だってそれ以上の年の差の帝に望まれて捧げられた。
相手の容貌は悪くはないらしいし、女のように身を開かれるわけでもない。
————その人は院の望んでいた方なんでしょう
かつて私は、東宮だった時のその方と源氏との扱いの違いを心配したこともあった。過去の話だ。今は小娘の感傷とちゃんと割り切れる。
————太政大臣の一族が力を持ちすぎても困るのよ。兄は使えないし
源氏を通すから太政大臣も私に逆らわないが、しょせん藤氏の男。彼抜きではどのような態度を取るかわからない。ましてやその息子の権中納言(元頭中将)は、今でさえ帝に忠実とは言えない。彼の敬服する相手はあくまで前の帝で、息子のことはただのコマとしか思っていない。私は声に、きっぱりと言い聞かせた。
「これは......政よ」
私は自分の王国を守るためならなんだってやる。権謀術数をめぐらし人をあざむき裏切ることだっていとわない。どんな状況でも恐れず立ち向かって行くし、そのことを表情にさえ出したりはしない。だって私は政治家だから。
気が昂ったせいかひどく咳き込んだ。離れていた女房が慌てて寄ってくる。
「大丈夫。大したことないわ」
悩み事が多すぎるせいかここのところ体調が悪い。無理して内裏に行ってもあまり長く帝の傍にいることもできずに寝込んでしまうことが増えてきた。
私がこんな状態だから、代わりになるような人を彼の元においておきたいし。
「兄宮さまから、また入内に対しての依頼がありましたよ」
「別に拒否はしないわ。進めてかまわないと伝えて」
「はい......たぶん、本音は源氏の君との仲を取り持ってほしいとのことだと思いますが」
源氏の不遇の時代に実の娘である源氏の妻に冷たかった兄は、復権した彼に冷たくあしらわれている。なのに厚かましく正妻との娘の入内の手伝いをさせたいらしい。
「はっきり言ってそれは無理よ。源氏は元斎宮の入内を志し、私もそれを許容せざるを得ないことを伝えて」
「はい。ただ、年の差がありすぎることなどをディスってくると思いますが」
兄の次女の中の君も、帝と似合いの年の頃だ。
「雛遊びみたいな子どもばかりじゃなくて、大人びた世話役も必要だと話して」
「わかりました。そうお伝えします」
下がる者の後ろ姿を見ていたら古参女房の中務が「一人ぐらいはそんな方がいてほしいですわね」と鷹揚にうなずいた。すると中納言も相づちを打ち「年はこれほど違わなかったですけれど、大后もそんな役割で入ったのでしょうね」と調子を合わせた。
何気ないそのひとことが妙に響いた。私は扇で顔を覆って、いつの間にか下がった口元を隠した。
結局、御息所の娘を入内させるまでに二年ほどかかった。全くその気のない彼女をなだめすかし、彼女の女房を取り込んで完全に退路を断つまで話は動かせなかった。
源氏も院に配慮して、いったん二条の自邸に入れてから入内させるつもりだったがそれはあきらめた。知らぬ顔で進めるにしても、兄と完全に対立することは避けたかったらしい。それでも実質的な後見だから、親のように細かく面倒を見ていた。
私は嘲笑を隠しつつ、院がどのようにふるまうか窺っていた。見苦しく嘆いて世間に嗤われればいいと期待した。だけど彼は意外なほど適切に対処した。
まず、世間で入内が取りざたされた時点で御息所の娘に手紙を出すことをやめた。けれど、内裏に入るその日になって驚くほど見事な贈り物をした。
華麗な女装束。透かし模様のある白銀の櫛箱や錦の内張りをしたうちみだりの箱。光をあてるときらめく青るりの香壷。それを入れる沈香の箱など、どれも並ならぬすばらしさで、添えられた薫衣香も百歩以上に遠くまで香る他にはない物だった。
後に、彼女の元にいる息子を尋ねる形で招待された私は息を呑んだ。源氏に「院から彼女に立派な品をいただいたのですが、申し訳ない気分です」と上から目線の話を聞いていたけれど、気づいていなかったのだろうか。
————後見たる源氏の用意した品より、よほど価値が高い
彼はただの内大臣で院は帝だった方なのだからあたりまえかもしれないけれど、これを意趣返しと見るのなら明らかに源氏は負けているのだ。
でも彼は、女を奪った罪悪感の方に気をとられて見過ごしている。
————趣味のいい方だと聞いてはいたけれど
高価さだけで勝っているのではない。その美意識は恐ろしいほど研ぎすまされているし、彼に従ってこの品を造らせた者たちもひどく優秀だ。
かつて私は源氏に仏具などを贈られたことがある。当時の彼は苦しい時期で財力も今ほどはなかったし、急なことだったのでスピードを優先したこともわかるけれど、今回のこの品の一番小さな物の足下にも寄れないほど差がある。
なぜだがぞっとした。カンタンに女を奪われる影の薄い元帝。強大な母后がいなければ何もできない男と見ていたことは本当に正しいのだろうか。
————ただの負け犬のあがきよ
自分に言い聞かせて気をなだめる。彼にできることなどその程度だ。無視してかまわぬただの弱者だ。
————殿舎の件も彼の口利きなのかしら
御息所の娘の入る場として、第一に考えたのが藤壷だ。一度は腹違いの妹に明け渡したが彼女が朱雀院に入った時点で返却されたので、とりあえずまた私の居場所としていた。
その後彼女が亡くなったので、正当に所有を求める者はいなくなった。
だけど兄も娘のためにここをほしがり、源氏か彼かどちらかに与えると片方の恨みを買いそうだったので譲ることをあきらめた。
悩んでいると元太政大臣(昔の右大臣)一族の者から話があり、なんと大后が一時的に住んだ梅壷が引き渡された。
あの怪物も了承しているそうだ。狐につままれたような気分で話を受け、内部をよく調べさせたが不審な点は何もなかった。
————考えすぎなのかも。あの人を本当に好きで、少しでも協力したいだけかもしれない
大后と違って穏やかな人柄で知られる方だ。だからこそ私もカンタンに侮った。それでも先程の直感のようなものを確かめたくて、院と多少のやりとりーーたとえば仏事の贈答などーーをする時に使者の役目をする私の乳母子の弁に確かめた。
「院はどのような方?」
唐突な問いに少し驚いたようだが、何ごとも感情の薄い彼女らしく控えめな声で「とても優美でお美しく、お人柄も優れた方とお見受けしました」と答えた。
「何か......表に出していない部分をお持ちではない?」
呆気にとられたように目を見開いて私を見つめたので恥ずかしくなった。急に妙なことを尋ねてしまった。だけどまじめな弁は少し考えたあと「特に思いあたることは」と返し、すぐに「何か不振な点が?」と聞いてきた。
「いいえ、別に。ちょっと思っただけよ」
「そのように考えるきっかけがございましたか」
「いいえ......特にないわ」
さすがに考えすぎだと思って不思議そうな弁を下がらせた。こんなつまらないことよりも悩まなければならないことがたくさんある。兄のあしらいもそうだし、あの人を入内させたはいいけれど大人の女性にと惑って昼は弘徽殿の方にばかり行く帝のことも考えなければいけない。
「なにか思いつくことはない?」
中務に尋ねると特にいい案はなかったが、中納言が口をはさんだ。
「先日、新しい方の女房と話す機会がありましたが、女御さまには創作系のご趣味がおありになるとか」
「和歌ですか」
「いえ、イラストです」
これは都合がいい。息子はとても絵が好きだ。さっそく指示して描いている時に渡らせると予想以上に気に入ったらしく、昼間も熱心に通うようになった。
「ええ、味のある絵ですが描いている様子も素敵なのです」
息子はうっとりと目を細めた。
梅壷の女御は年上とはいえ小柄で華奢な体つきで、慎ましやかにおっとりとしている可憐な方だ。その人が絵筆を走らせたり休ませたりする姿はとても魅力的だったらしい。
帝の熱に呑まれたのか、若い殿上人もこぞってイラスト作成にはまった。上手い者には彼が目をかけるのでなおさらだった。
そうなると権中納言が大人しくしているわけがない。梅壷の後見の源氏への競争心もあらわに絵の達人を抱え込み、上質な紙なども集めてまるで工房のように描かせまくる。
さすがにそれはすばらしいできばえで、帝は梅壷にも見せようとしたが権中納言はそれを許さなかった。
「大人げない」
報告を受けて源氏は苦笑し、帝の元に現れた。
「隠すなんていけませんね。私の所には古式ゆかしい絵などがありますのでお届けしましょう」
さっそく彼が用意をしていると、聞きつけた権中納言は職人を叱咤激励し、絵巻物の軸や表紙、紐の飾りさえ贅美を尽くして整えさせた。
ちょうど弥生の十日ぐらいの頃で急がしい儀式などのない時期だったので、両者の絵を較べてみようということになった。帝付きの女房で絵にたしなみのある者はみな、あれこれと批評しあっていた。
私も内裏に来ていた時だったので、経を読むこともさぼって眺め入った。
見ているだけではらちが明かないので、帝付きの女房を二手に分けてそれぞれに論じさせた。互いの本当の女房にそれをさせると喧嘩になってしまう。
左となった梅壷の女御は由緒ある古風な物語絵を運び、右となった弘徽殿の女御は目新しく当世風な物ばかりを描かせていたので、今どき風な華やかさは後者の方が勝って見えた。
左から出された最初の絵は物語の祖と言えるかぐや姫で、対する右は宇津保物語だ。
竹取の絵は巨勢の相覧、字は紀貫之で紙屋紙(こうやがみ、かみやがみ、かんやがみとも。日本製でこの頃は上質だが後年粗悪品に成り下がった)に唐製の綺で裏打ちし、赤紫の表紙に紫檀の軸で気をてらわずにナチュラルな感じを出していた。
一方右は真っ白な紙に青い絹地の表紙、軸は黄色の玉を磨いたもので、絵は飛鳥部の常則字は小野道風と当世風を極めた。
「かぐや姫は基本ですよ。この世に染まらず天に昇ったことも意識高いですわ」
「え、でも竹から生まれた庶民でしょ。后にもなれなかったわけだし。一方宇津保の俊蔭は、日本と唐国で名をはせたわけですから」
左はその言葉に反論できない。
次は左が伊勢物語、右が正三位だ。これも甲乙つけ難いが、右の方が面白くにぎやかで見応えがある。
————このままでは右が勝ってしまうわ
そんな時に左についた女房が「伊勢の深さを捨て置くのはいかがなものでしょうか。ありふれた話を飾ったような物語で業平の名を汚すのはどうも」と絵よりも歴史で援護した。
すぐに右が「ヒロインが雲上ともいえる九重(内裏)に上がろうとする気持ちは伊勢よりも深いのです」と逆らった。
「右のヒロインの気高さはすばらしいけれど、業平の名を貶めたくはないわ」
必死に左をかばうけれど、これではもはや絵を争ってはいないわ。
一首詠んでフォローしようとするけれど上手くいかない。
絵を見たがった若女房たちが覗きに来て、鉄壁のガードに遮られてクレームをつけているのが聞こえたりしてぐだぐだになった頃合いに源氏が来た。
「同じことなら帝の御前で決着を付けましょう」
望む所だ、と権中納言も受ける。一応新作は持ちこまずに手持ちの品だけで勝負することになったけれど、彼はこっそり秘密の部屋で描かせているらしい。
十日あまり先の日が予定された。みな準備で忙しかったが、そこへ予想外の動きをする貴人の噂が流れた。
「......朱雀院が双方に絵を贈ったとか」
女房の報告を聞いて耳を疑った。弘徽殿に贈るのはわかる。彼女は母方を通した従姉妹だし、権中納言は彼の忠臣だ。院の譲位がもっと先立ったら、きっと弘徽殿の女御は彼の元に入内したに違いない。
だが梅壷への贈与はおかしい。それはすなわちその人に気があったと認めることになる。いや、入内の時の贈り物で知れたことだが、あれはほのかに想いを向けかけた相手に適切な対応をとったと評判は良かった。
しかしこの場合は違う。得られぬ女への執着を示す、そんな上皇がいただろうか。
困惑した。梅壷への加担はこちらにとっては得だ。だけど私は彼の母の得るべき地位を奪い彼の想い人を奪ったいわば敵だ。
「評価の低そうな絵を贈って来たの?」
「とんでもありません。面白く興のそそられる節会を昔の名人が描いたものに、なんと延喜の帝ご本人のキャプション、ご宸筆(天皇直筆)ですよ! ハンパないにも程があります。院の時代の絵としては、かの斎宮本人が伊勢に下る際の儀式、これなんて巨勢の金岡の子孫の公茂が描いていますが、声もでないほどすばらしかったです」
中納言が口から泡を飛ばすほどに力説した。
わからない。女に夢中になって我を忘れたのか。それにしては以前の見事な対応は......
考えても理解できなかったので、恋心のなせるわざということにして強引に納得した。
ーーーーいいの、それで?
ーーーーいいのよ
女の声を断ち切って心に蓋をした。
穏やかな日射しのうららかな晩春のその日、帝の御前で絵合が行われた。私は朝餉の間の障子を開けてそこに位置する。女房たちは隣の台盤所の南と北に別れて座り、殿上人は後涼殿の東面のすのこに控える。
帝自身は台盤所の中央に御座を用意させて座っている。そこを基点に赤と青の二色が広がる。
左の梅壷側のチームカラーは赤だ。差し色は紫。インポート物の紫檀の箱に、一位の木と呼ばれる蘇芳の花足の台、敷物は唐の錦、台の上に掛ける打敷は葡萄染めの唐の綺で錦より薄く、源氏気に入りの布地だ。
女童は六人で、赤色に桜襲の汗衫(童女の衣装)に袙(内着)は紅花で鮮やかに染め上げた紅色に藤襲の織物。
これは舞楽の番舞のイメージをそのまま使っている。唐楽は左と赤系の色を分担する。
右と青系を担うのは弘徽殿で、舞楽にたとえると高麗楽だ。差し色は黄系を使っている。
だから沈香の箱と浅香(沈香の木の若いやつ)の下机はともかく、打敷は青丹(サボテンの地色)で高麗の錦だ。花足の台がモダンな感じ。
女童も涼しげな青色に柳の汗衫、山吹襲の袙を着ている。
色自体も競い合っている。まして呼ばれて参上した源氏と権中納言は、表面はともかく火花を飛ばしあっている。
判者(審判)は帥の宮だ。この人は源氏の弟だし、正妻が大后の腹違いの妹なので権中納言の義弟でもある。どちらにとってもいい遊び相手だし何かとセンスがよいので、こんな際には重宝する。
どちらの絵も限界までレベル上げしてあって、なかなか勝負がつかない。よくある四季の絵も、梅壷の方は昔の名人が面白い画題を選んで筆を留めず流麗に描き流した様がたとえようもなくすばらしい。
でも紙の絵には限界があるから、趣向を凝らした右の絵も今どきすぎて深みがないとはいえ華やかさは古い物よりも上で、優越の論争が激しく巻き起こる。
私もつい御簾近くに寄って絵を見ていると、源氏が視線を向けるのを感じる。急に恥ずかしくなって目を伏せた。
それでも判定がおぼつかない時に意見を聞かれるから、できるだけ理性的に答えようと努力した。
だけど決着がつかないまま夜になった。
最後に、左の方から源氏自身の描いた須磨の絵が出された。
見たこともない風景が辺りに広がる。
寂しい海辺を飛ぶ千鳥の連なり。
荒れ狂う波。潮のにおい。
鱗のような木肌をさらす曲がりくねった松。
見慣れぬ風俗の漁り人たち。
大波の上で今にも投げ出されそうな小舟。
これだけは都と同じ月の影。
ぽたり、と落ちたものが涙だと気づくまでに間があった。
驚いて袖をあてると、みな同じように押さえている。
「............卑怯だ」
権中納言がうめくように呟いたが誰も続こうとはしない。
確かに卑怯。でも全員胸を打たれた。
「............左の勝ちでよろしいですね」
帥の宮が声を震わせながら尋ねた。否定できる者は一人もいない。権中納言さえも。だって彼は実際にその地に馬を走らせている。
孤独という感情は共有が可能だ。こんなに密度高く人が詰め込まれた中で、それぞれが寂しさに涙している。それをなだめるように宴が始まった。
もう夜明け前だし、いつもなら体調を理由に下がるのだけど、まだ争い事の興奮が抜けなくて長居した。
二十日過ぎの月が出ている。でも、まだこの清涼殿の西廂にその光は射し込んでいない。だけど夜空が綺麗なので書司の琴を運ばせて音の遊びが始まった。
和琴は権中納言が優れた音色でかき鳴らす。帥の宮は箏。源氏は琴、琵琶はもう源典侍はいないから、少将の命婦という女房が担当する。
殿上人の中でリズム感のいい者が拍子をとる。
闇が薄れていき壷庭の花の色も人の姿もほのかに見えて、鳥のさえずりも心地いい。
素敵な朝ぼらけだ。
ほうびの品は私が出した。帥の宮には御衣を重ねて渡した。
彼の拝舞を眺めていると源氏が「この、須磨の巻は中宮さまに差し上げて」と命じているのが聞こえた。
————まだ中宮と言ってくれるのね
今はそれよりも高い立場にいるのに胸が躍る。まだ出家する前の、あなたの腕の中にいた時の立場。
また涙がこぼれる。絵が届いてよかった、そのせいにできる。
私は袖でそれを押さえ「残りも見たいわ」と小さな声で伝えた。
「今に次々と」と源氏が答える。嬉しくなって扇を引きつけて、久しぶりに心から笑った。
この絵合の他でも源氏は「この御代より始まった、と後世の人が伝えるように」とプライベートな遊びごとでも演出の限りを尽くしてくれた。だから息子が帝位についているこの時代は、とても栄えたと言われると思う。
————本当に?
ーーーーもちろん
————帝の気持ちは? 絵合の時も影が薄かったわ
ーーーー彼の時代から始まった大きなイベントとして伝えられるのよ。それは大変な栄誉よ。全ての帝の世が賞賛されるわけではないわ
たとえば短すぎた朱雀院の世とか。私は口角をつり上げる。だけど女の声は少しも嬉しそうではない。
————帝は本当は、誰が好きなの?
右の高麗楽の音がわずかに響いた気がして、はっと振り返ったが人はいない。
誰が好きなの誰が好きなの誰が好きなの。
リフレインが耳に残る。私は首を横に振った。
————誰を好きでも関係ないわ。これは政よ
心の奥で言い切ったが答える者はなく、薄い闇だけが物の輪郭をおぼろにしていた。
私は間違いなく勝利者で、直接責める者などいるはずもなかった。
連続投稿で次話があります