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源氏夢想譚  作者: Salt
第一章
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麗景殿の午後

光源氏七歳

三の君(花散里(はなちるさと))七歳

麗景殿(れいけいでん)視点

 最近妹がなかなか御所に来てくれない。

 どうも心ない者の言の葉を伝え聞いてしまったようだ。

 幼い姫にも口の悪い人たちは平気でその容色を取りざたする。まだ七歳の彼女は流すことができなかったらしい。


「姫さまは自分のことでしたら我慢なさるのですよ」


 里を行き来している女房が心配そうな顔で教えてくれる。


「ですが、そしられる容貌の自分が麗景殿(れいけいでん)に出入りすると、女御(にょうご)さままでが人に笑われるかもしれないと思い込んでかたくなになっていらっしゃいます」


「まあ」私は目をぱちくりさせた。

「そんなつまらないこと気にしなくてもいいのに」

「私たちもそう思います。でも姫さまは大好きなお姉さまに恥をかかせてはならないと必死になっていらっしゃいます」


 ちょっと目じりが熱くなる。

 あの小さかった彼女がこんなことを考えるまでに成長したかと思うと、年を取るのも悪くはないという気分になる。


「じゃあ、文を書くわ。私にとって三の君は日の本一の可愛らしさだし、会えないのなら胸が痛くて病気になってしまいそうって」

「きっと姫さまはわかってくださいます。もともと素直でお優しいお人柄ですから」


「だけど」少し不安になる。

内裏(だいり)では牛車を下りて歩かなければならないけれど、それが辛くはないかしら」


 扇をかざして顔を隠すがどうしても人目を集めてしまう。


「大丈夫ですよ。私たちがしっかりと囲みます」

「なるべく大柄なものが迎えに行きますわ。少しでも壁になれるように」

「わたくしなど、このために生まれたようなものです」


 一人がどん、と胸を叩きみんなが微笑んだ。



 はたして姫は私に会いに内裏まで来てくれた。


「気が進まないのに、ごめんなさいね」

「わたしもお姉さまにお会いしたかったの」


 彼女を貶める者もいるらしいが親しみやすく愛らしい容貌で、見る者の心を温かくしてくれる。


「でも、わたしは……」


 うつむく彼女に尋ねてみた。


「今まで見た人で一番きれいだった方は誰?」

「もちろんお姉さま!」


 意外なことを言われる。


「あらあら。三の君はまだあまり人を知らないのね」

「そんなんじゃありません。絶対に本当にお姉さまが一番です」

「ありがとう。でも身内は別にしましょう。見た人ではなくて、噂を聞いたことのある人でもいいわ」


「ええと、女御さまや更衣(こうい)さんたちはどの方もおきれいだって聞きました。一番は弘徽殿(こきでん)の女御さまかしら。あ、これはいちばん怖い方だったかもしれません」


 どちらの意味でも当たっている。


「それではその方よりも可愛い方をお見せしましょう。いらっしゃったら几帳の陰へ隠れているんですよ」

「はい」



 麗景殿は桐壷(きりつぼ)ともさして離れていない。使いの者をやると可愛らしい若宮が駆けてきた。


「参上しました、麗景殿の女御さま」

「いらっしゃい、光君」


 妹と同い年の彼は本当に光がこぼれるような笑みを見せた。


「珍しいお菓子をいただきに上がりました」

「ちょうど里から届いたものですわ。召し上がれ」


 少年が無心な様子で物を食べるさまを見ることは楽しい。


「ありがとうございます。おいしかった」

「それはよろしゅうございました」

「ここはいつも落ち着きますね」


 大人びた言い方をしてみる彼に他の方の面影を見る。


「主上も同じことをおっしゃいますわ」

「そうかも。たくさんの方の中で一番優しい方だって言っていました。私もそう思います」


 嬉しくて頬が緩む。


「過分のお言葉ありがとうございます」

「いいえ。この部屋、今日はいつもより活気がありますね。それと、いつもと違う香りがする」


 幼いと香りに敏感なのだろうか。


「どのような香りですか」

「気持ちのいい素敵な匂いです。荷葉(かよう)かな」


 少年はそう言ってまっすぐに私を見た。


「私はこの香りがすきです。なんだか懐かしい気持ちになる」

「そうですか。それはよかった」


 几帳(きちょう)の影では妹がさぞや赤くなっているだろう。


 しばらく会話をつづけたあと光君は立ち上がった。


「それではお暇します。また遊びに来ていいですか」

「ええ。楽しみにしていますわ」


 小鳥が飛び立つように駆けていく背中を見送っていると、妹がそっと陰から戻ってきた。


「あの方が主上の二の宮さま。光君と呼ばれているの」

「あまりにお美しくて驚いてしまいました」

「そうでしょう。あの方と較べたら誰だって霞んでしまうわ」


 妹が頷きかけて首を止め、少し困っている。


「光君はとても綺麗だけど、私が彼を気に入っているのはあの素直な感性なの。遠慮なくお菓子を食べに来て、いま一つと思った時はちゃんとそう言うのよ。でも、他のお部屋ではそこまで正直にはなれないとおっしゃっていたわ」


 くすっ、と妹の唇が綻びる。


「主上も同じことをおっしゃるの。あまり時めいたことのない私がこういうのもなんですけれど、そんな風にお心を休ませるこの立場も悪くはないものよ」


 あら。ちょっとお姉さんぶって妹の心を慰めるつもりが違うことを語ってしまった。

 けれど妹はさっきよりもずっと明るい様子で傍にいてくれる。

 私もそれ以上そのことを話すつもりはなく、二人で少年の去った方向を眺めていた。



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