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源氏夢想譚  作者: Salt
第三章
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賢木

源氏二十三歳

源氏側視点

 左大臣家の姫君が亡くなった後、源氏の正妻が取りざたされた。右大臣家の六の君の名もあがったが、下馬評の高かったのは元東宮(とうぐう)妃だった六条の御息所(みやすどころ)だ。

 だが、その噂もいつしか消えた。源氏の大将は最近、彼女のもとを訪れることさえないようだ。


 御息所は斎宮(さいぐう)となる娘について伊勢に下るつもりらしい。そうなると急に源氏は惜しくなり、心を込めた文を何度も送る。


「っていうか、一度は行かれた方がよくないですか」


 二条の邸の東の対で、乳母子(めのとご)惟光(これみつ)が勧めると、源氏は青くなっていいわけを始めた。


「いや、私はこれから壁ドンの自主練があるから」

「そんなのいつでもできるでしょうが」

「顎クイも精度を上げなきゃいけないし」

「今ならつきあいますから急いでください」

「やっぱ男じゃ萎えるし。万が一おまえが私にクラっときたら困るし」

「んなわけあるわけないっしょーーーーーっ」


 惟光がキレた。振り回すこぶしにあたらないように、源氏は少し身を引いた。


「赤子の頃からあなたという人をよく知ってるんですよっ。絶対ないわっ。ケツ毛燃えるわっ」

「なに騒いでいるんです?」


 もう一人の乳母子の大輔(たいふ)命婦(みょうぶ)という女房が、()をひらつかせながら現れた。


「私の美貌の虜となったら困ると思って忠告してやっているだけだけど。ねえ、おまえだって赤子からのつきあいだけど、私に顎クイされたらときめくよね」


 命婦はニヤリと笑って源氏を見た。


「あなた、顔とスタイルはバツグンですからね。確かにちょっとドキッとします」


 ほら見ろ、とドヤ顔の彼に言葉を続ける。


「でも中身があなたじゃなー、と一瞬後に我に返りますよ、きっと」

「え、中身だってすばらしいじゃないか」

「はいはい。あー、スペックは高いっすよ。だけどうちら乳母子ですからね。光源氏イリュージョンは通用しません」


 口を尖らす源氏に「ほらそんなとこ」と指摘すると、慌てて表情を取りつくろった。


「おまえたち以外の前では絶対にやってないから」

「どうですかねえ。あのかわいい西の対の姫君の前では?」

「私は憧れのお兄さまなんだぞ。やるわけない」

「その立場はおやめになったそうじゃないですか。いや、責めてませんよ。むしろお心をお慰めする方ができてよかったと思っています。ただ、うちの姫君のとこにもたまーには行ってやってもらえませんか」


 末摘花(すえつむはな)の姫君を推されてちょっと渋い顔になるが「放置はしないよ」と素直に答える。


「なら、どこ通ったってかまいませんよ」

「じゃあ、以前院の忠告もあったことですし、さっさと野の宮に足を向けてくださいよ」

「えーと、あちらは今方角が悪くて」

「......殿」


 命婦が真面目な声を出した。源氏はびくりと身を震わせた。


「御息所のことが嫌いになってしまったのですか。それなら文を送るのもおやめになった方がいいと思います。今の状態は生殺しですよ」

「............嫌いじゃない」


 複雑な表情で目を伏せる。その雰囲気の苦さの中に甘さが溶けていないわけではない。二人の乳母子は珍しく見とれたが、惟光がすぐに詰め寄った。


「だったら行きましょう。早くしないと伊勢に下向してしまって会えませんよ」

「............」

「えーい、文では会いたいって書いてるんでしょ」

「うん。立ったままちょっと話すだけでいいからって書いてみた」

「カンタンにすませたいって、心の願望漏れすぎでしょ」

「で、承諾もらいましたか?」

「完全拒否とも違ったから、物越しに会う程度ならイケると思う」


 ため息をついてぐずぐずする源氏に、惟光は またキレそうになっている。大輔の命婦は「なんでそんなに脅してんの?」と彼に尋ねた。


「院のご体調がお悪いみたいなので、少しでも懸念を取り除かねばと」

「なるほど」

「ただでさえ、絶好調の右大臣家ににらまれてるんですよ! 院がこれ以上お悪くなられたら目もあてられない」

「そんなにお悪いっスか?」

「いや、それほどでもないんだけど、時々だるそうにしてらっしゃる」

「そりゃあ心配っすねえ。じゃあ、しゃきしゃき準備してくださいよ。うちらの暮らしに関わります」

「ゲンキンだね」

「ゲンキンだったら今頃右大臣家に行ってご用聞きしてます。ほら、着替えて」


 二人がかりでせかされて、カジュアルに見せかけてその実ひどく凝った衣装に着替えた。前駆や随身の手配はすでに、惟光がすませていた。


 九月七日ばかりの頃だ。うら枯れた秋の気配が物悲しい。広い野辺を踏み分けて行くと、薄れた花の香が(ちがや)の合間に漂っている。

 微かな虫の音をかき乱すかのように松風が吹き渡り、その中にわずかに楽の音が混じる。


 無惨な美だと源氏は思った。荒涼たる景色だった。もっと早く、そして何度も訪れるべき場所だったと後悔した。


 それは若き殿上人に似合いの、単なるおされスポットなどではなかった。うら寂れて凄まじく、それでも人の心をつかんで離さない何かがあった。


 六人の随身と十人をこえるほどの前駆を引き連れて、枯れ果てた野を行く。派手派手しさのない忍んだ姿にそろえさせたのはわれながらいい演出だったと源氏は自負する。


————これなら、あの人も満足してくれるだろうか


 都一の趣味人である御息所は、凡庸な美など許容しない。だから彼女に認められると、いまだに胸のどこかが沸き立つ。だがそれは、師に認められた喜びに似ている。


————昔はもっと素直に嬉しかった


 誰もが憧れる高貴な女人が「あなたには美の才があります」と告げてくれた時、天にも昇るような気分になった。

 それは容姿や、学問や楽などの能力を誉める言葉ではなかった。そんなものは誰からも飽きるほどもらっていた。だが御息所は、美への感性や演出力を認めてくれた。


 至上の美には毒がある、と教えてくれたのも彼女だ。


「心地よさだけの美は特化できません。たとえば、毒を持たぬ楽の音は単なるイージーリスニング。川のせせらぎや梢の葉鳴りのように気持ちはよいですが、この日のそれは特別だったと決めることはできません。本当に凄まじい演奏は、魂に傷をつけるような毒が含まれるのです」


 過去に聞いた最も凄い音色は、弘徽殿の大后が女御だった頃に奏でたものだ。その音に毒があったかどうかはわからないが、本人に猛毒があるのは確かだと思う。

 源氏は納得してうなずいた。


 御息所からはいろいろなことを学んだ。並より優れている自分よりも、更に上をいく様々な才がまぶしかった。それを与えられ、学んでいくつかは追いつき、いくつかは未だ近づけない。


————だがもう、追いたくはない


 いつの頃からか変わってしまった心の本音。そうなると最初に与えられた喜びさえ疑ってしまう。


————美の才があるということは、つまり私に毒が、歪みがあるということではないのか


 通常から離れたいびつなものを美というのではないかとさえ考えてぞっとした。慌てて思考を止めようとしたが、不安な心は別の闇を招き寄せる。


————そもそもあの人は本当に私を愛しているのか。美を入れる器としてふさわしいと思っているだけなのでは


 好みの容貌、好みの才。未完成の器に自分自身の見出した美を詰め込んで完成させ、そのことに執着しているのでは。

 彼女自身の狂気じみた恋慕さえ、美を築くための必要毒としてあるだけなのでは。


 源氏は女を信じきれない。差し出された供物(こころ)さえ疑ってしまう。


 気を反らそうと周りを見ると、すでに神域、簡素な小柴垣(こしばがき)を囲いとして、かりそめに打ち立てた板屋が素っ気なく並んでいる。

 鳥居は皮を剥がずにそのままの木で作られていて、荒々しくも神々しい。

 咳をしながら話す神官たちの様子も並ならぬ感じだ。神饌(しんせん)(神へのお供え)を用意するための火焚屋(ひたきや)が、わずかに光る。


 こんな寂しい場所にあの貴婦人がいるのかと思うとさすがに胸が痛い。訪ねる自分までひっそりとした気分で、夕闇にまぎれるように北の対に立った。

 御息所は取り次ぎを使って他人行儀に対応する。


「外出しにくいほどの身分にはなっていますのに、この扱いはあんまりではないでしょうか。中に入れてください。胸の奥に抱えた気持ちをお伝えしたいのです」


 ことあるごとに数ならぬ身が、とか言っているくせに、今回はダイレクトアタックである。女房の取りなしもあって彼女はしぶしぶ端近に出てきた。その様子は実に奥ゆかしい。


簀子(すのこ)まではOKですよね」と源氏もかってに(きざはし)を上る。

 ちょうど華やかにさし昇った夕月の光が、誰とも較べることのできない源氏の姿を照らし出す。あきれるほどのご無沙汰の代わりに全力の自己プロデュースで、折りとった(さかき)御簾(みす)内に差し入れて、昔の歌にかこつけて恨み言を述べる。


「この葉の色のように変わらぬ心を道しるべとして、神の垣根も越えてきたのです。なのにあなたはこんなにもつれない」


 御息所はため息のような声で「目印もないのに」と答える。源氏は瞬時のレスポンスで、「神に仕える少女たちのいるあたりだと思うと榊の香が懐かしく、探し求めて折ったのです」と返した。

 しかしリアクションとしてはいかがなものか。御息所はもちろん「年を気にする女の前で少女とか言い出すのはイヤミなんかいっ」とキレはしないが、憂いの色は深くなる。


 神域である野の宮は、恋する場所としては不適切だ。けれど御簾を着るように引きかぶって、(しも)長押(なげし)に寄りかかる源氏の姿は美しく、その様にやるせない目を向ける御息所もまた美しい。


————確かにこの方は、毒があるから美しい


 二人同時にそう思い、他とは共有できぬ美意識を重ねる。

 失うには惜しい方だ。こんな優れた人は他にいない。

 その姿を見つめると色々な思いがこみ上げてきて、涙が流れる。

 源氏は心弱く揺れ、女は気力を振り絞る。


「私を捨ててまで、伊勢に行ってしまうのですか」


 いつでも会えた時には傲慢で、相手を満たそうとはしなかった。例の騒ぎの後は気持ちも冷めた。

 なのにこうして久々に会っていると、女の価値が思い知らされる。


 御息所は答えない。ただ、滲み出る憂いが月の光より淡く、しっとりと彼女を取り巻いている。

 源氏は黙って女に手を伸ばした。



 月も山に入っていった。空の色はひどく切ない。ため息と恨みごとに染められたようだ。

 御息所は固い決意を乱され、ひどく思い悩んでいる。若き殿上人(てんじょうびと)などが連れ立ってきては、帰り辛くなる庭の情感も趣を添える。


 それでも空の色は明けていき、帰りの時刻は近づいている。


「暁の別れはいつだって辛いけど、これほど辛いことは初めてですよ」


 風は冷ややかで、TPOをわきまえた松虫の声が鳴き枯れたように響いている。いつもは難なく詠む歌も、互いに辛く交わしあう。


「おほかたの秋の別れも悲しきに 鳴く音な添へそ野辺の松虫」

(たたでさえ秋の別れは悲しいのに、これ以上鳴かないで、野辺の松虫よ)


 断末魔の悲鳴に優雅な衣をかぶせたように、御息所は見事に詠みあげた。

 しのびやかな闇に漂う香の匂いは濃く、名残りはつきない。いつもはかたくなに御簾の間際には寄らない彼女も強気を通せず、へだたりに手を掛けて見送っている。


 月影の貴公子は、明け方の薄闇にまぎれて消えた。



「それじゃダメだ。繊細さに欠ける」


 選び抜かれた装束や調度品を、更に吟味してダメ出しをする。御息所へ贈る品に、ほんのわずかな妥協も許さない。

 斎宮である娘について下向する彼女には、何かと噂がつきまとっている。少しでもそれを払ってやろうと、心を込めて品を選んだ。



 九月の十六日に斎宮は、都の西の桂川(かつらがわ)に行き(みそぎ)をすませた。去年の斎院の例に合わせたのか、彼女を送る勅使(ちょくし)もお供も、帝は身分も評判も高い人を選んでいた。普通よりも華やかな行列だ。院の配慮もあるのかもしれない。


 しかし源氏は見送りにも見物にも行かなかった。女の顔を立てて捨てられた形なのだ。


「そりゃあ見事なものでしたよ。なんのかんのと言われてますが、やっぱ当代一の趣味人ですわ。女房の(いだ)し車の袖口の色合いも、完璧どころじゃないそれ以上のすばらしさで、華やかなようでいて抜け感もあって、なんつーか目新しいのに神々しささえ感じるほどの美しさでしたわ。斎院の御禊(ごけい)の時もなかなかのもんでしたがやっぱ格が違う、だてに六条の御息所やってないっていうか、いやもう大したもんでした」


 斎宮が京を離れる時に帝が黄楊(つげ)()(ぐし)を挿す、その儀式を見に行った大輔の命婦が、翌日勢い込んで二条の邸にやって来て源氏に語った。


「そう」


 複雑な気分で相づちを打つ。横の惟光も興味深く聞いている。


「斎宮さまは十四歳だってな。やはりお美しいのかな」


 惟光が尋ねると命婦はすぐにうなずいた。


「お母上とタイプは違うけど美少女ですな。その上御息所が全力で飾り立てたのでゆゆしいまでに綺麗で、内裏(だいり)の美女には慣れている帝が一瞬、櫛を挿す手を止めたとか聞いたっスよ」

「へえ」


 惟光は源氏を振り返り「殿はお見かけしたことはないんですか」と尋ねた。

 どうやら元気がないのを心配してくれたらしい。女の話題ならのるだろうとの予測通りに反応してしまう。


「いや、ない。チャンスはあったんだから見ときゃよかった。でもいつかまた会えるような気がするよ」

「無理に覗いたりしないとは、あなたにしちゃ良識がありましたね。文通したことはあるんですか?」


 源氏は大きくうなずいた。


「昨日初めて出したけど、なかなか大人ぶった返しがきたよ。いいね、あの子」

「え、昨日? 禊はするわ内裏でセレモニーあるわでめっちゃ忙しい時じゃないですか。よく返事もらえましたね」

「私を誰だと思っている。光源氏だ。あたりまえだろ」

「なんてお書きになったんですか」


 命婦も身を乗り出す。源氏は得意そうに答えた。


「雷神ですら恋人同士を裂いたりはしないのに、あなたはひどいですね。この国を守る神に思いやりがあるのなら、飽きて別れるわけではない二人の仲を考えてください、と書いたよ。あの子が斎宮になって伊勢に行くせいで、御息所と離れなきゃいけないわけだからさ」


「うひゃあ」と命婦は声をあげ、惟光は柱に自分の頭をぶつけた。乳母子の奇行に源氏は首を傾げた。


「どうかした?」

「どうかしたじゃありませんよっ。超忙しい時に母親をたぶらかした本人から、そんな被害者ぶった文がきたらあっしだったら怒髪天を突きますね」

「えー」


 思ってもいないことを言われて源氏は不満そうだ。


「だったら返事こないと思うな。ちゃんときたってことは気があるってことだよ」

「どんなお返事だったんですか?」

「国守る神が空で判断するのなら、あなたのいい加減な言葉を最初に正すのではないでしょうか、ってさ。わかる? お母上に妬いてるのだろうな。私から文がきて、あの天下の光源氏にくどかれるんだとドキドキしたら、お母上の仲についてのほのめかしだったので、がっかりして強気に出ちゃったんだよ。素直に私のことを見てって書けるほど子どもじゃなくて、冷たくあたって駆け引きをしている。いわゆるツンデレってやつだね」


 源氏が語っている間惟光はゴンゴンと何度も柱に頭をぶつけ、命婦は体を震わせている。ああ、彼女も私に惚れていたのか、刺激しちゃって悪かったなあ、と同情の眼差しを注いでいると、命婦が顔を上げ思いのほか冷静に尋ねた。


「文は自筆ですか代筆ですか」

「見たことのある字だった。あれは彼女に仕える(にょ)別当(べっとう)だね。好きな男に字を見られるのが恥ずかしいなんて、可愛いねえ。まあ、お母上が都一の能筆家だから較べられちゃ困ると思ったのだろうな。気にしなくていいのに」

「んなわけないでしょうっ!!」


 急に惟光が柱を捨てて、ぐいぐい迫ってくる。目が血走っていて恐い。


「近い! 近いって」

「それ、マザー・テレサがアク禁くらわしてくるレベルですよっ!!」


 意味がわからない。やはりこいつまで私に惚れていたのだろうかと少しずり下がる。いくら親しい乳母子であろうと男はイヤだ。

 その様を見て気が落ち着いたのか、命婦がクールに突っ込む。


「もっと平安風に」

行基(ぎょうき)が大仏で殴ってくるレベルっ!」

「奈良だし」

嵯峨(さが)天皇が漢詩を破り捨てるクラスっ」

「マイナーじゃね」

平安(げんだい)なら超メジャーですっ!!」


 がなり立てる惟光に「ちょっと落ちつけよ」と言って「誰のせいですかっ!!」と怒鳴られた。絶対自分のせいではないと源氏は思うが、これ以上興奮させないため黙った。命婦は「娘さんより御息所に出すべきでしょう」と正論を述べた。源氏は少し遠い目をした。


「昨日書いた」

「あなたも急がしい方ですねえ」

「行列はうちの前を通るからさ、悲しくなって」


 惟光がようやく気を落ち着かせて「どう書きましたか」と尋ねた。源氏は辛そうにその歌を披露した。


「私を捨てて行ったとしても、伊勢の鈴鹿川を渡る時に泣いちゃうんじゃないかなと」

「とことん希望的観測に満ちてますね」

「いやこの場合は間違っちゃないっしょ。あの方はうちの殿にべた惚れだし。あっしはこんなんきたらむっとするけど」


 怒る要素など何もないのに、と源氏は不満そうだ。


「今朝返事が来た。泣こうが泣くまいが誰が私のことなど思いやってくれるでしょうか、って。ほら、これだ」


 手蹟は優雅の極みでため息が出そうなほどだが、切なさより怒りが現れている。ここはもうちょっと雰囲気を出してほしかったと源氏はかってなことを思う。乳母子二人は気の毒に思って少し黙った。


「あんなに賢いのに馬鹿だな。私は、ずっとあの人のことを思っているのに」


 東の彼方に源氏は目を向ける。御息所のことを思う時、二人の乳母子は目に入らない。


「あの人のことを思ってずっと眺めるよ。だから霧よ、今年の秋は逢坂山を隠さないでほしい」


 嘘のない本気の心でそう詠むと、源氏はまたもの思いの中に沈んでいった。

 乳母子たちはそっと席を外す。それさえも気づかない。

 その日源氏は西の対の姫君さえ訪れず、ただ遠い伊勢の地に思いをはせてすごした。




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