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源氏夢想譚  作者: Salt
第一章
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空蝉(うつせみ)

源氏十七歳

空蝉(うつせみ)視点

「そもそもわが祖は大伴細人(おおとものさびと)の血を継ぐ人物で厩戸(うまやどの)皇子に仕えておった」


 父は私を前に色々な話をしてくれた。


「その後、その(すえ)は縁あって中大兄皇子に仕えることとなり、その関係性ゆえ鎌足の縁の者とつがい藤原氏のはしくれとなった。さらに流れて大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)のもとに侍り、時は流れて桓武(かんむ)の帝の寵臣となった」


 私の指先にはくるみが握られていた。食べるためではなく手先を鍛えるために与えられていた。そのためか私は今でも割に器用な方だと思う。


「その後のことは知っておるな」

「はい」


 彼は満足げにうなずいた。


「それでは我が家の所領の荘の多い地域はわかるか」

「伊賀国四郡に集まっております」


 なまずの様なひげを震わせて、父の機嫌は更によくなった。


「このように先祖の話をしたのも、おまえに自分の血筋に誇りを持ってもらい、強い心で帝に仕えてほしいとの思いからじゃ」

「はい」

「いまだ衛門(えもん)(かみ)を兼ねる中納言(ちゅうなごん)程度の身の上で娘の宮仕えを望むとは分を越えたことだと思うものも多かろう。しかしわれには私心など欠片もない。ひたすら帝を思い、そのためにつくす心のみじゃ。お前にはその才もあり能もある。必ず帝のお為になるとこの父は信じておる」


 美ともかけ離れ、体つきも貧弱なこの私に対して、父は分相応な望みを抱いている。しかしそれは厚い忠義の心に根差したものだった。


「小君の方が向いているのではないでしょうか」


 幼い弟は品がよく可憐な童子で、殿上童(てんじょうわらわ)として御所に上がればやんごとない方々もお気にいるだろうと思えた。


「あの子はダメじゃ。才がない」


 父はあっさりと切り捨てた。


「幼いことを差し引いても思慮が浅すぎる。目先の快楽に弱く大局を見抜けぬ男となりそうじゃ」


 父が何を見てそう判断したのかはわからない。小さい弟はまだ無限の可能性を秘めているように見えた。


「しかし私は容姿的には残念の部類に入ります。帝のためにつくそうにも寵愛されるとは思えません……いえ、お側に侍れるとも思えません」


 彼は私を見て口元を緩めた。


「われにとっては愛らしい顔立ちに高貴な印象をもたらす小柄な姿で素晴らしいと思える。しかし親の僻目もあろうし帝の好みもあるであろう。そして先に入内した女たちはわれはと寵を争っている。じゃがそこが付け目じゃ」


 にんまりと父は笑う。


「帝は亡き方に生き写しの藤壺女御(にょうご)に夢中だとお聞きします」

「その方が入内(じゅだい)して何年になる? だいぶ月日が経つであろう。顔の相似などもはやおぼろになるころじゃ。そして昔の女はただの更衣(こうい)。今の女は皇女。違いが気にかかってくる頃でもあろう。そこにおまえの出現じゃ」


 私は視線を外して御簾(みす)越しの外を眺める。つつましやかな前栽(せんざい)が地味に季節を告げている。


「私など、目にも入らないでしょう」


 くくく……と父は笑った。


「そんなことがあろうはずはない。か細い儚げな雰囲気、繊細な趣き、上品な身のこなしと趣味の良さ、そして意外な芯の強さ。お前は対帝攻略のために育てられた最終兵器じゃ」


 驚いて父を見上げる。


「……どういうことでしょう」

「かつて内裏(だいり)を騒がすまでに帝の寵愛を集めたあの更衣が入内した頃におまえは生まれた。これも何かの縁、そしてそこまで帝を惹きつけた女の在り方に興味を覚え、可能な限り更衣の噂を集め、できるだけそれに似せて育てた」

「はあ………」


 自身のアイデンティティーを失いかねない言葉に、私は戸惑った。


「帝が退位してしまえば消える縁じゃったが神仏はわれを見放さなかった。長い年月を経てもいまだに帝はその地位にある。しかし集められる話には限りがあるし似せられない部分もある。顔立ちもそうだが楽の技量など追いつけぬものもあった」

「不出来な娘で申し訳ありません」

「いや。その分知性には恵まれておる。こちらの方が重要じゃ」


 真顔で語る父を少し冷たく見据えるが気にも留めない。


「これみよがしにひけらかすのではなくなよやかさの下に秘められた知性と矜持。これは男心をそそる。ただしとやかに男を受け入れるだけならば、それは女房と変わりない。誇りを持ってこそ男の気を惹くのじゃ。じゃがそんな女に対して男は二種に分かれる」


 にわかに興味を覚えた。


「それはどのような」

「うむ。実に単純じゃ。支配したい男と支配されたい男じゃ」

「帝はどちらなのでしょう」

「わからぬな。じゃがおまえに気を惹かれるのは確かじゃ。保証してもよい」


 実際には私を見せたこともないのに、父は自信家だった。


「だが、なんにしろおまえの入内のたくらみは帝の御為じゃ。この父がそのことはよきように計らうので、おまえは日々の鍛錬を続けなさい」


 うなずいて言葉に従った。




 父が死んだとき、全てが終わった。

 入内に向けて動き出していた全部が止まった。

 私は生きながら葬られた女となった。


 もちろん、縁談がなかったわけではない。

 家族と言えば幼い弟だけの心細い暮らしで後見たる親族もなかったが、入内するはずだった女という噂はそれなりに身を飾った。

 対帝攻略兵器として育てられ、そのすべを失った私は全てがどうでもよかった。

 ただ、幼い弟のためだけにいくらかましな条件の男に嫁ぎたいとは思った。


 権門の子息からも声はかかった。

 が、甘やかされかしづかれて育った彼らは飽きやすくわがままだ。

 もらった文と女房によって集められた情報をもとに私は伊予介(いよすけ)(伊予の国の次官)の後妻に収まることにした。


「正妻にと申し出てくれた若い方もたくさんいらっしゃいますのに」


 中将と呼ばれる私の女房が心配してくれた。


「どなたでも同じことよ。だったら大切にしてくれる方がいいわ」

「姫さまならそんな方は多いでしょうに」

「そうでもないわ」


 帝以外の男に支配されることなどまっぴらだった。

 支配されることを楽しむことができる年上の男がよかった。


 狙いはうまくいった。

 私の里より下とはいえ、伊予介は血筋も悪くはなくただならぬ風格のある男だった。

 何よりも、私にかしづきつくしてくれた。そしてそのことを面白がっていた。

 彼は驕慢な姫君であることを私に求め、私は難なくその役を果たした。

 習い覚えたことを使えば造作ない。


 成長した彼の息子たちはすでにそれなりの職に就いている。

 紀伊守(きのかみ)になった者さえいる。養育する必要はない。

 娘はまだ未婚だったかが、素直にすくすくと育った美しい娘で相手に不足はなさそうだった。


 老いた父の結婚に息子たちはあまり好感情を持てないようだったが、娘は懐いてくれた。

 私たちは姉妹のように仲良くなった。あけっぴろげな彼女と地味な私は真逆なところがかえってよかったのかもしれない。


 日常は安易で退屈だった。

 私は日々の鍛錬さえ怠ることが多くなった。

 本家を離れた小さな一派がつぶれてもだれも気にしない。



 そしてある夏の日が訪れた。

 ちょっとした物忌で伊予介の自宅にいるわけにはいかず、義理の息子の紀伊守の自慢の邸に方違えした。

 中川の辺りにあるそこは、趣向を凝らした遣水(やりみず)やひなびた(しば)の垣根や庭木のたたずまいなど手をかけてあって素朴な見かけを装ってはいるが贅沢な作りだった。

 夫である伊予介は任地に行っているので長らく留守だ。

 

 最初私たちは寝殿(しんでん)東面(ひがしおもて)に通されたが紀伊守が凄い勢いで戻ってきて、御簾を揺らさんばかりの早口で西面か北の方に移ることを求めた。

 別に異存なかったので言葉に従うと、彼の女房が噂を伝えてくれた。


「世に名高い源氏の君が方違えにいらしたそうです」


 女房たちは色めきたったが私は興味が持てなかった。

 彼女たちが噂を語るに任せ、省みなかった。


 夜になると弟が勢い込んでやって来て源氏の君について語ったが気は惹かれなかった。

 そのことより、彼が端に行って寝てしまうと慣れた家でもないのに人気が少ないことの方が気になった。


「中将の君はどこなの?」


 離れた位置の女房に尋ねると下屋(しもや)に湯を浴びに行っているらしい。

 仕方のないことだと納得しているうちに女房たちは全て眠りについた。


 私もいつしかまどろんだ。

 その耳もとに囁きかける声がした。


「中将をお召しになったようで、ここに」


 はっ、と身構えるといきなり抱きすくめられた。


「いい加減な気持ちではありませんよ。ずっとお慕いしていました」


 甘美い声。過剰なほどの香。おごりに奢った鬼さえも恐れぬ態度。艶やかなるその姿。

 まさしく、源氏の君に違いない。

 そういえば彼の役職は中将だ。


「お人違いでしょう」

「まさか。あなたに思いのたけを打ち明けたくて」


 突き飛ばして逃げることは簡単だ。しかしまさか帝の愛児にそんなふるまいをするわけにもいかない。

 困惑して、されるがままになっていると中将の君が戻ってきた。

 驚く彼女もどうすることもできない。


「明け方にお迎えに参れ」


 源氏は彼女にそう申しつけると私を抱えたまま御座所に戻り戸を閉めた。



 魂など簡単に腐り果てる。

 私は自分自身をそう感じ、罰として彼を受け入れた。

 だがそれはあまり罰にはならなかった。


 自分など捨てたつもりでも、やはり私も若い女であったらしい。

 内心苦笑いしたが矜持だけは露わにする。

 この男は支配をしたい方らしい。

 それは彼をかえって刺激した。


 考えてみれば父が手本にした女はこの男の母だ。帝に使われることのなかった兵器は意外な形でその息子に向けられることとなった。



 有明(ありあけ)の月がさやかに見えるころ、男と別れた。

 まるで本当に思いをかけていた恋人に対するように彼はふるまった。

 女なら誰でも酔いしれるほどの甘美さだった。


 これで終わっても悪くはないと私は思った。

 が、忘れたはずの父の教えがよみがえり、その後はあると確信した。



 源氏はわが弟を取り込んだ。

 世話と後見を餌にして簡単に籠絡した。

 もともと彼の魅力に捕われていた弟はそれを望んでいた節さえあった。

 叱りつけても気にせずに私に文を届ける。


 うかつには答えない。

 いつもは返事などはせずに気を持たせる。

 けれど全くしないわけではなく、時によっては和歌なども作って返してみる。

 それは駆け引きというものにとてもよく似ていた。


 弟は源氏を手引きした。

 ちょうどその日は伊予介の娘が尋ねてきていた。

 暑い夜だった。屏風(びょうぶ)も畳み、几帳(きちょう)(とばり)(布の部分)を横木にかけて風を通した。

 私は濃い綾衣(あやぎぬ)単衣(ひとえ)(がさね)を身に着け、伊予介の娘は白い薄物に二藍(ふたあい)小袿(こうちき)をひっかけてはいるけれど、胸元はさらけ出した大胆な姿だった。

 色白で大柄な彼女がやるとなかなか魅力がある。顔立ちも華やかで明るく立ち騒ぐ姿には陰一つない。


 私は彼女と碁を楽しんでいた。

 いつぞやと違ってその後は気を張っていたため、男の気配に気づいた。


「お義母さまお強い!」


 負けた彼女ははしゃぎながら数値を数える。無邪気で愛らしい。

 

 碁が終わると人々は退出し、東の(ひさし)に移動した。

 そこで眠るらしい。弟の声もする。

 義理の娘も屈託なく眠ってしまった。

 だが私は警戒を解かなかった。


 案の定、几帳の陰から人の気配がする。


 少し感慨深い。

 幼い日からの鍛錬の成果を試す時が来たのだ。

 滅びかけた一族の技の一つを見せることができるのだ。

 結局は帝のために使うこともなかった私の技量も、この日ばかりは埃を払うことが可能だ。


 暗い中に人が(うごめ)きながら近づいてくるのを感じる。


 私は生絹(すずし)単衣(ひとえ)一枚になると上に着ていたものを全て脱いだ。

 けして音は立てずに、尋常ではない素早さで。

 あの日にそうするべきであった行動を取り返すように行った。


 几帳の陰にいた人影が接近してきたときにはすべてが終わっていた。


空蝉(うつせみ)の術!」


 心の中でつぶやいた。

 滅びるはずの一族の技が、この一瞬だけ輝いた。



冒頭の空蝉先祖の話は忍者の歴史を改変したものです。

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