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源氏夢想譚  作者: Salt
第二章
34/89

若紫

源氏十八歳

 もの思いがふくれあがってもののけに変わり、病を呼び込んだかのように熱が出る。

 時は春。二条の邸の桜も盛りと乱れ咲き、やがて散りゆく。

 花は美しくそしてつれない。どんなに思っても留まることなく、はらりはらりと散っていく。


 源氏の君は効果のない加持(かじ)祈祷(きとう)にも飽き果てて、人の噂に名高い北山の(ひじり)を招こうとした。けれど加齢を理由に訪問を断られてしまった。


————しょうがない。こっそり行こう


 気を紛らわせたかった。可憐で小悪魔な謎の女は死に、真実思うあの人は冷たい。優しく控えめな人はずっと支えてくれるけれど、心の渇きは彼女だけでは癒せない。

 自分の立場にもキツキツの正妻にもどエラい愛人にも全部に疲れて、熱にうなされながら全てを捨ててしまいたかった。


 思い立ったのは三月の末のことだ。夜明けのうちに邸を出た。都の花はわずかに名残りを残すだけなのに、山はまだそこかしこに満開の花を見せている。

 親しい四、五人の男を友に花霞(はながすみ)を越えていく。峰高い山の中に寺があり、深い岩屋の中に(くだん)の聖がいた。


 T.P.Oを考えて狩衣(ジャージ)姿だが、さすが聖はすぐに見破った。


「もったいないことですな。最近は営業してないのですが」


 ニコニコしながら迎えてくれる。徳の高さ素人にもわかるほどだ。

 作ってくれた護符を呑んだり加持祈祷を受けたりするうちに日が高くなった。


 聖の岩屋の位置は高く、あちこちに僧の住まいが見下ろせる。つづら折りの道の下に小柴垣を巡らした、なかなかしゃれた造りの庵がある。

 尋ねてみると、とある有名僧都(そうず)が住むそうだ。


「彼に合うなら狩衣(ジャージ)じゃマズいな。来てることバレないといいけど」


 源氏がお供につぶやくと、彼は聞かずにそこを指差した。


「女がいます!」

「まさか僧都の愛人でしょうか」


 その辺りまで下りて覗いてきた者が「きれいな女の子や女房、女童(めのわらわ)がいました」と報告した。


 熱が出てないときは元気なので勤行(ごんぎょう)の合間に後ろの山に登ってみる。都は遥か遠くにかすみ、四方(よも)(こずえ)も煙るようだ。「まるで絵のようだ」と源氏が月並みな感慨を漏らせば、供の者たちも「よそを見ればご趣味のイラストスキルも上がりますよ」と語りだす。


「こんなのまだまだですよ。富士山とかもっと凄いですよー」

「海もいいですよ。特に明石(あかし)の浦は絶品です」


 そう言うのは播磨(はりま)(かみ)の息子の良清(よしきよ)だ。六位蔵人(くろうど)を勤め上げて五位になっている。


「前の国司の邸がグッときます。変人で有名ですが。大臣家の出で近衛(このえ)の中将だったのですが、それを捨ててドサ回りを選んだ妙な人で、ちょっと回りにバカにされていましたが羽振りはいいです。出家していますが、妻や娘のために海辺で暮らしています」

「なに娘? どんな子?」


 途端に源氏は身を入れた。良清は得意そうに話を続けた。


「なかなからしいですよ。国司はみなくどきにいくんですがスルーされてます。思うほどの良縁が得られぬまま父である自分が死んだら、海に飛び込め、とか無茶な遺言されてるらしいですよ」

「海竜王の妃にでもする気なんでしょうか」

「高尚すぎてキツいわ」


 娘は母が由緒ある家の出のためかけして田舎びてはいず、女房や女童(めのわらわ)さえ都の優れた者を集めて、とても大事に育てられているそうだ。


 女の話を聞いたせいかはたまた聖の祈祷(きとう)のせいか、源氏の病は落ち着き熱も上がらないので、供はみな帰宅を促した。けれど聖は宿泊を勧めた。


「あなたの周りにもののけの気配がおありになる。今夜はまた加持などお受けになられた方がいいでしょう」


 澄んだ聖の目に心配の色が宿っている。源氏は素直にうなずいた。



 春の日は長い。供の男たちを都へ帰し、惟光だけをつれて夕暮れの山をそぞろ歩く。辺りはやわらかく霞んでいる。


「さっきの小柴垣の元へ行ってみよう」

「いいですね。どんな女性が住むのでしょう」


 二人して覗いてみると、上品な四十過ぎの尼さんが経を読むのが見えた。他に小ギレイな女房二人ほどや女童たちがいる。

 そこに、白に山吹(やまぶき)色を重ねたやわらかい衣を着た十歳ほどの女の子が駆けてきた。

 他の子とは比べものにならないほど可愛らしい。育った先の美しさが想像できる。美しい髪が扇を広げたように揺れて、顔は赤くなっている。


「なにごとです。童とケンカでもしたのですか」


 と見上げる尼さんの顔立ちが少しは似ている。子どもだろうかと源氏は思う。


「雀の子を犬君(いぬき)が逃がしちゃったの。カゴに閉じ込めておいたのに」

「あの問題児。やっと慣れてきましたのに。(カラス)に捕まらなければいいけれど」


 感じのいい女房が立って探しにいく。周りの呼びかけで少納言(しょうなごん)乳母(めのと)”と呼ばれていることがわかる。尼君は少女をたしなめた。


「なんと子どもっぽい。生き物を飼うなんて罪深いことですよ」


 小言を聞く少女はなだらかな頬の線が愛らしく、整えていない眉も額の形や髪さえも魅力的だ。育っていく様が見たいほどだと眺めているうちに重大なことに気づいた。


————宮さまに似ている


 高貴に育った内親王(ないしんのう)がこんな風に走ることはなかっただろうけど、顔立ちは不思議な程よく似ている。

 この時源氏の心は既に割れていた。風のように駆けて来た少女そのままに惹かれる心と、愛する人に似ているから惹かれていくのと。

 しかしどちらの心も同じ決論を出す。


————この子が欲しい


「とかすこともうっとうしがる割にはきれいな髪ね。でもあまりに幼いのでおばあちゃまは心配です。あなたのお母様も十二の時にお父様を亡くしたけれど、もっと大人でしたよ」


 尼は語りかけ涙ぐんでいる。さすがに少女が伏し目がちになると、前へこぼれかかった髪が艶々と黒くなまめいて流れる。

 心を捕われて見つめていた。目が離せなかった。尼と女房のかわすウエットな和歌など無視してその子に視線をあてていた。

 当然、尼がなにげにつぶやいた”生き物を飼うなんて罪深いこと”の一言にも気を取られたりはしなかった。

 僧都が現れて(すだれ)を下ろさせるまで、全身が目になったように見つめていた。


————宮さまのかわりにあの子が欲しい


 聖の僧坊に横になって思い詰めていると僧都の弟子がやって来た。面会依頼にすぐさまうなずいた。

 了承してすぐに、身分や人柄は世評が高いが(げん)の力は全くない僧都が気取って現れ、自分の(いおり)に誘った。源氏はもちろん下心込みで承諾した。



 センスのいい庭である。木や草も配置がいいし、()り水の向こうにかがり火が揺れる。月のない夜なので石灯籠(いしどうろう)にも火が点る.

 南面(みなみおもて)に席がことに立派にしつらえてある。微かに燻らせる空薫物(そらだきもの)も上等で、源氏の匂いも加わってえも言われぬ風情だ。


 僧都の法話にほんの一瞬反省してみたりするが源氏は欲望に忠実だ。さっさと少女の素性を尋ねる。


「ここにいらっしゃる人はどなたでしょうか。尋ねたいような夢を見たので」

「がっかりさせますが亡くなった安察使(あぜち)大納言の北の方が私の妹なのですよ。彼女も出家していますが病みついたので京を離れてここにこもっているのです」

「その方にはお嬢さんがいましたよね......いえ色っぽい意味で聞くんじゃありませんよ」

「たった一人おりましたが十年ほど前に亡くなりました。入内(じゅだい)させようなどと大事にしていましたがね。いつのまにか兵部卿(ひょうぶきょう)の宮が通うようになっていたのです」


————兵部卿の宮! 藤壷の宮の兄上だ。だからあの子は似ているんだ


 かの宮の北の方は性格がキツいことで有名だ。いろいろと気苦労の耐えなかったその姫君は早く亡くなったそうだ。


「お気の毒に。お子さんは?」

「女の子が一人。そのことが心配で妹が嘆いております」

「えーと、妙なことを言い出すようですが、私に引き取らせてはいただけませんか。私には妻もいますが相性が悪くて独身同様です。まだ若いとお思いでしょうが一般人とは違います」


————さてはこいつ、ロリか


 急に僧都は愛想をなくす。


「嬉しいことをおっしゃるが、まだ本当に幼いので冗談にも会わせるわけには行きません。また妹と相談しますので。あ、お勤めの時間ですのでそれでは」


 逃げられた。



 雨が少し降っている。晩春の山風が冷ややかに吹き、水が増えたため滝の音も激しい。そこに少し眠たげな経の声が絶え絶えに聞こえる様はもの寂しい。

 その夜源氏は眠ることができなかった。彼だけではなく他の者もそんな気配だ。彼は扇を打ち鳴らして女房を呼んだ。


「双葉マークの身の上聞けば、旅行中でもつられて泣ける。こうあの子に伝えてくれないか」

「えーと、この文にふさわしい方はいません」

「いいから伝えて」


 女房は仕方がないので尼に伝える。


「年の頃を勘違いされてるのでしょうかね。やれやれ、一晩ばかり泣いたって、(こけ)の衣のわれらにかなうか、と返しておきなさい」


 下の句だけに注目した返歌に納得できない源氏は、尼との面会も要求した。


「浅い心じゃありません、仏様がご存知です。それに姫君の立場が昔の私にそっくりなのも身につまされて」


 言いつのる様子は優雅で美しいが内容が内容だ。尼君は内心引いている。


「まだ幼すぎるので」


 年齢で考えると、高校生が小学生を育てるからくれと言っているようなものである。了承する身内はいない。


「そこがいいんです......あわわ、いえ妙な意味は一切ありません」


 言いつのるが受け入れられなかった。



 明けゆく空はぼんやりと霞み、山の鳥もそこかしこで鳴きさえずる。名も知らない木や草の花が色とりどりに散って錦を敷いたようだ。そこに鹿がたたずんだり歩いたりしているのも面白く、ほんの少し気がまぎれる。

 そこへ北山の聖が動くこともままならないのにどうにか僧都の坊までやって来た。


「病の他にも護身(ごしん)修法(ずほう)の必要があります」と、心を込めてしゃがれ声で陀羅尼(だらに)を読んでくれた。


 迎えの者や内裏(だいり)の使いが現れて、宴となった。僧都は何かと歓待してくれるが、大げさすぎて妙に癇に障る。素朴で素直な聖の方が彼の心に優しくしみる。


「これをお守りに」


 聖は源氏に煩悩(ぼんのう)を砕く仏具の独鈷(とっこ)を手渡して真剣に目を見る。


「大した守りにもなりませんがないよりはマシでしょう。ぜひお手元へ」


 見ればよく磨いてはあるが使い込んですり減った貧相な品だ。けれどそれを手に持つと重みが心地よい。


「これは......あなたの大事な物ではありませんか」

「長い間いい相棒でした。でもわたしはもう、これでお役御免です」


 聖はまた源氏を見つめた。


「不思議なことに、違う立場の方と同じ光もあなたはお持ちだ。その光とこの独鈷があなたを導いてくれますように」


 源氏も感に堪えぬように彼を見返した。が、僧都が割り込んできた。


「これは聖徳太子が百済(くだら)から取り寄せた金剛樹(こんごうじゅ)の実で作られた数珠(じゅず)で、こちらはーー」


 と源氏に贈る品の由来を延々と語る。礼儀を守ってそれを聞き、関連のスタッフにちゃんと謝礼の品を渡した。



「......病み上がりなのに大変ですね」

「美しくセンスあるのが仕事なんだよ、私はっ」


 帰ろうとしたら左大臣に命じられた彼の一族が現れ、場所を変えて更に風雅な宴となった。頭中将をはじめ左中弁などの若公達(わかきんだち)が山ほど来た。

 滝のほとりの岩の上で、酒は飲むは笛を吹くは歌うは大騒ぎである。昨夜寝てないし、正直勘弁してもらいたいがそうもいかない。

 しょうがないから惟光にこっそり愚痴を言うに留め、岩にもたれてだるそうにしている。

 ところが僧都が(きん)(こと)を持ってきて弾けと言う。

 空気を読めと百万回言いたい。


「気分がひどく悪いのですが」


 と言いながら持ち前のサービス精神でついかき鳴らしたりする。もちろん抜群に上手くて周りは涙ぐむ。


————この、人に気を遣ってしまう性格がわれながら憎い


「この世のものとも思えない」

「もうほんとあり得ません」


 人々は感動しているが源氏は苛ついている。


————だからあの子が欲しいんだ。プライベートぐらい気のおけない子と過ごしたいんだよっ


 宴の様子を垣間見たその少女が「お父さまより素敵」と思ってくれてままごとのネタにしたことを源氏は知らない。



 京に戻ったら息つく間もなく内裏に顔を出さなければならない。帝は久しぶりに見る源氏を温かく迎えた。


「凄くやせちゃったね」


 と、心配してくれる。心にやましさがあるのでそれもなんだか面はゆく、聖の話などを出して気をそらす。


「もっと高い地位に就くべき人だね。凄いのに内裏であまり知られていないなんて」


 帝はなに心なく言った。実は過去に会っていることには気づいていない。そこに左大臣が現れた。


「お迎えをと思いましたがお忍びのご様子なので遠慮しました。さあ、我が家でゆっくりおくつろぎください」


 善意溢れる態度で源氏にかしづく。左大臣邸も玉のように磨き立てて用意を整えている。


————トロフィーワイフも持ってるのにトロフィー娘ムコも必要なんだな


 自嘲の様は見せず感じよく振る舞っているが、例のごとく正妻はなかなか現れない。その父に言われてどうにか出てくるが、絵に描いた姫君のように完璧だが情の欠片も見せてくれない。


————もっと応えてくれるなら、山道のことなどいろいろ話したいのに


 長年のすれ違いのためお互いに打ち解けることもできない。


「たまにはフツーの奥さんでいてくださいよ。重病だったのですから様子を問うとか。ちょっと恨めしいです」

()はないことは辛いことですか」


 訪れの少ないことを皮肉にして返して横目でこちらを見る正妻は、源氏でさえ恥ずかしくなるほど気高く美しい。


「めったにいただけないお言葉がこれなんて。夫婦間のセリフじゃないでしょう。いつもつれないおもてなしで、いつかはもっと親しくしてくださるかといろいろやってみるのに、どうしてこんなに冷たいのですか」


 苦情を言いながら御帳台に入るが彼女は来ない。源氏は眠そうな振りをしながらムッとしている。


————あの子どもを側に置いて成長していくのを見たいなあ


 やわらかなものに飢えている。素直な反応が欲しくてならない。彼は魂の底に永遠の飢餓が刻み込まれているかのように温もりを求めていた。



 二条の邸に帰ってからもだいぶがんばって尼君や僧都に文を書いたりしたのだが、もちろん断られまくった。説得に行かせた忠実な惟光でさえ内心では「年齢的にOUTでしょ」と思っている。


「だから無理なことをしようってわけじゃないんだ。桜が開いていくのを見るように、育っていく姿が見たいんだ」

「はあ」


 惟光は否定はしないけれど懐疑的な視線を向ける。源氏は更に苛立った。


「私だってYESロリータ、 NOタッチの原則ぐらいわかっている! ちょっと抱きしめたり、いっしょに御帳台に入って眠ったりぐらいしかしないっ」

「............検非違使(けびいし)さん、コイツです」


 桜は散ってしまったが、水は温み風は優しい。うららかな日差しに色づいた藤の花が光り、季節はゆっくりと移り変わっていく。遠くから鳥の声がする。まるで山奥からの使いを見るように、源氏はそちらに目をやった。


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