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源氏夢想譚  作者: Salt
第二章
33/89

桜の終わる頃

源氏十八歳

麗景殿視点

 桜は華やかにに咲き誇るのに内裏は例年よりもなんだか薄暗い感じがする。理由はカンタン、このところ源氏の君が全然現れないからだ。

 彼は今、わらわ病みに苦しめられている。若いしそのうちによくなるとは思うけれど、何度も熱がぶり返す病なので長い期間こちらには来ない。


「加持や祈祷も効果がないようなので心配です」

 女房はそう言って私を窺い、それから視線を横に流した。つられて私も妹に目をやり、慌ててそらそうとするけれど彼女はこちらを見返してやわらかく微笑んだ。


「今はだいぶ落ち着いていらっしゃるそうです」


 文にそう書いてあったらしい。

 妹は源氏の君の非公式の恋人だ。でも噂話の飛びかうこの宮中でもそれは話題になっていない。彼が忍んでくるせいもあるし、妹はあまり派手な容姿ではないので想定外らしい。その上彼は幼いときからこの殿舎によく遊びにくるので、それがカムフラージュになっている。



 事情を知ったときは驚いたし彼を恨めしくも思った。何も知らせてくれなかったし正式な形ではなかったからだ。

 彼は左大臣の姫君を正妻にしているけれど、妹だって素性が悪いわけではないのだからちゃんと妻の一人として認めてほしかった。


「お姉さま、それは無茶ですわ」

 その時妹はコロコロと明るい笑い声をたてた。

「あのすばらしいと評判の六条の御息所でさえ愛人扱いなのですよ。私がそんな立場になったら内裏どころか都中の女性から非難されると思うわ」

「でも......」


 妹によい縁談をと思ってあちこちに働きかけている最中だった。確かにどこからもはかばかしい答えは返ってこなかったけれど。


「私、幸せです。それにあの方が声をかけてくださらなかったら、もっと寂しかったと思います」


 言葉が胸を突いた。思いあたることがあって下を向いた。

 私たちにはもう、頼りになるほどの後見はない。夫の世話を引き受ける妻の立場をフォローしてくれる親族はいないのだ。

 そして妹は私にはとても可愛く見えるけれど、世間の噂はそんな風には流れていない。更に私自身も寵愛があついとは言えない目だたぬ女御だ。妹を妻にしてもあまりメリットはない。


————私がここに呼ばなければ、容姿の噂だけでも抑えられたかも


「何を考えているかわかりますわ。だけどお姉さまが招いてくださらなかったらもっとつまらない人生だったでしょうし、ひがんで性格も悪くなっていました」

「どんな状況、どんな立場であってもあなたの人柄が悪くなるなんて思わないわ。あなたは私の自慢の妹です」


 賢くて呑み込みが早くてそして優しい。ちゃんと物事が見えていて理解する力も批判する能力もある。そんな妹がちょっと目を潤ませた。


「......これは悲しいからではなく誉められて嬉しいからですからね。お姉さまこそ幼い頃から私の憧れでした」

「まあ。私たち気が合うわね」

 互いを見つめて微笑み合った。



『おいしいお菓子が届いたのでいらしてください。妹と一緒にお待ちしています』


 その文を届けたのはわらわ病みにかかる前だった。彼女と恋仲になってから私の前には現れなかった彼はその時初めて顔を出した。

 人払いをしていて、女房もほんの二人ほどしか傍にいなかった。源氏の君は二重に置かれた几帳に不思議そうな目を向けた。奥の方の几帳の前に座ってもらう。

 私は唐菓子を(しろがね)で作った器に盛り、その横に花の形の足をつけた皿を添えた。白く小さなお餅がのっている。


「正式な日取りでも形でもありませんが、召し上がっていただけませんか」

「ぜひ!」

 私は妹をうながして彼の横に座らせた。彼女は頬を染めて言葉に従った。


「無理に召し上がらなくてもいいのですよ」

 彼女が小声で囁いている。源氏の君は日頃の優雅さを忘れたかのようにブンブンと首を横に振っているのが垣間見える。

「とんでもない。いっしょに食べてくださいね」


 二人は仲良く期日はずれの三日夜の餅を食べた。きちんとした形ではないからなんの拘束力もなく婚姻とは認められない。でも彼は拒まず、妹も喜んだ。私は心の裡で二人を祝い、それ以上はひとことも口を挟まなかった。


 彼はそれから、今までと同じ様子で来るようになった。妹が里にいるときはそちらの方にもごくまれに尋ねているらしかった。

 だけどわらわ病みにかかってからは見かけることもなくなっていた。



 桜が終わってしまって日がたつけれど源氏の君は現れない。ついにこの子までめったにない訪れを待つだけの女にしてしまったと凹んでいたら、勘のいい彼女に気づかれた。


「そんなのじゃありません。最初から不似合いだとわかっているのですもの。ええと、いつもが日常()で、あの方がいらしてくださる日が祝祭(ハレ)。毎日がお祭りだったら私きっとドキドキしすぎて疲れてしまうわ」

「.........寂しくはなくて?」

「少し。だけどお姉さまがいるし、それにあの方はもっと寂しいの」


 欠落した破片が急にぴたりと当てはめられる。私は驚いて妹を見たけれど、彼女は当然のことのように彼を語る。


「だから支えてあげるの?」

「いいえ。私の方が支えられているわ。あの方がこの世にいらっしゃることに」


 妹はとても幸せそうで他者の同情など必要としているようには見えなかった。

 私はまるでなくしていた綺麗な宝物を見つけたような気持ちになった。



 源氏の君はわらわ病みの修法を受けに北山まで行かれたと噂が伝わって来た。そう長くはいらっしゃらなくて二、三日で戻って内裏にもお見えになったけど、帝の元へ顔を出された程度ですぐに左大臣に回収されてしまった。妹に文ぐらいは届けてくれるかと思ったので少し残念。


「ちょうどお通りになるのを見かけましたが、お元気にはなられたようですよ」

「ええ。なんだかいつもよりもいきいきとして見えました」


 運のいい女房が二人ほどいて同輩にうらやましがられている。彼は山でなにか楽しいものでも見ることができたのかもしれない。鹿とか、鳥とか。素敵な風景とか。


「風景もこちらとはだいぶ違うでしょうね」

「きっといらした時に話してくださるでしょう」


 妹はそれには答えず、菩薩さまみたいに優しい目をしてちょっと遠くを眺めていた。 


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