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源氏夢想譚  作者: Salt
第二章
28/89

藤壷ダークネス

源氏十七歳

藤壷視点


ぽろりはありません

「その気の毒な女御にもうすぐ死ぬと宣言したそうですよ」

「まあ、なんて恐ろしい」

「更に死んだ後すぐに琴を鳴らしたてて勝利を確認したとか」

「あの方は人ではありません。鬼ですわ」


 この時代、人が病んだ時でも楽器を鳴らすことは慎む。ましてや人の死の直後に弾くなど非常識極まりない。


「以前にもあったそうです。桐壷の更衣が亡くなり主上が傷心で立ち直ることもできなかった頃、わざわざ人を呼んで大がかりな遊びを行ったとか」

「帝は大そうご不快でいらっしゃったそうですわ」


 女房たちのささやきが不快だ。そんな昔のことまで取り沙汰しているくせにあの場にいたら、たぶん周りの熱気に呑まれて走り去るあの人を他といっしょになって見送っていたに違いない。

 連れて行ったのが弁でよかった。かまわず傍にいてくれた。


「…………休みます」


 告げるとみなが寝支度をしてくれる。王命婦の手が触れたとき振り払いたくなったが必死に取り繕って表情は変えなかった。

 みんなはあの日の様子をもっと聞きたそうだけど、私は話さない。弁も最小限しか語らない。だからもっぱら流れる噂だけで補っているようだった。


 御帳台に入っても気が静まらない。

 また、眠れぬ夜が来る。

 そして彼の面影が苦しめるためだけに大映しになる。


「おわかりになっていただけないのですか。父の元ではあなたはまがいものの月でしかない! あなたはそんな程度の方ではないんだ! 輝く日の宮なんだ!」


 その言葉を吐く彼が憎い。

 その言葉で揺らぐ自分が憎い。


 月など落ちてしまえばいい。鳥など滅びよ、(カラス)だけが啼くがいい。

 世の中の全てを凍りつかせるために霜は天に満ちよ!

 楓もいさり火も燃え上がれ。どうせ眠れない。

 古寺の鐘など壊れてしまえ。ここまで響いたとしても、誰一人救えない!


――――むだだわ


 私の怒りなど誰にとっても何の意味もない。

 源氏の君は恨みごとを述べ、王命婦は平気でそれを取り次いでくる。彼らにとって私は閉じ込められた鳥に過ぎない。

 みじめすぎて涙が出そう。あまりに私はあの人とは違う。


 あの人は凄すぎる。

 圧倒的な迫力。圧倒的な知性。圧倒的な生き様。

 制限のある後宮に生きながら制限のない力を見せつける。

 全ての女たちの視線は彼女にあった。

 あの人は確かに支配者だった。


 誰も彼女を傷つけない。

 全ての人が彼女に従う。

 そしてそれは身分のせいでも立場のせいでもない。

 あの人は自分の足でそこに立っている。


 愛とう言ううさんくさい薄衣を着せられて無理に抱かれることもなく、その方がお幸せであると勝手におもんぱかられて自分の男をあてがわれることもない。

 敬意を払われる恐るべき女御。誰もがそう思って彼女にひれ伏す。

 内裏で一番強い女。視線一つで政さえ動かす人。それが弘徽殿の女御だ。



「それにしても宮さまに毒をもったのは本当にその女房なのでしょうか」

「女房ごときがそんなことをたくらむわけがない。主謀者は他にいるに決まってるわ」

「急にその地位を下り出家なさった内大臣であると世間は取り沙汰しているようです」


 朝になっても彼女たちは昨夜の続きを語り合う。

 今日も気の澱んだどんよりとした曇り空で、すがすがしさなど欠片もない。

 それでも日常は変わらず始まる。


「でも今回の件で最も得をした者は右大臣ですわね。宮さまも重く扱われていますが、後見の兄宮さまは政には関わらぬ立場。力をつけてきた内大臣を完璧なまでに葬り去ったわけですから」


 みなが目を合わせる。一人が恐ろしそうに口走った。


「とすると青衣の女御を運んだという行為さえ疑うことができますわ」

「伴走したのは彼女の腹心の女房ただ一人。悪化するように故意に揺さぶったとしても止めはしませんわよね」

「美談に見せかけてとどめを刺したのでは……」

 全員の顔色が変わる。


「もしかしたら今も宮さまの命が狙われているのでは」

「たまたま偶然が重なって無事なだけなのかもしれません」

「すぐに、部屋も下仕えの者も調べてみましょう!」


 そんなわけがあるはずがない。この女たちはあの場にいなかったから知らないだけだ。

 弘徽殿の女御が私の命を狙うことなどけしてない。彼女にとって私は路上の石に等しい存在だ。

 その証拠にあの人はただの一度も私に視線を向けなかった。意識して避けたのではない。ただ目に入っていなかった。


「気をつけなければなりません。いつまた新たな刺客が差し向けられるかわかりませんわ」


 普段はおっとりとした中務が表情を強張らせてみんなに訓示する。

 いっそ本当に狙ってくれるのならその方がいい。自由に扱える憐れな愛玩物であるよりも、いっそ殺したいぐらいに憎い強敵でありたい。

 それが無理なら、私自身が刺客でありたい。


 他に向くべき怒りが全てあの人に向かう。

 そうでなければ私は生きていけない。

 憎しみを杖にしなければ立ち上がることさえできない。

 立ち上がって闘わなければあの面影を消すこともできない。


「今日は帝はいらっしゃるの」

「いえ予定はされていませんが」


 私はにっこりと近くにいる女房に微笑みかけた。


「なんだかお会いしたいわ。文を届けて頂戴」

「まあ宮さまの方からとはお珍しい。お喜びになりますよ。すぐに用意いたします」


 用意された細筆で、ほめられるけれど弱々しくて嫌いな自分の手蹟で手紙を書いた。

 たぶん帝はいらっしゃると思う。確信を持って筆をおき、薄苦い気分で片頬を緩めた。

 薄様に書かれた愛の言葉は、ほんとのことなのか自分でもちっともわからなかった。



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