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源氏夢想譚  作者: Salt
第二章
26/89

源氏十七歳

麗景殿視点

「まさか、本当ではないでしょう」


 思わず噴きだして御簾(みす)の向こうの源氏の君を見つめると、彼は真面目ぶった表情で嘘など言いませんよと保障した。


「全部ホントのことだと左馬頭(さまのかみ)藤式部丞(とうしきぶのじょう)も言ってましたよ」


 笑いすぎて涙の出た目元を抑えるけれどまた笑ってしまう。


「だって、やきもちを妬いたあげく相手の指にかみついたり、ニンニクを食べたとどうどうと宣言する女の人なんて、フィクションだとしか思えないわ」


 光君は美しい顔を緩めて優雅な微笑みを見せる。ちょっと東宮(とうぐう)(皇太子)さまに似て見える。


「育ちのよい女御(にょうご)さまの知らない中流の人の話ですよ」

「あら、私の周りには同じくらいの位置の人がたくさんいるけど、そんな話は聞いたことないわ」


 彼はすっと視線を女房たちに流すと、すぐに私に戻した。


「みな、女御さまに似合いのとびきり素敵な人ばかりじゃないですか。だからです」


 女房たちが蕩けそうな表情で彼を見つめる。五月雨(さみだれ)の合間の空みたいに、彼は人の心を弾ませることが上手い。


「ありがとう。とても面白いお話でした。殿方は雨夜の気晴らしに女性の品定めをするなんて知らなかったわ」

「いえいえ、女の方が殿上人の噂を語るのとさして変わりませんよ」


 そうなのかしら。男の人の方がだいぶ遠慮がない気がするけれど。


 源氏の君は他にもたくさん面白い話をしてくれたけれど、途切れた時につい尋ねてしまった。


「…………淋しい?」


 彼が目を見張ったのを見て、あらなぜこんなことを聞いてしまったのかしらと自分でも不思議な気がした。帝の寵児で内裏(だいり)でも人気があって、美しくて才も豊かでしっかりとした奥様もいらっしゃるし評判の高い女君とのお付き合いもある方なのに。


「…………いいえ」

 だいぶたってから否定したけれど、ほんの微かに声に揺れがあった。でも、すぐにいたずらっぽく微笑んだ。


「やっぱり淋しいです。見破られてしまいましたね。ですから詩文の会に呼んでください」


 あら、お耳が早い。


「ごめんなさい、もう部屋がいっぱいで一人も増やせませんの」

「え、いらっしゃるのは三人だと聞きましたけれど」

「最初はそうだったのですけれどね、聞きつけた他の方々がわれもわれもと参加表明してきたの」

「なんとか私一人くらい」

「ううん、女房でさえ一人につき一人って制限したほどなのです。それにあの、殿方には知られたくありませんし」


 漢文を読むことは女らしくないと思われているから、今回は帝以外は女子オンリーでいきたい。騒がしいかもと挨拶に行かせたので東宮さまはご存知だけど。


「残念だなあ。それにしても皆さん、そんなに漢文に長けていらっしゃったんだ」

「いいえ、ほとんどの方が付け焼刃なの。私は全然知らなくて、今必死に勉強中ですわ」

「どのような形で行われるのですか」

「すでにある短い詩を一つ選んで、書き下し文をあらかじめ書かせて持ってきます。夏の詩は少ないから季節は関係なく。それから自分で考えた訳をみなさまに披露するのです」

白文(はくぶん)(漢文そのまま)は?」

「女ばかりの集まりですから省略することになりました」


 初めの三人だけだったら、こちらのほうがメインとなったのでしょうけれど。


「そんな楽しそうな集まりに呼んでいただけないなんて」


 幼い時の彼だったら口を尖らせたと思うけれど、美しさが評判の彼はもうそんなことはしない。でも拗ねたような声色がご愛嬌だ。


「あとで様子をお話しますわ」

「きっとですよ。楽しみにして待っています」


 彼は明るく麗景殿(れいけいでん)を去った。



(しとね)(平安座布団)の用意OKです」

「お菓子は帝のもとから(ちまき)が届きました」

「御簾も夏に入ったときに替えましたからこれでよろしいかと」

空薫(そらだき)ものは東宮さまからいただいた香をたきます」


 ワールドカップ直前の開催国並みの忙しさで、どうにか部屋を整えるともう刻限ギリギリだった。

 すぐにあまたの女御・更衣が渡ってくる。帝がいらっしゃるから()唐衣(からぎぬ)を身につけて、女房をたった一人連れて。私は地味な浅縹(あさはなだ)(薄いブルー)に海関係の模様の織物をメインにして着ている。

 おもてなし役の私以外はそれぞれが花のように美しい。見とれていると他の方がそろった後に少し遅れて弘徽殿(こきでん)の女御さまがいらっしゃった。彼女は禁色(きんじき)を許されているので、綾織物の赤い唐衣がひときわ色濃く紋もくっきりと浮き上がって、それはそれは見事だ。


 各々の茵の横には粽を載せた高杯(たかつき)が置いてある。五月の節句が終わって間もないからその名残りなのかしらと思ったら、いらっしゃった帝が「楚辞(そじ)(中国古代の楚の国の歌謡集)の作者屈原(くつげん)にちなんで用意させました。私のことは気にせず食べてください」とおっしゃった。そうはできないけれど、(ちがや)で包んであるからお土産にちょうどいい。

 帝は畳をいくつか重ねた上の茵を御座として座っている。


「今日はこのささやかな会に集まっていただいてありがとうございます」


 彼が温かな響きの声を出し、みんなを見渡す。


「詩文の会だから苦手な方もいらっしゃるかと思って、最初は声をかけなかったみなさんはごめんなさい。さすがは私の大事な方々、みな才長けていらっしゃる。でも、意訳でいいのですよ。正確さよりも詩の面白さを共有することが目的なのですから。小さな集いですが楽しみましょうね」


 そして私のほうに優しい目を向ける。


「麗景殿さんのご好意でお部屋を貸していただきました。増えた時に清涼殿(せいりょうでん)も考えたのですけれど、会の主旨からいってあまり人目につきたくはないでしょう。快く貸してくださった彼女に、みなさん拍手を」


 想像もしなかった礼に青くなってしまった。本当に優しい方。こちらもみなさんにあいさつし、詩文の会が始まった。

 


 最初のうちは問題なく進んだ。弘徽殿の女御さまがその方面に優れていることは知られているから、かえって気を張らずに耳なじみのある短い詩を少しだけ頑張った感じに訳したものがほとんどだった。

 だけど更衣の一人が戴叔倫(たいしゅくりん)という人の湘南(しょうなん)即時(そくじ)という詩の訳を読み上げた時、ある女御が手の甲を斜めに口に当て、指を反らして甲高い笑い声をたてた。


「少々お調べが足りないのではなくて。盧橘(ろきつ)はキンカンなんて植物ではなくてビワのことですわ」


 盧橘花開いて楓葉(ふうよう)(おとろ)う――――この句を更衣は「キンカンの花開いて、(かえで)の葉は散りかけている」と訳していた。

 更衣はきっ、とまなじりを吊り上げた。


「お言葉ですけれど女御さま、盧橘は確かに唐国のキンカンのことですわ。ご存知ありませんの」


 帝の前で格下の更衣に逆らわれて、その女御は激怒した。


「自分の無知を恥じもせず、よくも間違いを主張できるものですわね。それはビワですわよ」

「いいえ、キンカンです」


 更衣も意を曲げなかった。険悪な雰囲気で帝もどちらにも肩入れできずに口を閉ざしている。二人は私に目を向けた。でも、どちらの意味かは私にはわからない。どうしようかと困っていると女御が弘徽殿の女御さまの方を見た。負けじと更衣も同じ方を向く。


「ビワですわね、女御さま」

「いえ、キンカンですわね女御さま」


 見つめられた彼女はゆっくりと視線を返した。とたんに二人は茵から滑りおりた。

 女御さまは落ち着いた声で説明をしてくれた。


「盧橘にはどちらの意味もあります。確かに(かえで)の散り始める頃に咲く花として先に思い出すのは、この国にも普通にあるビワかもしれません」


 勝ち誇る女御としゅんとする更衣。だけど彼女は言葉を続けた。


「しかしキンカンは何度も花開くと聞きます。そのためこの盧橘は、学者でもどちらと断定はしていないのです」

「でも普通はビワでしょう」


 女御はなおも食い下がったが、弘徽殿の女御さまはまっすぐに彼女を見つめた。


「この詩が作られたのは題名どおり湘南地方(中国)で洞庭湖(どうていこ)の近辺です。その辺りをさすらった屈原が橘の詩を作っていますが、その国では橘は江南から北に行くと(からたち)に変わってしまうと言われています。同じように地方的な意味があるのか、またかの地の気候ではどちらが適切なのか寡聞(かぶん)にして知りません」


 愚者は知を語ろうとして痴を示すと言われているけれど、弘徽殿の女御さまは知らないとおっしゃったのにかえって知を示した。先の女御は言葉よりその威風に払われて、おりた茵よりもずいぶんと後ろにずり下がり「わかりました」と小声で答えた。


 帝はにっこりと笑って「さすがですね」とおっしゃった。女御さまはにこりともしない。私はそのまま会を進行させた。


 青衣の女御、藤壷の宮さま、弘徽殿の女御さまは隣り合って座っている。今回の最重要メンバーだから私がそう位置づけた。順番が来て青衣の女御が韋応物(いおうぶつ)という人の詩を読み上げて訳した。


「あなたのことがしきりに思い出される秋の夜

 私は散歩しながら涼しい秋の夜空に向かって詠唱しています

 誰もいない山に松かさが落ち

 浮世から離れた友は、きっとまだ眠っていません」


「温かい訳ですね。あなただったら思い出す人はもしかして私のことですか」


 帝が彼女に尋ねると、やわらかに「ご想像におまかせします」といって微笑んだ。

 帝の妃が集まるこの会にふさわしい上手な答え方だと思う。帝はもちろん肯定ととって嬉しそうに礼を述べた。


 次は藤壷の宮さまだ。相変わらずとても美しいけれど、心なしかやせたように見える。最後に見たのがいつだったか思い出せないぐらいだから、気のせいかもしれないけれど。

 素養があるとお聞きしているけれど、さすがにこんな集団の中で読むことに緊張しているのか少し顔色が悪い。彼女は楓橋夜泊(ふうきょうやはく)を選んでいた。


「月は落ち(カラス)は鳴き、霜の気配が天に満ちる

 紅くなった楓に彩られた川辺といさり火に向かう私は憂いを抱いたまま眠りきれない

 蘇州(そしゅう)の城外の寒山寺(かんざんじ)

 夜半を知らせる鐘の音がこの船まで聞こえてきた」


 帝は高く評価して誉めていたし私も上手に訳されたと思うけれど、なぜだか違和感がぬぐいきれない。この方だったら春を思わせる優しい詩を選ぶと思っていた。

 でもこの詩は有名だし彩りもきれいで魅力的だし、格調の高さから言っても選ばれるにふさわしいけれども。


「……女御さま」


 声をかけられて慌てて顔を上げた。


「感じ入ってしまいました。では、次は弘徽殿の女御さまお願いします」


 みんなが威儀を正して耳をすます。わたしもきっと難しい詩なのだろうと身がまえたけれど、渡されたのはわかりやすいものだった。人々も少しざわついた。


江雪(こうせつ)


 柳宗元(りゅうそうげん)の詩だ。とても短いし、漢学の苦手な私も雰囲気でつかめる。彼女は他者にかまわず書き下し文を読むと、少し間を置いて自訳に入った。


「鳥さえとばぬ山の中

 人の跡など消え果てた

 蓑笠(さりゅう)の翁の舟一つ

 雪の川中、独り釣る」


 目の前から人の姿が消えた。あたり一面色のない雪景色だ。凍てつくほど白い山の狭間に川があり、蓑笠(みのかさ)をつけた老人が一人釣り糸を垂れている。

 もの凄いばかりの孤独感。老人の方に目をやれば、いつの間にか私自身が釣り人となっている。


――――これが、頂上


 その寒々しい世界は先ほどの宮さまの詩の孤独と全く違っていた。どこまでも続く白い世界。音さえも聞こえない。


 帝が鼻をすする音でやっと戻ってくることが出来た。みんなも夢から覚めたような顔をしている。

 ホステスの私は慌てて帝に紅絹(もみ)を渡した。彼はそれで顔をぬぐっている。


 弘徽殿の女御さまはもっと正確に訳すことも出来たはずだけれど、故意に意訳されたのだと思う。そしてその境地はもとの漢詩に重なって、私たちには行けない所を垣間見せたのだという気がする。

 自分以外は誰もいないその世界。頂上の景色。


「…………カンタンな言葉なのに」

「女御さまの声で読まれたからかもしれません」


 なぜかみな息を潜めて語り合っている。女御さまは読み終わると帝のほうへ一礼した。

 役割で私は今回一番の人を決めるはずだった。でもその必要はもうなかった。


「それではここで休憩しましょうね。安福殿(あんぷくでん)から貴重なお茶の葉をいただきました。すぐいれますので召し上がってくださいね」


 白湯(さゆ)よりかはと用意してあった。各方々に従った女房がそれぞれ立ち上がり忙しく立ち働く。

 そのとき凄まじい大太鼓の音が外の方から激しく響いた。みんなびっくりしてそちらの方を向いた。


「見てきます」


 私の女童(めのわらわ)が素早く動いて外に出たが、すぐに走って戻ってきた。


「大太鼓を献上に上がった田舎者が、楽所の位置を知らずに温明殿(うんめいでん)に届けてしまったそうです。いい音だべや、と鳴らしたてたとか」


 妙なものを献上する人もいるのね。


 理由もわかって落ち着いたそれぞれのもとに漆塗りの椀が運ばれる。みな遠慮して口をつけなかったら、帝が椀を取り上げた。


「このよき日を共有するためにぜひいただいてくださいね。私は女の人が食べたり飲んだりすることを、はしたないなんて思いませんよ」


 そういっておいしそうにお茶を飲んでくださった。私も思い切って口に運ぶと、弘徽殿の女御さまも召し上がる。それに習って他の方々も椀を口に…………


 いきなり青衣の女御が横の藤壷の宮さまの椀を奪って中身をぐい、と飲み干した。

 なんという無礼、なんという非常識!

 あまりに驚いて叫ぶことも出来ずにいると彼女は、「色が違って見えたので……毒です」とつぶやいた。


 騒然となった。弘徽殿の女御さまが「吐きなさいっ、すぐに!」と叫んだが彼女は「帝の……御前です」と苦しそうな声を出した。

 帝は目を丸くしていたけれど、すぐに近づいて吐き出すようにとおっしゃった。でも女官がそれをさえぎって引き離した。


「人を呼……」

「弘徽殿の女御さまですっ!!」


 青衣の女御の女房が叫ぶ。まだ若い女だ。


「弘徽殿の女御さまが藤壷の宮さまを殺そうとたくらんだのですっ!!」

「まさか…………」

「本当ですっ、その証拠にほら!!」


 椀を取った彼女はその下から一本の糸くずを拾い上げた。


「見てください、この真紅! これは禁色を許されたかの人の唐衣の糸ですわ!」

「な、なんですってー!!」


 三人ぐらいの声がはもった。


 女御さまは表情を変えない。帝も欠片も疑っている様子はないけれど、女官たちは固く帝を取り巻いたまま動かない。


「すぐにあの人を……捕まえて…………」

「嘘ですっ!」


 茵に伏せていた青衣の女御が、ようよう顔を持ち上げて自分の女房を指差す。


「毒をもったのはこの女です!」


 全員が女を見つめた。女は顔色を変えた。


「かわいそうな女御さま……錯乱なさっているのですわ」

「いいえ! それはおまえです。麗景殿の女御さま!」


 呼ばれて駆け寄ると女御は必死に身を起こし、思わず覗きこんだ女の手から糸を奪った。


「同じだとしても、きっとあらかじめ盗んだものです」

「いいえ!!」


 弘徽殿の女御さまにぴたりと寄り添っていた女房がいきなり否定した。主人を守りたくないのかと私は驚愕して彼女を見た。


「その糸は女御さまの唐衣とは色が違うはずです。比べてください!」


 この女房は何度も見たことがある。いつも必ず女御さまの傍に控えていた。私は糸を受け取り女御さまの唐衣にあてた。


「…………違う」

「そんなっ、そんなはずは!」


 弘徽殿の女御さまは女を見据えて口を開いた。


「いつもより強めに染めた唐衣が今日やっと届いて、それで少し遅れたのです」


 女がよろよろと二三歩後ずさり、その場にしゃがみこんだ。


「主上を清涼殿へ」


 女御さまは女官に命じ、彼女たちは心配する彼を半ば無理やり引き立ててこの場を去った。

 弘徽殿の女御さまは青衣の女御のもとに静かに近づいた。彼女の顔色はいまや青黒く、もう、誰が見ても助からないことがわかる。


「よくやりました」


 女御の息はひどく荒い。それでもようよう、「あなたの守ったこの後宮を……」と言ったことが聞き取れた。

 女御さまはうなずいた。


「おまえはもうすぐ死にます」


 もう、いろいろなことに驚きすぎて感情が磨耗(まもう)しそう。女御さまの宣言に青衣の女御はうなずいた。


「…………理解しております」

「ならば更に精進なさい。ここで死んではなりません」


 あまりに非情な言葉にほとんどの者が腰を抜かしそうになる。「鬼畜すぎる」とつぶやく者もいる。

 青衣の女御は今にもこと切れそうだ。弘徽殿の女御さまは相手の目を見つめた。


「ここで死ぬことを耐えて見せれば、私はおまえをやんごとなき女と記憶しましょう」


 また倒れ伏していた女の目に焔が宿る。


「…………本当ですか」

「私は嘘は言いません」


 ばっ、と青い焔が燃えさかるのが確かに見えたような気がした。

 女房の一人がすかさず輦車(てぐるま)を命じている。この麗景殿の前に、との言葉を女御さまがさえぎった。


「いえ、あれは揺れるし速度も遅い。宣耀殿(せんようでん)北廂(きたびさし)へ付けさせなさい。牛車(ぎっしゃ)も用意しておくように」

「そこまではどのようにして……」

「私が運びます」


 みんなは目を剥いたけれど私の女房は用を果たすために走り去った。


「人払いをしなくては」


 一人の更衣が口走ると、女御さまが「通常では間に合いません」といい扇をかざして廊に出た。


「この近辺にいる者どもよ、よく聞け! これからこの弘徽殿の女御が通る。全ての者は面を伏せよ!」


 よく通る声が内裏中に響いた。とたんに近辺、いえずっと遠くの人たちがすばやく這いつくばる音が聞こえた。

 女御さまは青衣の女御を背中にかつぎあげた。


「お供いたします」


 その真横に彼女の女房が立つ。女御さまは答えずいきなり駆け始めた。

 私たちは鳥にはなれない。でも天駆ける獅子を見送ることはできる。ほとんど全員が立ち上がり、走り去っていく弘徽殿の女御さまを見送った。

 けれど藤壷の宮さまだけは真っ青な顔色のまま、端然と茵に座っていた。



調べてみるとキンカンは鎌倉~室町の時期に伝来したようなので訂正しました。

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