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源氏夢想譚  作者: Salt
第一章
17/89

相性

弘徽殿視点

源氏十一歳

「例の男はどうも鎮西(九州)の山奥まで逃げたようです」


 麗景殿に不埒な申し出をした男はなかなかの逃げっぷりだった。仕事を放置してそこまで行ったのなら、万が一わが右大臣家が立場を失ったとしても二度と浮上できない。満足してうなずいた。


「まさに自業自得です」

「あちらの女御さまが無事でよかったですわ。ほっとしました」


 女房たちも底意なく呟く。同感だ。しかしそう思うこと自体が苦い意味を含むことを感じて微笑むことはできない。

 私はあの方に好意を持っている。だがそれは彼女にとって不幸なことだ。つまり敵と見なされていないということだからだ。父を失い有力な後見を持たず子供もいない。何の不安もなく交流を深めることができる。

 ただ、見くびったりはしていない。それどころか敬意らしきものを感じないではない。後宮には人も増えたが今のところ私にそう思わせる者は彼女しかいない。


――――まあ、どちらも愚かではあるがな


 自ら戦場から離脱しかけた者を押し留め存続させた私たちはけっこう間抜けだ。しかし悔いはない。それどころかもしあの日に戻っても同じコトを繰り返すだろう。

 かまわぬ。更衣から女御に這い上がったあの女が、それ以上の地位を目指すのなら正面から叩き潰せばいいだけだ。私にはその力がある。


「東宮さまも元服なさいましたし、そろそろ女御さまも中宮へとお進みになってもよろしい頃ですね」

「藤壷の宮の母上が亡くなられて后の地位は空いております。右大臣さまの方から主上にお話になったらいかがでしょう」


 女房たちの言葉に「ならぬ」と簡潔に答えた。不思議がる彼女たちには内心など見せずに、色づいた柿の実を鳥がつつくのを眺めた。

 自分から言い出す中宮の位など意味がない。あの方が私の手を取り目を見つめてそれを願ってくれるのでなければ価値がない。

 今本気で望めば彼がそうせざるを得ないことを知っている。そしてそうしたくはないことも知っている。


――――好まぬ女に渡すより無意味に空けておく方がましなのか


 胸が痛い。鳥につつかれているのは私の心の臓であるような気さえする。その痛みを癒すことはままならず、私はその傷に自ら刃を突き立てる。


――――それとも誰か別の女に与えるつもりか


 死んだ女をつけたかっただろうが女御にさえなれなかったあの更衣には無理ゲーだった。ならば新女御はどうだろう。いや、そこまでの寵は受けていない。たとえ私に対するあてつけであろうとも世間が認めない。その父の力もわが父よりもだいぶ劣る。

 現在極めて時めく藤壷の宮はどうだろう。いや、寵は深くとも考慮の範囲外だ。彼女の後見は少々頭の軽い兄の兵部卿だ。主上のためにつくすことはできない。


 私以上に中宮にふさわしい女はないしわが父以上の力で主上に仕える臣はいない。そう考えて一つの可能性に気づいて思わず息を呑んだ。

 現在この後宮にいないが私の上に君臨しても世に認められる女が一人だけいる。左大臣の正妻腹の姫だ。

 肌が粟立った。東宮の妃にと何度も申し込んでいるが巧妙にはぐらかされている。明らかに将来の后にと育てられているに関わらずだ。それがわが息にではなく主上に与えるために用意された女であるがゆえだとしたら……



「考えすぎだと思います。だってその方はお年もお若いでしょう」

 乳母子はあっさり否定したが私の不安は去らなかった。

「藤壷の宮の一つ下なのでその点ではほぼクリアーです」

「ですが、二人もそんな大物クラスのお若い方をゲットしたら、主上であろうともあんまりよくは言われませんよ。東宮さまに含むところがあるのかと思われてしまいますし」


 そう聞いてなおさらぞっとする。

 もし主上が意識的に息子から高貴な女を奪っているのだとしたら。


 かっ、と体が熱くなる。

 わがことはいい。それだけあの方を傷つけた。憎しみを受けても仕方がない。

 だが東宮は。なんの罪もなくひたすら父を慕う息子にまで悪意を向けるのかっ。



「どうかなさいましたか母上。珍しく顔色がお悪いですね」

 梨壷から訪れた東宮が優しく気づかう。童形から変わった姿はあきれるほどにかつてのあの方に似ている。ただ、その微笑みはもっとあでやかだ。これは現在のチビ源氏に似ている。

 暗い気分で彼を見返してほんのわずかに頭を下げる。


「なにかと苦労をかけます」

「思い当たることがありませんが何をおっしゃっているのです」

「いえ。比類ない身の上であることはけっこう大変でしょうと慮ったのです」

 うかつに言えることではないし、そうと定まったわけでもないので言葉を変えた。彼は少しおどけてそれに応えた。


「そんなねぎらいの言葉など母上には似合いませんよ。いつも通りにお叱りになってください。その方が気楽ですよ」

 そういわれても気力がなかった。愚痴を言わずにうなずくことが精一杯だ。


「お疲れになっていませんか。目立たぬようにしていらっしゃるけれど世を動かしているのは結局は母上ですから。せめて私の前ではくつろいでください。唐衣もお脱ぎになって。それと……光と仲直りする気にはなりませんか」

 慌てて落ちかけていた肩をしゃんと伸ばした。


「全くなりません」

「あなたのお傍から離れて彼は寂しがっていますよ」


 そうは見えない。内裏を活発に動き回り自由気ままに楽しんでいる。色々な妃の元を訪れるが、一番は藤壷へその次には麗景殿へ現れることが多いらしい。


「そんなわけがありません」

 決めつけると品よく目を伏せた。

「お二人が仲たがいするなんて思っても見ませんでした。とても仲がよろしかったのに」

「気のせいです。あれは私の恋敵の息子ですよ」

 主上をそのまま写し取ったような顔に憂いの色が濃くなる。心配させていることが辛い。


「…………私は、母上のことも光のことも大好きです」

 辛さの滲む声色が心のどこかをえぐった。だけど私は源氏との仲を以前どおりに戻すつもりはない。


「あなたが弟に目をかけることを止めようとは思いません。ですが私がどのような人柄か知っているでしょう」

 いったん口にしたことはそうたやすくは変えない。東宮はやるせない顔でこちらを見て無理に微笑んだ。


「ええ。一番よく知っています」

「ならばあきらめなさい。悩むだけムダです」

 息子は泣きそうにも笑いそうにも見えた。彼は黙って床に流れるわが髪の一部をすくい取り、指を絡めるとすぐに離した。


「……そのうちお心も変わりますよ」

 妙に自身ありげに言って、それから今度は明るく告げる。

「それまでは私が気を配ります」

「好きになさい」


 答えている間に女房が、東宮を迎えに殿上人が来たことを告げた。彼は私に別れを告げると、ゆったりとした足取りでそちらへ向かった。身のこなしもその父よりも優雅だ。


 男たちの中で多少目につく顔があった。左大臣の正妻腹の長子だ。彼は実にうやうやしく息子につき従う。うちのわがままな妹の相手として選んだだけあって、非の打ちようもない貴公子だ。

 右大臣家の婿であってもそのことに意義を見出さない彼は、私やわが父に対しての礼儀は表面だけだ。しかし東宮に対しては忠実だ。年の頃も近いから親しみやすいのだろう。


 もし息子が彼に働きかけてみたならその妹を入内させることは可能ではないか。

 けれど東宮が直接女を要求するなど品位に欠ける。私は息子にいかなる傷もつけたくない。その上左大臣は主上の手先だ。兄より父の意向が強いのはあたりまえだ。

 彼の姫を手に入れることが必要だとわかっているのに結局行き詰る。


「……性格的にもよさそうだと思うのだが」

 思わず口に出すと乳母子が聞きとがめ、また左大臣の姫のことだとわかるとぶんぶんとうなずいた。

「ええ。あのお姫さまは東宮さま以外の方には向きませんよ!」

「知っているのですか」

「身内があちらの乳母と仲がよくって。将来の国母としてその自覚を持たされ、後宮などでなめられないようにけして折れない強いお心と誇りと品位を強化された対帝用及び後宮特化型特別教育を受けているのですから通常の男など恐れ多くて足元にも寄れません」

「ほう。しかし主上が望んでいるかもしれないと話したではないか」


 それならば条件には適合する。しかし彼女は首を横に振った。先ほどと同じ反論かと思ったが今度はちょっと口を閉じた。だが私はその続きを求め、彼女は瞳に少し苦い色を宿したがすぐにそれを捨ててにっこりと答えた。


「東宮さまは誰よりも気の強い女の扱い方に長けています」

「なるほど、今度はそのような女房を送り込んだのですね。いくらなんでもかわいそうではないか。気苦労の多い貴い身分の男はやはり穏やかに支える立場の者が必要でしょう。身近な世話をする女房ぐらいは温和な者を用意してやりなさい」


 なぜだか乳母子は目を白黒させたが、少し息を吸いなおして更に続けた。


「ええと、とにかく東宮さまはとてもやわらかな気性の方なので、女ではなくとも、かえって強いぐらいの性格の方との相性がよろしいのです。先ほどいらした左大臣のご子息も才長けた方である分激しいものをお持ちですが、東宮さまのことはとても大事にしています。失礼ですが右大臣家に対しては含むものがおありになるのも関わらずですよ」

 彼女も気づいていたらしい。


「彼は源氏とも仲がいいですよ」

「年下として可愛がっていますね。光君は子ども扱いされたくなくって憤慨していますが。でも、東宮さまに対してはちゃんとわきまえた臣下でいらっしゃいます。ただし主上に対しては必要な程度の礼を示しているだけです」

 意外な読みに驚く。


「違いが有りますか。いえ、あったとしてもジェネレーションギャップというものでは」

「だいぶ違います。主上もお優しい方ですが、何かを思い込まれますとその意見を他者に変えられることをすごくお嫌いになりますね。あの方も自分の意見は変えがたい方らしく、しかし立場上抑えなければならない。それがほんの少し眼差しに出ます。けれど東宮さまは自分と違った意見でも『ああ、そういう見方もあるのだね』と優しく受けて入れてくださるので、あの手の方に好まれるのです」


 割に感心して聞いていると彼女は拳を握って強く言った。

「東宮さまは日頃の習慣と修練でそのような態度を自然に身につけていらっしゃる。ですからあの姫君に対しても自然にふるまいながらも、くつろがせることができると思うのですよ」


 息子は日頃そんな習慣と修練を積んでいるのだろうか。なんだか知らないがとても大変そうだ。帝王教育の一端かも知れないので口をはさまぬことにするが気の毒に。


「要するに左大臣の姫は彼に入内するのが最良ということですが」

「そうです。相手の気が強ければ強いほど、誇りが高ければ高いほど上手に扱うと思います」


 よくはわからぬがGOサインを出されたようで気分がいい。私は機嫌よくうなずき、なおいっそう左大臣に強く働きかけることを決意した。


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