そのはち
「雨……」
ぽつ、ぽつっと。灰色の空を見上げる顔に、冷たいスイテキが落ちてくる。ぱさぱさっと、雨粒が葉っぱにぶつかる音が森の中いっぱいに広がった。
「うおー、雨かぁ」
「どうしようか?」
「んー、そうだなぁ」
一緒に空を見上げてた一号が、両手を空に向かって高く上げる。それから一号は、
「うむ。ここは秘密アイテムの出番だ!」
そう言って、また僕の腕を引っ張って森の中を走り始めた。
草をかき分けて、洋服をぬらしながら走っていく。洋服を汚したらお母さんに怒られるかもしれないって思ったけど、僕がそんなことを言ったってたぶん一号はちっとも気にしないと思うから、僕も一号に引っ張られたまま走り続けた。
それに、雨の中の森っていうのは、なんだかちょっとわくわくした。ホーカゴの学校とか、シタシイ人の誕生日の日みたいに、本当は特別じゃないんだけど、だけど普通のことがほんの少しだけ特別なことに思えて、わくわくするのだ。
「んと、ちょっと待ってて」
途中で、そう言った一号が僕を待たせたままどこかへ走り出した。どうしたんだろうって、一号が走っていった方を見ていると、しばらくして一号がもどってくる。
「はい、これ」
もどってきた一号が持っていたのは、大きな葉っぱが一枚生えた草だった。クキの部分が長くてかたくて、
「かさ?」
「その通り。これが秘密アイテムの葉っぱガサなのだ!」
「おー」
前に見たトトロの映画を思い出した。クキを持って大きな葉っぱで頭をおおうと、雨粒をぱたぱたとうけとめた葉っぱが頭の上で小さくゆれる。
大きな葉っぱをかさにするなんて、昔読んだ絵本の中の事みたいで面白かった。
「むこうに雨宿りできる場所があるから、とりあえずそっちに行こう」
「うん」
葉っぱガサのおかげで雨もだいぶ防げるようになたけど、やっぱりこのままじゃ全身がズブヌレになってしまう。カゼをひいちゃったらまずいから一号の言うことに頷いたけど、それと同時に家を出るときに、お母さんが雨が降るから早く帰ってきなさいって言ってたのを思い出した。
だけどやっぱり、僕はこのまま一号と一緒にいたかった。この不思議なくらい美しくて綺麗な秘密基地でもっともっと遊びたかったし、なによりこの秘密基地にいる間は、嫌なことを全部思い出さないでいられるから。
一号と一緒にかけ足で秘密基地の中を走っていくと、僕たちは一号が言ってた雨宿りできる場所にたどり着いた。そこは岩山のイッカショに大きく穴が開いてる場所で、ボークウゴウに似てるなと、僕は何となく思った。
一号に言われて、僕はドウクツみたいに暗い岩穴の中に入る。中はなんだかジメジメしているし、いろんな音が大きく響いて不気味だったけど、外にいるわけにもいかなかったから仕方ない。
「雨は外で遊べなくなるから大嫌いだなぁ」
「まあ、うん」
確かに、僕も運動はそこまで好きじゃないけど、雨で遊べなくなってしまうのは嫌だ。子供は風の子って言うけど、雨の子だって別にいいと思う。だけど大人は服をぬらして帰るとすごい怒る。水を使わなくちゃできない遊びもたくさんあるのに、なんだかとても残念だ。
「晴れるかな?」
「うーん。晴れてくれないと困るけど……」
一号に言われて、僕は岩穴の外を見た。
さっきまで灰色でどんより暗かった空は、だんだん黒っぽくなってきている。風もちょっとだけ強くなってるみたいで、森の木々がざわざわと大きな音をたてて揺れていた。雨が降る音がざーざーと、岩穴のなかいっぱいにあふれる。
しばらく二人で、おしゃべりをしながら外の様子をながめ続けた。だけど雨が止むようすはなくって、アマアシはどんどん強くなっているみたいだった。
「ね、ねえ?」
「ん?」
「もう、今日は帰ったほうがいいと思うんだけど」
「むぅ……」
一号は頬っぺたをふくらませた。たぶんこの子はもっと遊びたいと思ってるんだろうし、僕ももっと遊んでたかったけど、これ以上ここで雨宿りしてても、もう雨が止むとは思えなかったのだ。
体育座りをした一号は、フキゲンそうに目を細くして外を見つめていた。そしてとなりに座る僕の顔を見て言った。
「また、一緒に遊んでくれる?」
いつもきらきら綺麗に光ってる目。だけど、その時見たヒーローの女の子の目は、なんだかとても悲しそうで。
ーーーーーー私、友達いないから。
お昼を食べたときに聞いた言葉を、ふと思い出してしまった。思い出して、胸の中がちくちくと痛んだ。
そうなのだ。ヒーローの女の子がこんなに元気に、ジユーホンポーに僕と遊ぶのも、それはこの子に友達がいないからだった。
ヒーローの女の子も、僕が外の世界での嫌なことを忘れて遊んでいられるみたいに、この秘密基地の中で、僕と一緒にいるから、楽しく遊んでいられたのだ。
「うん」
僕はうなづいた。それは当然のことだと思った。
「僕も、一号とまた遊びたい」
自分で自分のことがわからない僕だけど、一号とまた二人で遊びたいと思う気持ちは、強く、確かに僕の心の中にあって。
「また、一緒に秘密基地に来ようよ」
もし一号に友達がいなくても、僕がそのかわりになってあげたいと、強く強く思った。
「ぜったい?」
「ぜったい」
にっこりと。一号がうれしそうに笑うのを見て、僕も一緒に笑った。胸の中がぽかぽかして、なんだか幸せな気持ちだった。
ぴょん、と跳びはねるように、一号が立ち上がる。
「よーし! 今日はテッタイするぞ。特訓はまた今度にしよう!」
言った一号が、僕に手を伸ばした。僕の手よりちょっとだけ小さくて、やわらかいその手は、ぎゅっと、力強く僕の手を握りしめる。
僕たちは岩穴を出て、秘密基地の中をかけだした。葉っぱガサを握りしめて、いっしょうけんめいに走る。風が強く吹くと、雨が虐めっ子の投げつけてくる砂みたいに、ビシビシと肌にささった。
とても痛くて、とても怖くて、だけど一緒に走ってる一号は、雨にも風にも負けないでずっと前を見続けて。
やっぱり一号は、ゆーきはスゴいな、って。
雨のせいでどろどろになった地面の上をいっしょうけんめいに走って、僕たちは川までやってきた。一号がダイイチカンモンって呼んでた、あの川だ。
「うっ……」
僕と一号、どっちがうなったのかよくわからなかった。そんな事はどうでもよくなるくらい、僕たちはドウヨウしていた。目の前のこーけいが信じられなかった。
「ど、ど、どうしよう……!?」
真っ先に動いたのは僕で、僕はとなりに突っ立った一号の腕をつかんだ。だけど僕に腕をつかまれても、一号はビドウダにしないで川を見つめ続けていた。でも、それは一号が冷静だから動かないんじゃなくて、一号も、驚きのあまりフリーズしてしまってるんだってことは、僕にも簡単にわかった。
僕も、もう一度、川を見る。
川が。水がきれいにすきとーっていたあの川が、今は茶色く濁っていた。汚い茶色に染まって、そしてその流れは、ゴウゴウとお腹に強く響くほどに荒れていた。
今まで見たことはないけど、こういう川の状態を何て言うかは知っていた。昔、お父さんと釣りに行ったときに、教えてもらったのだ。
ダクリュウ。
「あ、雨が降ったら川に近づいちゃいけないって……」
お父さんに、教えてもらった。そんな大切な事を、今さら思い出した。今まで思い出せなかった。
「あ、危ないから!」
にぎってた腕を強く引いて、一号を川から遠ざけた。川とのキョリはまだまだあるけど、だけど、いつなにが起きるのかぜんぜんわからなくて、怖かった。
風が吹いた。強く強く、風が吹いた。
踏んばってないと転んじゃいそうなくらいに強い風は、僕たちの手からすでにぐちゃぐちゃになって雨を防いでくれない葉っぱガサを取り上げた。ぐるぐるとモミクチャになって飛ばされた僕たちのかさは、ダクリュウの中に突っ込んで、一瞬でどこかに流されてしまった。
動けなくなった。一瞬でぐちゃぐちゃになってしまった葉っぱガサ。もしも僕たちが同じ事になってしまったらどうしよう。そんなことを考えた瞬間に、動けなくなってしまった。
冷たい雨がビシビシと僕たちのことを虐め続ける。とたんに、僕の目が涙を出そうとし始めた。僕も、それはしかたないと思った。
怖くて怖くて、しかたない。
その時だった。
ピカッ、と。暗い空が一瞬、晴れの日みたいに明るくなった。そしてその次の瞬間に、何かが爆発するような大きな大きな音が響いた。
「ああッ!」
そして、腕をつかんでいた一号が悲鳴を上げる。悲鳴を上げて、どしゃっと僕の足下に座り込んでしまった。
本物のゆーきを持ったヒーローが何かに負けるのを、初めて見た瞬間だった。