そのいち
「やーい、この弱虫ぃ!」
「死ね、クソ藤ヶ谷ッ!」
そうやって散々悪口言う奴らは、僕が半ベソになりながら立ち上がると、楽しそうに笑いながら走って公園を出て行った。足音の消えていく方向へ向けた僕の両目はまるで線の様に細められていて、それはアイツらに虐められていたのが悔しいのが半分で、もう半分は擦り剥いた肘の痛みのせいだった。
近くに石ころと一緒になって転がっていた黒のランドセルを拾い上げ、その表面にへばり付いた砂を払う。身に着けていたところで僕をクラスメイトの虐めから守ってはくれない防犯ブザーが、砂が落ちるのに合わせてカタカタと揺れた。
叩いても叩いても消えないランドセルの小さな傷を撫でながら、僕は静かに立ちあがった。鼻水が垂れて来るのを必死になって啜り上げ、じんじん痛む肘に泣きそうになりながら、足は自然とブランコの方へ向かって動いていた。この公園のベンチはなんだか汚い。
ランドセルを背負ったまま、ブランコに腰かける。ちょっとだけひじの痛みと戦ってみて、ちょっとだけアイツらの顔を思い出して、ちょっとだけ泣きたくなって。
蛇口を閉め忘れた水道みたいに勝手に流れだそうとする涙を泥だらけの両手で拭う。けれど弱虫な僕の目は涙を止める事が出来なくて、涙のしょっぱい塩味が妙に舌にへばり付いた。
カラスがかーかーと鳴きながら夕焼けに染まった空を飛んでいく。上を向いて歩こう、って聞いた事があるから空を見上げてみても、やっぱり涙は止まらなかった。いつまでも痛い肘をそっと触る。指先に赤い血が付いたのを見て、よけいに涙が溢れた。
「とうっ!」
そうやっていつもと同じく涙を止められないでいる僕は、そこで女の子の声を聞いた。ヒーローみたいな掛け声を上げた女の子は、いつの間にか僕が座るブランコの前にいた。
髪の毛を頭のてっぺんで一つに結んでいるその子は、僕から少し離れた場所に立ったままじぃっと顔を覗きこんでいる。泣いている所を見られるのは嫌だから、急いで逃げ出そうとしたその時、
「男の子が泣いたら駄目だぞ!」
言ってその子は「シュシュシュッ」と口で言いながら走り、隣にもう一つぶら下がったブランコに座った。女の子はブランコに座ったまま手を伸ばして僕のランドセルを掴むと、空いた方の腕の手首を自分の口元に持ちあげる。
「ぴぴー。応答せよ応答せよ。ただいま公園で、宇宙人シューゲキの被害にあった少年をひとり確保」
意味がわからないから黙っていると、女の子がぐいっと顔を覗きこんできた。じーっと見つめられてちょっと恥ずかしくなりながらこっちもじーっと見てると、突然女の子は首を小さく傾げる。女の子はぽにーてーるを揺らしながら、のんきな声で言った。
「ねえ、虐められてるの?」
「え……?」
「だって見てたもん」
ランドセルから手を離した女の子は、スキップをしながら僕の周りをくるくる回り始めた。
見ていたんだったらなんで今現れたのかちょっと不満だったけれど、でも彼女はそんな事は気にしてない様だった。まあ、虐められている僕を助けてくれっていう方が、リフジンってやつなのだろうか。そもそも僕達二人は、お互いの事を誰だかわかっていないし。でも学校とかでたまに、知らない子と一緒に遊んだりもするから、今回もこうして話しているだけだ。
「キミはねー、勇気が足りてないんだよ」
「ゆーき?」
「そう、勇気!」
女の子はいきなり大きな声で言うと、僕の手を掴んで走り始めた。走る犬に引っ張られる飼い主みたいになった僕は、公園のまんなかくらいまで来たところで、とつぜんくるくると回らされた。両手を握り合いながら、くるくるまわる。それは前にお父さんと行った遊園地で乗った、ティーカップの乗り物みたいな動き。
「すーぱーとるねーどあたーっく!」
「うわっ」
突然女の子が手を離して、僕はその場に尻もちをつく。手の平の皮を擦り剥いて、ちょっとだけ止まっていた涙が戻ってきそうになる。唇を噛んでそれを我慢していると、女の子が仮面ライダーみたいなポーズを決めながら言う。
「私は正義のヒーローなのだ。だから、キミが宇宙人にやっつけられるのを見逃すわけにはいかない!」
「ヒーロー?」
ヒーローがなんで僕を虐める。ハナハダ疑問だ。
「そう、正義のヒーロー!」
じしょうヒーローの女の子は乱暴に僕を立ち上がらせると、すぐ近くにあったベンチの上に靴を履いたまま跳び乗った。たぶん本物のヒーローはそんなマナーの悪い事をしないと思うけど、けどヒーローは敵であっても人を殴るから良くわからない。
腰に手をあてたまま大きく仰け反るヒーローの女の子。女の子は高い位置から僕を見下ろしつつ、大きな声を出す。
「男の子はね、泣いちゃダメなんだぞ! 強い宇宙人と戦っても負けないように、勇気を持たなくちゃいけないんだ、わかる?」
「えぇ。でも、宇宙人って本当にいるの?」
「キミを虐めていた奴らはぜーいん宇宙人だよ」
違うと思う。だってアイツらは、僕の学校のクラスメイトだから。宇宙人の子供はきっと、火星とか水星にある学校で勉強をしているハズだ。それで宇宙人の子供達も、僕らみたいに難しい算数に頭を抱えてるんだ。
僕が黙ってると、ヒーローの女の子は詰まらなさそうに頬っぺたを膨らませた。それからベンチに座って、僕にも座る様に手招きしてくる。変な人の言う事は聞いちゃいけないってお母さんが言っていたけど、それが子供の時はどうなんだろう? 大人はいつだって、大人が犯人である時の事しか考えない。そうやって、頭がじゅーなんじゃないからアニメの楽しさがわからないんだ。
そう言えば、人の悪口を言ってはいけないとも聞いた事がある。それって、『変な人』とムジュンしてるような気がするな。やっぱり、大人の言うことは虫食い状態だ。
でもあんまり無視するのも可哀想だから、僕は渋々と女の子の隣に座る。すると女の子は僕の方に詰めて来て、ヒーローみたいに肩に手を置いてきた。
「だからね、宇宙人に虐められて泣いてたらダメなんだよ? キミも勇気を持たなきゃ」
「……でも、嫌だよ。ケンカなんて僕、嫌いだし」
「違うんだなー。あのね、少年。ボーリョクを振るう事と強い事とは全然意味が違うんだよ? パパが言ってたもん」
「パパ?」
ずいぶんと子供らしいヒーローだと思った。
「あ、違う! うん、違うんだよ、少年。パパっていうのはね、こーどねーむなの、そう、コードネーム。本当の名前を人に知られるのはダメだから」
「本当に?」
「本当の本当!」
鼻の穴を大きく広げて、ヒーローの女の子が僕の肩を思い切り叩いた。ボーリョクはダメだって自分で言ったばかりなのに、不思議なヒーローだ。いや、でも、事件をボーリョクで解決するのがヒーローなんだから、この子は正しいのかもしれない。ボーリョクはヒーローの特権なのだろうか。
「まったく。それだけ人に言えるんだったら、もうだいじょーぶだね」
「……うーん」
それとこれとはまた違う気がしたけれど、これ以上さからったらもっと叩かれそうだったからジチョーする。
そして反応をしない僕に納得したのか、ヒーローの女の子は腕を組んで「うんうん」と何かに満足した様に頷き、んしょっ! と言ってから再びベンチの上に立ちあがった。そして僕を見下ろした女の子は、握った手の親指を立てるとそれを僕に突き出す。
「少年! キミの事は私が見守ってるから、もう泣いちゃダメだからね!」
それだけ言うと、ヒーローの女の子は「とうっ!」と言いながらベンチを跳び降りて公園をダッシュで出て行ってしまった。結局あの子が何をしたかったのかわからないまま。
変な子だな、と思った。けど、気づいたら擦り剥いた手の平や肘の痛みの事なんか完全に忘れていて、僕はその事に今まで気づいていなかった。
「ヒーロー……?」
ひょっとして、ヒーローの女の子は本当にヒーローなのだろうか?