叶うなら、遠いあの夜をもう一度
辺り一面が真っ暗だった。ここはどこだろう?俺は腕を持ち上げる。腕を持ち上げた感覚はあるが腕は全く見えない。明かりはないのかと首を動かしていると、遠くに何か見えた。
「?」
遠くで赤く光る何かが蠢いている。あれは何だ?目を凝らすがよく見えない。アレは何だ?気になる。近付いて確かめようと歩いてみるが、まるで、ルームランナーの上にいるかの様に前に進まない。
「………」
何だありゃ?と呟いてみようかと思ったが口が動かない。いや、それだけじゃない。舌と口内の感覚がしない。持ち上げた手を動かしてみる。手と手を合わせようとすると、おそらくぶつかるだろうはずの場所で手と手が触れ合わない。段々と気味が悪くなって来た。
俺はふと顔を上げる。
「?」
遠くに見える赤い物、少し大きくなった気がする。相変わらず蠢いている。不思議と嫌悪感を感じた。
「…ねえ、二兎。聞いてる?ねえ」
いきなり声がして驚いた。辺りを見回すが声の主は見当たらない。誰だ?聞き覚えはあるが…。
「もう、授業終わっちゃったよ?」
ああ…そうだ。この声は。
顔を上げると前の席にいるそいつと目が合った。風に吹かれてそよそよと揺れる赤みがかった白色の長髪が特徴の小柄な男、それが白樺智樹だった。椅子を逆向きに座り、背もたれを掴みながら俺を覗き込んでいる。
その愛らしい見た目から初対面であれば性別を間違われる事がしばしばある。声さえ発すれば判別はできるが、心を許した相手以外にはあまり喋らない方なので俺も初めて会った時は名前と返事を聞いて驚いた。
俺が無言で智樹を眺めるもので彼は右、左と首を傾げる。
「いつも寝てるけど、次のテスト大丈夫?」
眠りから覚めて少しずつ記憶が鮮明になって来る。ここは俺の通っている高校の教室。辺りの空気はシンとしているが、僅かに残る混濁した匂いと、仄かな温かみが先程まで人がいたと言う存在感を放っている。
俺の名前は木立二兎。家から近いからと言う理由だけで現在通ってる高校を選んだ男だ。歴史の授業が退屈で眠っていた。智樹は高校生活が始まってからできた友達だ。
「心配には及ばない。俺は大体の困難は一夜漬けでどうにかして来たんだ」
フフン、と余裕の笑みを浮かべてみせる。彼は肩を竦めて呆れた。
「しっかり日々の積み重ねをしてればそんな事にはならないのに」
「余計なお世話だ」
「そんな事よりそろそろ帰ろうよ。皆、もう帰っちゃったよ?」
言われてみれば周りにはクラスメイトがいない。智樹は随分と長い間俺を起こそうとしてくれていたのかもしれない。先生にバレずによく寝られたものだ。なんて思う。俺は教科書や筆記用具を鞄に詰めると智樹と一緒に教室を出た。
俺達は長い廊下を歩きながら外を眺める。今、何時なんだろう。夕方と言うほど日が傾いてる訳では無い。俺の少し前をテクテクと歩く智樹の後ろ姿を見る。背中まで伸びた髪がふわふわと揺られ、少しいい匂いがする。何でも寒がりらしく首周りが冷えるのが嫌で伸ばしてるらしい。髪のケアが不十分らしく少し傷んでいる。
「何で俺なんかのために遅くまで残ってたんだ?先に帰れば良かったのに」
「夜の学校に1人取り残される二兎を想像すると可哀想でさ。起こしてあげなきゃって思ったんだ」
「さすがに閉門前には起きると思うけどな」
智樹はほおを膨らませながら振り返る。
「むう。素直にありがとうって言ってくれたらいいのにさ」
「ありがとな」
そう言って俺は智樹の頭を髪ごと掴んでワシャワシャと撫でる。彼は「んふふ」と笑う。
階段を降りるとサッカー部のサッカー練習の音が聞こえて来た。吹奏楽部の練習の音も聞こえる。踊り場で他生徒とすれ違った。忘れ物でもしたのだろうか。
階段を降り、廊下を歩いて昇降口へ向かう。下駄箱に向かう途中で不良とぶつかった。体勢を崩して倒れる智樹と何食わぬ顔で通り過ぎる不良。俺は思わず不良に掴みかかった。
「あんだよ!」
不良が声を荒げる。
「人にぶつかったらまず言う事があるだろうが!」
「ああん?ああ、チビ。いたのか。小さくて気づかなかったぜ」
ぶん殴ろうとすると「やめてくれ!」と後ろから智樹が叫んだ。
「僕も前をよく見てなかったんだ。僕も悪い」
「だとよ」
不良は乱暴に俺の手を振り払ってどこかへ消えた。俺は舌打ちして智樹の元へ駆け寄る。
「怪我はないか?」
「大丈夫…」
膝を擦りむいている。俺は智樹を外の水道まで連れて行くと傷を水で洗い、ハンカチで拭って絆創膏を貼った。
「これで大丈夫だ。歩けるか?」
「もう、過保護なんだから。大丈夫だってば」
智樹の髪の色は生まれつきだった。身体もあまり丈夫な方ではなく、高校に進学すると同時にクラスで浮いて一人ぼっちだった。俺もぼっちだったが、あまりに1人で寂しそうだったので俺から誘って友達になった。
こいつは何も悪くないのに、クラスメイトも冷たい連中ばかりだ。俺は智樹と一緒に歩いて下校する。彼は少しだけ俺より先を歩いている。彼はご機嫌そうに他愛のない話をしている。
「ねえ、聞いてる?二兎ってば」
「ん?ああ。…聞いてるよ」
やがて分かれ道に着いた。俺と智樹はここで家路が別々になる。
「それじゃ、また明日」
そう言って自宅に向かって歩き出す智樹。ふと、俺は気が付くと智樹の手首を握っていた。
「痛っ…。え?」
自分でも何故そうしたのかは分からない。俺は強く智樹の手首を握っていた。
「…………」
「二兎?」
「…家まで送るよ。ほら、お前、1人にすると危ないし」
「?」
智樹は困った顔で笑った。俺は彼を掴む手を離した。それからは言葉少なく彼の家まで送る。
俺は、智樹に何か言わなければならない事がある。
何か心に確信の様な物があった。それでもそれが何なのか分からなかった。彼の家の前に着く。安心した様な、少し残念な様な。智樹は振り返る。
「ねえ、お茶して行く?」
「……いや、いいよ。帰る」
「そっか。じゃあね、二兎」
そう言って玄関の中に入って行く彼の背中を見送っていた。俺ももう帰らないと。俺は後ろ髪引かれる思いを振り払う様に彼の家の前を去った。
歩道をしばらく歩いた所で振り返り、彼の部屋を見た。窓は閉まっているはずなのに僅かにカーテンが揺れて見えた。俺は首を横に振って自宅へ向かう。何でこんなに気分が落ち着かないんだろう。
…まただ。またこの夢だ。真っ暗な場所にいる。確か、この間は赤く蠢く何かが見えたはずだ。見渡すと確かにそれらしい物が見えた。いや…以前より輪郭がはっきりとしている。
輪郭だけ赤く光る何かが這ってこちらへ向かっている。頭はとても大きく、耳か角の様な物を生やし、大樹の様な腕を足の様に使い下半身を引き摺りながらこちらへ向かっている。
「…………」
鬼?
見た目の印象はそうだった。肌がヒリヒリとする。まるで近くで火に当たり続けた様な熱い痛み。今度ははっきりと嫌悪感を感じる。俺は逃げようと反対側へ向かって走る。走ってる足の感覚はあるがやはり蹴ってる地面の感覚がしない。進んでる気がしない。
あれ、俺、あれに追い付かれたらどうなるんだろう?
そう言えば少しずつ息苦しくなって来た。走ってるからだろうか。何か胸のあたりが苦しい。
『大丈夫。大丈夫だよ』
声が聞こえる。
「…智樹?」
口が動いた。声も出る。あの赤い何かが遠ざかって行く。俺が目を開けると目の前に智樹がいた。彼はベッドの上に横になっている俺をベッドの下から中腰になりながら眉をハの字にして心配している。
「大丈夫?随分、うなされてたみたいだけど…」
耳に流れる16bitのバトルBGM。近くのテレビ画面には真っ赤な顔の鬼が映し出されており、UIはプレイヤーの選択を待っている。ここは智樹の部屋。俺は休日、智樹の家に遊びに来ていた。彼の遊ぶゲームがあまりに退屈でベッドで眠ってしまったのだ。
俺は寝返りを打ちながらため息をついた。
「智樹が変なクソゲー見せるから変な悪夢見ちゃっただろ」
「むふふ、愛すべきクソゲーだよ」
見てる限りは苦行系のレトロゲーなのだが…。変な趣味だ。最新機種に移植されたレトロゲーではなく販売された当時の対応機種で遊んでいる。こんな物を好き好んでプレイする事だけでも随分と変わっているのだが、俺にも見て欲しいとわざわざ家に誘うのだから物好き極まりないものである。
その得意気に笑ってる顔が愛らしいものでついついイタズラ心が芽生える。俺は彼からコントローラーを奪うとひょいと高い所に持ち上げる。彼は猫じゃらしで遊ばれる猫の様に手で空気を掻きながら俺からコントローラーを取り返そうとする。
「うぎー、今良い所なんだよー。返してー」
しばらく智樹で遊んでいると彼はベッドの中に入り込んで来た。直接俺を狙いに来たのかと思えば、俺の腕を枕代わりにした。狙いはコントローラーではないらしい。
「もういいや。僕も眠くなって来ちゃった」
そう言う彼の眼はトロンとしている。俺はコントローラーを置くと反対側の腕を彼の背中に回して抱き寄せた。
「えっ…」
自分でもどうしてこんな事をしたのか分からない。彼の顔がすぐそばにある。段々と恥ずかしくなって来た。自分にも説明できない行為にどう言い訳したものか考えていると彼は少しずつ顔を赤くしてそっぽを向く。
「ぼ、僕喉が渇いたから…」
そう言って慌てた様子でもぞもぞと動いて俺の腕の中を出た。
「あっ…」
ドタドタと急いで部屋を出る智樹に向かって手を伸ばす俺。謝らなきゃ。でも、急に強い眠気が襲って来た。駄目だ。謝らなきゃ。智樹、俺…。
…目の前で赤く光る真っ赤な輪郭が蠢いている。俺のすぐそばで、それは這い寄って来ている。
「く、来るな!」
俺は走ってそれから逃げようとする。熱い。苦しい。全身が熱くてヒリヒリする。息が苦しい。走っても走っても目の前のその蠢くそれからは逃げられない。
蠢くそれはまるで逃げる俺を嘲る様に素早く這って少しずつ俺に迫る。
『…ぐすっ、ぐす…どうしてだよ…』
すぐ近くで声が聞こえる。誰だ?
『どうしてなんだよ…』
俺…?これは、俺の声だ。
『智樹…』
智樹?智樹がどうしたんだ?
ガシッ。すぐ後ろの蠢くそれが俺の肩を掴んだ。
「うわああああああ!!!!」
熱い。苦しい。誰か助けて。苦しい。苦しい。
『大丈夫…大丈夫だから…』
声が聞こえた。今度は…智樹?智樹の声が聞こえる。俺を掴んだ腕が俺の肩から離れた。少しずつ蠢くそれが遠ざかって行く。目を凝らして見ると、その蠢くそれは下半身を何かに掴まれて強い力で後ろに引き摺られている様に見えた。
いや、そんな事はもういい。智樹、智樹はどこなんだ。俺は無我夢中で手を動かす。智樹の名前を叫んで彼を探す。
『二兎、僕ならここにいるよ』
「智樹…智樹…」
目を開けると俺は川のそばで智樹を抱き締めていた。彼は優しく俺の背中を撫でている。彼はここにいる。それだけで何にも代えがたい安心感がなだれ込んで来た。何故か涙が止まらない。彼は少し冷えた手で俺の背中を撫でた。
俺も自分の感情を自分で止められなかった。彼にしがみつく様に抱きついて泣いた。
「僕はどこへも行かないよ。だから泣かないで」
彼に慰められて少しずつ落ち着いて来た。俺はゆっくりと彼から離れる。
「…恥ずかしい所見せたな。ごめん。俺、どうかしてた」
「ううん。いいんだ。誰でもそう言う事あるよ。熱はない?」
俺、どうしてたんだっけ。…ああ、そうだ。俺達は確か川に遊びに行ったんだ。そこで確か、水切りをやって遊んでたんだった。途中から飽きた俺は近くに座って、智樹を見守ってて…。
「立てる?そろそろ家に戻ろう」
「智樹、水をくれ。頼む」
落ち着いて来ると酷く喉が渇いてた事を思い出した。智樹は頷くと麦茶の入ったペットボトルを持って来てくれた。俺はお礼を言ってそれを受け取りそれを飲んだ。
そして立ち上がると俺は川のそばに行き、近くの平らな石を拾ってヒュンッと投げる。パシャン、パシャン、パシャン…水面を石が跳ねる。12回。
「お前の記録、10回だっけ。俺の勝ちだな」
そう言うと彼はニコりと笑って立ち上がる。それからその辺りの平らな石を拾って、綺麗なフォームで川に石を投げる。ギュン、パシャパシャパシャパシャ…。石は水面を跳ねてポチャンと沈んだ。13回。
「まだまだだね、二兎」
「敵わんな」
俺達は川を離れて自転車に跨った。
「…ねえ、二兎。お祭り行かない?来月の」
「ええ?地元のアレ?嫌だよ、しょぼいし」
「いいじゃん。いこーよ」
俺は少し悩んだ。
「まあいいや。智樹が行くなら俺も行くよ」
「やった」
彼は嬉しそうに笑った。可愛い笑顔なのだが、何故か心が抉られた気がした。何だろう。苦しい。
誘ったのは彼の方だと言うのに、何故か先に自転車を漕ぎ出した彼の顔は少し暗かった。
…すっかり見慣れた夢。もう何度目だろう。俺は暗闇の中で見渡す。赤く蠢くそれが見えた。不思議と遠い。俺は無言でそれを眺めていたが、反対側から何か光が見えて来た。俺は踵を返してそちらへ歩き出す。
赤く蠢くあれはあの見えない何かに引き摺られて行ったんだろうか。アレは何だったんだろう。何も分からない。
相変わらず地面を蹴ってる感覚がないが、ちゃんと進んでる様で俺の体は少しずつ光の中へ入って行った。
光のトンネルは祭りの会場の入口へと繋がっていた。出口には浴衣を着た智樹がいた。黒を基調として赤色の鯉の絵が描かれていて、髪は上にまとめてある。浴衣はいつもの服より体のラインが強調されており、細身ながら些か角張った体格が抜き身の短刀の様な美しいラインを描いている。
俺は彼の元に歩み寄ると肩に手を置いた。
「可愛いよ」
「な、何さ急に」
智樹は顔を赤くして言う。俺達は手を繋いで一緒に祭り会場へ向かう。彼はやはり少しだけ俺より前を歩いた。
彼は少し照れくさそうに振り返りながら言った。
「…何だかデートみたいだね、二兎」
「やめろよ。意識しちまうだろ」
「へへ」
俺達は祭りの会場を歩いて回った。射的をやったり、お面を買ったり、激辛ハズレ有りのたこ焼きを買ったりした。辛いたこ焼きは俺が当ててしまった。幸い辛いのは好きで大した事はなかったが。
祭りは賑やかだった。でも、皆の顔がぼやけて見える。学校の時と同じだった。こんなに人で溢れかえっているのに、ここにはまるで人がいないかのよう。俺達だけ、この世界に取り残されているような。そんな寂しさがあった。
でも、今はそんな事はどうでもいいんだ。今は智樹がいればそれでいい。それでいいんだ。
途中で智樹は綿菓子を片手に俺の腕を引っ張って神社へ向かう。神社の階段に腰をかけると俺はイカ焼きを食べながら空を眺める。ああ、いつだったか。こうして一緒に祭りを楽しんだっけな。
ヒューッ…ドーン…。パラパラ。
花火が上がる。小さな小さな花火。それでも綺麗だった。
ああ、思い返せば簡単な事だったんだ。祭りが派手とか地味とかじゃない。智樹は俺と一緒に祭りに行きたかったんだ。
俺達は一緒に花火を眺める。智樹は目を細めた。
「…綺麗だね」
「ああ」
ただこの気持ちを共有したくて。きっと、そうなんだろう。
どちらからともなく手を握った。
俺達はただただ、空に爆ぜて輝く花を眺める。
花火はすぐに終わった。俺達に余韻を与える間もなく。もっとこうしていたいのに。終わってしまった。
「帰ろっか」
「そう、だな…」
俺達は階段を降りて会場の出口へ向かう。
「あいたっ。…鼻緒が切れちゃった。ごめん、僕は歩くの遅くなりそう。この後、予定あるんだよね?二兎、先に帰ってて」
智樹はニコりと微笑んだ。そうだ。俺はこの日、誕生日だった。家族が待ってたから、早く帰らなきゃいけなかったんだ。
『…ごめん。俺、もう行くよ』
「馬鹿言うな。ほら、乗れよ。俺が背中を貸してやる」
俺は彼のすぐそばに座って乗るように言う。
『いいんだ。久しぶりの誕生日パーティー、楽しんで来て』
「…いいの?誕生日、祝ってもらえるの久しぶりなんでしょ?」
『それじゃ、また明日』
俺は一人っ子だった。親はいつも家にいなくて子供の頃から寂しい思いをして来た。今日は、両親が俺のわがままを聞いて予定を合わせてくれた大事な日だった。
「待たせりゃいいさ。お前を置いて行けないよ」
『またね…』
「二兎…」
俺のそばで智樹を置き去りにする俺の姿が見える。幻覚なんかじゃない。これは確かに俺だった。今度こそ間違わない。俺は智樹を背中に乗せる。間違っちゃいけなかったんだ。
智樹は俺の首に回した手を少しだけ強くする。
「…何だか告白だったみたいだよね、さっきの」
「茶化すなよ。俺は本気だ。俺はお前の事が好きなんだ」
「本当?…えへへ、嬉しいな。夢みたい」
背中が熱い。智樹が後ろで泣いている。ボロボロと涙をこぼして泣いている。俺も泣いていた。
クソ、クソクソクソ…。何でだよ。何で…。
後ろで智樹が声を殺して泣いている。鼻をすする音が聞こえる。
どうして…。
祭りの会場の出口から先は真っ暗だった。俺は背中に智樹の重さを感じなくなる。振り返ると彼は離れた所に立っていた。
「ごめんね。僕、もうここから先へは行けないんだ」
どうして、これが現実じゃないんだよ…。
「ふざけるな!俺は、智樹を連れて帰るぞ!」
俺は智樹の手首を掴もうとする。しかし俺の手は智樹をすり抜ける。
「お前は、俺と一緒に帰るんだよ!!!一緒に…」
何度も何度も智樹を掴もうとする。それでも何度もすり抜けた。彼は悲しげに俯く。
クソクソクソクソ、こんな事あるかよ!やっと、やっと会えたのに!!今度こそ、一緒になれるって思ったのに。こんな事あるかよ、二度も引き裂かれなきゃいけないのかよ!!
俺はその場に崩れ、何度も何度も地面を殴った。血が出るまで殴った。
「智樹、何でだよ。俺はお前以外に何もいらないよ。どうして俺と一緒に来てくれないんだよ…」
智樹は俺に歩み寄り、屈んだ。
「辛いのは自分ばかりって思うなよ!僕だって、辛いんだ。お前の事、殺せば一緒になれるって考えなかったと思うか?僕だって辛いよ。辛いよ…」
ボロボロと涙を零して泣く智樹。
俺は思い出してしまった。彼は祭りの日の別れた後、交通事故で死んだ。あっけなかった。飲酒運転していた男に殺された。病院まで駆けつけたが、間に合う事なく死んでしまった。あれは2年前の事だった。
大学に進学して、ずっと智樹の事を忘れようとしていた。忘れられなかった。日に日にその存在を自分の中で大きくして行った。
必死に智樹の事を忘れようと努力を続けた。学業に必死に打ち込んだ。その結果、不摂生が祟って倒れた。おそらく今の俺は病院にいるんだろう。
智樹は病魔に苦しむ俺をそばでずっと守ってくれていた。俺は忘れようとしていたのに。治るまで、夢の中で付き添ってくれた。
「…二兎。また会えるよ。僕、ずっと待ってるから」
「…必ずだぞ」
俺は静かに智樹を抱き締める。触れようにも触れられないが、そこにいる存在を抱く。智樹もまた、同じように抱き返す。
やがて智樹は俺から離れた。俺からじゃ離れられないから。彼は手を後ろに組んでニコリと笑う。
「またね、二兎」
「ああ。約束だ」
そう言って後ろ髪引かれる思いながらも踵を返すと会場の外に向かって歩き出した。もう振り返らない。振り返ったら、あいつだって辛いだろうから。
後ろから叫び声が聞こえた。
「二兎ーっ!あの返事ー!僕も君が好きーっ!」
俺は笑った。俺は振り向かないまま手を振った。
このタイミングで言うんだもんな。それでも振り返らない。
大丈夫。これが永遠の別れじゃない。いつか、きっと会えるから。それまでの間だけ、ちょっとの別れ。ただそれだけ。俺は自分に言い聞かせて歩いた。
やがて智樹の気配を感じなくなった。祭り会場からも遠い。少しずつ、向かうべき現実へ近付いている。
進んでる実感はあまりないがそれでも歩き続けていると光が見えて来た。俺はその中に入った。




