幕間③:闇に踊る処刑人
漆黒の夜を、一頭の馬が走っていた。
それを駆る騎乗主は焦ったように、頻りに後方を確認している。
何かから逃げているのは明白だ。
「急げ!」
パシンと鳴らした手綱に呼応するように、馬が嘶く。
夜の風よりも速く、闇よりも濃く──目にも止まらぬ速度で馬は駆ける。
「クソッ! クソッ!」
男は毒づいた。
自分はただ少し酒に酔って口を滑らせただけなのに。
一夜にして全てが終わってしまった。
今ではもう、死を待つただの逃亡者だ。
だがまだ希望はある。
西の果てにある流れ者の街──〝デルトロ〟
そこまで逃げ延びることが出来れば、あるいは名を変え顔を変え助かるかもしれない。
一縷の望みに賭けて、男は必死に馬を走らせる。
しかし、その希望は一瞬にして断たれた。
「うおッ!?」
突然馬が崩れ落ちたかと思うと、次の瞬間男は空中に放り出されて地面をゴロゴロと転がる。
凄まじい衝撃と土埃に咳き込みながらなんとか顔を上げた男の目に飛び込んできたのは、首を落とされた馬の死体。
「鬼ごっこはもうおしま~い?」
妙に甘ったるく高い女の声が聞こえた途端、男の背筋を絶望が這い昇る。
サクサクと草を踏みしめる音と共に、月明りに照らされて襲撃者の姿が浮かび上がってきた。
「しょ、《処刑人》……!」
男の前に現れたのは、桃色の髪をボブカットにした若い女性。
小さな顔のパーツは全てが均整が取れて完璧な位置に収まっており、その美貌は見る者の目と心を奪う。
対して首から下は殆ど何も着ていないという状態に近く、申し訳程度に胸と股間を隠す布と大きなマントしか身に纏っていなかった。
かなり刺激的で扇情的な外見だが、男の股間が反応することはない。
むしろ縮み上がってさえいた。
その理由は、女の肩に担がれた巨大な斧。
刃の部分はべっとりと血に濡れており、先ほど新しく付いた馬のものから、かなり古い血錆まで鮮明にこびり付いている。
それが月の光に反射して赤く煌めいた。
キャハハハ、と女は高笑いする。
もう逃げることは出来ない。それを悟った男は、女に向かって土下座の姿勢を取っていた。
「許してください! ただ、酒の席での過ちだったんです! もう二度としません、今後は気を付けます! だからどうか、命だけは!」
しかし地面に頭を擦りつける男は気付かない。
命乞いをした瞬間、先ほどまで楽しそうに笑っていた女の顔が、何の感情も感じさせない無表情になったことに。
「駄目だよ。だって君、規律破っちゃったもん」
「…………ッ!」
「うちの規律は知ってるでしょ? 〝その時〟が来るまで、全ての計画を秘匿するって」
女はやれやれとため息を吐く。
「分かるよ~、怖いよね~、理不尽だよね~」
そして「だからさ」と男の耳元に口を近付けて囁く。
甘い吐息と共に、噎せ返る様な香水の匂いが男の鼻を突いた。
「あたしと楽しいこと、シない? 君が勝てたら逃がしてあげるよ♡」
「しますッ! 何でもしますッ!」
男は女の足元に縋りつく。
もし助かる可能性が億に一つでもあるならば、悪魔に魂を売り渡すことさえ構わないと男は思っていた。
「キャハッ、いい返事。じゃあさじゃあさ、コレ見てて?」
女は男の目の前に死神の絵が描かれたコインをかざす。
そしてそれを自分の顔の前に持っていき、徐々に手を下げ、そして胸の谷間──面積の小さい布の中に仕舞った。
意図は分からないが、男は確りとそれを見届ける。
「じゃあ問題、コインはどこに行ったでしょ~♡」
どこって、明らかにそこだろう。
男はごくりと唾を呑み込む。
そして、震える指で女の胸を指さし──
「む、胸の間に……」
「え~? 口じゃわからな~い、取って見せてよ~」
イカれてる。あるいはただの淫乱か。
何だっていい。これで自分は助かる。
男は女の胸に手を伸ばす。
そして──
「はい、ざ~んねん♡」
鋭い痛みを首に感じたところで、男の意識は永遠に途絶えた。
「正解は、ここでしたぁ」
女は「べっ」と口を開けて舌を突き出す。
てらてらと光る長い舌の上に、死神のコインが乗っていた。
そして首の消えた男の死体を見下し、狂ったように嗤う。
「キャハハハハハ! アハハハハハハハハ!」
だがその終わりは唐突に訪れる。
女はスッと嗤うのを止め、無表情のまま指を鳴らした。
直後、女の背後に無数の人影が現れる。
「撤収するよ。そろそろ〝お姫様〟にご飯をあげないといけないし」
人影は一斉に女に向かって頭を下げ、そして現れた時と同様に一瞬で姿を掻き消す。
女はくるりと踵を返し、そして最後に、一瞬だけ男の死体を振り返った。
「本当に馬鹿だよね。みんなどうせ最後は死ぬのにさ」
先ほどまでの媚びるような甲高い声とは打って変わって冷徹な声でそう呟くと、夜の闇の中に消えていった。




