第4話:死の舞踏
森の奥から聞こえた肌の粟立つような咆哮。
明らかに尋常なものじゃない。
まさか、これがシリウスの言ってた噂ってやつなのか……?
いや、今はそんなことどうでもいい。
「な、何……!?」
「気をつけろ、何か来るぞ」
身構えるノエルに、注意を促す。
遠方から聞こえる木を薙ぎ倒すような轟音と地響き、そして濃密な殺気。
一匹や二匹で出せる音じゃない、明らかにもっと多い。
──そして、そいつらは現れた。
『GHAAAAAAAAAAA!』
『GRRRRRRRRRRRRR!』
『GYAPAAAAAAA! GYAAA! GYAAA!』
二股の尾が生えた虎、虎妖魔。
複数で獲物を襲い、八つ裂きにすることを好む皮剥ぎ師。
圧倒的な質量と膂力で獲物を圧し潰す剛魔熊。
そいつらを筆頭に多数の魔獣が徒党を組んでやってくる。
どいつもこいつも、白金級がパーティを組んでやっと対処できるレベルの強者だ。
本来なら森のかなり奥地に行かないと遭遇しないはずだが……やはり先ほどの咆哮に端を発していると見て間違いないだろう。
魔獣たちは俺たちに敵意を抱いているというより、まるで何かから逃げてきているように見える。が、ここにいては襲われることは必定。
俺一人ならどうとでもやり過ごせるが、今はノエルが一緒にいる。
まだ経験の浅い彼女では逃げ切ることはできず、魔獣の群れに呑み込まれてしまうだろう。現に、ノエルは恐怖で固まってしまっている。
仕方がない、腹を括るか。
「ここから先は意地でも通さねぇ──かかってきやがれ」
手にした双剣を抜き払い、重心を低くして駆ける──
勢いのままに斬り上げ、刺突し、そこを支点に上方に跳躍。
ぐるりと回転しながら虎妖魔に騎乗するように跨り、その眼球へ刃を突き入れる。
『GRRRAAAAAAAA!?』
虎妖魔は激痛に身を捩る。
盛大に血が吹き出し俺のコートや頬に返り血が跳ねるが気にしない。
突き刺した刃を抜き、何度も何度も刺突する。
硬い骨を砕き、その奥を抉る感触が腕から伝わってくる。
数度目の刺突で虎妖魔は絶命し、どうと地面に斃れ伏した。
だがこれで終わりじゃない。
俺が斃したのはたったの一体。まだあと数十匹は残っている。
魔獣たちの間を駆け抜け、すれ違い様に足の健や喉を狙って切り付ける。
恐慌状態の魔獣たちも俺を脅威と見なしたのか一斉に動きを止め、俺に注意を向けてきた。これで狙いは達成された。まずノエルが巻き込まれる心配は少し減ったわけだ。
そう思うのも束の間、動きに違和感を覚えて自分の体を確認すると、俺の右大腿に粗雑な刃物が突き刺さっていた。
恐らく皮剥ぎ師が持っていたものだろう。どうやらさっき間を駆け抜けたときに反撃をもらったようだ。
だが痛みなど感じない。そんなもの、とうの昔に慣れた。
取り急ぎこの中で厄介なのは皮剥ぎ師だ。
なまじ他の魔獣より知能が高いだけに、どうすればこちらの歩みが止まるかを的確に突いてくる。
俺は脚に突き刺さった刃物を抜き、柄の部分を咥えながら双剣を構え、再び駆けた。
『GYAAA! GYAAA!』
「遅い」
いかに知能が高くとも、所詮は獣畜生。
手数の多い攻撃には対応が一手遅れる。
空中に浮かせるように剣で切り裂きながら、奪った刃物に持ち替えて皮剥ぎ師の脳天目掛けて突き刺す。そしてまた剣を掴み、喉笛を裂いていく。
そう、狙うのは喉か心臓だ。
徹底してそこを潰せば大抵の生き物は絶命する。
俺の剣は戦うための剣に非ず、身を守るための剣に非ず。
ただ、相手を〝殺すため〟に存在する。
『GYYYYY!』
「………………チッ」
しかし流石は歩く小災害なだけある。
こちらの猛攻に一足早く順応した皮剥ぎ師が、俺目掛けて刃物を突き刺そうとする。
それに対して俺は腕でガードするが……重く湿った音と共に、嫌な感触が右腕を突き抜ける。どうやら骨が逝ったな。
だが──どうでもいい。
『GYAGYA! GYAAAA!』
「黙れ」
『────!?』
俺は刺された方の右腕で皮剥ぎ師の頭を鷲掴みにし、そのまま近くにあった樹に叩きつける。
ぐちゃりと音がして、頭部が潰れた皮剥ぎ師はだらりと四肢を下ろし、絶命した。
「ヴァニさん!?」
「平気だ、この程度」
聞こえてきたノエルの悲鳴に意識が引き戻される。
実際問題なんともない。たかが片腕をやられた程度だ。
この程度じゃあ俺は止められない。
そう、まだだ──まだ殺すべき魔獣は山ほどいる。
戦闘と出血によりアドレナリンが身体を駆け巡り、得も言われぬ昂揚感に全身が支配される。
気付けば俺の口は歪に吊り上がっていた。
「ははっ……ははははは、ははははははははははははははは!」
さあ、次はどいつだ。
俺は哄笑しながら魔獣の群れに飛び掛かっていった。
♠
《sideノエル》
凄い。
ヴァニさんが戦うその姿は、まさにその一言でしか言い表せなかった。
だけど同時に恐ろしくもあった。
何故ならその戦いぶりはまるで獣のようで、手傷を負うことを厭わずにどこまでも獰猛に狩りをしているから。
──肉を切らせて骨を断つ。
そんな言葉が脳裏をよぎった。
知識としては知っている、あまりにも凶悪な魔獣たち。
普通は熟練の精鋭が多人数で挑んでやっと倒せるような魔獣を、ヴァニさんはまるで子供を相手にするかのように次から次へと斃していく。
あまりにも捨て身なその姿に、私はただ見守ることしかできない。
もうヴァニさんの体はボロボロだ。
全身が返り血とヴァニさん自身の血で真っ赤に染まり、それでも嗤いながら魔獣たちに肉薄している。
「これで──終わりだ」
そうして全てが終わった。
勝った、のだ。
たった一人で、何匹もいた魔獣の群れに。
後に残されたのは濃密な血の匂いと死体の山、そしてあれだけの死闘を演じてなお、息切れひとつしていないヴァニさんだけだった。
「ヴァニさん!!」
慌てて駆け寄る私の目に映るのは、痛々しい傷を抱えたヴァニさんの姿。
どれも致命傷だ。傷はかなり深い。
すぐに病院にかからないと助からないと、一目見ても分かるほどに。
「平気だ。ただ……少し休ませてくれ」
しかし、ヴァニさんはいつもと変わらない口調で木にもたれかかり、煙草を口に咥える。
どうして。
どうしてそんなに余裕でいられるのだろう。事態は一刻を争うというのに。
私の頭の中は焦りと困惑と心配でいっぱいだった。
そして、最悪な予想が的中してしまう。
ヴァニさんが煙草に火をつけて少しして、それがぽとりと口から落ちたのだ。
「ヴァニ……さん……?」
私の呼びかけに、しかしヴァニさんは返事をしない。
その目は硬く閉ざされ、胸の動きも止まっている。
「嘘、ですよね……?」
まさか、死んで──
「あ、嫌、嘘、嘘ぉ…………」
それはどこまでも残酷に突きつけられた現実。
ヴァニさんは間違いなく死んでいる。
気付いてしまった私の目からは、涙が止めどなく溢れてくる。
どうして…………いや、そんなこと決まり切っている。
私を守るためだ。ヴァニさんの身体能力なら、きっと逃げることもできたはず。
それができなかったのは、私という足手まといがいたせいだ。
私のせいで、ヴァニさんは死んだ。
私が何もできなかったせいで、怯えて縮こまっていたせいで。
そんな、そんな、そんな、そんな。
私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああっ!」
絶望の慟哭が森に響きわたる。
しかし、次の瞬間。
「ん……どうしたよノエル、そんな叫んで」
聞えるはずのない声にハッと顔を上げた私の目に映ったのは、傷一つないヴァニさんの姿だった。
♠
やれやれ……久しぶりに死んだな。
この感覚だけは、どれだけ味わっても不愉快極まりない。
それもこれも、全部あのクソッたれ女神のせいだ。
あいつが俺に授けた自称〝祝福〟のせいで、俺は死ぬことができない。
いや、正確には死にはする。……だが、すぐに蘇生されてしまうのだ。
……戦いの終わりというのはいつもあっという間だ。
生き残った奴、死んだ奴、戦場にはその二つしか存在しない。
俺は自分が斃した魔獣たちの死体を見やる。
そうして、心の底からため息を吐いた。
ああ、死ねるなんてなんと羨ましいのだろう、と。
しかし、憂いを抱く暇もなく。
「ヴァニさん!!」
ノエルが俺の元に駆け寄ってくる。
そして、自分の着ていたローブが血で汚れることも厭わずに俺に抱き着いてきた。
「ヴァニさん、よかった、生きててくれてよかった……うぅぅぁぁぁ……!」
「…………心配、かけちまったな」
俺の胸に顔をうずめながら嗚咽するノエルの頭を優しく撫でてやる。
色々バレちまって聞きたいこともあるだろうに、まずは俺の無事を喜んでくれる。
ああ、この子はいい子だ。素直にそう思える。
とはいえ、この場所は少し危険だ。
「さ、帰ろうノエル。いつまた他の魔獣がやってくるとも分からん。細かい話はあとだ」
「ひぐっ、ぐすっ、はい……わかりました」
こうして、俺たちの最初の依頼は無事……ともいえない形で終わりを迎える。
だがしかし、この瞬間から確実に何か良からぬことが動き始めた気配を俺はひしひしと感じていた。




