第34話:迷わない
「ふざけないでください」
そう言うノエルの声は低く、どこまでも冷たかった。
彼女がこんな声を出すところを、俺は今までに一度も聞いたことがない。
「あなた、私にずっと取り憑いてたと言っていましたね。なのに──なのに、何も見てこなかったんですか?」
「は?」
マルクスは邪悪な笑みを顔に張り付けたまま、首を傾げた。
「ヴァニさんは、あなたが言うような人じゃありません。あの人は誰よりも優しくて、誰よりも人が傷つくのを見たくなくて、だから自分を簡単に犠牲にしてしまう……そんな寂しくて不器用な人なんです」
ノエルが強く拳を握りしめる。
その掌には爪が食い込み、白くなっていた。
「あなたが、あなたごときが────ヴァニさんを語るな」
次の瞬間、暴力的な蒼の風が吹き荒れた。
世界に色彩として色づくほどの濃密な魔力だ。
俺にも見えるほど強く、そして震えている。
「は、ははっ……! はははっ! これだ、これだよ! ああ……やっぱり俺の目に狂いはなかった! お前がいれば、俺は頂点にいける!」
しかし、この状況になってもマルクスは嗤っていた。
狂っているのか、それとも余程自信があるのか。
「……私には、人を憎むことができません。誰にだって何かの理由があって、そこに正解も間違いもないから。ですが──」
ノエルはキッとマルクスを見据えた。
瞳に蒼の煌めきが反射している。
「あなたは違う」
そしてマルクスに向かって彗星の軌跡が降り注いだ。
……なんて綺麗で、幻想的な光景だ。
場違いだと分かってはいるが、俺はそう思わずにはいられなかった。
「あははははは! あははははははははははは! ひゃはははははははははははははははは!」
その純粋なまでの魔力の輝きは、亡霊であるマルクスの体をさえも破壊していく。
奴の体はどんどん崩れていき、次第に原型を失っていった。
そうして遂に完全に消滅し、後には夜空に瞬く星のごとき輝きだけが残る。
しかし、どこからともなく声が響いた。
『やっぱりお前はいいよ、ノエル……! 俺は迷宮の奥でお前を待っている。お前が俺のものになるその瞬間を楽しみにしてるぜ……!』
その声を最後に、マルクスの気配は消え去った。
「……………………」
「ノエル……」
セスカが心配そうにノエルの方を見る。
彼女はしばらくの間、俯いて地面を見つめていた。
俺たちはなんと声を掛けていいか分からず、その姿をじっと見守るしかない。
だがやがてノエルは俯いたまま、俺の方に向かって歩き出す。
そして──
「……!?」
徐に、俺に抱き着いてきた。
ふわりと甘い花の香りが鼻孔をくすぐる。
「ヴァニさん……私、私は……」
彼女の声は消え入りそうなほどに小さい。
しかし、俺を抱きしめるその腕はとても力強かった。
「ずっと迷ってました。ヴァニさんが私を相棒として認めてくれた後も、ずっと」
「ノエル……?」
「私なんかが、あなたの隣に立つ資格はあるのかって。でも、それでも私は……!」
ぎゅっと、更にその細い腕に力が入る。
そして俺の胸にうずめていた顔を持ち上げ、俺の目を覗き込んだ。
「もう迷いません。たとえあなたに否定されて、拒絶されても。それでも──」
冬の星空のような瞳には、強い意志が煌めいている。
「──それでも私は、あなたの相棒です」
その決意表明に、俺は頷くしかなかった。
「……やれやれ、アタシの入る余地はないみたいね」
少し離れたところでは、セスカが肩を竦めて微笑んでいた。
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「……やっと見つかったか」
それから数十分後。
俺たちはようやく、次の層に向かう出口を見つけた。
草原のど真ん中に、不自然に大きな穴とそこに向かう階段が続いている。
俺たちは顔を見合わせて頷き合い、次の層へと足を踏み入れた。
──第三層は、先ほどまでの穏やかな草原とはうってかわって不気味な場所だった。
深い霧の立ち込める、廃墟の街だ。
どこからともなく生暖かな風が吹き、血と錆の匂いを運んでくる。
かつては多くの人で賑わっていたであろう通りには当然だが誰一人おらず、土で薄らと汚れた路面が雰囲気を醸し出している。
「…………」
ふと、服の袖を掴まれる気配。
何だと振り返ってみれば、セスカが涼しい顔をしながら俺の袖をちょこんとつまんでいた。
「なんかあったのか?」
「はっ!? べ、べべべべ別に何もないわよ」
「じゃあこれ何」
「これは! ち、違くて!」
セスカの手を指さしながら訊くと、彼女は顔を真っ赤にしてバッと手を離した。
変な奴だなぁと思いながら前を向くと、またそろりと裾をつまんでくる。
そしてまた振り返ると急いで手を離してすまし顔をする。
もしかしてだが。
「何、お前怖いの?」
「はぁぁっ!? ぜ、ぜんぜんそんなことないし!」
「いや怖いんだろ」
「~~~~~~~~っ! うるさい! 馬鹿! アホドジ間抜け!」
「いや語彙力が幼児」
どう見ても図星である。
にしても想定外だったな、まさかこいつがビビりとは。
俺はてっきり、幽霊なんか見ても鼻で笑いながら優雅に紅茶を飲むレベルで強心臓な女だと思ってたぞ。
そういや幽霊といえば、マルクスを見ても全然怯える素振りも見せなかったが。
……アレとこの街の雰囲気とで何が違うんだ?
「じー……」
かと思えば、ノエルが一歩離れた場所でじっと俺たちを見つめていた。
そして心なしか、その瞳が仄暗い。
挙句の果てにはササっと近づいてきて、セスカと同じように俺の袖をつまんだ。
「お前は何してんだ」
「いたっ」
軽く脳天にチョップをかますと、涙目になって頭を押さえる。
「酷いですよヴァニさん! どうしてセスカさんと私で対応が違うんですか!」
「違くなくないか?」
「違くなくなくないです! 具体的には物理的に違います!」
いや、だってそれはほら。
明らかにわざとなノエルと本心からそうしていたセスカとじゃ違うし。
「あのなぁ、ここ迷宮だぞ? アホなことやってないでさっさと行くぞ」
「あ~っ! アホって言った! この人アホって言いました今!」
「怖くなんてないから! 全然怖くなんてないもん!」
喧しい、そしてセスカは墓穴を掘るな。それ以上喋るとお前の名誉が傷つくぞ。
そんなツッコミを心の中でしながら、俺はため息を吐いてすたこらと歩き出した。




